2015年07月21日

SALONDORANJU LIVE ★ "しなやか" 3/5 British Green



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7/31(fri)SALONDORANJU LIVE ★"しなやか" 3/5 British Green ★@ Organ's Melody  pm 20:09 open pm21:09:09 live start

ticket adv.¥1800 door¥2300+1drink order  ticket info SALONDORANJU MUSIC 0839280389


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 今回はイギリスの古楽(ブリティッシュ・トラッド 〜pentangle)から現代のブリティッシュ・ロック(zep,deep purple,beatles,clapton,ufo〜cold play,damien rice)までを素材にした楽曲をスティール弦アコースティックギター とサンプラーによって独奏で歌います。このライブの特別なテーマはヨーロピアン神秘主義と音楽。今回もまた2度と無いライブです。 予約の方はメール(◉alondoranjumusi@csc.jp  最初の文字をsに変換)にて 。


 また去年暮れのmusic societyの『True love live』で解説をした例の曲の、更に詳しい歴史、その系譜にあたる名曲を今度は自ら生演奏で解説、披露します。音楽と、古代から現代へと連綿と続く神秘主義の関係をすべて開陳する、まるで真夏の夜の夢の様に希有な一夜。




posted by サロドラ at 06:06| 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月18日

第13回 ORPHEUS読書会 〜 1周年記念スペシャル youtube〜





第13回 ORPHEUS読書会 1周年記念スペシャル  http://www.ustream.tv/channel/salon-d-orange-live
秘密の花園 著者 フランシス・イライザ・ホジソン・バーネット (Frances Eliza Hodgson Burnett) 
amazon http://www.amazon.co.jp/秘密の花園-バーネット/dp/4890138951

スペシャル・ゲスト・ムネモシュネ(Special guest Mnemosyne)- 児童文学作家 さとうまきこ先生
http://members3.jcom.home.ne.jp/maki-mizushina/

主催  
salon d'Orange music society
http://www.salondorange.com/society.html
@CS赤れんが(Yamaguchi city,Japan) 2012/4/1


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 3年前にさとうまきこ先生を東京のご自宅からスペシャルゲスト参加を頂いた、1周年記念のオルフェウス読書会スペシャル・ヴァージョンの模様を、さとう先生のご了承を得てyoutubeに置きました。こうして観ると、さとう先生の『映像的エッセイ』という趣となっている貴重な映像記録になっています。さとう先生の読者の方やファンの方には知られざる世界が観れる面白い内容です。皆さん、どうぞゆっくりお楽しみください。



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 なお、50回記念シリーズの第二弾となる次回の第51回オルフェウス読書会は、村上春樹のデビュー作『風の歌を聴け』を題材に、8/29(sun)pm19:00より行います。ご興味のある方はustreamにて自由にご参加ください。




Broadcast live streaming video on Ustream












posted by サロドラ at 09:09| 文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月12日

パブリック・メディアの終焉


 私は個人的に、もう既にTVの役割は時代的な意味では終わってると思っているし、紙媒体としての新聞などが従来抱えている、構造的な問題点も、文化、環境、などの全ての視点から観て、飽和状態に達し、その超克の方法が現在の視点だと思っています。


 思えば、前世紀にテレビというデバイスの登場で一つの文明が出来た感がありますが、その一方的な押しつけ、視聴者にただ迎合的な白痴性が問題となっていたある時代、それは必然的に終わりに向かっていったのでしょう。奇しくもそれはシリコンバレーの発展と相対する形で。


 現在の世界のパブリック・メディアは、もう既にインターネットを中心とした本来はオルタネーティヴだったデジタル・メディアであり、電波放送でも、日本特有の宅配の紙媒体でもない。

 しかし、このインターネット中心のデジタル・メディアは、どこまでも個人性の露出であって、中心や焦点を失うのが特徴であるがゆえに、古びたテレビや新聞の中央集権性はまだその有用性を失っていない訳です。

 思えばメディアの中央集権を支えているのは、基本的に『ものを考えない人』であって、簡単に自身の内面を他者、それも愚か極まりない知性の露出に委ねるのが平気な『大衆という幻想』に生きる人達である。哀しいかな、そんな愚者の肯定こそが、世論の結果の本質であったりする。

 それに対するアンチテーゼとしてインターネットはこの20年来機能していて、それは現在、ようやく成熟を見せつつあります。その間、色々な変遷があったし、これからも変遷を重ねる事でしょう。


 さて、簡単に結論づけると、中央集権のメディアはもうその機能を果たす力が完全にありません。前時代のレトロな共有感覚を持たらすだけの、終わっているメディアに過ぎない。

 ではこれから先の未来の『パブリック』とは? 『メディア』とは?


 デジタルメディアの目指す雛形が、どこか人間の意識の原始的なあり方の類似を目指している現実が、それを示唆している様に私はいつも思っています。


 究極はデジタルという方法もいらなくなる『ある場面』がやってくる。


 私は、それを先んじて生きてみようかな、と最近いつも思っています。


 否、それは決して「先んじた」のではない。それは生物も人間という種も、元々はそれを極自然に生きていたに違いない。


 真のパブリシティーとは、その様な場所にだけ本来存在し得たのではないか?


 『公共』とは、集合体の最大公約数に満たされた、全一性の事なのだから。




posted by サロドラ at 05:20| 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月07日

Su-fau 〜雲〜  2nd Liu works



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Su-fau (スファウ) 〜雲〜  2nd Liu works
 




posted by サロドラ at 07:07| 書道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする