2017年04月24日

第57回ORPHEUS読書会 限りなく透明に近いブルー 村上龍 著




 


 現代日本の作家4人を題材にしたシリーズのデビュー作、中短編までをこれで終えました。今回までの読書会を終えてみて、今回の龍のデビュー作、おそらくこの4人のシリーズ中、最も優れた作品はこれなのかも知れない、と私は思いました。

 個人的には特に愛好してる作品では無いし、好みの作家、という訳でも無い。

 しかし今回までの読書会で深めた研究によって、作品の主題、技法、影響度、など総合的に鑑みて、改めて私の思い至った結論です。自分でもこれは非常に意外な結論です。しかも私がリピートして読んでいる回数では、読み辛い内容のせいで最も少ない作品なのです。

 またこの作品は、龍本人の設立した電子書籍を出版する会社によって、アプリとして本人自身の意匠によって書籍化されており、そうした表現スタイルとしても、やはり先端の在り方を提示している。まるで、このデビュー作品そのものの様に。

 今回、じっくりとアプリ内でスマートなフォントで読むこの作品と、本人の手書き原稿を読み比べ、私が痛感したのは、表現というものは、それを『生み出す熱量』こそが、全てを凌駕して大切な栄養だと言うことでした。

 思えば、全ての表現者に必要なもの、とはこの人間の内側から吹き出す『熱』では無いでしょうか?

 決して上手では無い手書きの文字で20代前半の学生時代に書かれた、手書きの原稿を読んで、そこに愛おしさを感じてやみません。



posted by サロドラ at 03:33| 文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月21日

第57回 ORPHEUS読書会


第57回 ORPHEUS読書会

4/23(sun) pm15:33:33

Mnemosyne : 参加者全員

題材『限りなく透明に近いブルー 村上龍 著』
http://amzn.to/2pYgfyQ


参加者 : salon d'Orange music society研究生

視聴者の皆様もチャットにてご参加ください。

主催
salon d'Orange music society
http://www.salondorange.com/society.html




http://www.ustream.tv/channel/salon-d-orange-live





******

 今回は近代現代日本の作家シリーズの4人目で、村上龍氏のデビュー作『限りなく透明に近いブルー』を題材にします。最初に中期中短編の『69』をやってしまったので、捻って今回が村上龍、衝撃のデビュー作をとりあげます。

 シーンの大半をひたすら占めるのが、乱交とドラッグシーン、という本作。凡人が普通の気分で読むには全く読み辛い作品です。しかしこれが上梓された1976年、ベトナム戦争が終わり、日本の戦後ももはや終わり、三島は自決し、どこかしらけたムードの中に突然現れたこの異彩を放つ作品は、芥川賞受賞作の中でも未だにトップの売り上げ部数を誇っており、私の知る限り、この作品から続く龍氏の世界観がJ-Rockシーンに与えた影響はとても大きい。

 music societyの研究題材として、これは欠かせない一品であろうかと思います。


 USTREAMで参加したい方は、よく作品を読んで鑑賞してから、どうぞご参加ください。


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posted by サロドラ at 20:29| 文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月13日

ロボットと人の未来



 最近、囁かれて久しいトピックですが
 http://www.jiji.com/jc/article?k=20170330035488a&g=afp




 P.K.Dick好きの私の見地からも、この研究、大旨正しいと思います。


 本来、人間がしなくて良い作業を人間がしている現在の方が、どうかしている。単純作業の工員や労働者など必要が無いし、そこで働く人自身が、それを良いと思ってる人など現実120%居ない。


 人間は人間らしく生きるべき、働くべき、で、ロボットに人間が成る必要など無い。



 で、ここで大問題は、溢れてしまった単純労働の人達…、だけど、この問題、古代、それも超古代の人類が、生命存続の為のリスク回避として、分業化し、システム化し、社会形成をしていった、その歴史的な構造の大きな揺り返しが、今、テクノロジーの発達、つまりは効率化によって、やっとこさやって来た、というのが、真の正体です。


 2000年期に入ってから、つまりはIT関係が成熟を見せ始めてから、特に私は超古代への回帰欲求が強く心に芽吹いて止まず、自分の仕事の全てはそれを規範として作業しているのですが、それは実はこうした社会の波を私の無意識が敏感に感じているに違い無く、現代に超古代を結ぶ仕事の意味、重要性は、そこにあると考えています。


 ただ違うのは、人口数。この問題だけは超古代の前例で解決できない。


 これは昔は戦争という形で人口淘汰を、自然に人間はしていたけれど、現在、ヒューマニズムの勝利によって今後、これは無い。その代わり、環境問題を通して、まさに神の采配であるかの様に、自然災害という形で、人口調整がされてしまう。要は、これは地球自身が、その自然のシステムによって、調整機能をそういう形で実現させてしまっている。

 2000年期以降の大事件、911からに始まった戦争、311及び世界中の震災、の全ては、これで説明ができます。



 超古代、、人間は、自然に成っている果実で潤い、システムを形成する必要など、無かった。国家も、村も、社会システムが無いのだから、争いも無く、永遠に平和で、天然の恵みによってのみ生き、安らかに死んでいった。世界中の古代神話に触れる時、それらに共通、通底して描かれている世界観である。


 人間が従属するのは、人間の造った構造物では無く、自然、天然のサイクルやシステムだった。


 どこの超古代文明も、これが基本的な様態です。





 この超古代と、現代を結ぶ。


 これが、今の社会問題の真の解決方法で、もう世界中の多くの人はそれに無意識レベルで気がついている。


 20世紀のアート、文学、を眺めると、総括として全てはここに到達する方法の模索、実験の繰り返しだった様な気がする。


 できれば、今世紀でその完成型を見たい。


 私は、その完成型に自分が到達したい。いつもそう思っています。


 

 さて。


 システムへの無分別な従属をする人は、もうこれからの時代ダメです。そういう人は要らないので確実に淘汰される。これから職業を模索する人に言いたいのは、そこです。最先端の社会学者、研究者の予想は、思ったよりも、かなり早くやって来る。

 システム、というものの性質とは、人間を真に思考しない痴呆にし、ロボットにする。痴呆に成り、ロボットに成った人間は淘汰される。


 システムに従属しない人間は、思考を常に要求される。機械的ドグマの外に立つ事を常に欲求する。



 会社人間、も、公務員、という制度も、つまりは社会保障の担保自体が、まるで恐竜の冬の様に、もう今世紀中に消えてゆく。


 人間を保障するのは、自然、天然の、抗えない力だけが、それを担保し、維持する。


 ここから法律、政治、社会、生き方、食物、アート、つまり人間の生き方全般を、組み替える必要が、必然として、今、来ている。




 私は、80年代にP.K.Dickを読んだ時から、太宰を読んだ時から、春樹を読んだ時から、ピカソの美を観た時から、岡本太郎の啓発を聴いた時から、宮崎駿アニメに感動した時から、そして、全ての良質な20世紀の音楽に魂を打たれた時から、


 この時代の到来を予想していました。そこにもう既に、これらのサインが明確に記されてあった。




 ロボット、とは人間のシステムの代替であり、つまりは安全保障の担保の代替であり、そして人間とは、人間の産物であるロボットが永遠に叶わない、人間以上の機能の代替存在、である。


 その露骨な表出が、今世紀の未来に起る、主要な出来事だ。



 私はシステムとしての書にも、システムとしての音楽にも、ノスタルジー以外の興味は無い。それが生まれる瞬間に全てを戻してしまえば、それでいい。この時間の中でそれを成し遂げるならば、超古代は超未来に自動的に変貌するのだから。


posted by サロドラ at 07:56| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月28日

君の名は。


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 私、計7回ほど劇場に足を運びました。個人的にこの回数は過去に経験ありません。しかも、全く厭きない、どころか観る度に、ここも!、あ、ここにも!!と常に新しい発見と感動だらけでした。


 まず昨年秋に、初めて観た時の衝撃があまりに大きかったのですが、アニメ作品、というより映像作品として、こんなに斬新で優れた作品は今まで観た事が無い。しかも実写映像で不可能な、アニメだからこそ出来る技、優位性をふんだんに使いきっている。


 まず、私の本業として見逃せないのが、音楽と映像の関係性、です。


 普通、劇伴の音楽制作は徹底して映像に従属する、そこに音楽家の技量が大きく問われる。最も面白く、難しく、真の音楽力が問われる仕事ですが、それは従来の映画音楽が『映像従属型』だからです。

 その場合、シーン、シーンでタイムのコマ何秒までのフレームに合わせ、人物やシーンの映像の真意、内面描写を作曲によって音楽家は描いていきますが、こうした手法、手腕をきっちり振るえる音楽家こそ真に総合的な技量、音楽力がある実力者です。


 しかしこの作品はそうした方法とは逆に、どこまでも"音楽に映像"が従属しています。前作「言の葉の庭」にもそういう部分があったけれど、今回は全編通して、かなり徹底している。今までの世界の映画制作の歴史には全く無い、前代未聞のやり方です。


 また、これを担当したRADWIMPSは確かにとてもセンスのある良いバンドだけれど、普通の意味での、そうした映画音楽を描ける音楽力などは失礼ながら、遥か、到底、無い。しかし、この方法を採れば、これは完全に成立する。

 初めて観た時、まるで私は「コロンブスの卵」を見せられた気分でした。


 これは音楽に映像の描写を合わせる『音楽従属型』の映像作品です。無論、コンセプトの提示に対して描かれた音楽ありき、ではありますが…。




 従来の映画音楽では、映像作家よりも音楽家側の実力を強く強制される事と逆に、この場合、映像作家側の実力と、それ以上に多大、膨大な労力を要求される。フレームごとに何枚も緻密な絵描くよりも、音をちょっと録音し直す骨を折るほうが労力としては簡単ですよ、そりゃ…(笑)。そういう、気の遠くなる様な膨大な苦労が、なんだか作品のシーン、シーンに滲み出てる気がします。



 この部分こそ、この作品の最大の、そして実質的な特徴、斬新性だと私は思いました。




 そして、この作品のテーマ。単純な恋愛映画では、これは無い。




 人間の中のある真実、それも描くことが大変に難しい真実を、実に巧みに描いている。それを日本の古来のアニミズムの世界をベースに、世界中の普遍的に解り易い場所まで表現を成功させている。


 この時点で、宮崎監督を超えている。宮崎監督の最も得意なフィールドで。


 宮崎監督と類似して、なお超えてるのは、あくまで現代の日本、そして超古代の日本を一直線で繋いでいる事。例えば神域のご神体の描き方にそれがダイレクトに現れている。


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 また、先の映像と音楽の関係性は、宮崎作品とは結局、久石氏のプロ中のプロの技術力による音楽で、その叙情が成立している。即ち、映画作りの従来の鉄則通り、定石通り。しかし新海監督は敢えてそれを逆側に引っくり返す荒技をやっている。


 私が特に感動して止まないのは、まったく何気ないシーン。

 山の紅葉の中を聖地まで3人で歩くシーン、

 東京のプラットフォームに電車が動く俯瞰シーン

 車道から観た倍速で光が流れる固定アングルのシーン

 朝起きた部屋の日だまりの光が揺れるシーン

 人物の背景の星空のシーン ………

  など「非人物の描写」なのですが、なんとそこで「人物の感情表現」を完璧にやってのけてる。


 それは風景であって、単に風景、ではない。 これも、今までのアニメでは観た事が無い。


 これは背景画、という観念で描かれてはいない。登場人物の顔や表情を超えて、背景の風景が人物の深い心の世界を語っている。



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 …と、まぁ、語るとまったく切りが無いほど、全てが素晴らしい。



 ストーリーの解説めいた事は、ネット上の皆様がしてる事でしょうから、私はしませんが、気がつきずらい部分の補足の一例を少しだけ。



 最初の方のシーンでユキちゃん先生が、「黄昏」の大和言葉の語源を古文の授業でしていますが、そこで「それって”片割れ時”やないの?」と生徒が突っ込みを入れ、この地方の方言では古い万葉言葉が残ってるから、とユキちゃん先生が説明しています。

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 しかし、"片割れ時"という大和言葉は現実には存在せず、これはフィクションです。物語りの仕掛け上の意図的なフィクションです。

 映像の中で言葉で説明はされていませんが、本当はこれは半月を意味する「片割れ月」という大和言葉を明らかにもじっています。ユキちゃん先生の台詞が敢えて「万葉言葉」などと、実際にはあまり言わない物言いで語らせている点も、この言葉のフィクション性を暗に語っている。

 魂の半分、心の半分、という存在の暗喩として、この言葉を援用して何気なく仕掛けておき、


 そして瀧が消えた糸守を探しに行くシーンで、『Half Moon』と描かれたT-シャツを着ていますが、月とは心や魂の象徴であり、半分に割れてしまった自己存在を「片割れ月」という言葉に、暗に何気なく込めている。もう片方の自分を探しに行く、というストーリーをそっと、暗喩的に語っています。


 映像作品として、アニメの宮崎監督と言うよりも、黒澤作品より凄い、と私は評価したいのですが、黒澤と共通し、似ている部分は、風景の"光"の描き方に対するセンシビテリティーです。2人とも登場人物の心の内面描写を、背景の光と影で描写するのが実に巧みです。この点でも新海監督に、私は栄冠をあげたい。これは手描きのそれも現代のCGアニメだから技術的に実現できた部分が大きい。


 例えば、三葉の印象的なこのシーン、影が顔半分に割れていて、先の半月の暗喩として描かれています。なぜ涙が…、と呟きながら、

 「なぜなのか?」を、顔半分で割れた光の陰影に無言で語らせている。



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 こうした方法で実に巧みな仕掛けが、山の様に仕掛けてあって、決してそれは説明的では無い。

 気がつかない人は素通りしてしまう。

 あえて理知させずに、しかし、まるでそれは詩のように、あくまで観客の"無意識の世界で感じる様に"仕掛けてある。


 無意識を刺激して観客を物語りに惹き込む、こんな巧みな仕掛け、創作者側にとっては非常に意図的、作為的な仕掛け、が凄く多い。シュールレアリズム・アートのように…。




 この物語りを陳腐だと思う批評家やアンチの意見を視ると、こうした部分を全然見れていない、と思います。そういう意見は、この作品をただのティーンエイジャー向けの恋愛映画だと見做している。





 事実、7回、映画館に足を運んで、客席の客層に私は非常に興味があった。封切りから年を超えて3月になっても、客足は未だ多く、普通の年配のおじさんなども、結構に観に来てる。たぶん彼らは、10代の観客とは違う見方、感じ方をしている。

 例えば、私のすぐ隣に座った高校生や中学生達は、私が感動する場所に、ほとんど心が揺れていない、と何度か思いました。紅葉のシーンや、糸を織るシーン、が本当は語っていること、に涙するのは、人生の経験を積んだ年配の人達では無いでしょうか?


 311の震災、熊本地震、そうした痛ましい経験をした日本人全員の共通の、人間の命に関する切実な願いや想い、などをこの作品は巧みに語っている。


 大切な人、家族との生き別れ、もしも世界がこうであったら…、という都度重なる大きな痛みを経験している我々の切実な魂の祈り、まるでこの作品はそうした切実な祈りを現実に叶えてくれるかの様だ。


 世界興行成績では日本映画史上トップに4ヶ月で到達した様ですが、面白いのは国内成績が、その時点でまだ4位だった事です。むしろ、ここに日本の悪しきガラパゴスの実態を視る気が私はしました。



 この作品、もっと劇場公開を引っぱってください。ぜひ世界の栄冠を獲って最高記録を残して欲しいですね。



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World Trailer


イタリア版(この作品が"言の葉の庭"のオマージュによって物語りが始まるのを、イタリアの人が一番わかり易いかも?)


スペイン版


インドネシア版


中国版 (これが一番編集が良いですな)


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 この作品で唯ひとつ、重大な残念なこと。それは、英語ヴァージョンに劇中歌をリメイクした北米向けヴァージョン。これは、大失敗です。あれじゃ、全世界中の人が観てる感動には繋がらない。RADWIMPSの野田氏は、読み書きの英語力はそこそこあっても、英語の音楽、歌への理解や力が完全に欠けてる。

 変な無理をせずに日本語ヴァージョンで、字幕で工夫して歌詞を伝えた方がスマートだったと思う。

 英語圏の人が観たら、せっかくの最高の瞬間が、あの歌じゃ、はぁ?で終わってしまう。ここはしっかりしたメンターが居るべきだった。4月から北米公開らしいから、これ、絶対なんとかして欲しい…。。

 物凄い作品なだけに、ここは寧ろ非常に残念極まり無いし、今の日本の音楽シーンの弱さ、ウィークポイントを計らずも大きく露呈してしまっている。

 英語ができなきゃ、日本語でいいですよ。日本語の意味がわからない人でも、その方がずっと感動する。


↑向こうの世評もどうやら同じ意見らしい…

 やはり吹き替え無しで、オリジナルフィルムに字幕版のみ、が最良ですね。



 はぁ…もしも、あれが英語詩の歌で完璧だったなら、この奇蹟の様な波でいっきに世界的なバンドに成れるかも知れないのにね…。




 日本のミュージシャン全員。ここは肝に命ぜよ。歌、に於ける言葉の深い機能を舐めては、世界のシーンは獲れませんぜよ。

 重大な課題です、な。


 RADファンの人には悪いけど、音楽人としてはここは大声で言いたい。世界で活躍するホンモノのアーティストがもうそろそろ日本から出てきて欲しいから。


posted by サロドラ at 06:09| 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月25日

Züricher Geschnetzeltes


 日々サラダ&果物生活のせいか、スイスの老舗ベジレストラン、HILTL(左上のRadioがお洒落)のネット記事を眺めてて、どうしても食べたくなり…こんな素&敵なレストランが近くにあれば良いが、無いから自分で創る。

 その記事を元に、スイス料理のツーリ・ゲシュニッツェルテスのベジver.の開発。


 まずはグルテンミート創作から。材料は小麦粉と、True love saltをベースに。紫ニンニクと生姜のすりおろし、花椒、そしてなんとなく発見した有機野菜のみで仕上げたイタリア製のブイヨンにて味付けを。

 味見してみると、もうこの時点で、別に何もせずとも美味いわけで…。

 さろどらグルテンミート完成。

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 こりゃ煮ても焼いても何しても美味い。。これでハンバーガーでも創れば、完璧なオーガニックベジバーガーもできるのではないか?と。。



 まずは赤ワインソース、赤ワインと蜂蜜と胡椒を煮詰める。


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 玉葱は天日に干すと栄養成分が変化して、味が良くなる、との情報を小耳に挟み、やってみる。


 こいつをオリーブオイルで炒め、マッシュルーム、白ワイン、で煮詰める。そこに、軽く炒めておいたグルテンミートと赤ワインソース、熟成ものコニャックを入れて煮る。


 True love salt、胡椒、地物有機レモンで、仕上げの微調整。


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 ふむ満足。非常に複雑なオーケストレーションを奏でておる。微妙なヴォイシングの研究余地あり。次は付け合わせのレシュティも今度つくってみるかな。


 オーケストラ編成の作曲だな。これは。
 

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 ハーブティーでも一杯。明るい午後の日差しは竹林に輝き…儚きを夢みて、事物の美しい愚かさに、私達はしばし微睡んでいよう…。 

 Meanwhile, let us have a sip of herb tea. The afternoon glow is brightening the bamboos, the ... Let us dream of evanescence, and linger in the beautiful foolishness of things.

***

 UKの人気オーディション番組Voice UKの審査員してるGAVIN ROSSDALEさんがフォローしてくださってて、ふと見ると"salt makes a difference."って信念(?)が記してあって、思わず笑った。なんかいい人かも(w)。  https://twitter.com/GavinRossdale

posted by サロドラ at 07:07| グルメ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月17日

The Art of Tea


 The Book of Teaを最近熟読しつつ、"全〜〜っく頑張らず"にお抹茶を一服、午後の陽気で楽しんでいて、ふと気がついた。


 これだ。これが元ネタだったのだ…。。


 モノクロで、足を組んで座るMichael Franks。それは家具も何も無い自宅で座る禅僧風情の'82年のSteve Jobsの写真に何処か似ている。この世代の西海岸、インドの導師にもヒッピーにも飽きた70年代半ば、最も趣味の良い、センスの良い精神的な世界観は日本の禅だった。奇しくも禅を詳しく西洋に説いた鈴木大拙が渡米した同年(1906)に、茶の本はNYで出版されている。



 東京でも業界人に特に人気の高い"The Art of Tea"はAORを代表する傑作だけれど、それは決してヒットチャートの首位を独占したとかいう業績ではない。


 無駄な力が抜けた、しかも惚れ惚れとしてしまう極上の職人技が、プロデュースワークからソングライティング、各プレーヤーの演奏技量、全てで奏でられている。


 全然、"頑張って"いない。しかも、極上に素晴らしい。


 以前から、この感覚はなんだろう?と不思議に思っていた。どんなフィーリング、何がこれを支えているのだろう?…と。

 普通はアルバム制作、しかもデビュー作とも成ると、もっと"頑張って"しまう。時代の情報や色を過多に詰め込み色合いのきついものに成りがちだ。これは日本でも海外でも同じ。


 この音源と、岩波文庫の翻訳本『茶の本』は、自分の中でまったく繋がる糸の無い物体だった。せめて元タイトルの"The Book of Tea"とだけでも表紙に書いてあったら、もっと早く気づいただろうに…。。


 AOR好きの多くの日本人ミュージシャンやリスナーがそうであるように、何よりもLarry Carltonのギターの絶妙さ、 Crusadersのメンツ、David SanbornMichael Breckerの素晴らしさ、ソングライティングの粋さ、Al Schmittのエンジニアリングの巧みさ、そうしたAORの職人技のみにその話題の中心がいってしまっていたけれど、、そうでは無い。そうでは。


 岡倉天心のあの言葉こそ、この世界のインスピレーションの源泉に違いないのだ。

 地球をぐるり、と回って、再び日本にやってきたその正体を、私達は無意識では感じとれても、知識や教養を欠くと理知として感覚を掴めない。つまりは創作の世界に転嫁し具体化してゆけない。私が読書会に拘る理由も、これだ。唯の音楽馬鹿じゃ芸術創作ができない。

 事実、Michael Franksはこのアルバムのデビュー以前、彼は大学でアメリカ文学の修士号を取得して教鞭もとっていた。米文学、それもカウンターカルチャーと日本の禅の深い関係に触れてない筈がなく、そうでなければ、あの詩的で難解なセンテンスの翻意など掴めよう筈もない。すでに、現代日本が遥かに遠ざかってしまったあの深い心の知性を…。



そう…

Let us dream of evanescence, and linger in the beautiful foolishness of things.

この詩的なセンテンスをもしも音にすると…これ、さ。







ちなみにMフランクスが14歳の頃に初めて手にしたのは日本製ギター(Marco Polo=Guyaの米ブランド名)なんだって…。因縁だね。





posted by サロドラ at 07:07| 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月13日

The Book of Tea - 茶の本



 この時期、卒業や栄転などを祝ったりすることが、そこかしこで多いわけですが、いつもいつも、まるで条件反射の様に、つい無意識に口から出てしまう言葉、『うん、がんばってね』『がんばってください』『がんばろう』


 とにかく、何か頑張らねばならぬ気に人をさせつつ、私自身は日々淡々と己の為す事をこなしてゆく訳で。こりゃどう考えても、非常にシュールで可笑しな、そして偽善的な話である。


 そもそも「頑張る人」って、私としてはちょっと違う。

 無駄な力が入り過ぎてるだけの人で、正直、そういう人って私は鬱陶しいし、メンドクサイ。


 
 天恵の様な最高のもの、最高の仕事が出来る瞬間、それはいわゆる「頑張って」はいない、…と思う。



 最高の高い集中力は、物凄くクールで、冷徹な落ち着いた感覚からのみやってくる。

 例えば、その種の完成品の様なイチロー選手みたいな人から、『おれ、頑張ってます!』なんて言葉が出て来そうには絶対に、無い。



 「いやー、最近どうかい?」


 「いやー、がんばってますよ」


 などという会話は、お調子者同士の無意味な会話であって、そんな内容の無い場所に近づくのは私は嫌だ。


 だいたい「頑(かたくな)に張る」だなんて、柔軟性が無さ過ぎて、お話にならないよ、そんな硬い人は。。


 瞬間瞬間の変化にフレキシブルに、一瞬間のスピードで対応するのが、なんであれプロのお仕事なんだから…。




 …んな事を、つ〜ら、つ〜ら、と、このところなんとなく考えていて、ふと、見つけた。この件に関する核心なる言辞。



『茶の本』 岡倉覚三(天心)著




 東京芸大の礎を築いた岡倉天心のこの本は20代の頃から、安価な岩波文庫版でなんとなく読んでは居たけれど、いまいちその名著性が自分にはしっくり来なかった。…で、最近、偶然に元の英語(原文は英文)に触れて、衝撃的にびっくりした。だいたい、日本人が書いた本なのに原文が英文だ、という事にすらあまり気にせずに触れてたものだから、うっかりもいいとこなり。

 …これ、全然、違うじゃん。訳文と原文…。。。


 というより、非常に詩的な言い回しで、深い精神それも日本、東洋を総括した世界観を書いた英文なので、これは翻訳が非常に難しい。


 うっかり読み落した部分部分の内容が、まぁ凄いこと凄いこと…。。これは恐ろしく凄い本だぞ、おい。



 こちら、私が最初に触れた翻訳文。


 7章の中の特に第1章ラストは、素晴らしく美しい詩の様な名文として世界中で知られていますが、この翻訳文からは、その重要なエッセンスがこれをただ普通に流し読んでしまうと、ちょっと見えずらい。

 

 だいたい、女媧とか、大権現、とか現代日本人にはそれ自体が意味不明なり。


女媧
 https://ja.wikipedia.org/wiki/女カ



 下半身蛇の夫婦の神なり。

 わたし、この絵眺めると、最近大好きなAyabambiさまのお二人を何故かどうしても空想してしまいます…(笑)



さらには大権現
 https://ja.wikipedia.org/wiki/権現



 ………。。。 あの、これ、全然違います。意味が。本地垂迹がどうのこうのなど、この言葉の意味とは本当に一切関係無いです。


 『権現』と歴史的に表記されてしまうこの言葉は、天心の元の原文では「Avatar」と書かれていて、このアバターという言葉の観念自体が世界でインドにしか無いのであって、翻訳などできませんよ、そりゃ。。


 
 要は、この2つともそれぞれ古代中国と古代インド、もっと云うと東洋の神話に於ける天から降臨する救世主の事を意味しています。


 だいたい最初に私が岡倉天心という名に惹かれて読んだのも、彼はその当時に渡印していて、ヴィヴェーカーナンダという重要な人物に実際に会っている唯一の日本人だったから、なのですが、私がその当時に強烈に心惹かれたのがその師匠であるラーマクリシュナ・パラマハムサだったからです。その匂いの片鱗に触れたくて、私は当時この茶の本を読んだ。


 なので、私は道教やヒンドゥーなどには文献上はもう既にかなり詳しかった筈なのに、この一文で天心の語ろうとしている意味を完全に読み落していた。。


 それなりにあった知識でも、全く、読めていなかった訳です。



 …ということで、この『茶の本』はとにかく抜き差しならぬ名著なり、と推しておきたい。

 茶の本(このセイゴー先生版は案外お薦めかも)

 無料版はこちら先の岩波と同じ青空文庫版と、英文版


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 『現代の人道の天空は、富と権力を得んと争う莫大な努力によって全く粉砕せられている。世は利己、俗悪の闇に迷っている。知識は心にやましいことをして得られ、仁は実利のために行なわれている。

 東西両洋は、立ち騒ぐ海に投げ入れられた二竜のごとく、人生の宝玉を得ようとすれどそのかいもない。この大荒廃を繕うために再び女媧を必要とする。われわれは大権化の出現を待つ。

 まあ、茶でも一口すすろうではないか。明るい午後の日は竹林にはえ、泉水はうれしげな音をたて、松籟はわが茶釜に聞こえている。はかないことを夢に見て、美しい取りとめのないことをあれやこれやと考えようではないか。』



The heaven of modern humanity is indeed shattered in the Cyclopean strangle for wealth and power.The world is groping in the shadow of egoism and vulgarity.Knowledge is bought through a bad conscience,benevolence practiced for the sake of utility.

The East and the West,like two dragons tossed in the sea of ferment,in vain strive to regain the jewel of life.We need a Niuka again to repair the grand devastation; we await the great Avatar.

Meanwhile, let us have a sip of tea. The afternoon glow is brightening the bamboos, the ...

Let us dream of evanescence, and linger in the beautiful foolishness of things. (直訳: 儚きを夢みて、事物の美しき愚かさに、私達はしばし留まり過ごそうではないか…。)





前後の文脈から、さろどら超訳


 ま、天が整理してくれるから、それまですゞやかな清涼な午後にでもさ、

 そう頑張らず、お茶でも一杯、飲みなよ。







さすが天心の創った学校の遺伝子をなにか受け継いでいます7。。
 
 

posted by サロドラ at 07:07| 文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月07日

AGEsの網目

  
 こちら今月で5年目に突入する私の奇妙奇特な食生活。

 
 昨秋には、いよいよ完全にフルーツのみ、サラダ類も生ジュースすらも無し、という完全フルータリアンの理想郷に最後は突入しました。

 毎日、毎日、旬のフルーツ。。

 およそ2ヶ月半そういう日々が続き、何かが突然に吹っ切れたのか、この数年間全く食べれなかったお米やパンなどの五穀類が食べれるのでは?とふと思い、ぱっく!…っと食べてみると……



 食べれたーー!?? ぉおぉぉぉおお!!!??(←自分としては感動と驚きの衝撃)





 おれもやっと人並みに!!…人サマに自慢しては(くだらん自慢なり)、しゃくしゃくお茶漬けを食べてみたりなんだり、して過ごしていました。ただし、やはりアルコール飲んで神経を誤摩化してやっと、食べれる、という数十年前、肉類を無理して食べてた頃の私と同じ状態。


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ともあれ、普通のものを食べれる身分に。




 …けれど…。



 毎日、ビール、ワイン、更には日本酒と、家中で飲むのは厳禁としている為、外をお散歩しながら飲む。しかも時間帯など一切関係無し。朝起きたら、外を散歩してビール。一服したらビール。。まぁ飲むは、飲むは。このまま世界のクラフト・ビール評論家に成りそうな勢い🍺。

 ふ〜らりふ〜らり人目も憚らずビール片手に道歩きながら飲む。←どう見ても危ない人。。

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 誰が見てもアル中のおっさんにしか見えぬ風情なり




 で、食欲が湧き、帰って普通のお弁当類、さらにはコンビニ弁当。それも最近は添加物、保存料無し、とラベルに謳っていて非常に感心(本当かどうか知らん)、さらにお菓子も…と眺めると、これもやけに品質重視のブツが出回っていて、オリーブオイル、イタリア天然塩、のポテチ、とか、やっと世間さまが私を追従してくださってる気がしたものです。




 とにかく、おれも人並みに。まるで何かを待つ処女の様な期待を胸に3ヶ月過ごした。

 で、改めて気がついたこと。



 このサイクル、つまり普通の食生活スタイルに入ると、とにかく、腹が減る。。。
 

 
 しかも、私の場合、アルコール無しでは無理なので、毎日アルコール接種。で、腹が減り、食べる。…を繰り返していました。





 ……で、どうなったか? 


 顔色、滅茶悪い…。目の下にクマができて消えないし、肌も何か乾燥肌で、一言で言うと細胞の死とでも云うべき老化現象の凄い勢いの促進状態を細胞レベルの身体感覚から実感。。。



 なんだかまるで荒れ果てた荒野のような状態に…。。。。




 とりあえず、おれも人並みにもなれる、人並みの快楽が味わえる、…って事でこの実験は良し、と、しよう。

 やっぱ、元に戻そ。

 …やっぱこりゃ楽だわ。

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 やはりノーマン博士の理論は正鵠を射抜いている。ふと調べてみると、結局の原因は食材以上に、やはり加熱処理による功罪との様ですね。化学式的に詳しくは知らんけど。

:参照web

AGEs(終末糖化産物)  

やはりアルコールは… 

ほ〜ぅ数値を測定したい。。






posted by サロドラ at 07:07| グルメ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月07日

手書きの世界



 …で、J Beckで申を〆、酉明けて目覚める。

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 すると、またpコリに導かれて、やけにマニアックなお店へ。

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 …これは…文房具屋さんという概念では、なにか無いお店。敢えて言うと手書きの世界観、およびアナログ文字な世界観、‥の店。

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 ちょうど、私はEメールもしない、lineなんてもってのほか状態、という時代の趨勢の真っ逆さまに突き進んでいるところでもあり、しかも、手書きのインク、筆記用具について実験も重ねていたところ、丁度ほとんど私の世界観と通じる感じのやけにお洒落な店に、どうやら漂着したらしい…。

 ここもオーナーさんがとても魅力的なセンスのある人物である。

 まったくこの都市(博多)は、良いことずくめの場所だわ…。。


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 勧められて、色々と試し書くサロドラ。

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 実はガラスペンは前から着目していましたが、これは今まで試したものの中ではかなりな秀逸さでしたね。見た目もお洒落ですしね。

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 で、インクもドイツ製のクラフトワークのこだわりインクで、一々作曲家の名前が冠せられているという…(笑)。とりあえず、ベートーベン、チャイコフスキーなどを試してみる。

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 色合いが微妙にそれぞれ違い、かなりな色バリエーションがあります。


 
 ふむ。



 自分の課題は"オーガニック"なのですけど、インクの薬品性を脱する為に、手擦りの墨でのペン字をこのところ少々研究実験を重ねていましたが、ペンの方の相性が中々難しいもので、また紙とのマッチングも重要です。

 要は、ペン、インク、紙の、3つのバランスが重なって、やっと完全な風合いが生み出せるという事です。


 もちろん、それを使用する、指先の技術が、何よりも遥かに大切です(対数比でもしも言うなら、指9:道具1 J Beckと同じw)。



 でも、そんなに技術がどうこうでなくても、オーガニックで心の籠った、独特の感じには確実に成るので皆様にお薦めです。
 
 少なくとも、PCやスマホの前で神経症の様な文面を書くより、遥か〜〜〜〜に、優雅な、優しい言葉がきっと、綴れますよ。





 ふと思ったことだけど、最近の小説、私は全然読む気が起らないのですけど、原因は、パソコンで、漢字変換を安易に使用して書いてるからではないかな?と思います。例えば村上春樹氏の作品も、村上龍氏の作品も、原稿にペンで書いてた時代の作品の方が、明らかに文体が良いのです。

 言葉を真剣に扱う人は、ここは一考の余地があるのではないでしょうか?


 僕らも作詞などをするのは、スマホやpcではなく、ノートに書く方が良いのかも知れない。。


 と、すると、実は紙に書く意味って、見た目の物質的な有機性ではなく、そこに紡がれる言葉への影響、なのかも知れない、と、ふと思いました。

 もちろん、pc,スマホだからこそ出て来る言葉もある筈で、その有用性や特異性もある筈です。


 これは、両方それぞれの良さと利点があるでしょうね。



 ところで、この2日間、私、全然、意志も無く、自意識も無く、エゴも無く、心は完全に空のまま、ふら〜りふら〜りと唯導かれてるだけだったのですけど、なんかもの凄い濃い世界に…。pコリ、導いてくれて、誠にありがとう。感謝。


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 詩も、詞も、音符も(あまり書かんが…)、今年から紙に描いてみるか…。ってか、もしかしたら、寧ろこちらこそが今の最先端なのでは??アナログ盤でDJ回すのと同じで……。。

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posted by サロドラ at 19:07| 書道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Jeff Beck

 







 神



 



 







 …。。。










 2/3 節分。それは申年最後の日。


 昼頃に起きたら友人のpコリが迎えに来てくれて、近くの神社に参詣して正月飾りをお炊き上げ。ハレの日よろしく空は晴れまくってる。




 ……で。リアル生き神様のダルシャン(拝謁)に預かることに。


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 ヨットハーバーの近くのボサノバのお店にpコリに導かれて、休憩。


 なぜか成り行きでボサノバのセッションを。たまたまふらり、と初めて入った店でギター弾いてくおれは、やはりギター弾き、と密かに思った。

 とても素敵なお店、オーナーさんでした。


 ヨットハーバー、港になんて似合うお店、音楽!? やはりそこではナイロン弦ギターで、ブラジルの音世界が奏でられるべきなり。

 しかも当然、と言うべきなのかオーナーさんも私と同じくカエターノの大阪公演には足を運ばれたらしい…。しかも、私と何気にご縁のある方々と、なんかしっかりと繋がってるらしく…。。全く不思議なものです。


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 で、何か訳もわからず、すでにビールやらワインやら2、3杯飲んで、出来上がってる私でありまして(笑)



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 このお店は、ポルトガル語で『〜の、風』という名。

 そう…、音楽は、人生は、たった一瞬間そよぐ、風のようなもの…。





 ホテルにチェックして、ゆるゆると会場へ。時間余ってるのでよく行く店で高級ギターの群を眺める。

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 このアンプ、前からほんの少しだけ気にはなってるね…などと、つい為体で良からぬ事を思う、おれ。…やはり永年の習性は変えられぬ。。。


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 いよいよ神に。

 昨年の地震、雷、火事、おやじの、凄い申を〆る神は、世界でこの人以外にはあり得ぬ。


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 会場前に並んでるとまぁ、自分達も含めて年季の入った皆様だこと!(大笑い)。何かしら弦を触って離さぬ、というおっさんだらけだろ、こりゃ。J Beckさまが、奇麗どころの若いお姉さん方のメンバーを連れてくるのは実に正しい事だと思いました。



 神 登場



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 いや、正直、レビューめいたものは、あまり言う気も起らない。生きる世界遺産、いや歴史遺産を眺めた後、何言っても陳腐な言葉にしか成らん訳です。

 敢えて言うなら今日、私の印象に強烈に残ったのはサム・クックのカヴァーや、新曲のマイナーブルースなどでした。…これだけで、充分に全てを語った事に成ります。


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 往年の名曲は、ナマ神技のナマ音にもう聴き惚れて、呆然と手も足も動かない私である。

 辺りをきょろきょろすると、皆、写真や動画撮ってるので、おれがわざわざ…と思ったので、唯一この曲だけ、こっそりコンデンサーマイクを仕込んで撮り、生の耳元で聴こえた音そっくりに音質調整をかけてyoutubeに。…でもあの美麗なトーン。弾いてる真近くの生で聴く音は、もっと、もっと、激しく、繊細で、美しい。





 冒頭のこの曲、C・ミンガスの書いた曲、マハビシュヌなどを始める前のJ・マクラフリンがアコギによるギター・カヴァー演奏した名トラックがありますが、ただヤードバーズでロック演ってたJ・ベックが今の音楽スタイルを創った発想の原点とは、この曲だと思います。

 このギターデュオでのプレイとはその再現です。

 今のJ Beckのあのアームを多様した独特の音律の感覚は、インド音楽から多大な影響を受けて創り出したJ・マクラフリンが弾き出すギターの感受性に、年齢を重ねるごとに非常に親近してきているのが、90年代発表の続いて演奏されるBrush with the blues(意訳:Bluesによって描く)を聴くと、とても解り易いと思います。常にアーム・アップ、ダウンさせながら弾くそれが本当の理由です。その境地に達しているギタープレーヤー、また他の楽器奏者は全くいません。唯一無比です。



 …しかし良い時代ですな。。ナマで聴ける、その映像も客席各地からのショットを速攻鑑賞できる。もはやtvやラジオ放送も何もいらん。



 一つだけ無断で貼らせて頂きます。この曲はやはり涙無しには聴けなかった…







 最高の申の大晦日である。

 ふらりふらり歩いてるとこの辺りはお寺も、非常にお洒落ですね…。盛大に除夜の鐘でもついてやろうか、とふと思った。

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 で、超絶美味いもの(この辺りでこの季節にだけ捕れる幻の高級魚)喰って、しかもam0:00の年開けの瞬間は、やはり超絶美味い酒を飲んで本当の酉年を迎える。


 超絶、乙。

posted by サロドラ at 07:07| 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする