2010年10月30日

Manuel Göttsching


 前に別ページに紹介もしたのだけど、Manuel Göttschingの「E2-E4」を最近よく聴いてます。前述の歌うクジラのBGMにも最適だし。道を歩きながらこれを聴いてるとまるで周りの風景が違う風景に見えてしまうほど、凄く触発される本当に名盤。

 しかしこの音源は30年越しでやっと世評が定着してるという…。これが制作された'81年、リアルタイムでその音楽的空気を知ってるから言えるけど、その当時これを理解できたリスナーは誰もいなかったと断言できますよ(笑)。普通の音楽ファンはおろか、この人の名前を知ってたマニアなプログレファン、アシュラやタンジェンリンドリームなんかの嗜好の人でもこれは拒否したと思う。

 制作時の81年そしてこれが発表された83年は、テクノポップなんて言葉はもう死に向かってる途中で、多くのギターファンはメタル一辺倒で、正統派プログレファンは変拍子の嵐でホールズワース系のフレーズで、とかそんな時代だった。勿論これはかなりマニアな部類の人種で多くの普通のリスナーはMTVを観て、マイケルジャクソンのPVや、ジャーニーやトトにうつつを抜かしてる時代であります。

 そういう時代にどうしてこんなものが突然変異で生まれたのか、わかる気もするし、単なる偶然である気もします。でもその10年後に生まれる音楽観が確実にこれを再評価し、その20年後に生まれる音楽はこれから更に別の音楽を生み出した。ここまでは完全にミュージシャンズ・ミュージシャンだけど、更に30年後にやっとマニアな音楽リスナーにやっと届いてる模様です。

 ミニマルテクノと言えば一番近いけど、そう言ってもちょっとずれてしまうブルージーな決して巧くはないギターフレーズ、ダンスミュージックにもなり得るけど、そういう意図はおそらく無い…というカテゴライズ不可能な1時間近くある曲。CDすら無い時代にこれをリリースしたのも凄いし、テクノポップの時代にミニマルテクノなんて概念自体が無かった訳で。

 思うに本当に良い音楽はカテゴライズ不能な音楽になる筈な気がします。アイディアが誰かの模倣では無いのだから。でも構造や技術は何かの模倣や反復ではありえます。しかし感性は模倣してはいけない。




posted by サロドラ at 22:45| 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月24日

歌うクジラ


  村上龍著電子書籍版『歌うクジラ』を読んでます。うーん、この人は非常に才能のある作家だというのを改めて感じました。これは確かにiphoneの様なアプリで読むのに相応しい作品で、紙媒体で読むのとは全然違う体験だと思います。章ごとに坂本龍一の音楽が流れるのだけど、できればこれに動画映像とか、もっと積極的なサウンドアレンジを合体させるとか、さらには朗読か、アフレコすら交えて映画に近い『文学作品』を最初からリリースすることすら出来そうですね。たぶんこれからの言語表現は間違いなくそうなると思います。

 いやー、しかし本当〜に面白い時代を生きてる実感があります、、そう思うと気分がなんか良いですね。よく考えてみるとこれは本当に感謝すべきことだと思うのです。

 そして未来をさらに面白くするのは自分自身だし、今この文章をたまたまお読みの皆さん自身なのです。

 世の中暗い事件が多い、だとか汚職が多いだとか、という風に一見見えるけれど、実はそれらの日々のニュース素材の背景をよくよく見抜くと、間違いなく世界は自己超克を重ねているし、日々良くなってきている。…そう思います。

 隣の中国なんか見ても、こんな時代に情報の統制や制御なんて実質もう不可能な訳で、いくら昔ながらのなんともわざとらしいデモを演出したってもう無理なんだって‥。遅れてきた第三世界は、いわゆる『普通』に成っていき、先進国は過剰の中で模索している。

 これは結局、共産主義なんぞに頼らずとも、権力の集中するスタイルの社会構造がもう根本的に無理だという事だと思うのです。

 今の日本の政治の混迷こそが、まさに世界に先駆けて(?)それを物語っていて、権力はもう権力ですらなく、『調整役』に過ぎない。こういう時代は政治などはもう本来の政治の力、とかダイナミズムを持たない訳です。

 国家の政治だけではなく、社会全体、あらゆる業界、もちろん音楽業界なども含めて、至る所それが見る間に顕著になりつつあるのを感じます。

 ‥で、さて創造的であろうとする我々の様なタイプは、まさに政治に変わる『本当の力』を行使できることを願いましょう。日々、自分に課し、また人に教え、…としている事はまさにそういう偽りの無い『本当の力』に関する事だと自分は思っています。

 何しろそれは『権力の虚構や嘘やでっち上げ』を破壊するものであると同様に『個人の嘘や虚構』をも破壊するからです。

 それは簡単に言って『ごまかしの効かない良い時代』という訳です。実際、嘘や虚構で作り上げたものなどはもう私達には必要がありません。この10年くらいは、そういう入れ替わりが各所で激しく起こるのでしょう。それはおそらく本当に良い時代の幕開けなのです。

 可能ならば、その幕を開ける役割が、自分自身であり、わが戦後日本の文化であり…、でありたいと思います。

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星座アプリで、夜の空を眺めてみた。いつも疑問に思ってたツブツブの小さな星集団とか、知らない星座とか興味がつきない。そう思いながら座標にある流星群の方向を眺めた瞬間、本当に流れ星が瞬いた。なんか得した気分…(笑)。


posted by サロドラ at 18:26| 文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月09日

Geoff&Amos


 先日は以前に単独でそれぞれ聴いたGeoff muldour&Amos garrettの合体型のライブをcafe de dadaで楽しみました。

 societyの若い研究生達も多数参集して、我々の一角だけが客席の平均年齢のほぼ半分以下でした(笑)。でもきっとそんな若い音楽リスナーが熱心に耳を傾けてくれるのはステージの2人にとっとも単純に嬉しいことだったんじゃないかなと思います。

ネット上のブロガーの方々によると、初日の横浜公演では細野晴臣さんほかゲスト多数だった様です。でも超至近距離でゆったりとお二人の生音を鑑賞する贅沢はこちら田舎サイド特有の味わいで、まったく素晴しい。まさにsmall town talk(この曲、今回はほんと涙腺にきました…)!

 僕らの世代以下のリスナーにとっては2人セットのライブは初めて(そしておそらくこれが最後)聴くのだけど、それぞれ単独ライブの時とは全然違う凄く深みのある音楽に成っててまずそこに感動して酔いました。better daysが何故あんな名盤になったのか目の前で極上のアンサンブル方法を眺めてよく理解できました。

 体はもう割とよぼよぼっ、という感じ(失礼)の2人のプレイしてる内容は、ギターにしてもvoにしても実に『自然に巧み』で、成熟、円熟と形容すれど、でもよくその音楽の内面に入って聴いてると、若い頃の音楽世界と変わらない、という肉体の年齢を超えて精神の世界だけが逆に露出して聴こえるから不思議です。音楽の本当の魔力を聴いたような気がします。

 ↓『なんて名前!!!』とお書きになったのはGeoff氏です(笑)
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さてこちらも頑張りませう。わがsocietyの年末ライブは今回は普段の3倍のボリュームで大々的にします。



posted by サロドラ at 23:52| 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月01日

MUSIC PV


MUSIC PV produced by SALONDORANJU



The water of saraswati / SALONDORANJU
 


↑10/3 openingをリメイクしました。

$$$


 今日は秋吉にぶどう狩りに出かけたつもりでビデオでも撮影しようかな?と、思ったらビデオカメラを忘れてしまい、iphoneで動画を撮影。ところが興が入り帰ってそうそうに編集してみたらPVらしきものが2本完成したという…。ワタクシ、気分だけはもうジョナス・メカスに成りきっています、はい(真剣そのものの表情なり)。今日だけは本当に自分が天才かと思いました。…いや、まじめです(やはり真剣そのものの表情なり)。

このPVの音楽はもう数年も前に仕事関係で制作したものです。映像は今日撮影してのち数時間で編集しました。なにか憑いているのでしょうか?(それでも真剣そのものの表情なり)


æææ

いつもながら美しい弁天池のエメラルドグリーン
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ぶどう狩りの素映像も(ぶどう狩りをするジョナスメカスサロドラなり。なんか詩的な台詞でも喋れば良かったかしらん?)

そういうわけで山盛りぶどうを袋詰めにして嬉々として持ち帰らんとするサロドラ。
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posted by サロドラ at 02:08| 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする