2025年04月21日

Nothing but the blues.







  齢80にして武道館公演中のクラプトン。


 正直、この身は大のクラプトン・ファンなどでは無い。……にも関わらず、実は一番足を運んで聴きに行った回数が最も多いギター弾き、である。



  ジェフベック亡き今、ジミーペイジは人前で弾かぬ今、いにしえの三大ギター弾きとしては生音を聴けるのはクラプトンただ一人。


 
 ***


 最初に聴いたのは、ロックを聴き始めた頃、ラジオから流れたクラプトン特集をテープにたまたま録音していて、何気なくそれをよく聴いた程度で、ビートルズと同じく当時自分でレコードを買い漁ったなどの記憶は無い。


  あぁいい曲だなぁ、、歌、上手いなぁ…、、、ぐらいな感想で、しかし何か最初期音源から流し聴いている、、と言う風情。



 ギターがどうこう、あまり気にもしない。


 しかし、エディ・ヴァンヘイレンは異様なリスペクトをクラプトンに持っている、などの発言から、ほぉ〜〜、くらいな意識。


 これは要は中学生ギター弾きの当時の普通の感覚で、あんなの弾くのは実に簡単だし、何かブルース、などと言う弱々な音楽に逃げている卑怯者ではなかろうか?、、などと勘繰る思いをいつも抱いていた。




 ***



 しかし、こちらが年齢を経るごとに、クラプトンの輝きはどういう訳か増していく。そして本人も年齢を経ていくごとに、なぜか段々内容が佳くなっていく、、、


 これは……………………………。


 と、思い始めたのはギターを手にしてからもう20年は経てから、である。


 その間、プロとしてのステージで、クラプトンの楽曲を自分が演奏する機会は何かしらよく有り、そう言う意味でも何も知らぬ訳でも無い。



 ****


 最初に生でクラプトンを聴いたのは友人から余ったチケットを貰って武道館で観た。80年代だったと思うけど、当時の彼のギターは、当時の流行りで、LAのブラッドショウがカスタマイズした大袈裟なラックシステムで、やけに変なエフェクトがかかりまくった厚化粧なギター音で、生で聴いていても、『その音でブルース、弾くなよ、おい……』と言うのが忌憚無き感想。


 スーツをかっこよく着こなして、教授の曲なんかも演奏した(これは実に目を惹いた。しかもこの曲、教授に言わせると奇しくも元ネタがクラプトンのギターリフ?らしい)。


 最後はお決まりのレイラ。


 そこらじゅうのファンは、そこで狂喜乱舞へ。


 しかし、その軽薄さ、そこらを覆う80年代的空気感に、この身は心底萎えた……。


 ***


 それから、数年。


 世は、クラブミュージック全盛で、誰もギターがどうこう、考えもしない時代へ。


 その頃、クラプトン本人も、テクノばかり聴いていたらしく、発表した音源はほとんどプログラミングを重ねたレコーディングで、おっ?と思った。


 ジェフベックもまた、そう言う方向の嗜好性をさらにテクニカルに纏めた音源を発表。


 このあたりから、何かクラプトンと言う人が、今まで抱いていた印象とはかなり違う人に見え始めた。


 ***


 と、思ったら、今度は、アコギのみ、アンプラグドなどというブームの先駆けになったLive音源を発表。


 これも時代に拮抗しつつ、電子音にまみれた世界のリスナーに、何か違う世界を提示した感があった。


 あのただ激しく熱いレイラが、何か渋いスローバラッドへ。



 ***


 当時のLiveツアーは、必ず生で聴いたが、いつも聴くたびに、どんどん演奏内容も佳くなっている。




 子供を事故死で亡くし、あれだけ麻薬漬けだった身を健康にして、麻薬更生の慈善活動を始めたりして、何かリフレッシュした爽やかさに満ちていて、往年の名曲群はまるで違う光を放ち始めた感があった。



 何か太宰の中期頃、、に、似ている。


 ***


 そもそも、これは個人的感覚に過ぎないけれど、レイラを聴いていると、どうしても太宰の人間失格のとあるシーンをどうしてもいつも脳内で空想してしまう。


 
 ルバイヤットの詩句を、上司幾太(情死、生きた)の匿名で、汚い裸の絵を描いて挿入し、、


 純愛の対象の妻がレイプされ、、、神に問う、信頼は罪なりや。と慟哭し、、、さらには雪の銀座の路上で喀血し、白い雪に鮮血、まるで日の丸の旗ができた、、

 というシーン。


 ***


 何の符号なのか、レイラもまた、アラビアの詩人、砂漠で純愛に死ぬ詩人の詩節に感化されてできた曲。


 ****


 
 あれは…………………。


 地獄の季節の苦しみよりも、それを通り越して、何かの浄福を…



 いや、やめとこう。言葉は、虚しい…



 ***



 Old Love. レイラは演奏しないらしい… シールド1本、ワウ一つ、57twin & レスリースピーカー…

 “ The Slow hand ”はやっぱこうこなくちゃ…




 

posted by サロドラ at 07:07| 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年02月27日

夜の音楽 〜 Night Music




 今日、2/27は旧暦1月=祝月の最後の日。


 日本古典文学の世界、本来の日本人の肌感覚の世界を実際に眺めたくてこのところ毎年、旧暦の正月に正月飾りをしてみたり、などしてお正月めいた行事を新暦とは別に…。


 いにしえの美しい言葉と自分が一致する。その感覚が味わいたくて、何か奇特な事をしてみるのだけど、世の中を見渡して、少なくとも自分の至近距離周辺に、そんな人は誰〜〜も見当たらない。



 ぽつ〜〜ん、と、ただ一軒だけ、通りがかりの人々からすれば意味不明に正月飾りが飾ってある教室玄関。



 ますます、ありゃ変わったやつだ。などと思われかねない。




  違う。



  この身からすれば、あなた達、世間さまが「変わった世界」なのである。

 (なんだか村上春樹も大好きなドアーズのアルバムタイトルみたい…)



 ***



 さて、そんな風情を生きる身からすれば、あの遠く、三蔵法師などは命懸けでシルクロードを旅して渡ったインド。


 そこは、今や中国をも抜き去って人口14億超の人々。日本、世界の深刻な少子化の逆世界。
  

 ちょうど旧暦 祝月の最後の日、かの地では夜を徹して神を讃える祭祀で盛大に盛り上がっておる。


 インドの暦は、月の満ち欠けが基準で旧暦に近いけれど、ちょっぴり独特で、いまだによくわからない。


 で、ふと何かの雰囲気、風の流れ、風の頼り、とでも言う感じで、その盛り上がりに釣られてみる。


 何しろ、あのパリピな盛り上がりは、数千年どころか、数万年は延々、連綿と続いている。


 彼らからすれば、SDGsなんて最近のへんな言葉は、巨大な「?」に違いない。



 ***


 だいたい、音楽ってのは、なにか時間を忘れてしまうもので、昔からずっと不思議に思ってたことの一つだけど、音楽とか楽器の練習って8時間、9時間、なんて時間が、アッ!という間で、なにか時間の外にワープしたのではないか?と思うほど短い。


 これが日常の8時間、9時間だと、あら昼休みか、まだあと半分、、なんて人が世のほとんどで、時間とはいかに相対的なものか。


 なにか好きなことに熱中、集中してるとこういう現象もよくあるけれど、それともちょっと違う。


 あれは音楽特有の現象で、音楽をただ聴くのとも違う、音楽の中に、音の内面に、魂を込めて全身で没入してる時にだけ起きる不思議な現象。


 明らかに時間が極端に短くなる。



 ***


 で、今夜はあちらでは12時間、神々の音楽に何億人かの人々が没入しているのである。


 そもそもインド音楽、あの本来の古典音楽では一曲を一晩中、、なんてのが全然普通で、こっちの世界の音楽のあまりの短さ、せっかちで、世知辛く、くだらない世界から眺めると、もうなんだか呆気に取られるのだけど、音楽への没入経験が長年積み重なる身からすれば、寧ろそれこそ自然、純粋な音楽行為。

 
 3分の曲のイントロは数秒、サビまで…なんてアホなことしてる連中(全員○漏か、お前らは♐)なんぞには爪の ‥ …

 
 
 こちらの世界ではたったの6、7分の曲で『大曲』呼ばわりされかねない。

 
 あっちは、7、8時間で1曲。


 
 それも昼間なんぞにはやらない。


 必ず、夜、である。


 夜の世界とともにそれは必ず、ある。




 『音楽』、がそういうもの、なのである。

  
 
  
 ***


 この数年、そういう現代日本に心底嫌気がさしたのか、(いや日本語に嫌気がさした、と、思い込んでいたが)、夜通し源氏物語研究に没入していたが、やはりそこで思わず目を見開いたのは、平安時代のかの優雅な人々はやはり皆、夜更かし、夜通しで何ごとか楽しそうな事をしている上、楽器まで持ち出しては、わらわらと人が集まり即興ジャムセッションに朝まで興じ耽っておる、ではないか??



 ここで、ようやく日本。この身が死ぬほど嫌いだと思ってた日本。と、ひっそりと夜の闇の中で和解し、そうか、そうか、俺もお前も同じ人種である。ぜひ、仲良くしようじゃないか、などと思い始めたのである。



 ***



 で、平安時代よろしく、夜通しインドの人々の様子を現地生中継であちらこちら回遊しながら(便利な時代である)、夜通しインドの神々を讃えに讃え、できれば日本の神々も讃えたい気も、いやギリシャの神々も…、などとも思うのだけど、まぁ12時間は没入して過ごした。


 この日は特に、そういうことに向いてる1年に1度の貴重な日らしく、どうにも気分がいい。


 1年の厄災を全て落とせる、とのこと。


 

 ***


 
 で、晴れ晴れと朝を迎え、異様なスッキリ感、気分の良さ。


 白色のクリーミーな晴明な空気、とでも形容したくなる朝。


 気分よくホットミルクでも。


   
 ***


 で、朝のニュース記事でも、とおもむろにネットを開くと、、、、何か粗雑なゴミの山に顔を突っ込むような、、、ゲェぇぇ、、、、で、SNS類を開くと、、、、、、、、さらに醜悪な、、、、、、、、、、


 なんなん、おまえら???????????



 ****


 はて、どこかでこの感じに、、、と、思って記憶を反芻すると、そうだ、まさに20代の時、数ヶ月ふら〜りふらりとインドから帰ってきて、成田空港に着いた途端、エアポートバスの中で、いきなり些細な事でイガミ合う眼鏡男を目の前に見た瞬間、、


 を、思い出した………。


 しかもそこは如何にもインドらしく、飛行機は丸々半日は遅れ(あそこでは、実によくある出来事)、航空会社指定のホテルに滞在し、ケララ州出身のタミル語(古代日本との類似性を指摘される言語)を喋るビジネスマン青年と仲良くなり、見た目は真っ黒なまるで違う顔、人種なのに、ものの感じ方、情感のツボ、が妙〜に似ていて、懐かしい馴染みの同級生とつい偶然旅先で出会った…という奇妙な感覚、すらした、、



 そんなことを思い出した。



 ***


 日本よ。日本にお帰りなさい。


 こんな荒廃を今後も生き続けるなら、こんな国なんぞ滅んで当たり前。


 まずは、旧暦へ。


 日本が、純粋に愛すべき日本であることを、心底、願う。


 インドの神々にも心から魂からお願いしておいた。
 

 この身から自然に発する祈りは、異常に強い力があるらしいから、きっと早急に叶うに違いない。


 もしや、令和はほんとに平安時代になるやもしれぬ。 


 ***


 まぁ、しかし、、近年のLiveは一晩とはいかぬまでも、、、1曲、90分とか全然普通〜のこの身………。

 観たお客さんも、演ってるこっち側も、あっ!という間の妙に短い時間だった、と、皆さま口々に呟いてたけど…。






 音楽は深まれば深まるほどに、インドっぽく、いや平安時代っぽく…。




 そろそろLive、したいなぁ…。 
 


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posted by サロドラ at 07:07| 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年01月17日

巨星★逝く ー ロサンゼルス山火事 ー 天才芸術家の預言性





  ひどく気持ちの悪い夢を見て目が覚めた。するとDavid Lynchの訃報が目に入った。


***


  天才の死は、その作品と同じくらい暗喩的だ。


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 このblogにも幾度書いているDavid Lynch。


 彼の作品との出逢いは、最初に世界発信された作品『エレファント・マン』。


 作品自体は障害を負った男の物語り、というヒューマニズム作品、な筈なのに、その印象はただのヒューマニズム礼賛とは、何かまるで違う、何か別の何事か、を濃厚に宿している作品である。


 確か学校の夏休みで、従兄弟が泊まりに来ていて、一緒に映画館に観に行った。


 
 しかし、、、映画以前に、街を歩くとそこらの電柱に貼ってある、このポスター。



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 これが、もう何か得体の知れない気味悪さで、夕暮れ時に、学校の帰り道で、このポスターに出会うと、なんとも言えない気分、空気が漂う。


 この当時、ホラー映画全盛の時代で、サスペリア、オーメン、などめじろ押しだったのだけど、そうしたホラー映画のポスターよりも、遥かに不気味である。


 そして、その不気味さは、ただ怖い、だけではない、色々な濃厚なエッセンスが凝縮して背後に漂う、とても言葉では形容できない何事か、なのである。


 ***


 映画を見終わった従兄弟は、怖い映画かと思ったら可哀想な映画だった、と、子供らしい感想を述べていたが、自分が感じたこの映画の鑑賞後の感覚は、あのポスターで感じるよりも、また一層、言葉で完結させるのが異常に難しい、一言では言えない、感覚のオーケストラ、とでも言える複雑妙味な世界だった。



 しかし、その時、David Lynchという名前は自分の脳内に刻まれていない。



 ***


 それから何年も経て、全米で大ヒットして日本に入ってきた米ドラマ『Twin peaks』。


 これが二度目のDavid Lynch。


 これがもう物凄い社会現象ですらあったのだけど、レンタルビデオのお店に行くと(まだVHSビデオテープの時代)ずらり、と並んだTwin Peaksは常に貸し出し中で、借りるのが難しかった。



 その頃に、その流行の波を受けてTVで『Blue Velvet』を放映した。


 それを眺め、これは………………、と子供の頃に見て得体の知れない感情を残して行ったあの映画と、この作品監督のDavid Lynchの名前がやっと一致。


 当時の自分は、流行りもののハリウッド映画は大嫌いで、カルトムービーばかりを熱心に渉猟し、貪るように鑑賞していた。

 
 そう、あった。そこに、あった。 ホドロフスキー、ジョン・ウォーターズ、などに並んで、一際やはり不気味さを放つこれ。


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 リンチの処女作にして、やはり最高傑作。(これは本人も認めるところ、だ)



 ***


 とにかく、濃縮型のこの世界は強烈で、一切の手加減、無し。観客に媚びるところが皆無。


 ***


 この処女作は完全自主制作で、途中で資金も途絶え、セットや美術、特殊効果は、ほぼほぼ本人の手作業による手作りで、チープなのにも関わらず、その映像効果は、どんなにカネをかけた映画もかなわない、というほど。


 2001年〜、時計仕掛け〜、で著名なあのキューブリックも、この作品を独り眺めてニンマリしていた、という有名な逸話も。



 ***



 数々のドス黒い、暗黒な美を生み出したリンチであるが、やはり世界中の多くの人に記憶されるのは、やはりTwin Peaks、なのではないか。


 ***



 このTwin Peaks。 あらましで言うと、単に女子高生が殺害され犯人探しをするだけの話なのだけど、これがまたリンチらしく、本当の世界観は、それとはまるで別のところに有る。

 
 このドラマは90年代という時代の扉を開けたドラマ、だと思う。


 売春する女子高生、10代のドラッグ、不倫、近親相姦、子殺し、あの滅茶苦茶な90年代、という時代、まるでギリシア神話の”パンドラの箱”を開けたような、そんな空気感がこのドラマにはすべて満載で、過剰な空想ではなく、異常にリアルな世界の集合無意識の真相を描いている。

 

 そして、それは2025年の今にまでずっと響き続けている。


 ***



 Twin Peaksは、物語りの冒頭、片田舎の製材所の風景から始まる。


 そして、田舎の森を開発する悪徳業者のホテルオーナーが、北欧からやってきた田舎者にそれを売りつけ、大儲けしようと画策するシーンから始まる。



 そう、実はこの物語りの中心核には、環境問題のテーマがPedal toneのように底部でずっと響いている。



 そして、その森には太古からの秘密があり、その秘密がこの物語り全体の核である。


 太古の森に潜む霊界からの逆襲。環境を傷つける人間の傲慢への警鐘、太古の森で怪しげな乱行を繰り返す人間の、おそらくそれは日本の古代の祭りのような、この世とあの世の境界たる世界、その中間に潜むエロスと死…


 ***


 これがTVドラマで、しかも全世界で流行ったところが、驚きではある。


 ***


 今年の1月7日から始まったロサンゼルスの特大火災(もはや戦争か、テロだ!)は、今、この時点でまだ鎮火してない。



 気になって被災地図を調べると、リンチの映画にも数々登場するロケ地、作品タイトルにもなった丘陵地の路、などほぼ丸焼け、である。


 ロサンゼルスを覆う燃える火は止まる勢いを知らない。



 ***


 リンチの作品姿勢には、ハリウッド映画界への抵抗と批判がいつも込められているが、人間の所業、悪業への批判、文明批判が、常に散りばめられている。


 Twin Peaksの女子高生は、その文明に飲み込まれた被害者であり、その文明とは、重火器により人間が人間を大量殺戮する巨大な悪業の因果が、悪霊の姿を象徴として描かれている。


 不気味な悪霊を見て、何か逆にホッとするところすら、たまに感じるのは、人間の奢りへの強烈な反逆を無意識に描いたリンチの、寧ろ神的なる善意、神意、神威が密かに姿を変えたもの、だからなのである。


 が、故に、必ず"天使"による救済が必ずいつでもラストで描かれる。




 ***


 ロサンゼルスという名は、スペイン語で、The angelsの意味。


 そして、Twin Peaksの副題は『Fire walk with me ー 火よ、ともに歩め』‥‥‥‥‥‥‥‥


 燃え盛るHollywoodの火とともに旅立つ。それはまさにあの天才の最期に相応しい…

 Rest in peace & Relax in red room,A GENIUS with ANGEL EYES!!!

 




posted by サロドラ at 07:07| 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年01月08日

太陽の鳥



 The 御來光 



 こんなのを眺めたのは、何十年ぶり、いや、もしや子供の頃(それもたった一度だけ)、以来では?



 だいたい、太陽が昇る時間に眠りにつく習慣が、大昔から規則正しくあるくらいで、太陽が昇っている、と言うのは睡眠に入るノロシに等しい。


 そんなこの身が!!



 で、もはや初体験と言ってもいい、初日の出なるものをジィ〜〜と眺めた。


 ………………なかなか、上がらん。待たせるものよ。



 そこらじゅう、皆、やって来ては、初日の出フリークらしき人々が、待ち侘びて立ちすくしている。


 なにか神社参拝よりも、神聖な生もの、を待ち侘びるどこかシュールで宗教的な風景に見えるから、実に不思議である。



 で、いよいよ!




 うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!!!


 裸眼で見てると、なんか紫色に光が見えてきて、ほとんどサイケデリックな体験では無いか??


  
 そうか、初日の出フリークは、皆、こんなサイケな超越体験をしておったのか!!!!!?????





 と、初めて知るこの身。


  

 で、写真を撮ろうか、としてみたら(皆さま、スマホを手に待ち構えてらっしゃる。)、、全然、この裸眼サイケな絵柄は撮れぬ、もの。


 
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  あまりに寒いので、スタバでお茶しながら温まり、google推しのAI機能、消しゴムマジックで、要らぬ人やら、木やら、建物やら、変な電線やら、消すは消すは


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  すると。


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***



 ひと休みして、今度は近くの氏神様の社へ。


 何か意外にも賑わっており、無料で甘酒を接待してくださっている。美味しい。

 茅の輪をぐるりぐるりと、くぐってみたりして。


  
 
 ***


 今にして初めて知ったのだけど、境内の幾つかの社をジィ〜と眺めていると、あら?と気づいたことが。


 この身がいつも生息し、たまにミュージシャンの合宿所とも化すこのお教室は、明治時代に写真館として建てられた古い建物だけど、それ以前の江戸期まで、この場所は恵比寿様が祀ってあった神社で、ここに祠があり、そこには全国から旅芸人の傀儡師達(操り人形による舞台芸)が集まり社でステージをしていた、との古文献の記録を随分前に読んだ。

 (ちなみに、これも偶然、江戸期からの傀儡集団が東京の吉祥寺に今も存続するが、その劇団の運営する喫茶店は日本一素敵な喫茶店で、日々の読書や、仕事の打ち合わせなど、常に利用させてもらっていた。さらにもっと深恐ろしき縁もあるが、これはここでは敢えて書かぬ…)



 そうか、そんな由緒で、この身はこの場所で日夜、音楽と書に精進し、おそらく山口の歴史上おそらく初の古代サンスクリット語によるveda(30年くらいは毎日密やかに研究している)を、独り朗々と音読、詠唱してみたり、などしている、という訳か…と、妙に納得した。



 どおりで、やけに全国、いや全世界から、旅芸人(ミュージシャンだけどね)を引き寄せる妙に強い磁場がここに…。



 で、ここに元々いらっしゃった恵比寿神様。


 境内をよく眺めると、八柱の神を遷宮して集めた祠に、鎮座されておられる。


 おぉぉ!!!なんと、ここに!???



 そもそもこの教室周辺は、その当時、参勤交代の旅休憩所で栄えた場所で、当時は神社も8、9以上は周囲5、600m以内に有り、仏教寺院もまた7、8社はある(こちらは今でもある。)



 その関係で、明治維新期に多くの若き著名な密使達、皆、この辺りで密会しており、障子や襖の裏側から、密議文書が張り紙で発見され、うちの書道会も昔はよくお世話になってた裏打ち(和紙の二重貼り)老職人さんは、それらを密かにコレクションしていたのを生前に見せてもらった記憶がある。


 その老職人さんは、役人どものバカものどもは、こうした重要な歴史文書の重要性、保存の意義を全然わかっておらん、と、この身に実に苦々し〜い顔でボヤいておられたのをよく記憶している。
  

 さらに江戸期以前、中世の鎌倉、室町には大内氏の邸宅がこのあたり一帯を占め、つい去年も、教室の10m先を工事してたら大内氏関連の遺跡が新たに発掘され、調査されていた。




 ここまでは、よく山口の観光の名所として、語られること。



 歴史マニア、歴オタやら、全国から惹きつけるのに充分なポテンシャルはまぁ、ある。



 ***



 が、、、流石にここにもはや20年超えで生息してみると、そういう表面ではない、もっと凄い、何事か、を体感として、ひしひしこの周辺の何かしらに感じるのである。


 それは大内文化、ザビエル、雪舟などが中世を絢爛に彩るよりも、はる〜〜かに以前の、おそらく本当の山口の秘密、である。



 それが、この身をして、ここに惹きつけ、縛りつけている磁場、何か強力なフォースを深い地面の底から放っている何か、である。


 
 ***



 京都、奈良、そして鎌倉。 そうした日本を代表する古都は、6、7世紀以降の日本の歴史の所産である。


 そもそも、中世に朝鮮由来の大内氏がここで栄えた原因も、大陸から地理的に近く、中央集権国家の体を成した大和政権に癒着し、ここに基盤を作ったその元のポテンシャルは、中世以前の、まだ奈良、京都で中央集権化する以前の、地盤が強固に存在する。



 そこで、中世以前、大和政権以前の記憶を辿るもの、として山口市界隈全域、さらに山口県全域、を俯瞰すると、それを伝える不思議な神社や遺跡が、かなり多く存在する。


 そういう種類の神社は、創建がいつなのかもはっきりせず、宮司さんなどにお話を伺うと、どうも御神体は社とは別の、山全体だったり、巨大な岩(磐座)だったり、弥生以前の記憶を継承するものらしく、表面の儀礼は中世以降の神道の様式の体を成しているものの、裏の本来の儀礼の対象は、まるで別の、宮司さん達にも、実はよくわからない、しかしそれこそが重要な得体の知れぬ「何か」らしい。


 そう言う現場に、この10年くらい、なぜだか導かれてふらりふらりと吸引されるかのように足を運んだことがある。(ちなみにそう言う場所でUFO(?)すら、見た。) 


 こう書くと、愈々、怪しさを増すが、しかし、、、事実である。




 そう、ここだ。真の中心は。 



 この中心は、たぶん、今も日本を支えている。誰にも知られずに…。


 大内氏が大陸から来たのも、ザビエルがキリスト教という光を持って来たのも、近代日本を建設しようと明治維新の立役者達が来たのも、この密やかな力に、無意識、無自覚に釣られて来た、のである。



 これはこの10年くらい、色々研究していて、やっとその輪郭がぼんやりと見えてきた”something”だ。



 現実、これこそが、自分の音楽と、書の営み、普通の人からはかなりわかりづらいであろう、難解なそれ、をこの場所で導き続けている…。


 ***



 かな〜り多くある、それらの一つに、周防一の宮(五の宮まである)の防府市西部の玉祖神社がある。



 玉祖(たまのおや)という名前からわかる通り、玉(ぎょく)、これは古代中国で、重要な霊物として尊重され、多くの漢字にも、この玉(ぎょく)から派生した漢字を、今でも多く私たちは使っている。その多くは「日」の形で混入し、例えば、太陽の陽の旁の上部の「日」、易、賜、などもこれに類する。



 この実物は、中世、書聖 弘法大師空海が密教の呪具の一つとして唐から持ち帰り、その実物を見たことがあるが、1000年以上前の物体でも、元が霊石だからか、まるで輝き、光を失っておらず、とても驚いた。



 しかし、実は中世以前、それは山陰側の特に出雲を中心とした場所に持ち込まれ、それが勾玉などの霊的工芸品へ進化した、と見られる。


 温泉地で有名な玉造温泉は、その時代から栄えた場所で、出雲大社は、大和政権以前の巨大な神殿を拝する拠点である。


 
 で、山口の玉祖は、その出雲からの移民で、一の宮が玉祖神社なら、その北方の数十キロ先にある二の宮は出雲神社(出雲大社とはあまり関連しない)である。


 この二の宮周辺の木が、奈良の東大寺を創建する際の、基礎木材として選ばれ、わざわざここから奈良まで、巨大な木を運んだ。


 木なら、全国のどこにでもあるのに、何故にこんな遠方の山奥をわざわざ選んだのか? ここに真の秘密がある。


 東大寺は無論、国家鎮護を目的に創建した、特殊な建造物である。日本を支える為に建造した寺院である。



  ****



 日本書紀よりも数年早く記述された、古事記は、大和政権のプロパガンダ的な書物の元の原初を孕む記述が多い。



  712年。やっと漢字で記述することに慣れた頃、漢文でなんとか日本人が記述した最古の歴史書。



  もっとも面白いのは、上巻の天照大神と素戔嗚尊のくだりで、姉弟の神の関係ながら、喧嘩をして岩の中に太陽神が隠れてしまい、それを神々が慮って、再び太陽を輝かせるくだりである。


  これを歴史上に起きた皆既日食と見る研究者も多いが、神話として見るなら、それは唯物論史観ではなく、人間の心の世界の表象として見るべきである。



  現存写本で最古の記述。

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  国立国会図書館コレクション
  https://dl.ndl.go.jp/pid/1184132/1/18

 【原文】
 集常世長鳴鳥令鳴、而取天安河之河上之天堅石、取天金山之鐵、而求鍛人天津麻羅、而 【麻羅二字以音】

 科伊斯許理度賣命【自伊下六字以音】令作鏡、

 科玉祖命令作八尺勾璁之五百津之御須麻流之珠、而召天兒屋命布刀玉命【布刀二字以音下效此】
  

 【読み下し文】
常世の長鳴鳥を集め、鳴かしめ、そして天安河の河上の天の堅石を取り、天の金山の鐵(鉄)を取り、そして鍛人天津麻羅を求めて、伊斯許理度賣命に科して鏡を作らしめ、玉祖命に科して八尺勾璁の五百津の御須麻流の珠を作らしめ、そして天兒屋命、布刀玉命を召して…



 ***


 
 『素戔嗚尊のあまりの乱行に、憤った天照大神はぷいっと岩屋戸に引き篭もってしまい、太陽が隠れて真っ暗な暗黒となったため、八百万の神々は皆で天安河に集まり、思金神に思案させて』


 IMG_8588.JPG



 まずは、常世(とこよ)の長鳴鳥(ながなきとり)を鳴かせた。


 玉祖神社にいる常世の長鳴鳥。黒柏鶏。


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 実際に大きな声でなが〜く、こっぅけこっぅこぅ〜〜〜〜〜〜〜〜と鳴く鳥。さすが神話に登場する神鳥らしく、姿も勇壮で、世界的に見ても見事な部類の美しい鶏。


 太陽の昇る朝を象徴する鳥。


 神話、と言えば、新訳聖書のイエスが十字架に架かる朝、忠実な弟子のペテロが、鶏が鳴く前に3度自分の恩師のことなど知らない、と言う、と預言され、そんなことはしない、と言ったものの、実際は恐ろしくなったのか、気がつくと預言通り、3回もイエスなど知らない、と言ってしまい、その瞬間、鶏が鳴き、ペテロは号泣。


 …という、どうにも可哀想な、実はとても誠実なペテロの話を空想してしまう。


 ジュルジュ・バイタイユは、このペテロを秘密満載の最高傑作の筆名に「天使なるペテロ」として使用。無論、この聖書の哀しい話の引用。





  さて、『太陽が昇る暗喩として立派な鳥が鳴いたのち、天安河の河上にある天の堅石、天の金山の鉄を取って、天津麻羅(あまつまら)という鍛治師の神を求め、伊斯許理度賣命(いしこりどめのみこと)に、八尺の鏡(約2.4メートルの大鏡)を作らせる。』


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 この鏡が、伊勢神宮にひっそりと鎮座する三種の神器の一つ、八咫鏡(やたのかがみ)。



 鍛治という金属精錬の術を持つ職人がここで登場するが、これはやはり出雲に多く出土する古代最古の剣を製鉄した職人集団であろうか。それをオーガナイズするのは、作鏡連(つくりかがみのむらじ)=鏡をつくる集団を始祖とする子のおそらくは女神。



  その次に、いよいよ玉祖神社の御神体である、『玉祖命に、勾玉を、五百津の御須麻流(いおつのみすまる)の珠(たま)=500個の、つまり多くの珠を数珠繋ぎにした喩え、で勾玉を八尺(約2.4メートル)の長さに連ねて作らせた。』



 玉祖命は、この霊石を勾玉の形にカッティングする術を持つ職人で、出雲をやはり祖とし、出雲には当時の多数の華麗な勾玉が今も現存する。


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 これが皇居に鎮座する、三種の神器の八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)。




 ちなみに、三種の神器の最後の一つの剣は、素戔嗚尊が八岐大蛇(やまたのおろち)という人々に害をなしていた大蛇を退治したとき、その蛇の尾から出てきた草薙剣(くさなぎのつるぎ)。


 名古屋の熱田神宮に鎮座するが、この剣、大蛇の話の解釈は、代々連綿と出雲大社を継ぐ神官家系で、民俗学にも詳しい第82代出雲国造 千家尊統氏の解説によると、大蛇は河川氾濫の災害を意味し、この河川では砂金が産出され、大蛇の尾から出てきた剣とは、河川氾濫を治水工事で収め、その際に砂金などの金属から剣を製鉄技術によって鍛治師が陶工した、という説を唱えておられる。かなり信憑性が高い学説。


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 と、いうわけで、日本神話の3
種の宝、これらすべて、出雲関連の産出なのである。


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 ***



 山口に話を戻すと、この出雲族は大和政権成立よりもかなり以前に、山口に移住した民がいた痕跡が神社をはじめ各所にある。



 その代表が、玉祖命を祀る玉祖神社で、その背後のひっそりとした場所に、玉祖命の墓所まである。


 
 この周辺地域は、大和政権成立時から、製鉄、鋳造などの技術に優れ、和同開珎(わどうかいちん)=日本初の流通貨幣の鋳造所でもあった。やはり708年、古事記の記述と同時期である。



 これは、出雲族からもたらされた技術、またこの土地にある鉱山から産出される銀、銅などが合体して生まれた現象である。



 ***



 と、まぁ歴史の検証をそれなりに記したけれど、こうしたこと、以前の、それを導いたもっと凄い話があるにはあるけど、これはまだ秘密。


 
  これが、この身の奏でる音楽と、書を、導いている御神体。



  この場所が、いかに歴史的にかなり特殊な場所か、その片鱗が伝われば佳きか、と。
  
  
 
  ま、いいや。

  神話の鶏は盛大になが〜〜く、鳴いたぞ〜!!! 太陽が隠れて暗闇〜〜な感じの、この世。


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  さぁ、太陽を開けよう。

  
  
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2025年01月01日

乙巳



令和漆年 新春のお慶びを申しあげます

今年も皆様が佳き年をお過ごしになられますよう、心より祈念いたします



***


  巳年。


  昨年のあまりに凄い「辰」の猛威。


  今年はその猛威が、更に拡張して伸びてゆく象意があります。


  ***


  漢字学から見た巳という漢字は、諸説あり、実のところなんだか漠然としています。


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  率直には巳は、蛇の象形。

  ですが、甲骨、金文の原初の状態から眺めると、子年の子と混同された形態も多く残り、巳も子も、音読みでは『シ』と読み、多くの派生漢字もまた『シ』と読みます。(ex.祀 )


  現代では一見、巳ではなく見える漢字も、本来はこの巳の形で、やはり『シ』と音読される字も多い。(ex. 始→女へんに巳)


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 白川学説でも、どこか曖昧ながら、端的には巳は蛇の象形である、とまとめています。


 ***



 と、言った少し錯綜した経緯から、巳年の巳は子年の子と同意、などと断定する説も見かけますが、漢字の歴史の全体像、干支の哲学の全体像から眺めると、断定的な確定論はちょっと難しい。


 ***


 さて、そうした学説上の追求はさておき、漢字に関する実経験、干支なるものの経験から来る、個人的な見解をここに記します。


 ***


 巳は蛇の象形である、という観点では、去年の辰が貝の象形で、動くという意味合いがあるのに対し、巳は、それが長く伸びていく、という意味合いがやはり強い。


 十二支の中間に当たる午の字が、生命の循環サイクルの旺盛な極点を示す、その一歩手前が今年です。


 つまり、生命が生まれ、芽が出て、伸びて、地上に出て動き出し、それが生き生きと生命の最も旺盛な極点に向かって伸びていく、と言う意味合いです。



 ***


 簡単にまとめると、今年は凄いエネルギーで、すべてが増長し、もっとも高い場所まで一気に駆け上がる勢いを見せる年です。


 そういう意味では、去年の動く、という意味合いの現象が、更に勢いを増してぐんぐん伸びて最高の高みにまで増長していきます。

 

 ***


 また、インド、中国、日本、と言う東洋全般で、歴史的にへびは、川、大河、などを暗喩した水の神様として、弁財天として祀られ、信仰されてきました。


 そうした経緯から見ると、今年は、学問、技芸、芸術全般への精進は、大いに成果を得ることでしょう。



 
  今年はそうしたことに強烈に打ち込むことが、大きな実りと成果を上げます。



  と、言うわけで、皆さん、大いに学問や芸事に精進しましょう。




 ps.

会員の皆様にお送りしている、今年の年賀カードは南南東の方角にフレームなどに入れて飾ってみてくださいね。きっといいことがありますよ!



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posted by サロドラ at 01:02| 書道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年12月29日

今年を振り返ってみて


 
 辰年。


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 辰の文字は貝の象形で、動くという意味で、なんとかかんとか、などと書いて1年が始まってみたら、始まるその日に震災。空港は炎上。


 ん?


 で、始まり、更にその月に、山口市などという国内でも割とマイナーな都市がなぜか世界的注目を浴びる都市として紹介。


 ん??



 こりゃ、何かが動いておる。


 で、米大統領選は、トランプは銃撃されあわや即死を免れながらも、圧倒的勝利。国内は自民の裏金だなんだ、で、凋落。


 隣の韓国はアジア初の女性作家がノーベル文学賞受賞。かと思ったら、なんとこの時代に軍が出動する戒厳令。


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 ん???



 動いておる。どころの騒ぎではない、得体の知れぬ大騒ぎのこの世。


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 パンデミック終了の出来事としては、100年前もまぁ似たような混沌が支配していた事を思えば、歴史の胎動は古来から十二支の哲学通り、やはり循環し、繰り返しておるな、などと、妙に感心してみたり。



 ***


 個人的には、去年の夏に罹患したコロナの後遺症らしき症状がなぜか半年も後になって吹き出してきたのか、初春から秋まで、人生で経験したことが無いような蕁麻疹との戦いと、罹患時にも起きた突然、体が動かせなくなる症状で、道端でぶっ倒れてみたり…。


 道端でぶっ倒れると、しかし、空って青いなぁ…、と。


 むか〜しから大好きなフランス文学の一節を思い出してみたり。 

 
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 ***



 パンデミックもいい加減、変な出来事だったが、それが終わると何が起きるか?という、これら一連の動きもまた、人生で経験できたことはある意味、得難い貴重な体験だった気も。


 せっかく生きているなら、あまり体験できない貴重な体験をできるだけ多くしたい、などとそもそも考えている性分な為、まぁなかなかに面白い1年ではありました。


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 ***


 だいたい、悪く見える出来事、って多くの場合、真反対の異常に良い出来事だったりする。


 反対に、全て良し。最高。…って状態は、好事、魔多し、とはよく言ったもので、やはり真反対の最悪な出来事、でもあること多し。



 ***


  二元論を超越する思想、哲学については、10代の頃から何か心惹かれてやまぬ身からすれば、こうした善悪は、表裏一体の同一のもの、などという空恐ろしくも、至高の芸術を想起させる美しい考えもあるもので‥‥。


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 ***



 ま、いいや。(←全部これで片付けるオトコ)


 よく村上春樹作品に登場する◯◯くん、っぽいですな。



 ***



 あ〜〜〜、いい年だった。


 きっと来年は、もっといいに違い無い。 


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posted by サロドラ at 07:07| 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年12月11日

クリスマスは山口市から



  旧暦の神無月の十日あまり…で始まる源氏物語 紅葉賀。


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  旧暦の神無月に歩いてみると、普通はもう紅葉で映える景色のはずが、まるで紅葉は紅くはなく、何か青々としています。



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  そのつい先日まで、なんと10月なのに真夏日、などという日もあったくらいで、紅葉も紅くなるのをためらっているらしく…。



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  で、一ヶ月待って、ようやくそろそろかな?と思って歩いてみました。




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  今年の山口市は年明け頃に、New York Times誌の今年旅行に行くべき52の場所、と銘打つ記事の3位に輝き、心底びっくりしたのですが、その記事の文章は、自分が普段生きる場所の半径数十メートルの小さな、そして良質なお店が紹介され、写真は、驚くほど美しい紅葉の参道に、和服女性が映える見事なPhotoで、そりゃこれ見たら、はるばる来たくもなるよなぁ…、と感心しきり。



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1位 北米の皆既日食

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2位 五輪開催のParis,France

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  しかし、この写真の場所、地元民からすれば結構穴場のような場所で、ここにこんな美しい場所が?と、少し意表を突かれる場所。ここも、まぁここから数百メートルの場所です。



 普通、地元的には紅葉を眺める、となると長門峡などで紅葉狩り、鮎でも食べて、などと思うものです。



 今年は改めて、そんな近くの、あまりに身近過ぎてあまり気づかない美観を、萌えるように紅く染まる紅葉ととも愛でたい…などと風流心をついそそられ、ゆっくりと歩いてみました。



 ***



 この辺りは、子供の頃からの遊び場の一つ、よく知ってる筈の風景なのに、その同じ風景は、今、客観的に眺めるとまるで違う。


 建物の多くが変化してるせいもあるものの、やはり年齢や、自分の感性や、自分の積み重ねた何かの知性、技術や、、口ではうまく言えない大きな流れ、とでも言うものによるものなのか、それはまるで違う景色に見えるものです。


 ***



 まずは蕎麦など食してみる。ここは明治時代から続く地元では一番古い蕎麦屋さんで、新蕎麦の香りがとにかく素晴らしい。


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 店を出て眺めた五重の塔は、なかなか紅葉の色も点在して見えるけれど、残念にも工事中の幕が張られ、なんともタイミングが残念。まさかこんな状況は誰も予想しなかった、と言う訳でしょう。



 そこから、古くからある平安京を模して碁盤の目のように形作られた大路をゆっくりと歩き、空気感を感じて見ると、ここはよく西の京、と喩えられるけれど、どう見てもこの風情は京都よりも、鎌倉の市街地にどこかそっくり。


 古都。


 やはり、それは何か急拵えてできた市街地とはまるで違う空気が満ちています。



 ***



 で、世界でデビューした参道の風景。


 これは………………………………………………………。






 

 

 もう12月なのに、まだ全ては紅くはなく、八割ほど、でも赤、黄、緑、とグラデーションが掛かりかえって美しい……。


 なんと言うのか、その不思議な精気、自然が奏でる粒子のようなもの、なんとなくそこには神か精霊が宿るような気配…。


 思わず、黙り込んで、紅葉の下をゆっくり歩いてみました。




 しかし‥この萌えるような紅(くれない)は、何故こうも胸に染みるのだろう?
 

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 あまり人はいなかったものの、たまたまやって来た中東系?のような家族連れのお父さんが、思わずため息をついて「Beauty…」と声を漏らしていました。


 
 この参道は、大内氏の邸宅があった場所に、中世の時代に別の場所にあった寺院を移築してできた禅宗のお寺で、禅宗独特の古刹の雰囲気が漂っています。


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 京都ではなく、どこか鎌倉に似ているのは、市内の主要な名刹は禅宗の寺院が多いせいなのかも知れません。


 

 ***



 で、この参道に入る入り口に、こじんまりした古民家があるのですが、ここは『善の研究』で知られる近代日本を代表する哲学者 西田幾多郎が山口に滞在中居宅した場所です。


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 この看板にある通り、西田幾多郎はここで初めて新訳聖書に触れ、キリスト教の世界に触れると同時に、赴任した山口高校の校長の影響で、禅に目覚めます。




 鎌倉にあるやはり禅宗の通称「あじさい寺」東慶寺にある西田幾多郎の墓所に、参禅したついでにゆっくり散策したりして幾度となく行ったことがあります。



 よく考えると、この人に縁のある場所に、特になんの意識もなく子供の頃からよくうろうろしてたもんだ、と、思いながら、ジィ〜と看板を読んでみたり。



 西田氏が山口高校に赴任したちょうどその頃、長い期間の禁教から解かれたキリスト教再興の機運も高まり、ザビエルが滞在した当時廃寺だった大道寺というお寺の跡地が発見され、そこに記念公園を造設したのですが、その造設をしたのが、詩人中原中也の祖父でした。



 何だか文学的な、不思議な縁です。



 で、その西田哲学。西田氏は京都大学の教授時代に、今では「哲学の道」として知られる小道で、沈思黙考して歩いたとのことですが、どこかこの周辺の道の雰囲気は、哲学の道の風景とも不思議とよく似てもいます。




 ***



 さて、この場所で西田氏はキリスト教と禅に開眼する機縁を得た、と言うことなのですが、これもまた、奇縁というか何というのか、この参道の脇には小さな井戸があり、それは参道から出た通りに元はあった井戸で、この場所で、大内氏の許諾を得たザビエルは、日本で初めて正式にキリスト教、新訳聖書の説法を始めます。




 つまり、初めて日本でキリスト教を布教し始めたその場所は、禅宗の寺の脇で、そこで西田氏は後年「善の研究」に結実する思想転換を得た、という訳で…。




 そんなこんなを思いながら、この場所の空気に触れていると、確かにこの土地が醸す雰囲気には、何か独特の強制的な力、ある種のフォースに満ちた磁性のようなものがある…、と感じます。


 ある意味、ここは哲学、文学、霊性、とでも言った意味での強力なパワースポット、なのかも。


  

 ***


 と、それこそ沈思黙考しつつ、そのすぐ近くの老舗外郎屋さんでお抹茶などを頂きつつ、和みました。




 ***


 と、言うわけで、クリスマスは山口市から! という表題は、もっと詳しくは、奇しくも今年、突然に世界デビューを果たした、この場所(龍福寺 参道)から!! が正解。
 


 ***



 で、まるで冗談みたいですけど、これが今年(正確には前年旧暦 お正月)の書き初め。


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 自分が新しく創造した音楽で、世界デビューぞ、うひょひょひょ。と思って揮毫したら、山口市が先にデビューしちゃった。


 わははは!!!!



 変なオチ。でした。


 
 
posted by サロドラ at 07:07| 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年11月25日

1969 東大900番教室の言霊はどこに彷徨っていったか?



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  三島と全共闘の東大900番教室での公開議論を映画化した映像を観た。


  コロナ禍中に、TBSから出た新たな映像、当時若者だった登壇者の現在のインタビューなどを加えた映像、などを編集して上映されたもの。


  映画館に観に行きたかったけど、博多あたりまで行かなければ観れず、結局見逃した。それがもうサブスクで観れてしまう。便利なことに…



https://youtu.be/16yElHOPH3E?si=0Js_yfOns7eB781i




  ***



  最大の山場、トピックはやはり三島に対決を挑む、赤ちゃんを抱いたフーテン風の全共闘の論客、芥氏との対論である。


  もしも、この当時、この場に学生として自分が居たら、確実に全共闘側にいた筈だ。


  しかし、令和の今、この映像から半世紀を経た今、冷戦は終わり、まるで戦時下のようなパンデミックを通過し、世界はカオスと化し、世界は大まかには左から右に振り切っている今、この論戦を眺めると、また違うものが見える。



https://youtu.be/Ynt2dWQytZg?si=znQp_DziEc4YBuKa


  ***



  要約すると、三島の論旨は、現代の若者の暴力の衝動とは、事物が自然から切り離され、机を机ではなく、バリケードにも、武器にも、自在に改変できる。

   その衝動、それは机という工業製品の生産性と自己存在が遠く切り離され、その距離感から、つまり自然と切り離され近代工業化システムの中にどっぷりと浸かった存在、その容態からの離脱、自然への還流にこそ暴力衝動の根源がある。


 こんな話。



 対して、芥氏は、時間、とは物語(及び小説)であり、そうした時間、空間、つまりは歴史に縛られた三島は既に芸術上の敗北で、革命とはそうした時間や空間、つまりは既製歴史概念の全てからの超越行為で、そこに自由、革命が成立する。つまりは真の芸術行為も存在し得るはずである。三島は敗北者だ、と。


 こんな論旨。


 
 当然、三島は歴史、時間、といったものの象徴、または超越概念として天皇を主張する。


 彼に取っての天皇とは、あくまで概念的で、さらに言うと日本文化史上の天皇とは、死んでは代替わりする人間の歴史ではなく、人間を依代とする、たった一つの超越存在、と言う折口的なシャーマニズム天皇論に由来する。またその二重構造としての人間天皇も存在する。その肉親の賛意にも言及。



  芥氏は、この部分の理解に全く触れていない。


 もしも、三島の概念上の天皇を理解するなら、時間、歴史、を天皇は包摂しながら同時に超越している。


  
 実はこの二人は、自由に関して、時間、歴史、に関して、共に超越的存在への融合、という共通項目をお互いまるで無自覚に述べている。


 ただ、ここで空間、が問題となるが、ここで三島は全共闘側がバリケード封鎖した解放区、と言うものに非常に興味を示して逆に質問している。


 解放区はアナーキーな空間であるはずで、時間、空間、歴史、といったものを超えたものを想起させる『自由への融合場所』、だったはずだ。しかしそれは学生側から、それをはっきりした明確な概念化はできておらず、非常に無自覚な反抗の逃避場、としか現実には機能していない。


 三島は、そこに興味を持っていた筈だ。


 

  別のインタビューで、芥氏は、この時の三島を、自分を眺めるその目が宇宙のアンドロメダのように透き通っていて、虚をつかれた顔でこっちを見た、と語っていた。



 ***




 空間、と言うもの以外に関して、実は両者は同じものを目指した筈だ。自主独立、絶対自由、暴力肯定、、



 しかし、空間。そこに三島は日本、そこでいい、と言う話と、学生側は、日本とか国家とか、そんな縛りはいらない、と言う話で、平行線を辿る。



 ***



 この映画が公開された当時のコロナ禍自粛。それは強制的ひきこもり、だった訳だが、あれは21世紀の解放区だったのである。
  

 そして、その後もずるずると、ひきこもる不登校児、中年おじさん、などの病いは、あの全共闘時の集団ボイコットによる解放区の、あまり健康的ではない未来世界的な進化型である。

 
 半世紀前と違って、サイバー空間に広がる広大な虚構が用意され、なんら身体性を無視すれば、完全に自由、時間、空間を文字通り超越した場所がもはや完成しているのだから。




 ****



 
 さて、三島vs芥 対論に話を戻すと、面白い結果が見えてくる。


 果たして、時間、空間、歴史を現実に超越したのはどちらか? 




 芥氏の芸術表現手段である演劇を、生で観たことがなく評論は避けるが、しかし世界に普遍価値を持つ芸術に昇華して、世界に名だたる演劇人として輝いている、などとはどう見ても言い難い。


 対して、三島はこの対論の1年後に自決。あの自決は過分に儀式的で、さらには演劇的で、その行為の是非はともかく、その自決と引き換えに三島本人はいったいどこに到達したのか?



 自決当日に、筆を置いた、遺作「豊饒の海ー天人五衰」の最後のシーンの描写はこうである。


 
 第一巻で出家した聡子(日本文学の暗喩としての存在 :link再追記)が老齢の尼、月修寺(豊饒の海ー月のクレーターで、心を映す象徴)の門跡と成って主人公本多(三島自身)と対座し、すベてを知らない、と告白する。


 美しい夏の光の差す日本庭園に導かれ、本多は独白する。



 「そのほかには何一つ音とてなく、寂莫(じゃくまく)を極めている。この庭には何もない。記憶もなければ何もないところへ、自分は来てしまったと本多は思った。

 庭は夏の日ざかりの日を浴びてしんとしている。…… 」




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  それは、日本庭園の姿をとった解放区。



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  この解放区に、時間はない。記憶はない。ただ空間はある。



  不思議と純正の日本庭園とはそんな姿だ…



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  ps
  しかし、自分は、彼の涅槃を信じない。彼は、確実に生まれ変わっている。今、生きている。誰もが知る著名人として。

  解答はしない。豊饒の海の本多がそれを回避したように… 


………これが個人的、見解である。


  涅槃とは、解脱とは、そう生ぬるいもの、ではない… それは観念でも、幻想でも、無い…


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posted by サロドラ at 09:09| 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年10月05日

Madame Edwarda / Pierre Angélique(Georges Bataille)





@CAFE DE DADA Ymaguchi city,Japan 27,sep,2014



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「夜が裸になっていた」「君が本の読み方を知らない、としたら?」「彼女の太腿が私の耳を包んだ。波の音が聴こえるような気がした」「あたしは神なのよ」


 すべてがまるで詩文のような、不思議な、甘美な、そして恐ろしい、三流のポルノ小説にして超一流の哲学書。


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今、この季節、あの遠い愛すべき国で聖なる母へ火を捧げる儀礼で満たされる今こそ、この作品がとっても相応しい。

 これこそが20世紀最高の文学作品。






posted by サロドラ at 09:09| 文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年09月06日

123:森に入る方法



 9月にして気温35°、、暑くてかき氷をしゃくしゃく食べていたら、いったい何のインスピレーションなのか、、、、ふわり、と森へ。


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 森、と言えば、ソローの「森の生活」は20代頃からふと手に取り、ふと手に取り、を繰り返しては、漠然とよくは自分でもわからない憧憬を持っていて、海外ドラマでも、小説でも、森が舞台となる描写にはいつも奥底から強く惹きつけられる性癖がある。


 山口に帰山した際も、妙に中途半端な地方都市感な実家よりも、せっかく田舎ならやはり森、ではないか?などと思い、母親に森の中に家でも買って住みたい、と口走っていた気も。


 島根の田舎育ちの母親に「そんな大変な生活、できるわけない。あんたアホか」と一蹴され、友人と森について語り合っては独り悶々とし、深夜に森へとドライブしたりしていた。


 しかし、山というのは、どこか何か恐ろしい、形容し難い何か、を感じるのも事実で、山によっては近くを通るだけで、どこか不吉な、何か人智を超えた何かの存在を感じさせる。


 大昔から、日本文化、精神史上、多くの崇拝される神社の御神体は山で、宮はただそれを崇める儀礼上の場に過ぎない。


 そういうのは20代頃から全国各地の聖地を歩いて体感していたこと。


 ***



 さて、森、、である。


 森と言っても、なんのこた〜ない、市街地からタクシーで10分も行けば、もうそこは森、であって子供の頃の記憶を辿って、奥にある滝を目指してタクシーから降りて歩いた。


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 記憶ではすぐ近く、と思って異常に舐めてたら行ってみると、山道は結構な急勾配で、普通にデパートの階段を昇るだけでも、死にそうになる哀れなこの身からすると、きついのなんの。


 途中、行き倒れるかと。携帯の電波も通じない。ここで救急車は呼べまい。


 ジィ〜と座って、また、歩きを繰り返し、、、さらに、道を間違えたのか、山道をそれていよいよ本物の森めいた道なき道に歩みを進める。


 下を見ると、折れた木や、種々の草が生えて、まさに森。


 そこで気がついたのは、予想もできない森の中を歩くのは、体の使い方がまるで違い、自分でもまるで動かしたことが無い身体の動き、を頻繁に要求される。


 街中のジムなんかの洗練した体の動きの100倍くらいの多様な体の動きではないか?と。


 で、目的地の滝には辿りつけず、結局、あまり人が来ることはない渓流の川原に漂着。


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 この石がまた、色々な形をしていて、ただ立ってるだけで、足ツボマッサージをするわするわ。


 別に人もいないし、誰も見てないので、素っ裸になって、透明な清流に入水して、身を清めた。


 なんか60年代の西海岸あたりのヒッピーになった感






 ***


 で、帰りもやはり道でまるで動けなくなり、薬を飲んで、ジィ〜、としたりしたのだけど、今度は下り坂なので、地球引力に身を任せてるうちに、だんだん身体のキツさがすっ〜と取れて、極点に達したのか、今度はえらく歩けるように。



 もしや、これは……………………………。



 今まで薬で治癒せぬパニック障害を温泉やら、なんやらで試しに試したのだけど、、どんどん悪化する一方だった、、、でも、、なんかこれは、、、、治る気配、ムードを感じる。




 ***



 森の生態系の中では、なにか多様な要素、が多く働き、それこそ人智を超えた何かの力が働いている、のではないか?



 オゾン層、森林浴、有酸素、さらに電磁波が存在しない、と、、説明もできそうだけど、、



 ちょっとそういうのとも違う、何か。


 この神秘をして、大昔の人は山を神そのものとして崇拝していたのかも知れない。


 ‥と、思った。



 ***


 ふと思い出したのは、第二次世界大戦、日本、ドイツ、イタリア VS アメリカ、イギリス、フランス、、それを三島は「ドイツの森、日本の森、、森の宗教と、一神教の闘争だったのである」となにかに書いていた言葉があった。


 ソローの「森の生活」は19世紀のアメリカ人の記述だけど、産業化する人間生活への警鐘としてそれは実践され、その警鐘の内訳は、ソロー本人も予想もできないほどの多様な実害の予見だったのかも知れない。





posted by サロドラ at 01:02| 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする