いつも新刊を上梓されると、御厚意により教室に献本くださっていて今回も発売日に
出版社から発送して頂いた本です。
そのお陰様で、いつもそれらの本を授業の終わったお迎えの待ち時間に、子供達が食いつく様に読む、という風景を僕は授業しながらこっそりと眺めています。
著者は1周年記念読書会でゲストのホスト役をしていただいた友人の児童文学作家のさとうまきこさんです。
前回、サロドラもモデルで登場していた長編小説『
僕らの輪廻転生』に続き、自身でもこのところ数回インドに渡印され、進境著しい状況で上梓された佳作で、頂いた日になんとなく最初の数行を読んですぐに「これは傑作だ!」とすぐに僕は直感しました。
引きこもりの中学1年生の少女『千種(ちぐさ)』が主人公で、不思議な訪問者との出会いと別れから、人間的成長をする物語りです。
この本のタイトルの帯などからすると、どことなく最近流行の自己啓発系にも見えるし、復活、または再生、そしてイジメや不登校といった時事社会問題の観点の作品である、との価値観から書評をされる人も多いかと思います。
しかし私が大きく感銘を受け、震える様な感動を覚えたのは、寧ろそういう観点ではない部分でした。
そこには素晴らしい宝石の様な文章やシーン、台詞が読み取られ、そこに大きな感動、強い感銘を受けました。そういうちょっと違う観点から、ここでぜひ小さな紹介の様な書評を書こうと思いました。
ネタばれを少々含む事をどうぞお許しください。
まず、引きこもりにいたる少女「千種」のリアルな日常風景が描かれます。さとうさんの作品の魅力の一つは、このリアリズムにあって、普通は削ぐ様な部分が詳細に描かれるという手法で、なんとなく、ついつい次に読み進む様に読者を引き込む文体です。東京に普通に暮らす中学1年生の少女の姿が、ベテランの筆先で描かれています。
そこまでは、いつもの「さとうまきこさん節」なのですが、突然現れる、くすのきの木の精からの展開が驚くべき様相をとり始めます。
日本の古典文学、または最近の大人向けアニメで描かれるアニミズムの世界が、実に日本的に登場するパターンは、著者をよく知る私には少し意外でした。そして、そこから色々な意外な訪問者達との出会いが始まります。そして、それは突然、ふいに別れに繋がります。
中でも私の目を惹き付けたのは人や全ての生命の影を支配し、調整する影、という存在でした。いわゆる彼は闇の住人です。
しかし、本来は闇の住人である彼が心の底から望んだのは、太陽を人間の目を通して見る、という事で、どんなにそれが素晴らしい光景なのか、、千種に語りかけ、そして2人で江ノ島に眺めにいく、という影という存在にとっては切実な願いを持ちます。
それはまるで、インドや中国の聖仙の様でもあり、また盲目の障害を長く負った人の魂の内面の姿の様でもあり、、他の動植物とは一線を画する存在として登場します。
また動物にしても、普段はどちらかというと疎まれ、嫌われているにも関わらず、彼らなりに懸命に世界に貢献している存在です。
海を見たい、と願って旅する猫などには、僕などは、やはりかなり強い共感をせずにはいられない(笑)。
そして、私は読み進めながら、「もし自分が著者ならこんなリアリズムで描けるだろうか?」と疑問に思い、もっとファンタジーを詰め込んでしまいそうな妄想を感じながらラストシーンまで読みました。
例えば、先の影の影は、人間の姿になる時点で、突然、千種と同じ年頃の美少年に化身して千種を驚かせる、とか…。
そんな感じで読み終える頃には、別の3通り以上のストーリーが私の脳内に同時展開しながら、それもそれぞれに面白かった、という…。我ながらこれも変な読書の仕方だと思いました。。この一つの本で3つ、4つの別系統の物語りが、私の脳内を駆け巡る、非常に変わった読後感(?)を私に残しました。
私は、この作品は何も引きこもり中学生とかではなく、至極、普通の学生、普通の会社員の大人の人、普通に暮らす主婦の人、にこそ読んで貰いたいと思う作品です。
その様な人にこそ、意外な世界の深い生命の見方をこの本は、とても自然に開いてくれます。
そして、読み終わった後、ちょっぴり私達の心を優しくしてくれる本です。
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ps
引きこもり少女でも、家出少女でもなく、家出おっさん(?)の様相の私ですが、この本の中身、そのままの体験を先日しました…。。。
いつも何か気落ちしたり、考えごとをすると、自然に行く秘密の場所が、16歳の頃から変わらず僕にはあります。
そこに16歳から変わらず同じ長椅子があり、そこで有機野菜の弁当を食べたり、音楽を聴いたり、考えごとをしたり、本を読んだりします。
椅子に横になると、16歳から変わらずそこにある木が僕を枝葉で覆う様に見てる。その木はずっと変わらずにそこにいて、僕を眺めている。
その葉を眺めていると、そんなに永い時が自分にたったとは全く思えないし、そんなに自分が変化したり成長してる、とも思えない。相変わらず、僕は16歳の僕で、その同じ木は相変わらず、僕を覆って眺めている。
下を眺めると、地面には手入れされた苔と芝生がこれも相変わらずそこにあり、よく観察すると、色々な名もない植物、木の実、蟻やバッタ、昆虫、がなんだか忙しく活動している。
僕を見続けている木の名前を僕は知らない。
そうして、僕はここでは、相も変わらずやっぱりどこか気落ちして、遠い青空を眺めている。澄んで美しくて、そしてまるで畏ろしい、狂気にすら見える青空を。
この何年かは、普段はよく、僕とはよく顔見知りの猫が一匹、音もなくやってきては、僕のすぐ側に必ず座り込んでは、ジ〜ッとしてるのだけど、その日は、饒舌な猫も一緒に連れだってやって来て、その猫は僕の顔を眺めながら、何か喋りながらやってきた。
それは本当に言葉を喋ってる?と思うような喋り声で、思わずこっちも「ニャ、ニャ」と喋ってみたりして、何となく会話めいてた。
僕の顔を瞬きしながら眺めて喋る、その表情を見ても、喋り方、声を聴いても、「ま、そんなに悩むなよ」、とでも励ましてくれてるかの様に聞こえて、思わず一人で笑ってしまった。
で、すかさずiphoneで記念動画を録画した、という…。