2010年03月15日

春の雪


 http://www.shokindo.com/awayuki.html
 この和菓子をはるか昔に食べた事があったのだけど、割と最近その存在を偶然食べて思いだしました。

 「淡雪」を江戸以前の仮名遣いで「阿王雪-あわゆき」と書いてあります。伊藤博文の命名だそうです。

 その名のとおりまるで、すーぅっ、と舌先で儚くも融けてゆく春の雪のようで、不思議な食感なのですが、まるでそれが日本の究極の美意識を顕わしている様な、まぎれもない酩品です。

 雪 …

 それもすぐに融けて、消えてゆく春の雪。それこそが美しい…、と思える日本的な美意識を私は非常に好きです。

 人間存在、この世の栄華、まるでこの儚い世界そのもの、のそれはまるで暗喩の様です。


 本当に美味しい食べ物は、その風土に生きる人々の精神性をとても顕わしていると常々思うのですが、この阿わ雪は美味しさはまさに繊細な日本人の感性を顕わしています。

 ぜひ、最高の煎茶とこの阿わ雪を賞味しながら、三島由紀夫の遺作にして最高傑作「春の雪」を読んだりしてみてください。できたら若い人に。

 きっと日本人だけが感得しえた、何かもの凄く美しい繊細な世界を感じてもらえる筈です。

 かの作品中で私がもっとも美しいと感じた印象的なシーンは、出家した聡子に逢いに、命がけで寺まで来た清顕をかばう友人の本多と門跡の体面するくだりです。以下「春の雪」より引用。 


 『門跡は依然黙っておられる。

 本多はこれ以上口をきいては、却って門跡の御翻意を阻むことになるのをおそれて、心はなお激して波立ちながら、口をつぐんだ。

 冷え冷えとした部屋は寂としている。雪白の障子は霧のような光りを透かしている。
 
 そのとき本多は、決して襖一重というほどの近さではないが、遠からぬところ、廊下の片隅から一間を隔てた部屋かと思われるあたりで、幽かに紅梅の花のひらくような忍び笑いをきいたと思った。しかし、それはすぐに思い返されて、若い女の忍び笑いときかれたものは、もし本多の耳の迷いでなければ、たしかにこの春寒の空気を伝わる忍び泣きにちがいないと思われた。強いて抑えた嗚咽の伝わるより早く、弦が絶たれた余韻がほの暗く伝わった。そこですべては耳のつかのまの錯覚であったかのように思われだした。』



posted by サロドラ at 23:20| 文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月11日

another world

 この時期、毎年ながら気が重いカクテイシンコクをやっと終えてとりあずほっとしました。まったくミュージシャン他 芸能人他 自由業の皆さま毎年お疲れさまなことです。


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アバターは2dで観てxpand 3dで観て、今度は近場にdolby 3dができたらしく試しに観ました。

 x pand 3dは画面が暗いし眼鏡は重たいし、全然しっくりきません。2dの方がマシな気すら…。。。

 imax 3dが噂では一番良いらしいけど、日本には3館しかありません。昔、imaxシアターで3dの恐竜もの短編映画を観たことがあって、3d効果は凄く良かった記憶あり。モノが飛んでくるシーンなんか思わず顔をよけたりとかして。やっぱこの長篇はimax 3dで観たいですね…。

 …などと思いながら、dolby 3dを観たら今度は予想に反して非常に素晴らしかったです! イナカの平日の映画館って、信じられないくらい空いて、ホームシアターこれ?という感じです(笑)。で、いろいろ席を変えて観てみたら、ちょうど3d眼鏡の視界サイズの枠内に画面がピッタリと映るポイントが最高の臨場感だという事を発見して、鑑賞。こりゃ凄い。極楽。(およそ前から4,5列目の真ん中の席です。字幕の入らない吹き替え版をお勧めします。) 
 

 で、結局3回アバター観たのだけど、たぶん全国にこういう人、多いと思います…。僕ら日本人ってこういう機械フェチな観客多いから。興行成績、上がるよねそりゃ。3dだけで3種類、2d上映も…となると4種類の上映方式で、これが本当に全然違います。


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 私はもう何十年も夢日記をつける習慣があるのですが、なんか昨夜の夢は、時代が昔か何か100年くらいは前の時代。

 ヨーロッパのようなどこか。山の中にいて断崖を登ったりしているのだけど、印象に残ったのは、雪が積もったその山道をスキーボードで走破してる途中に、少年がいて「自分は父母はもう亡くなってしまったけれど、ここで彼等と会えるよ」と教会(?)のような場所を西日のオレンジ色が染める雪景色を背景に指した。その言葉には、何処か『祈り』がこもっていて心にとても沁みた。そこで目が覚めた。

 いつも夢を観て目覚める直後は、ほんとにその世界に自分がいて、またこちらの肉体の現実世界にひき戻される感覚がある。夢の世界も本当にリアルな、痛みもあれば快感もあれば、色も鮮やかな、それこそ3d映像を超えるバーチャル体験だ。

 まるでそれは映画アバターに出てくる、あのアバターにシンクロする体験にそっくりです。

 こりゃ毎晩アバターにシンクロしてるようなものか???(…面白すぎ、オレの夢。。。)

 こう考えると、一生の1/3をこの夢のバーチャル世界ととも生きてる訳で、その中の登場人物や風景、景色は、現実と同じか、それ以上に情感がこもった、それはある『現実世界』なのです。

 だいたい実際の目覚めた現実すらも、実は心のフィルターを通して私達は個々の経験をしてる訳で、そういう意味では同じ場で共有してる同時体験すらも結局、個人固有の体験でしかなく、実は誰とも共有不可能なのです。

 『私』を経験できるのは私以外には存在しない。同時体験ではない共有不可能な個人的な夢見体験と、それは体験の本質では同じです。

 ま、考えると当たり前のことなんだけど、でも凄い事ですね、これ。

 人生とは2重の現実世界を生きてる一つの映画である…、アバターという映画のもっとも巧妙な『仕掛け』はここにあります。

 アバターにシンクロして体験する原住民ナヴィの世界は、我々の深い意識の深層世界と同じで、あれは最後に現実世界(=地球)が破綻し、深層世界(=パンドラ)で蘇り再生する完結をしている。この映画は実は恐ろしい映画で、理性による意識の深層への憧憬が、最後に現実を壊し、圧倒し、再生するのです。

 やはりこの映画は、3d映像以上にそのプロットの精巧さに凄さがあります。単純そうで実は全然単純では無い物語なのだよねこれは…。

posted by サロドラ at 23:24| 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする