2012年06月15日

にっぽん製


 三島20代の頃作品『にっぽん製』を読みました。これがおよそ三島らしくない切れの無い文体、凡庸極まりない設定、で逆に非常〜に面白かったです。

 これはおそらく『禁色』を書き終わる頃に上梓された作品なのだけど、大作の禁色と好対比をなす脱力の佳作とも言うべき作品で、ギリシアやヨーロッパを生体験して帰国直後に日本が誇る天才作家が腕力で描いた、人工美の極地とも言える『禁色』に対して、脱力、そして気の抜けた、そしておそらく、これこそ三島の仮面を脱いだ素顔の告白とも言える、大衆的かつ、三島にすればなんだか太宰めいた卑俗に過ぎて逆に、何か本物の気品が陰にほのかに漂うような不思議な作品です。 

 まるで鋭利な毒に満ちた、禁色の毒消しの為に描いた作品の様に見えます。

 西洋画を技巧で描いた禁色に対して、畳にあぐらをかいて恥ずかしい、でももしからするとそれは実は尊い「にっぽん」を作家的技巧をほとんど意図して排して描いたかの様です。

 でもこんな恥ずかしい大衆性や卑俗を、何の構えもなくしっかり描けるからこそ、やはり天才的に巧い作家なのでしょう…。

 その名も「正」という名の(しかし何も考えてないネーミングだこと)主人公の柔道5段の絵に描いたような純日本的好青年は、まるで禁色の主人公のゲイの美しい人工的な青年の裏の姿の様です。この名の通り「正義」を代表させる主人公です。

 パリ帰りの機内から空港に到着する冒頭シーンで出会う「美子」というデザイナーの女性。森英恵がモデルらしいこの女性に西洋画的な美を。

 金持ちのパトロン紳士「金杉」(これまた何も考えてない名)には寛容を。

 正の若い泥棒の子分の「次郎」には忠義を(次郎長か?)。

 西洋画の猿真似の俗悪な売れっ子画家「阪本画伯」(この名に20代の三島の編集者だった坂本龍一の父と何か関係あるのか?)にはまさに悪を。

 こんなベタな発想も、おそらく本物のヨーロッパの重厚に触れて帰り、もう開きなおりで描いたとしか思えない(笑)。


 でも、David Sylvianもインスパイアされたという、あの美しい禁色よりも個人的にはこちらの方がなんか好きかもね。何故なら三島自身がこちらの世界、こちらのリアルな人物の方が、本当は好きなのだろうと思えるから。

 この正という主人公を読んでまず思い出したのが、三島が西郷隆盛の銅像を眺め「あなたの本心を自分はよくわかってなかった」という悔悟と敬意の念を三島が書いていた事で、裏表の無い、素朴で、信念に強く、素直に清明な人間性というものを愛していたことに、素直な共感を持ちました。

 昨今、妖怪みたいな珍獣が表に闊歩してるのが多いのだけど、余計にこの作品はなんだか素直に良かったです。

 ところでこのタイトルも『Made in japan』と翻訳され、LAあたりでもしも今、読まれたとしたら、おそらく今のハリウッドの業界人なら映画のプロットに選ぶと思いますよ。


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 作品中

 西洋空間を代表するシーンに登場する蒲郡ホテル
 http://www.classic-hotel.jp/

 日本空間を代表するシーンに登場する環翠楼(このシーン、とっても良い)
 http://www.kansuiro.co.jp

 
 '52年に描かれた作品だけど、今でもその舞台が立派に存続しているなんて…。


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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120615-00000111-reut-int

 私の尊敬する古代の強烈な叡智あるギリシア人達はどこへ行ったのだろう?

 アテナの目に落書きをする愚かな人々が滅びさる運命にあるとしても惜しいとは私は思わない。

 この様な絶後の危機への対処法こそ、己の宝の様なバックグランドにこそあるというのに…。

 我が日本はここから学ぶべきである。






posted by サロドラ at 04:07| 文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする