2013年11月24日
HHR X'mas special live 2013 "Play jazz rock&crossover tunes"
2013 12月23日 at Organ's Melody
http://www.salondorange.com/hhr13.html
山口県内では1年ぶりのHHRのワンマンライブです。今回は、jazz rock、cross overなどの私達,HHRメンバー全員が、プロの音楽職人として音楽技量の側面で、最も影響を受けたトラックを中心としてライブを構成します。それらを今日の若いミュージシャンはあまり知らないと思います。またそれらが生演奏で再現される場合も今日ほとんど無い様です。これらは我々だけではなく、高いプロ意識を持つ世界中のスタジオ・ミュージシャン、音楽職人達に強く影響を与えたトラックです。また、それらは本来、sax,keyboadなどのカラフルな楽器編成によって、サウンド・カラーを決めていますが、それらをギタートリオのミニマムな編成で完全なサウンドの再現を試みます。HHRは”Hyper Hybrid Rock”を標榜するバンドですが、全員が『創造性』に於いて強烈なジャズ魂を自己の中心に持っています。メインストリーム・ジャズといった、唯、型だけのジャズに対する我々の強烈なアンチテーゼとして、本来の創造性の高いジャズの在り方を賭けてプレイに望みます。
特に若いミュージシャン、リスナーの方、珍しい選曲の生演奏を聴けますので、ぜひライブに参戦ください。
チケット予約 お問い合わせはSALONDORANJU MUSIC 083-928-0389
salondoranjumusi@csc.jp
{HHRのコンセプトの原型となった昨年のライブ・セッション。SEでたまたま流れていたCDの曲の著作権により音が消されていた為(Googleめッ!)、再editしてアップしました。どうぞお楽しみください。
2013年11月23日
「11月23日」という日
今日、11月23日。
日本人という民族にとって(もしかすると世界中にとっても)、本当はこの日こそ1年で最も神聖な1日です。本来的にこの日は日本人にとって、キリスト教圏に於けるイエスの誕生日であるクリスマスに等しい祝祭の日です。
いつも不思議に思うのですが、どれだけの日本人がこの事を、単なる風習ではなく知的な理解をしているでしょうか?
学校教育では未だに戦後のGHQの施策を引きずって、日本固有の神話や物語りを子供に教えない。おそらくそれが原因なのでしょう。
この日は勤労感謝の日、という共産主義的な匂いのする全く意味不明な名前でずっと汚されている。そんな奇妙な名前とは無関係に、日本人にとって永い間、この日は祝祭の日でした。
この日は全国でも、神社の秋のお祭りが各地で開催されており、ここ山口市でも天神祭が商店街で神輿や稚児行列などが盛大に行われ、数日前から辺り一面に紙垂が飾られています。
毎年この数日間は、普段の商店街の雑踏と言えど、何か、神域の様な清らかな気が、辺りを覆っています。
この日、伊勢神宮では新嘗祭がおこなわれていますが、この祭りは飛鳥時代から1500年くらいは続いています。しかし、これはこの名義、スタイルの祭りとして、という意味で、おそらく本当はもっと古くから連続している儀礼(ともすると何千年、何万年の可能性も…)だと私は考えています。
全国中の祭祀はこの伊勢神宮で行われる新嘗祭を本意として行われています。
そこで、この新嘗祭の『嘗』という漢字の真意を、書家として、今日のこの日に皆さんに知って頂きたいと思います。
嘗の上の部首、縦、点、払い、の部分は、元の象形では、横棒に斜めの線が描かれ、それは幽気が立ちこめている姿です。
その下のワ冠は、御霊屋の屋根でその下の口の部分を「サイ」と呼び、これは神への祈りの祈祷文を入れる箱型の象形です。
そして、その下にヒの様な形の部分は、人の屍が横たわっている形を意味し、その下の日は、玉(ぎょく)という水晶玉の形で、この文字全体が古代の一つの儀礼の姿形をしています。
そして、この儀礼の元に、上に描かれた幽気の部分こそ、目に見えない神が姿を顕わし顕現することを表現しています。
これは即ち、1年に1度、神を儀礼によってお迎えし、普段は目には見えない神がそれに呼応して姿を顕わす、という事を意味しています。
ちなみに、当の旧字体「當」や、「尚」という字もこの意から派生した漢字です。
天皇即位の際に行われる、1代に於いてただ1回だけの、この新嘗祭を大嘗祭と呼び、実質、天皇が個人を捨て、天皇という地位に即位する、という、おそらくそれは南方のポリネシアあたり周辺から古代に伝わり、まさに弥生以降を経て飛鳥時代頃、農耕儀礼の態を為し新嘗祭としての確立をして、そして21世紀の現代の今に至っても日本に連綿と続く、世界にも類をみない特殊な形態の古代儀礼です。
クリスマスは意味不明に馬鹿騒ぎしたり、プレゼントを送りあう我々ですが、本当に大事な日は、今日この日。
またこの11・23、という西洋暦の日付の確定は割と近代なのですが、この数の日付の確定には深い儀礼的な意味を持っています。
しかし何故、多くの人は本来の意味というものを忘れ、意味を喪失してしまっているのでしょう…?
私にとって重要な問題として、意味を失った人間が、何かもの創りをする時、やはり意味の無いものしか創り出す事ができません。
意味、というものを我々は失ってはならない。
…しかし、一般論として意味が忘れ去られているとしても、非常に感動的な事に、その所作は確かに、まるで無意識の営みであるかの様に、連続し続けています。
この様な驚くべき連続性こそが、日本、そして日本人という民族の最も根底的な力ではないでしょうか。
これ程の永い時間の連続性を現代社会と融合しながら保持し続ける高い能力を持っていたのは、地球上全体を眺めても、結局この日本だけでした。
海外のどの国、どの民族も、これを真似する事などができはしない。
王族は滅び、皇帝は革命によって駆逐され、固有の文明の連続は、外来的世界宗教と、テクノロジーが破壊を繰り返してきた。
ところが不思議な事に我が国だけは、これらの難を、特に難ともしないで驚異的に極自然に逃れ続けている。
この本当の秘密に触れる時、日本人は、真に日本人でありうると私は思っています。
余談ですが、steve jobsのあの有名な言葉「stay hungry,stay foolish!」の言葉の発案者で、ホールアースカタログの制作者、stewart brandは、1万年の時を刻む、という長時間の連続性を意味する時計を創り、時間の連続性と、その視点からの文明をオーガナイズしています。
その維持システムの最良の見本に、伊勢神宮の式年遷宮のシステムを選んでいます。それは、それが生きた文明に於ける時間の連続性に関して、世界最長であるという認識からです。
人類はその大きな視点から、世界の環境を考え、ひとりひとりの人生を創造し、安定した文明を存続させようという本意だと私は理解しています。
2013年11月21日
2013年11月17日
Daevid Allen "you me & us" at Organ's Melody LIVE MOVIE
(ツアーオーガナイザーも務めたられた ユミさん,Daevidさん、Chrisさんのチェックを入れて頂いて、OKでしたのでyoutubeに公開しました。一晩のライブ全体が素晴らしい出来だったのですが、その1曲目です。)
カンタベリー系、ジャズロック、サイケデリックロック、の礎を生み出した人物の音楽的本性がよく顕れている貴重な映像です。そしてそれを包む様なリズム隊の自然なアプローチも素晴らしい。
さらに、どうしようもなくWilliam Burroughsを感じさせるエスプリが、私には堪らなくヤバい。
アメリカのDylanに匹敵するビートジェネレーション文学の音楽的体現者、Dylanがアメリカでそうである様に、そこから数多くの音楽表現の種をヨーロッパに撒いた人…、と、どれだけの数の音楽ファンが認識してるのだろう?
Jimi Hendrixと同世代、音楽表現や功績的にも同格のこの人を生体験できたことに感謝。
2013年11月16日
努という漢字
こりゃまたひどい。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20131115-OYT1T00394.htm
(↑ニュース記事がリンク切れのため、こちらを勝手にリンクさせて頂きます。https://volar.theshop.jp/blog/2018/07/23/214519)
これはいつも授業でも、私はよく教えるのですが、『努』という漢字の成り立ち。
「おんな」の「また」の「ちから」、という風に、漢語、漢字を日本語訳にした訓読みで、本来外国語であるその語彙、成り立ちを読み解こうと思う時点で、教育者として絶望的ですがな……。。。
「おんな」はまだ良しとして、、、又は「また」ではそもそも無い。これは「右」という漢字の左払い、横棒、の上部のパーツと同じ形で漢語的には、これを「ユウ」と読みます。
この「ユウ=又」とは、右手の手のひらと右腕の上腕部の形の象形で、このパーツだけで、まさしく右手を意味します。
即ち、努という字の上のパーツ、「奴」は、女(女性を含む弱者全体を結果意味する)を右手で捕まえ、奴隷化する事を意味します。
だから奴は奴隷という語の「奴」でしょう?
そして、奴の下に心をいれると、「怒」ですね。
すなわち、「怒」とは奴隷の心、、その様な鬱積した心の様態です。日本語訳で「おこる」という語彙と、本質的な感性がまず違っています。
という訳で、努力の「努」とは、奴隷の力。日本語の「つとめる」という意味合いでは本質的にありません。
すなわち、隷属し、無理矢理に使役され、酷使される側‥、そういう者の力です。
よく先生、親は、子供に言いますよね。
『努力しろ』 『努力が足らん』
‥‥‥‥いいんですよ、そんなくだらん事などしなくても。(自分の子供や生徒を「奴隷」に育てあげたいなら知らんけど。)
『勉強につとめなさい』…これならまぁ良い。
…しかし漢語で『努力』、、、こりゃいかん。
んで、この悪徳園長先生。確かにこの「努」の漢字の成り立ち通りの行為を、全くそうとは知らずにしてると言う……(哀しく苦笑)。
まさにこの「努」という漢字の成り立ち通りの愚か者丸出し行為を、(間違った意味で)口にし、(正しい意味で)行為してるという事実。。。
これこそ、言語、そして漢字という文字の、本質的な力の発現をみている訳で、恐ろしい誤謬です。この様な間違いと、それゆえの哀しく滑稽な悲惨は、(日本の歴史上)世間一般に深く浸透しています。
その矯正こそ常々、私が書道を教える時の重要なモチベーションの一つとなっていますが、書道とはカリグラフィー、習字、単なるデザイン、などとは本質的に異なっているのも、こうした部分の知的理解、読解、そしてその体得と、コントロールする力にこそあると私は思っています。
本質的な意味に於いて、『書』とは、世界を生み出し、創造する力の根幹を成すものです。
…で、私が口酸っぱく皆に伝える結論。
「努力」などしてはいけません!
己の力が内側から、そして魂の底から湧いて来ないくだらない事は最初からするな。
本当の己の力を誰に言われずとも、みずからの内に自然に、充分に湧き出ている力から出せ。
みずから、宇宙の自立した全ての力がそうである様に「精進」せよ。
そうすれば、誰でも天才かつ自由であれる。
ps,
この「自由」の通りのライブイベントを、来月、私達は現実に皆さんに体験して頂きます!情報は追って告知します。
2013年11月11日
映画『Steve Jobs』
http://jobs.gaga.ne.jp
公開を待ちわびていました。
何しろ、私の最近の読書の中で結局リピート率が高く、もう興奮して何度読み返したか解らない程面白かったのは、ジョブスの自伝でした。その周辺関連のもの(昔の廃版本も含む)もほとんど通読し、その人生の全貌がおよそイメージできるのだけど、しかしどれを読んでも、やはり感動と元気が、まるで泉の様に自然に湧いてきます。
つまらない冷たいコンピューターを面白いコンピューターに変えた張本人、そして個人が個人の力を持つ世界に具体性を持たせた張本人、モバイルデバイスのあり方を変えた張本人、音楽制作、音楽産業の構造そのものを変えた張本人、、、こんな色々な張本人を結局、独りの感受性だけで実際にやってのけた、なんて未だに信じられない。
…その恩恵の基にできあがった素晴らしい作品がどれだけ世界中に沢山あるだろう?
また例えば、個人が全く個的に制作し、こんな風に自分の心を直接、世界中の人に伝える事ができる世界。
こんなことが成り立ち得るのは、直感的なグラフィカルユーザーインターフェース、タッチパネル・モバイルデバイスの世界的普及に全て依っている訳で、流行のsnsも「携帯電話」のままだったら今の姿には成っていない。
その様な人物の感性の根源に、ある1冊のインドの本があるのも、何よりも共感します。
これはこの映画では、おそらくほとんど描かれないシーンではないかな?と思うのだけど(また観てないのでわからん)。
こういう部分こそ、彼をゲイツや、孫正義氏など、単なるテクノロジーギークや実業家と決定的に分け隔てる重要な核だと私は観ています。
本、やっぱり読まないとね、駄目だと思いますよ。皆さん。
人類を変貌させる程の強烈な哲学が生まれるのは、やはり偉大な本と、その実体験からだけです。
さて、映像作品の出来映えを観にゆくか。わくわくだわい。
ジョブスという人間の本質が一番生々しく伝わるのはこの映像。
抜粋翻訳(意訳)
「病気の者(アホ社長)はアイディアを出せば作業の9割は完成だと考える。そして他人に考えを伝えれば勝手にそれを創ってくれると思っている。しかし製品化の過程でアイディアは変化し、成長する。その過程では5000の事を己の脳で考えることになる。そういう概念、思考、新たな問題、錯誤の過程で真に欲しい理想形を生み出す。その過程こそが奇蹟を呼び込む。」
「今後コンピューターは単なる計算機ではなく、コミュニケーションデバイスに変容する。ネットとウェブは未来の社会に多大な影響を及ぼすだろうね。現在、通信販売のシェアはアメリカの2割程度だけど、ウェブに移行し何百億の規模になる。世界一小さな会社も、ウェブ上で大企業になり得る。今から10年先の未来から現在を振り返ると、ウェブの黎明期が刻まれてるのを見る事になる。コンピューターに新しい生命が吹き込まれ、凄い事になる。」
「子供の頃、動物の移動効率を記録した記事を読んだ。1kの消費カロリーを計測したの数値で、1位はコンドルで、動物達の中で人は下から1/3くらい。しかし自転車に乗った人を計測すると、コンドルを蹴飛ばして、ダントツの1位だった。人間はツール(道具)を創ることによって、その能力を劇的な増幅をさせる。人類史上、コンピューターは最高のツールだ。その創世記に、絶好の場所、シリコンバレーに生まれ本当に幸運だ。」
「人類が生み出した最良のもに触れて、自分の成す事に取り入れ、盗む。我々、最良のコンピュータ・テクニシャンが優れていたのは、音楽家、詩、芸術、生物学、歴史学、の世界最高の知識を持っていたことだ。それをmacにつぎ込んだ。別分野で触れた最高の先端芸術とともに。視野が狭いとそんな事はできないだろう。」
「私が共に仕事をした最高の人々は、コンピューターを創ることを目的にはしていない。それは道具の為の道具でなく、本当に他の人と共有したい感情を伝えるためだ。昔の時代なら別の方法をとっていただろう。何か言いたい事をこの機械を使って言えるだろう、と気がついたんだ。」
2013年11月07日
Daevid Allen
たまにこの山口市という場所は、驚くべき超貴重なライブが開催されるのですけど(自分の企画物を含む)、なんか磁場でも働いているのでしょうか???
で、今日はまた凄んご〜〜〜く素晴らしい最高のライブを鑑賞しました。
Gong,Soft machine,Henry cow…という名前でピンと来る人は、まぁかなりマニアな音楽通な方でしょう。
その創始者 Daevid Allen 、Henry cowのオリジナルドラマー Chris Cutler, ロンドン在住でロンドン大学で教鞭をとられている日本人のキーボーディスト、ユミ・ハラさん、の3人によるユニット "you me & us"のライブでした。
http://www.yumiharacawkwell.co.uk/HTML/youmeandus.htm
soft machineやhenry cowは、ミュージシャンズ・ミュージシャン的には著名で、日本のJ-pop界的にも、特にアヴァンギャルド系popsの人で影響を受けてるミュージシャンやプロデューサーも私の知る限り多いと思います。またgongなども、ジャズロック系音源好きは必ず通るだろうし、これらの関係筋、特にDaevid Allenが触媒的な作用をして生まれたカンタベリー系なども、近年では好きなファンも多いと思います。
一応、こういう音源を自分も20代の頃に通過してきてる感があるのですけど、Daevid Allenの生演奏を聴いたのは今日初めてでした。
‥‥‥‥、とにかく素晴らしい。
楽しみつつも、まず、ギター弾きの習性的に、やはりアプローチを眺めていると、ここは重要だといつも私が思ってる事なのですが、音律の法則をもう完全に突き破って旋律が生み出されてる。これこそギターという楽器の本領であり、本性だと私は思っています。その自由度の高いサウンドアプローチを、drum,keyによる、即興ポリリズム、和音の規則性で縛り付けないモーダルなアプローチで、サウンドを展開していく、という素敵な音楽手法です。
ステージ前、最前列は例によってサロドラ関係筋によるかぶりつき状態で、たっ〜ぷり鑑賞させて頂きました(笑)。
その様な音楽技法的な面白さも満載ですが、更に私を強烈に惹き付けたのは、まるでWilliam Burroughsのカットアップで展開される文体の様な、ほとんど文学的な場面描写でした。
それはまるで、『The Naked Lunch』の音楽版そのものの様。
で、聴きながら、ふと思ったけれど、David Cronenbergが映像作品化したあの映画に、Ornette Colemanの音楽は、全く噛み合っていなかった。(Ornetteの音自体は独立的に凄いのだけど…)。ああいうアメリカンなフリーではなく、このユニットで展開するこんなヨーロッパ的な音の方が、余程、Burroughs的に最高にかっこ良いねぇ、、と脳内夢想しながら楽しみました。
ぜひ、、、いやっ、絶対にまた来てください!!!!!!
っつーか、もし今度来てくれたら、前座、オレが演るぞい。
納税者として言わしてもらうと、ycam10周年でやってる教授関連のライブやイベントよりも、こっちの方が、遥〜〜〜かに凄かったなぁ…。。。やっぱ、芸術家って税金で作品制作やってちゃなんか駄目、、、…っだと思った…。
色々な意味で最高〜〜っ!!!のアンチテーゼでした。70ウン歳で、こんな事を徹底的にやり続けるって、素敵すぎる。。。打ち上げまで連行して、その人柄に触れても、なんとなく妖精か天使の様な人でしたね。Daevidさん。
ユミ・ハラさん、サロドラ、Daevidさん
2013年11月06日
ブラックジャック
マンガの神様、手塚治虫。
私、ここや昔の日記にも何度も書く通り、小学生時分には漫画家になろうと真剣に毎日修練してた頃もあり、ブラックジャックも当然、重要な研究、練習アイテムの一つでした。
今でも、おそらくそっくりにあの顔を描写できる自信があります。
しかし、そういう幼少時の頃に強く自分に擦り込まれてるもの、というのは恐ろしい力を持つもので、現在の自分の価値観にも、多くの部分にそれは浸透していると思われます。
あのマンガの魅力の重要な一つに、助手のピノコの存在があるのだけど、今思うと、なんてシュールな存在でしょうか?
手塚はまずアトムでロボットを描いたけれど、ピノコは、生の人体パーツから生まれた、言わば人造人間です。
手塚マンガに触れる時、そこにはヒューマニズムが最高に巧く描かれてるのですが、そのヒューマニズムの内容は実に毒気を含んでいて、それは本質論としては病的ですらある気がします。ブッダ、火の鳥、、それらの描かれ方に、非常に重要なヒューマニズムの恐ろしい本質が描かれている。
そういう毒を毒のまま描いてる手塚作品の一つに、奇子(アヤコ)という作品があります。
これは、ヒットラーについての作品、アドルフに告ぐよりも、日本的に陰湿で、恐ろしい人間の在り方を描いていますね。
でも、この黒い側面こそ、彼をしてマンガの神様の地位に納まる偉大な作家にしている。
これは子供受けをする藤子不二雄の漫画に、やはりその様な黒い陰影をはっきりと宿していて、その面もまた純粋にアダルトな形で作品化されているのと同じです。
そういう陰影がはっきりある作品や作家こそ、ファンタジーをリアリズムとして描けていると思います。
…で、私の得意の自慢ネタで、人に吹聴してやまないのですけど(笑)、このブラックジャック連載当時に、漫画家志望であった小学生の私は手塚治虫御本人に直接会って、まさにブラックジャックの単行本にサインをしてもらった、という。。
小学生の私は、彼のペンの持ち方、筆勢などを、生で凝視して観てました。
何しろそれはもう、自分が毎日練習してる、そのお手本の絵を描く御本人が実際に描く姿を真近で生で見る、という衝撃的な場面で、今でも、そのお姿をはっきりと記憶しています。
神様のお手並みをその手元で鑑賞した、という。。
私は書道を3歳くらいからずっと臨書練習をしてたせいで、線を描く、という事にはかなりな修練を既に積んでいたのですが、顔の描き方、表情をどう出すのか、またそれ以上に人間の情感やエモーションをどう表現するか、という部分は手塚漫画から、当時はかなり学んだ気がします。
で、それは結局今では、漫画ではなく、音楽、特に演奏、プレイスタイルの側面にとても役に立っているという。。。
この状況は小学生時分の私には、ひとかけらの予想をすら出来ない事でした(音楽、というか学校の音楽の授業が、とにかく大嫌いだった)。
…これを思うと、子供が本来持つ可能性はまったく未知に溢れています。
しかし、今でも不思議なのは、そんな小学生時分に、何故、東京を私は一人で自由行動をしていて、たまたまそういうチャンスに偶然に遭遇したのだけど、その経緯が、なんだか記憶に曖昧です。何故そんな出来事があったのだろう?
…………………………………………、、、、と、書いてて、はっきり思い出した!
あれは、丸の内、東京駅の前だ。新幹線の待ち時間が長くて、両親は駅の構内で映画を観てたんだ。それも確かアダルト系な成人映画だった(それしか暇つぶしのネタが無かったらしい)。で、小学生の私は、独りでそこらを歩きたくて、丸の内界隈を歩き回っていたんだ。
忘れてたと思ってた記憶…。全部思い出せる。丸の内側の東京駅の景色。そして、デパートのビル。その階上で手塚治虫の原画展覧会があって…。そうだ、そうだ。
あぁ、もう記憶から消えたと思ってた自分の大切な記憶を、今これを書いてて取り戻した…。