2008年11月25日

David T Walker



 David T Walker live in japan08 観覧日記


  http://www.salondorange.com/davdt081.html





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2008年11月22日

salon d'Orange music society live 2008


 いよいよ話が煮詰まってきましたね。
 http://www.salondorange.com/2008sdmlive.html

 今回はキャパが狭いためチケットに限りがあります。観たい方はお早めにお求めください。かなり良いライブに成りそうな雰囲気が漂ってます。

 皆の衆、がんばりませう! by さろどら


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  ふと近年発売されたリミックス盤の『Let it be』を聴きました。…これが誠に素晴らしい。。オーヴァ−プロデュースだったオリジナルのミックスを変えて、素の状態に戻した、という事なのですが、ミックスでこれ程に音楽の内要が違うという良い例です。

 youtubeで例のスタジオセッションの模様を観て興味を持ったのがきっかけでしたが、特に『Long and winding road』はオーケストラヴァ−ジョンに永年親しんでいたので、物凄く新鮮でした。

 彼等の素のバンドサウンドがいかに素晴らしかったのか…、そこに感心しました。

 僕らの様なjazz肌の人間からするとbeatlesは、演奏が下手で、軟弱で、軽い音楽…、というイメージが兎角強いのですが(「ノルウェイの森」を書いた村上春樹氏も実はbeatlesは嫌いだったらしい…)、そうでは全然無い、黒人音楽のかっこ良さをよく解ってる彼等の本質が滲み出でいるサウンドです。

 特にこのアルバムで見直したはgeorge harrisonとringo starです。g.harrisonの嗜好性…、結局解散に成るきっかけをつくったのもそれかも知れないけど、それが一瞬スパークした素晴らしい音楽ですね。。それにr.starのdrumのgrooveが実はとても良い。そういうのが、より見えるミックスに成ってます。

 なんというか、こういう作品は背後にもの凄い歴史の動き、人類史すら感じさせます。あのセッション映像で、j.lennonにそっとより添っているo.yokoも何かまるで象徴的です。

 彼等の様な、新しい人類史の歴史の扉を開くような仕事、したいよね。僕らもさ。 



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私はこれ,唯一瞬観るだけで、なんかもう感動で泣けてくるのですけど、ここに描かれている世界の本質…、きっとg.harrisonも心で視たのだろうな‥、この意味を。。

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posted by サロドラ at 17:56| 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月13日

運慶


 辺りは綺麗な紅葉です。

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 じっとしてると鳩がにじり寄ってきます。

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 オーガニックフーズのカンパーナで、野菜カレーをテイクアウトして、紅葉の公園を眺めながら食べました。オーガニック基準をクリアーしたヨーグルトと干し柿もつけてみました。

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 美味しそうな匂いを察してか、どこからともなく猫がにじり寄ってきました。この辺はいろいろな動物達がにじり寄ってきますね…(笑)。

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 ふと見上げると、途方もなく広がる宇宙の青‥。

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 美術館では運慶展をしています。運慶本人よりもその跡継ぎにスポットを置いた展示でした。

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 数年前に運慶本人の展示を観て、あらためて強く感銘を受けたのですが、その流派を鑑賞できました。

 マンガ家に成りたい…という幼少の夢は、ミュージシャンにとって変わったのですが、ミュージシャン活動中に唯一つ、もしも転職するなら仏師に成りたい、という私にとってはかなり切実な希望を持った事が実はあります(刃物が苦手な為叶わず…(涙))。

 そういう訳で仏像には実はかなり詳しい私であります。

 1Fのフロア−の4代までの作品は圧巻でした。魂の籠った作品とは、まさにこういうものを言うのでしょう…。

 仏師、というのは物凄く不思議な職業で、美術の世界に於いてももっとも特異なあり方ではないでしょうか?それは単なる鑑賞の対象では無く、切実な信仰の対象です。それは美術を超える美術な訳です。

 今度、ぜひイベントを私が企画しようと考えてるのですが、東洋美術の鑑賞は、実は美術館等の現代の空間では本当は出来ません。漆黒の闇と、オーガニックな蝋燭の炎の中でこそ、その神髄を発揮します。

 美術家ですらよく勘違いしてる人が多いけど、日本画等は遠近法を使用しない、とてもフラットな平面的な作品ですが、あれは平板な表現では決してありません。もの凄い立体作品なのです。これは書作品もそうです。

 昔の日本建築の暗い空間、電気の光を一切使用しない空間でないと、その本当の姿が現れません。

 漆黒の闇に蝋燭の明かりが照らす空間の中で、仏像の場合だと、本当に仏様が異界から、ふっ、と現れてそこに息をして立ってるかの様に見えるのです。

 まさに運慶の彫った彫刻の数々は、本当に今にも動きだしそうな強烈な迫真性を持っています。

 今回、面白いのは、5代の頃でその技術や仏師としての魂が全然駄目に成ってる様相です。お家騒動に明け暮れ、力も無いのに宗家を名乗り…、というどこぞで聴いた事あるような、卑俗な様が観てとれます。

 6代は少し落ち着いてますが、もう運慶の匂いはまるでありません。そこらの普通の仏像です。

 その違いが何処にあるのか?皆さん、これをじっくり鑑賞されてはいかがでしょう?

 音楽なり、書道なり‥、に例えるならば、凡庸な歌と非凡な歌の違い、凡庸な演奏と非凡な演奏の違い、凡庸な書と非凡な書の違い、全部同じ一つの問題に帰着します。それがこの展示物を眺めているとよ〜く解ります。

 歌やギターが巧くならない‥、という悩みを持つ人は、こういう部分に直感が働けば変わる筈です。それは、具体的には技術力の問題であり、総体的には、一個の魂が見据える情報量の違いです。

 偉い魂というのは、物凄い情報量を一つの事象から抜き出す力を持ってるのです。

 仏師というのは、これが即信仰の対象、という切実な実用性に直結するのだから、これは非常に面白い生業です。

 でも1000年たっても何処かの誰かに、魂の所在を語りかけてくるのだから、本当に素晴らしいですね…。私自身もそうありたいです。

 
  galleにて萩焼でロシンアンティーを一服。

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2008年11月10日

熨斗袋

  
 今日は皆さん、熨斗袋の表書きの練習をしています。

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 普段書道なんて縁の無い方も、冠婚葬祭のこういう瞬間に突然「あぁ筆で書けたらなぁ‥」と感じる方も多いのでは無いでしょうか?

 仏式の法事等の表書きでも、その文言の作法があり、宗旨に沿った内容である必要があります。そういう歴史的宗教の経緯から深く説明して、それを書ける様に練習してもらいました。

 魂の籠った表現を文字でする時ばかりは、やはり墨書をするのが一番です。これがプリントアウトされたフォント文字などでは、ほとんど人格に関わる味気なさに成ってしまい、見識、というか当人の生き方を疑われても仕方ありません。。。

 そういう訳で、これから世に出て社会生活をする学生の皆さんには、こういう事をしっかり伝えたいと思います。

 本当は墨を擦って書くのが一番で、たとえ文字が下手でも、こうすると凄く高級感の漂う熨斗袋に成ります。
 
 ま、ここまで出来なくても、筆ペンででも、さらっ、と行書、草書で表書きが書いてあると、なんだか『信用に足る立派な人』に見えるから不思議です。

 やはりね、文字、というか書というのは、隠し様もなくその人の生き方、風体、の全部が出てしまいます。

 だからこそ、昔の人は書を嗜む事で、己の人間を磨こうと努めたのだと思います。

 これはまるでbluesやjazz、rockの音に人間の全てを込めようとした、我々の音楽の感覚にそっくりです。実際、墨書した作品を並べて鑑賞をしていると、まるで、jazzやbluesを聴いてるのと同じ感覚を感じます。例えば、先日のdelta bluesにまるでそっくりなのは古代の木簡の書だし、顔真卿にそっくりなのは、Lightning hopkinsだし、王鐸にそっくりなのは前衛的free jazzのDerek Baileyなんかかも知れない…。

 書は間違い無く、東洋人の芸術の原点な訳です。それは絵でも音楽でも、彫刻でもありません。書です。

 人間が苦悩し、神と通じようと精進し、その技芸を磨いた何千年かの歴史、その凄い奥行きがその背後に控えています。

 そのほんのほんの切れ端でも、若い人に伝わればなぁ‥と思います。

 
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 ↓沢山の紙に書いた文字達を生ゴミに捨てるのは、どうしても気がひけて、川のほとりで焼いて天に返しました。それは本当は天界のものだから…。

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 ↓っと作業を終えてcafeで一息。タバコの煙りの漂う天井を眺めたところ。。。このblackstoneというstrawberryの味のタバコ、なんか旨い…。

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posted by サロドラ at 00:00| 書道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月03日

つげ義春

 読書日記。調べものの為に図書館をウロウロしていて、マンガが沢山あり、ふと手にしたつげ作品。。ねじ式、ゲンセン館主人、、 などなど強烈なシュールレアリズムとしてのつげ作品は少し読んだ事がありますが、今まであまり気にもしてなかった初期の普通〜の作品を初めて読みました。

 これが凄く良い。

 あのつげ作品の強烈さの萌芽が既にあって、特にラストシーンがどれも凄い。中期以降もやはりラストが凄いのだけど、初期の頃からラストの落としどころが凄かったとは!この人はある意味初期作品の方が良いのかも知れない。(もしも音楽に手を染めなければ、私はたぶんマンガ家に成ってる筈なので、こういう事は異常に気に成ります‥。)

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 さて12月に行われる研究生によるライブのリハにいよいよ突入中です。今回はどの課目の人も、必ずソロパフォーマンスを一曲はやる事、というのが出場条件だったのですが、バンドヴァ−ジョンをそれぞれ修行中です。

 実は5、6年前に一度だけ『発表会』なるものを主催したのですが、個々の自主性が乏しく、私としてはそれが凄く不満だったので、ずっ〜とこういうイベントを避けて来たのですが、今回はなんとかいけるのでしょうか? 私は今回に関しては監督はすれど演奏面等では一切手を出さない、というのを自分の掟としております。

 音楽って、決して人にやらされるものじゃない。

 人にやめろ、と言われて隠れてするくらいが丁度いい。そういうもんだと私は思います。

 だからよくクラシック系のトレーニングなんかに見られる、親だの先生だのから『やらされてる感』というものが、私は溜まらなく嫌いです。だって嫌なら向いてないのだから止せば良いのだからね…。だから今回も「ハッピョウカイ」では無くて「ライブ」、「セイト」ではなくて「研究生」、と言葉を濁らせない様に務めてます。そもそも私のは「オンガクキョウシツ」ではなくて「ミュージック・ソサエティ」。(‥とすると、私は「センセ−」ではなく「ソサエティー・マスター(研究会長???)」だろうか?)


 まぁとにかく、本当に魂の喜ぶ事は、そもそも苦行ですらも楽しいはずだし、そのプロセスの喜び自体が、その行為の御褒美みたいなものでは無いでしょうか。その積み重ねが、きっと具体性のある結果や実績を導き出します。

 そういう訳で、出場する方は存〜分に楽しんでやってください。ま、こういう本番時の私の指導は凄く厳しいですけどネ。(笑)。

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 今週8日土曜は、周南Boogie houseにてマスターの森永さんにも登場頂きセッションライブをします。実はこの日は特別に空けておいたのですが、穴が空いた為、セッションをしよ、という事なのですが、かなり意外な方向にひた走る事を実は期待しております。個人的にずっと願ってた事を試すチャンスかも? 何が起るか興味のある方はどうぞライブに御越しください。たぶん8時くらいから演奏します。





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おまけ

↓図書館近くのcafe。カフェオレを飲んでるといつものネコが飛び乗ってきます。
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↓膝の上で安らかに寝てしまいました(笑)。
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