2012年05月17日
musical innovation
ふとColdplayの昨年出た新譜『Mylo Xyloto』をituneでダウンロードして聴きました。1st,2ndが秀逸なだけに正直3,4枚目が全く好みに合わずあまり聴いてなかったのだけど今回は案外良い…、けれど……………。。。。
基本的には彼らの表現センスのファンだけど、しかし前回、前々回のアルバム共々どうしてこんなに音が悪いのだ???おそらくマスタリングだと思うけど、もしかすると制作アプリの問題かも知れない。これは彼らだけでなく、この10年以内の最近のイギリス産ヒットチャートミュージック独特の傾向だと思う。。。むしろ巷の最新型インディーズ作品の方が音が良い。その理由はなんとなく幾つか考えられます。
今回の作品は、前回よりもやってる事が音楽的にはとても良いだけに、ipodのイコライザーをいじりながら、何か喉に詰まる様な不満を感じながら聴いてしまいましたがナ。。
…で、歩いて自然界の美しいフラクタルな幾何学形を眺めながら、このアルバムを聴いてて凄く思ったこと。
これは昔からずっと思ってる事だけど、ヒットチャートを制する音楽は、「大衆なるもの」の最大公約数の様な場所に標準を合わせて、マーケティングの様な手法によって制作します。しかし、その最大公約数自体が、個人の一番フィットする触覚からは大きくずれていて、結局不快であり、そしてその問題は、世界中のほぼ100%と言える多くの現場制作者がそれを感じておきながら、また真摯な音楽ファンもそれを感じながら、その状況は漠然と変わらない、という事実です。
ヒットチャート上の音楽で満足していると感じる多くは、音楽なんて大して好きではない、というロウワーな層のリスナーな訳です。
世界の割と良質なシーンですらそういう感じな訳だけど、日本産のヒットチャートシーンは日本の携帯電話と同じくらい世界からガラパゴス化した状態で、更にそうな訳です。
S. ジョブスは日本の家電を評して『海岸を埋め尽くす死んだ魚』という有名な語録を残しているけれど、強烈で、しかも言い得て妙です。
田舎のレンタル屋さんとかでずら〜っと並ぶ日本のチャートミュージックのタイトルを漠然と眺めると、ジョブス氏の言葉をそのままそこに適用したい。。(あぁ、店の横の棚をふと見ると、短い賞味期限を切らしてた見るも恥ずかしいタイトル達。。。)
ジョブス氏が消費者マーケティングによる創造を否定した様に、本当に良いものは、ある種の個人性にその源泉があり、さらには言うと創造者の独善性にこそそれは存在します。日常の実用品たるデジタルデバイスですらそうなのだから、個人的な嗜好品たるアート、芸術の一分野が、もしもそうでなかったら、それらは海岸の波内際に浮かぶ、漂着した魚の山でしょう…。
で、もともとセンスが高くそれなりに実力のある売れたバンドやアーティストが、どうもその後いまいちになるのも、ハイコストをかけて制作が大掛かりになり、こうした創作者の独善性が効きづらくなるのがひとつの原因です。
…という感じで、ジョブス氏の人生を賭けて成し遂げたデジタルイノベーションを、こちら音楽コンテンツでも成し遂げるのこそ、これからの音楽人の使命だな、という考えに自然界の幾何学模様を眺めながら率直に思いを馳せました。実際、チャートの水面下ではもうとっくにそういうのはもう変化してるのだけど、大きなマーケットのチャートシーンでそういう変革があれば良いだけだものね。音楽の進化&革新の世界人口70億への敷衍。これこそがこれから最高に楽しいモチベーション。
↑やっぱColdplayはこの頃が最高
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ところで度々だけど、村上春樹の電子書籍はまだなのか?
音楽業界以上に頑なで鈍重な出版業界を誰か早くなんとかして…。これをすればこの国の出版不況なんてすぐに無くなると思うんだけど…。
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もうずいぶん前から公式サイトで見て気になってしょうがないが、これは日本で飲めるんだろうか?ぜひ一口飲んでみたい。。。