もう
6年も前に初めて偶然触れる事になった古代文字の刻まれた石を再訪しました。今回は前回行っていない丘陵の頂上にある場所がメインです。
詳しくここに書き記す事は不可能ですが、そこには時の糸が結ばれ、この様な文字を書いた人たちの本意を確かに自分の心の内に発見しました。

人は何故、文字を書き始めたのでしょう?
そして何故、言語を話し始めたのでしょう?
それは『時の糸』を結ぶためです。
それが無ければ、時は糸を織ることができません。
何千年か、何万年か、もしかすると、何億年か、、
その時の連続の物語は、それが表れるや否や、瞬間の中で消えてゆきます。
その消失を止めるのは、言語による文字だと古代の人間は発見したからです。
現在では当然過ぎる使用法の、横、すなわちこの瞬間、世界や人々を結ぶコミュニケーション・ツールとしての言語と文字は、本来意図した使用法ではありません。
現在のこの瞬間の同時体験を共有するのに、言語も文字も必要など無いし、それらが生み出す観念は寧ろ体験の神聖な程のリアリズムを、人間の卑小な脳内に納まる様に概念化し、抽象化し、ねじ曲げてしまいます。
即ち、そこでは本来、それら言語、文字など、莫大な情報を濁らせる邪魔者でしかありません。

神域の中に無造作に祀られる文字と、古代では神殿ではなかったのか、とも推察される丘陵の文字を僕は眺めていて、その貴重な「糸」をはっきりと心の脳裏に観ました。
あまり人々に振り返られもせず、置き去りにされた、これらの石の存在に敬意を込めて、インセンスと献火を捧げて、言葉と文字の本当の意味を回復した気がします。
…そして、この時の糸を僕に結んだのは、日本の聖なる古代の麻の糸でした。