2017年08月05日

水の色 墨の色



 "天然の力"にこだわる我々としては、今月は墨をつくる水をも極上天然水に変えて1ヶ月間、皆さまお稽古を。


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 水、と一言で言っても科学的な成分は、それぞれ含有物に大きな違いがあります。なにしろこの美しい神秘的な色の水は、その名も、学問技芸の神様、弁天様の水。地下から湧き出る湧き水は手が痺れるほどの冷たさで、ぶくぶく湧き出てるところから口に含んでテイスティングすると、味もとっても良い。日本本州の湧き水で、ここがベストno.1だと思います。

 なぜこの湧き水がこんな美しい色になるのか、科学的解析でもまだ謎のようです。


 まず今週は子供達はこの水で墨をすって、夏休みの学校のお習字課題を揮毫。



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 墨の発色の色合いがやはり良い。これでさらには紙にまでこだわれば完璧ではないか、と。



 市販の墨液などでは出ない、線の動きの表情が墨の濃淡で全てあらわれるので、書く技術は難しくなるのですが、その色合いのナチュラルさは作品を並べて眺めてみても、目にとても優しい。

 これが墨液で書くと、ただ真っ黒で、濃淡は無く、陰影も無い、線の立体性がまったく無い、無表情な、そしてどこか下品な線になります。書作品で下品だな、って思う作品って、だいたい墨液で書いてあるのですね。


 普段は水道水を墨で擦って書いていますが、やはり差を感じます。京都の御香水も、これに似た感じでした。やはり名水と言われる水は、何か含有成分が違うのでは無いかと思います。

 そういう水で常に線を書いていると、筆運びが巧く成る。


 そうして、作品にえも言われぬ品格が漂う。




 クリエーティブな作業って、こうした、一見見落としてしまうディテールを詰めていく作業で、結果が大きく変わってくるのですが、文房四宝よりももっと大事なものは、こうした部分ではないかと思います。

 弘法、筆を選ばず。


 されど、水を選ぶべし…。



 我々の音楽などでは、ギターは選ばず。

 されど、電気を選べ…。

 
 …ですな。


 
 でも、何より身体としての技術、腕前。そして頭脳としての教養、知性。心としての魂の感受性。それがほぼ全体。


 ずいぶん以前にyoutubeに置いておいた音源でも貼っておきませう。






posted by サロドラ at 19:07| 書道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月07日

Chamber Metropolitan Trio : from Paris  Japan tour 2017 山口公演のお知らせ


Chamber Metropolitan Trio : from Paris  Japan tour 2017

イベント詳細web  http://bit.ly/2tr9OK8


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Chamber Metropolitan Trio :
Matthieu Roffé : piano

Damien Varaillon : contrebasse

Thomas Delor : batterie

10/17(Tue) @ Porsche pm:18:30 open / pm 19:30 start
music charge adv.3000 day.3500 要 drink&food order

Porsche 1-1-28 Aoi,Yamaguchi city,Yamaguchi pref. 083-924-4616


特別公開リハーサル&ショーケース・セミナー for salon d’Orange music society pm:17:00 start (※こちらは一般応募ではありません) information: http://www.salondorange.com/society.html

主催 SALONDORANJU MUSIC
ライブのご予約は chamberjazzjapan2017@outlook.jp までお名前と参加人数を記入(締切 10/16まで)

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 昨年7月に来日公演ツアーをされたパリのジャズ・ピアニスト、マチュー・ロフェさんの率いるユニット、"Chamber Metropolitan Trio"のジャパンツアーが、在仏フルーティストの木村百合子さんのご尽力により今秋に開催されます。山口公演はSALONDORANJU MUSIC 主催により行います。


 前回は私からのお願いで、素晴らしいセミナーをmusic society研究生に行って頂きましたが、今回は素晴らしいトリオ編成でパリの新進気鋭のジャズユニットによるライブの開催に先立ち、music society研究生向けの、公開リハーサル&ショーケースという形式で、セミナーをして頂く事に成りました。

 今回はピアノのマチュー・ロフェさんに加え、素晴らしいメンバーのベースのダミアン・ヴァライヨンさん、ドラムのトーマ・ドゥロールさんとの、インタープレイの妙技、数々の手法の一部を公開リハーサルという形で、SALONDORANJUのホストにより、詳しくそして平易に解説をして頂きます。


 前回、ヨーロピアン・ジャズのエスプリ、主に和声的なアプローチ、モード・スケールの側面から、アメリカン・ジャズには無いヨーロッパ特有の美しい響きの内面の秘密をご教授くださいました。

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 今回は、インタープレイの実践編の手法をサロドラのホストにより、各メンバーの方に解説して頂く予定です。


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 ジャズという音楽の最も重要な側面は、このインタープレイにあります。

 この部分こそポップス、ロック、更にはクラッシックという楽曲の形式、アレンジが大まかに固定されたまま演奏される音楽と大きな違いがあり、それこそジャズを愛好するプレイヤーやリスナーにとって、面白みの中心でもあり、またジャズ初級者の方にとっては、最も難解な部分でしょう。


 すなわち、これは"音楽による会話方法"と言い換えても良いと思います。


 自由にその場の即興で思ったことを思ったままに会話する様に、音楽を紡ぐこと。


 私達全てのミュージシャンにとって、ジャンルを超えて最も重要な側面がここにある、と私は常に考えています。


 どの様なスタイルのミュージシャン、音楽家であれ、真に優れた音楽家かどうかは、この即興の能力と、コミュニケーション力の技量によって、はっきりと二者に選別ができるのです。


 ミュージシャンとして、これがある人が本物であり、これが無い人は偽物だ、とはっきりと明言できます。


 それは、これまで多くの異ジャンルの第一線のミュージシャンと接してきた、永年の経験から来る私にとって、どうしようも無い真実です。


 現在では譜面を再現し、命を吹き込むクラッシックの音楽家でさえ、その古の作曲家達本人は、ほぼ例外無く、比類無く素晴らしいインプロヴァイザーでした。モーツァルトも、ベートーベンも…。


 また、現代の最先端、ポップス、ロック、ハイテクノロジーなシーンに携わるミュージシャン達にも、これはやはり適合されます。制作現場の最先端は、やはり一瞬の閃きがその場、その瞬間に形を成してゆく事によって作品が生まれるからです。どんなジャンル、楽器のミュージシャンも、世界の第一線に立っている人は例外無く素晴らしいインプロヴァイザーです。


 概して今の若いアマチュア・ミュージシャンの方にこの側面が現代の環境のせいか決定的に足りていません。また、そうした部分の真の重要性は、あまり認識されていない様に見えます。


 しかし、音楽というものの真実は、古代から、そして未来まで、決して変わりはしないでしょう…。


 一瞬の、刹那の感情を、音にして思うがままに、誰かに伝えること、それが音楽です。それが刹那を捕らえる即興で無い筈があろうか?


 歴史上の全ての名演奏は、その即興性にこそ核心があります。


 本物の生きた音楽の精気は、ほんの一瞬、刹那の人の感情、機敏、を捉えることができた瞬間に生まれえるのです。


 どんなにテクノロジーが進化しても、この部分だけは永遠に普遍であり続けるでしょう。


 この技術やマインドを、この機会にぜひ生で詳しく学んで欲しいと思います。





posted by サロドラ at 07:07| 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月19日

人間失格 太宰治著 第58回ORPHEUS読書会√69 ∞ 桜桃忌前夜祭 on youtube






 今回のORPHEUS読書会は今年69回目を迎える桜桃忌の前夜に、太宰渾身の代表作、人間失格を議題としました。今回は私自身のホスト役という形式にしました。さくっ、と短い時間で…などと冒頭で宣っている私ですが、実際はやはり長々と…笑。研究主論のみ視聴されたい方はどうぞ、01:00:00から御視聴ください。今までの文学史、評論史に未だに存在しない、真説の太宰論を展開しています。


 私はこの作品はもう30年以上、文字通り魂から向き合っている作品です。今回も改めて現代のデバイスで周辺作品も含めて2、3回通読しました。やはり、素晴らしい作品、素晴らしい文学者でした。


 心から太宰先生に、感謝と御冥福をお祈り申し上げます。






PS.
 今回の読書会参加者のMくんはなぜか6/9生まれだったらしく、Tくんは太宰の命日にして誕生日である桜桃忌の次の日生まれらしい…。。69回忌の桜桃忌に相応しいメンバーだったようです。ワレワレ、相変わらず、勝手に"宇宙の神秘"と自動リンクしているらしい。。


posted by サロドラ at 21:16| 文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月04日

May the 4th be with you


 どうやらスターウォーズの日らしい。

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 むくっ。と目覚めて散歩。Kちゃんと出逢う。Kちゃんは美術部に入部したとのこと。

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 新緑が眩しい季節ですね。鳩たちも色々散歩してるらしい。

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 で、ジブリレイアウト原画展に。

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 凄んごい人。こりゃピカソ展よりも人気なのでは? 暫く行列に並んで入場。

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 眺めてたら大阪芸大生のAちゃんと逢う。



 まぁしかし、こりゃ凄い。凄過ぎて目眩がしてきた。普通の絵画や美術展と違って、もう一枚一枚の絵に、観てる側のこっちが非常に深い思い入れを持って見覚えがあるシーンの、最初の発想した瞬間に描かれた手書きデッサン原画なものだから、いちいち鳥肌ものです。




 千と千尋、風立ちぬ、のブースが個人的に圧巻でした。



 このコダマ、いいっすね。

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 外ではライブも。ちょっとたるい音なのですぐにお暇。k社長は相変わらずな?ご様子。

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 このオリジナル原画、何十年とか、何百年とかしたら、相当額のプレミアがつくんだろうな。アニメ制作に於けるレイアウト原画という手法そのものが宮崎監督が70年代にハイジを描いた頃に生み出した手法らしく、会場の説明によると、この箇所こそ作品制作の心臓部らしい。

 やっぱり、この箇所を全て監督自身が手書きで丹念に詰めて描いているからこそ、のあの偉大なジブリワークスなのだと思いました。

 特に人物の曖昧な感情を示すちょっとした表情、眉、目の曲線、その微妙さ、そこには既にキャラクター達の生命が宿ってる。



 さて、おれのスターウォーズ計画も色々と…と。

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posted by サロドラ at 07:07| art | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月24日

第57回ORPHEUS読書会 限りなく透明に近いブルー 村上龍 著




 


 現代日本の作家4人を題材にしたシリーズのデビュー作、中短編までをこれで終えました。今回までの読書会を終えてみて、今回の龍のデビュー作、おそらくこの4人のシリーズ中、最も優れた作品はこれなのかも知れない、と私は思いました。

 個人的には特に愛好してる作品では無いし、好みの作家、という訳でも無い。

 しかし今回までの読書会で深めた研究によって、作品の主題、技法、影響度、など総合的に鑑みて、改めて私の思い至った結論です。自分でもこれは非常に意外な結論です。しかも私がリピートして読んでいる回数では、読み辛い内容のせいで最も少ない作品なのです。

 またこの作品は、龍本人の設立した電子書籍を出版する会社によって、アプリとして本人自身の意匠によって書籍化されており、そうした表現スタイルとしても、やはり先端の在り方を提示している。まるで、このデビュー作品そのものの様に。

 今回、じっくりとアプリ内でスマートなフォントで読むこの作品と、本人の手書き原稿を読み比べ、私が痛感したのは、表現というものは、それを『生み出す熱量』こそが、全てを凌駕して大切な栄養だと言うことでした。

 思えば、全ての表現者に必要なもの、とはこの人間の内側から吹き出す『熱』では無いでしょうか?

 決して上手では無い手書きの文字で20代前半の学生時代に書かれた、手書きの原稿を読んで、そこに愛おしさを感じてやみません。



posted by サロドラ at 03:33| 文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月21日

第57回 ORPHEUS読書会


第57回 ORPHEUS読書会

4/23(sun) pm15:33:33

Mnemosyne : 参加者全員

題材『限りなく透明に近いブルー 村上龍 著』
http://amzn.to/2pYgfyQ


参加者 : salon d'Orange music society研究生

視聴者の皆様もチャットにてご参加ください。

主催
salon d'Orange music society
http://www.salondorange.com/society.html




http://www.ustream.tv/channel/salon-d-orange-live





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 今回は近代現代日本の作家シリーズの4人目で、村上龍氏のデビュー作『限りなく透明に近いブルー』を題材にします。最初に中期中短編の『69』をやってしまったので、捻って今回が村上龍、衝撃のデビュー作をとりあげます。

 シーンの大半をひたすら占めるのが、乱交とドラッグシーン、という本作。凡人が普通の気分で読むには全く読み辛い作品です。しかしこれが上梓された1976年、ベトナム戦争が終わり、日本の戦後ももはや終わり、三島は自決し、どこかしらけたムードの中に突然現れたこの異彩を放つ作品は、芥川賞受賞作の中でも未だにトップの売り上げ部数を誇っており、私の知る限り、この作品から続く龍氏の世界観がJ-Rockシーンに与えた影響はとても大きい。

 music societyの研究題材として、これは欠かせない一品であろうかと思います。


 USTREAMで参加したい方は、よく作品を読んで鑑賞してから、どうぞご参加ください。


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posted by サロドラ at 20:29| 文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月13日

ロボットと人の未来



 最近、囁かれて久しいトピックですが
 http://www.jiji.com/jc/article?k=20170330035488a&g=afp




 P.K.Dick好きの私の見地からも、この研究、大旨正しいと思います。


 本来、人間がしなくて良い作業を人間がしている現在の方が、どうかしている。単純作業の工員や労働者など必要が無いし、そこで働く人自身が、それを良いと思ってる人など現実120%居ない。


 人間は人間らしく生きるべき、働くべき、で、ロボットに人間が成る必要など無い。



 で、ここで大問題は、溢れてしまった単純労働の人達…、だけど、この問題、古代、それも超古代の人類が、生命存続の為のリスク回避として、分業化し、システム化し、社会形成をしていった、その歴史的な構造の大きな揺り返しが、今、テクノロジーの発達、つまりは効率化によって、やっとこさやって来た、というのが、真の正体です。


 2000年期に入ってから、つまりはIT関係が成熟を見せ始めてから、特に私は超古代への回帰欲求が強く心に芽吹いて止まず、自分の仕事の全てはそれを規範として作業しているのですが、それは実はこうした社会の波を私の無意識が敏感に感じているに違い無く、現代に超古代を結ぶ仕事の意味、重要性は、そこにあると考えています。


 ただ違うのは、人口数。この問題だけは超古代の前例で解決できない。


 これは昔は戦争という形で人口淘汰を、自然に人間はしていたけれど、現在、ヒューマニズムの勝利によって今後、これは無い。その代わり、環境問題を通して、まさに神の采配であるかの様に、自然災害という形で、人口調整がされてしまう。要は、これは地球自身が、その自然のシステムによって、調整機能をそういう形で実現させてしまっている。

 2000年期以降の大事件、911からに始まった戦争、311及び世界中の震災、の全ては、これで説明ができます。



 超古代、、人間は、自然に成っている果実で潤い、システムを形成する必要など、無かった。国家も、村も、社会システムが無いのだから、争いも無く、永遠に平和で、天然の恵みによってのみ生き、安らかに死んでいった。世界中の古代神話に触れる時、それらに共通、通底して描かれている世界観である。


 人間が従属するのは、人間の造った構造物では無く、自然、天然のサイクルやシステムだった。


 どこの超古代文明も、これが基本的な様態です。





 この超古代と、現代を結ぶ。


 これが、今の社会問題の真の解決方法で、もう世界中の多くの人はそれに無意識レベルで気がついている。


 20世紀のアート、文学、を眺めると、総括として全てはここに到達する方法の模索、実験の繰り返しだった様な気がする。


 できれば、今世紀でその完成型を見たい。


 私は、その完成型に自分が到達したい。いつもそう思っています。


 

 さて。


 システムへの無分別な従属をする人は、もうこれからの時代ダメです。そういう人は要らないので確実に淘汰される。これから職業を模索する人に言いたいのは、そこです。最先端の社会学者、研究者の予想は、思ったよりも、かなり早くやって来る。

 システム、というものの性質とは、人間を真に思考しない痴呆にし、ロボットにする。痴呆に成り、ロボットに成った人間は淘汰される。


 システムに従属しない人間は、思考を常に要求される。機械的ドグマの外に立つ事を常に欲求する。



 会社人間、も、公務員、という制度も、つまりは社会保障の担保自体が、まるで恐竜の冬の様に、もう今世紀中に消えてゆく。


 人間を保障するのは、自然、天然の、抗えない力だけが、それを担保し、維持する。


 ここから法律、政治、社会、生き方、食物、アート、つまり人間の生き方全般を、組み替える必要が、必然として、今、来ている。




 私は、80年代にP.K.Dickを読んだ時から、太宰を読んだ時から、春樹を読んだ時から、ピカソの美を観た時から、岡本太郎の啓発を聴いた時から、宮崎駿アニメに感動した時から、そして、全ての良質な20世紀の音楽に魂を打たれた時から、


 この時代の到来を予想していました。そこにもう既に、これらのサインが明確に記されてあった。




 ロボット、とは人間のシステムの代替であり、つまりは安全保障の担保の代替であり、そして人間とは、人間の産物であるロボットが永遠に叶わない、人間以上の機能の代替存在、である。


 その露骨な表出が、今世紀の未来に起る、主要な出来事だ。



 私はシステムとしての書にも、システムとしての音楽にも、ノスタルジー以外の興味は無い。それが生まれる瞬間に全てを戻してしまえば、それでいい。この時間の中でそれを成し遂げるならば、超古代は超未来に自動的に変貌するのだから。


posted by サロドラ at 07:56| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月28日

君の名は。


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 私、計7回ほど劇場に足を運びました。個人的にこの回数は過去に経験ありません。しかも、全く厭きない、どころか観る度に、ここも!、あ、ここにも!!と常に新しい発見と感動だらけでした。


 まず昨年秋に、初めて観た時の衝撃があまりに大きかったのですが、アニメ作品、というより映像作品として、こんなに斬新で優れた作品は今まで観た事が無い。しかも実写映像で不可能な、アニメだからこそ出来る技、優位性をふんだんに使いきっている。


 まず、私の本業として見逃せないのが、音楽と映像の関係性、です。


 普通、劇伴の音楽制作は徹底して映像に従属する、そこに音楽家の技量が大きく問われる。最も面白く、難しく、真の音楽力が問われる仕事ですが、それは従来の映画音楽が『映像従属型』だからです。

 その場合、シーン、シーンでタイムのコマ何秒までのフレームに合わせ、人物やシーンの映像の真意、内面描写を作曲によって音楽家は描いていきますが、こうした手法、手腕をきっちり振るえる音楽家こそ真に総合的な技量、音楽力がある実力者です。


 しかしこの作品はそうした方法とは逆に、どこまでも"音楽に映像"が従属しています。前作「言の葉の庭」にもそういう部分があったけれど、今回は全編通して、かなり徹底している。今までの世界の映画制作の歴史には全く無い、前代未聞のやり方です。


 また、これを担当したRADWIMPSは確かにとてもセンスのある良いバンドだけれど、普通の意味での、そうした映画音楽を描ける音楽力などは失礼ながら、遥か、到底、無い。しかし、この方法を採れば、これは完全に成立する。

 初めて観た時、まるで私は「コロンブスの卵」を見せられた気分でした。


 これは音楽に映像の描写を合わせる『音楽従属型』の映像作品です。無論、コンセプトの提示に対して描かれた音楽ありき、ではありますが…。




 従来の映画音楽では、映像作家よりも音楽家側の実力を強く強制される事と逆に、この場合、映像作家側の実力と、それ以上に多大、膨大な労力を要求される。フレームごとに何枚も緻密な絵描くよりも、音をちょっと録音し直す骨を折るほうが労力としては簡単ですよ、そりゃ…(笑)。そういう、気の遠くなる様な膨大な苦労が、なんだか作品のシーン、シーンに滲み出てる気がします。



 この部分こそ、この作品の最大の、そして実質的な特徴、斬新性だと私は思いました。




 そして、この作品のテーマ。単純な恋愛映画では、これは無い。




 人間の中のある真実、それも描くことが大変に難しい真実を、実に巧みに描いている。それを日本の古来のアニミズムの世界をベースに、世界中の普遍的に解り易い場所まで表現を成功させている。


 この時点で、宮崎監督を超えている。宮崎監督の最も得意なフィールドで。


 宮崎監督と類似して、なお超えてるのは、あくまで現代の日本、そして超古代の日本を一直線で繋いでいる事。例えば神域のご神体の描き方にそれがダイレクトに現れている。


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 また、先の映像と音楽の関係性は、宮崎作品とは結局、久石氏のプロ中のプロの技術力による音楽で、その叙情が成立している。即ち、映画作りの従来の鉄則通り、定石通り。しかし新海監督は敢えてそれを逆側に引っくり返す荒技をやっている。


 私が特に感動して止まないのは、まったく何気ないシーン。

 山の紅葉の中を聖地まで3人で歩くシーン、

 東京のプラットフォームに電車が動く俯瞰シーン

 車道から観た倍速で光が流れる固定アングルのシーン

 朝起きた部屋の日だまりの光が揺れるシーン

 人物の背景の星空のシーン ………

  など「非人物の描写」なのですが、なんとそこで「人物の感情表現」を完璧にやってのけてる。


 それは風景であって、単に風景、ではない。 これも、今までのアニメでは観た事が無い。


 これは背景画、という観念で描かれてはいない。登場人物の顔や表情を超えて、背景の風景が人物の深い心の世界を語っている。



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 …と、まぁ、語るとまったく切りが無いほど、全てが素晴らしい。



 ストーリーの解説めいた事は、ネット上の皆様がしてる事でしょうから、私はしませんが、気がつきずらい部分の補足の一例を少しだけ。



 最初の方のシーンでユキちゃん先生が、「黄昏」の大和言葉の語源を古文の授業でしていますが、そこで「それって”片割れ時”やないの?」と生徒が突っ込みを入れ、この地方の方言では古い万葉言葉が残ってるから、とユキちゃん先生が説明しています。

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 しかし、"片割れ時"という大和言葉は現実には存在せず、これはフィクションです。物語りの仕掛け上の意図的なフィクションです。

 映像の中で言葉で説明はされていませんが、本当はこれは半月を意味する「片割れ月」という大和言葉を明らかにもじっています。ユキちゃん先生の台詞が敢えて「万葉言葉」などと、実際にはあまり言わない物言いで語らせている点も、この言葉のフィクション性を暗に語っている。

 魂の半分、心の半分、という存在の暗喩として、この言葉を援用して何気なく仕掛けておき、


 そして瀧が消えた糸守を探しに行くシーンで、『Half Moon』と描かれたT-シャツを着ていますが、月とは心や魂の象徴であり、半分に割れてしまった自己存在を「片割れ月」という言葉に、暗に何気なく込めている。もう片方の自分を探しに行く、というストーリーをそっと、暗喩的に語っています。


 映像作品として、アニメの宮崎監督と言うよりも、黒澤作品より凄い、と私は評価したいのですが、黒澤と共通し、似ている部分は、風景の"光"の描き方に対するセンシビテリティーです。2人とも登場人物の心の内面描写を、背景の光と影で描写するのが実に巧みです。この点でも新海監督に、私は栄冠をあげたい。これは手描きのそれも現代のCGアニメだから技術的に実現できた部分が大きい。


 例えば、三葉の印象的なこのシーン、影が顔半分に割れていて、先の半月の暗喩として描かれています。なぜ涙が…、と呟きながら、

 「なぜなのか?」を、顔半分で割れた光の陰影に無言で語らせている。



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 こうした方法で実に巧みな仕掛けが、山の様に仕掛けてあって、決してそれは説明的では無い。

 気がつかない人は素通りしてしまう。

 あえて理知させずに、しかし、まるでそれは詩のように、あくまで観客の"無意識の世界で感じる様に"仕掛けてある。


 無意識を刺激して観客を物語りに惹き込む、こんな巧みな仕掛け、創作者側にとっては非常に意図的、作為的な仕掛け、が凄く多い。シュールレアリズム・アートのように…。




 この物語りを陳腐だと思う批評家やアンチの意見を視ると、こうした部分を全然見れていない、と思います。そういう意見は、この作品をただのティーンエイジャー向けの恋愛映画だと見做している。





 事実、7回、映画館に足を運んで、客席の客層に私は非常に興味があった。封切りから年を超えて3月になっても、客足は未だ多く、普通の年配のおじさんなども、結構に観に来てる。たぶん彼らは、10代の観客とは違う見方、感じ方をしている。

 例えば、私のすぐ隣に座った高校生や中学生達は、私が感動する場所に、ほとんど心が揺れていない、と何度か思いました。紅葉のシーンや、糸を織るシーン、が本当は語っていること、に涙するのは、人生の経験を積んだ年配の人達では無いでしょうか?


 311の震災、熊本地震、そうした痛ましい経験をした日本人全員の共通の、人間の命に関する切実な願いや想い、などをこの作品は巧みに語っている。


 大切な人、家族との生き別れ、もしも世界がこうであったら…、という都度重なる大きな痛みを経験している我々の切実な魂の祈り、まるでこの作品はそうした切実な祈りを現実に叶えてくれるかの様だ。


 世界興行成績では日本映画史上トップに4ヶ月で到達した様ですが、面白いのは国内成績が、その時点でまだ4位だった事です。むしろ、ここに日本の悪しきガラパゴスの実態を視る気が私はしました。



 この作品、もっと劇場公開を引っぱってください。ぜひ世界の栄冠を獲って最高記録を残して欲しいですね。



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World Trailer


イタリア版(この作品が"言の葉の庭"のオマージュによって物語りが始まるのを、イタリアの人が一番わかり易いかも?)


スペイン版


インドネシア版


中国版 (これが一番編集が良いですな)


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 この作品で唯ひとつ、重大な残念なこと。それは、英語ヴァージョンに劇中歌をリメイクした北米向けヴァージョン。これは、大失敗です。あれじゃ、全世界中の人が観てる感動には繋がらない。RADWIMPSの野田氏は、読み書きの英語力はそこそこあっても、英語の音楽、歌への理解や力が完全に欠けてる。

 変な無理をせずに日本語ヴァージョンで、字幕で工夫して歌詞を伝えた方がスマートだったと思う。

 英語圏の人が観たら、せっかくの最高の瞬間が、あの歌じゃ、はぁ?で終わってしまう。ここはしっかりしたメンターが居るべきだった。4月から北米公開らしいから、これ、絶対なんとかして欲しい…。。

 物凄い作品なだけに、ここは寧ろ非常に残念極まり無いし、今の日本の音楽シーンの弱さ、ウィークポイントを計らずも大きく露呈してしまっている。

 英語ができなきゃ、日本語でいいですよ。日本語の意味がわからない人でも、その方がずっと感動する。


↑向こうの世評もどうやら同じ意見らしい…

 やはり吹き替え無しで、オリジナルフィルムに字幕版のみ、が最良ですね。



 はぁ…もしも、あれが英語詩の歌で完璧だったなら、この奇蹟の様な波でいっきに世界的なバンドに成れるかも知れないのにね…。




 日本のミュージシャン全員。ここは肝に命ぜよ。歌、に於ける言葉の深い機能を舐めては、世界のシーンは獲れませんぜよ。

 重大な課題です、な。


 RADファンの人には悪いけど、音楽人としてはここは大声で言いたい。世界で活躍するホンモノのアーティストがもうそろそろ日本から出てきて欲しいから。


posted by サロドラ at 06:09| 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月25日

Züricher Geschnetzeltes


 日々サラダ&果物生活のせいか、スイスの老舗ベジレストラン、HILTL(左上のRadioがお洒落)のネット記事を眺めてて、どうしても食べたくなり…こんな素&敵なレストランが近くにあれば良いが、無いから自分で創る。

 その記事を元に、スイス料理のツーリ・ゲシュニッツェルテスのベジver.の開発。


 まずはグルテンミート創作から。材料は小麦粉と、True love saltをベースに。紫ニンニクと生姜のすりおろし、花椒、そしてなんとなく発見した有機野菜のみで仕上げたイタリア製のブイヨンにて味付けを。

 味見してみると、もうこの時点で、別に何もせずとも美味いわけで…。

 さろどらグルテンミート完成。

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 こりゃ煮ても焼いても何しても美味い。。これでハンバーガーでも創れば、完璧なオーガニックベジバーガーもできるのではないか?と。。



 まずは赤ワインソース、赤ワインと蜂蜜と胡椒を煮詰める。


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 玉葱は天日に干すと栄養成分が変化して、味が良くなる、との情報を小耳に挟み、やってみる。


 こいつをオリーブオイルで炒め、マッシュルーム、白ワイン、で煮詰める。そこに、軽く炒めておいたグルテンミートと赤ワインソース、熟成ものコニャックを入れて煮る。


 True love salt、胡椒、地物有機レモンで、仕上げの微調整。


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 ふむ満足。非常に複雑なオーケストレーションを奏でておる。微妙なヴォイシングの研究余地あり。次は付け合わせのレシュティも今度つくってみるかな。


 オーケストラ編成の作曲だな。これは。
 

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 ハーブティーでも一杯。明るい午後の日差しは竹林に輝き…儚きを夢みて、事物の美しい愚かさに、私達はしばし微睡んでいよう…。 

 Meanwhile, let us have a sip of herb tea. The afternoon glow is brightening the bamboos, the ... Let us dream of evanescence, and linger in the beautiful foolishness of things.

***

 UKの人気オーディション番組Voice UKの審査員してるGAVIN ROSSDALEさんがフォローしてくださってて、ふと見ると"salt makes a difference."って信念(?)が記してあって、思わず笑った。なんかいい人かも(w)。  https://twitter.com/GavinRossdale

posted by サロドラ at 07:07| グルメ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月17日

The Art of Tea


 The Book of Teaを最近熟読しつつ、"全〜〜っく頑張らず"にお抹茶を一服、午後の陽気で楽しんでいて、ふと気がついた。


 これだ。これが元ネタだったのだ…。。


 モノクロで、足を組んで座るMichael Franks。それは家具も何も無い自宅で座る禅僧風情の'82年のSteve Jobsの写真に何処か似ている。この世代の西海岸、インドの導師にもヒッピーにも飽きた70年代半ば、最も趣味の良い、センスの良い精神的な世界観は日本の禅だった。奇しくも禅を詳しく西洋に説いた鈴木大拙が渡米した同年(1906)に、茶の本はNYで出版されている。



 東京でも業界人に特に人気の高い"The Art of Tea"はAORを代表する傑作だけれど、それは決してヒットチャートの首位を独占したとかいう業績ではない。


 無駄な力が抜けた、しかも惚れ惚れとしてしまう極上の職人技が、プロデュースワークからソングライティング、各プレーヤーの演奏技量、全てで奏でられている。


 全然、"頑張って"いない。しかも、極上に素晴らしい。


 以前から、この感覚はなんだろう?と不思議に思っていた。どんなフィーリング、何がこれを支えているのだろう?…と。

 普通はアルバム制作、しかもデビュー作とも成ると、もっと"頑張って"しまう。時代の情報や色を過多に詰め込み色合いのきついものに成りがちだ。これは日本でも海外でも同じ。


 この音源と、岩波文庫の翻訳本『茶の本』は、自分の中でまったく繋がる糸の無い物体だった。せめて元タイトルの"The Book of Tea"とだけでも表紙に書いてあったら、もっと早く気づいただろうに…。。


 AOR好きの多くの日本人ミュージシャンやリスナーがそうであるように、何よりもLarry Carltonのギターの絶妙さ、 Crusadersのメンツ、David SanbornMichael Breckerの素晴らしさ、ソングライティングの粋さ、Al Schmittのエンジニアリングの巧みさ、そうしたAORの職人技のみにその話題の中心がいってしまっていたけれど、、そうでは無い。そうでは。


 岡倉天心のあの言葉こそ、この世界のインスピレーションの源泉に違いないのだ。

 地球をぐるり、と回って、再び日本にやってきたその正体を、私達は無意識では感じとれても、知識や教養を欠くと理知として感覚を掴めない。つまりは創作の世界に転嫁し具体化してゆけない。私が読書会に拘る理由も、これだ。唯の音楽馬鹿じゃ芸術創作ができない。

 事実、Michael Franksはこのアルバムのデビュー以前、彼は大学でアメリカ文学の修士号を取得して教鞭もとっていた。米文学、それもカウンターカルチャーと日本の禅の深い関係に触れてない筈がなく、そうでなければ、あの詩的で難解なセンテンスの翻意など掴めよう筈もない。すでに、現代日本が遥かに遠ざかってしまったあの深い心の知性を…。



そう…

Let us dream of evanescence, and linger in the beautiful foolishness of things.

この詩的なセンテンスをもしも音にすると…これ、さ。







ちなみにMフランクスが14歳の頃に初めて手にしたのは日本製ギター(Marco Polo=Guyaの米ブランド名)なんだって…。因縁だね。





posted by サロドラ at 07:07| 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする