2009年07月28日

Julian来日


 さて来月から始まるライブツアーの主役のジュリアンが来日したので、さっそく打ち合わせを兼ねてジュリアンファミリーとcafeにいます。

 ロンドンからたまに突然の電話で連絡を受けたりする時、どことなく英語に詰まってしまうのだけど、こうして顔を合わせてコミュニケーションをすると、なんだかスムーズですね。やっぱり人間同士って、表情だとかムードでお互いを交流させてるのだなぁ‥となんだか思いました。


 ドイツの楽器フェスでの興味深い出来事(アルディメオラと会話したらジュリアンのプレイを誉めてたらしい)、パリにはロンドンからなんと電車で2時間(!)で行ける事。文学者のディケンズがよく来てた古いカフェが、その当時のまま今も営業してる事などなど‥、話は尽きません。


 特に今回は同じギター弾き同士として、彼のギターが最高に良いサウンドで鳴らせそうな環境のハコのみを厳選してブッキングしてあります。そして僕らサポートのサウンド体制もばっちり。

 さて、まずは1日目、景気づけのBoogie house 8/1から、皆様、こりゃやっぱ必見ですぞ!!!


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http://www.salondorange.com/julijap09.html


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posted by サロドラ at 00:00| 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月20日

Multiculturalism


 『Multiculturalism』とは文化の多元主義を意味しますが、これはそれぞれの固有性を保持しながら共存する考えです。

 私は自分の主義思想としては、多元主義者、つまりMulticulturalistです。政治的な意味は別にありません。

 要は、どこの国でも自分の文化の美質を解り易く展開できて、なおかつ他文化、異文化を深いレベルで自分のものにしている、というのが理想で、世界のどこでもすいっ、と馴染んで生きていける人、というのが良いのです。そういう高いレベルのミックスチャーが自分の内に完成してる、という言うようなこと。

 例えば音楽をする場合、世界の何処の誰とでもぱっ、と演奏できなきゃ嘘だし、客席に何処の誰が居ても心の感動の共有を深く持てる。

 そういう普遍性に自分が存在できる事が重要だと思ってるし、実際、今までそれをテーマに生きています。


 これね、世界の潮流、時代の要請は、間違いなくここにありますよ、たまたまここをお読みの皆さん。

 21世紀は、この方法で世界が一つになるのです。

 私達は人類の分離以前の最初の状態にハイパーな姿で戻るのです。

 私達はこの世紀に、凄く面白いものを眺める事ができるでしょう。


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 で、最近ふと目にした本がきっかけで、戦中戦前からそういう感じの思想を展開してた人がいるのを知りました。ただし、この人のはあくまで日本や天皇にその基軸があるのだけど、これは時代的なものか個人的なもかどうかは解りません。

 それで図書館に行くとその人の昭和17年発刊の一般には売られなかった著書がありました(私以外に閲覧した形跡が無いんだけど…、、マニアック過ぎなオレ)。

 ほとんど奇矯な驚くべき発想の展開なのだけど、よく読むとそれがかなり綿密な知性、知識の裏づけの元に成立ってるのが解ります。大平洋戦争やってる時にこんな本を出してたなんて、本当に天才です。

 自分が今、主題としてるテーマの論理ともほとんど合致しています。

 自分が詳しいインド系の部分の知識と照合しても、その本物の博学から、単なるトンデモ本の話のレベルでは無いのが見てとれるのだけど、表面的にはそういう類に成ってしまう…。

 因みに日本で最初のインドのヒンドゥー聖典の翻訳が亡命インド人によってなされたのがこの頃ですから、翻訳ではなく原書で数々の知識を得ているとしか思えません。それだけでも普通の知性じゃない。

 凄い知性、認識って、だんだんと驚くべきロマンスに近くなってしまうのだなぁ、と改めて思いました。

 おそらく、本当の真実、なるものは、やはりロマンティックな絵画の様なものなのでしょう…。


 その思想家とは、『仲小路彰』という人です。


posted by サロドラ at 16:42| art | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月06日

手紙


 今日は皆さん手紙文章を練習しています。

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 手紙を書く、というのはメールで済ませる現代はしなく成りつつありますが、もしも手書きで書くならば、パソコンや携帯では到底真似出来ない、優雅さが漂う雰囲気にしたいものです。


 そういう訳で、非常に古風な仮名遣いや、草書を交えた流麗なお手紙の書き方を身につけようという訳です。

 団塊世代以降だと、年配の方ですらそういう手紙文を書くスキルをほとんど失っていると思うのですが、70歳以上くらいですかね…、こういう文体や書体が無理無く、さらっと書ける世代というは…。

 ですから、もしも若い人がこれを書くと、これは物凄い個性的な演出になりますね(笑)。

 たぶん貰った人は、『若いのになんて立派な…』と感嘆する事でせう。。



posted by サロドラ at 19:40| 書道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月05日

Pina Bausch


 結局生で観そびれてしまいました…。最近非常に質の高い人の訃報が多いですけどとても残念です…。


 私のフェイバリッドでもあるCaetanoも出演している『Talk to her』という映画の冒頭に、Pinaの代表作の舞踏劇が映画全体の象徴かの様に登場するのだけど、個人的に近年の「概念のひけらかし」の様なアートシーンに心底うんざりしている時分でもあって、鑑賞した当時とても新鮮でした。

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 アートって、『概念』なんぞでは絶対に無い。

 例えば、目には見えない人間の魂なるものが『概念』でしょうか?

 そういうテーゼをぶつけてくるアートは、表現ジャンルを問わず私は全般的に好きです。

 こういうテーマは当然、重くもなるし、観る側もパワーがいるのだけど、軽い、軽快なものの嘘、偽善に嫌気がさすと、やっぱり惹かれてしまいますね。

 けれど、『魂』って言葉を正面から使うと、ニューエイジに有りがちな、ほとんど唯の肉感ですらある杜撰な魂論に成りがちだったり、矢鱈にうさん臭いものに成りがちです…。

 『どこの○× ニホンの魂を歌う』…とかね(笑)

 まっ、しかし、至高のアートと呼べるものには、やはり人間存在の重さが自然と滲み出ているもので、言葉では言わずとも、そういう尊厳が全ての表現には漂って欲しいものです。


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posted by サロドラ at 21:07| art | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする