今日、前回記事に書いた事件の判決が降り一斉に全国的に報道された。
http://www3.nhk.or.jp/lnews/yamaguchi/4065702861.html?t= 前回の初めての裁判傍聴は、ど素人としてかなり精神的にヘヴィーだったので、敢えて生での傍聴はしなかったけれど。。
さて、私がこの件で一番学んだ事、ここに書きたい事は、この事件の本当の真実、報道、その報道を見たネット上の野次的な反応の、あまりにも大きな食違いである。
私はこの事件よりも、私のほぼ予想通りに起きた、この社会的な結果の方に、かなり面食らった。
…そこまで…なのか、と。。
それは前回、公判を生で眺めていて、おそらくこの事件の核心、本当の真実、また、この罪を裁く罰としての公判の焦点など、まるで報道することは不可能だろう、と、率直に感じた通りだった。
ごく簡単に言って、ネットやTVのソースをそのまま真に受けたら、この事件は事実が本当に、全然違う。
今、ここをお読み方は、上のリンクのニュースソースを読んで、おそらく確実に、完全な勘違いをなさっている。
すなわち、今、あなたが被告人に抱いた感情、イメージする内容、そこから心に作用する種々の断定、おそらく、それら全てが間違っている。
事実として、この被告人は、あなたが今、思った意味で大きな罪は無く、あなたが今、思った意味とは違って、大きく罪がある。今日の公判では見事に裁判長がそれを的確に裁いた。また、精神、心の世界、更に霊的に‥、とでも言う意味では、更に法で裁けない場所にこそ、もっと本質的な悪が存在している。おそらく、確実に後で神的な誰かが裁くであろう、何かが…。
真実。
その追求
そして、それを誤りなく正しく人に伝える事。
私が特に興味を感じたのは、これら全ての難易度、ハードルの異常な高さ、である。
まず、ニュースソースを見る限り、各社の報道記者はおそらく、全公判をそれほど深く見ずに今日の裁判長の判決主文だけから報道しているのは明白だ。決して、報道コードでマスキングされてる訳では無いと思う。肝心の部分は伝えられず、見ようによっては、本質の部分で事実と全く違う見栄えの事件になってしまっている。
さらに当然、それを眺めた、ネット上の意見は、ほとんど全部、見当違いも甚だしい。これは、ネットユーザーが馬鹿なのではなく、メディアの構造自体に大きな問題がある。
しかし、その結果、ネットユーザーは現実に頓珍漢な馬鹿になってしまうのである…。
物凄く、いい勉強になった。
まず、出来事というものの本質、それを第三者が捉える事の差異と錯誤、さらにそれを伝えるメディアの本質。
私は今日、1日中、朝から18時間ぐらいは、仕事の必要性から、ずっと日本から海外までのネット情報を収集していたけれど、情報というものが、こんなにも本質の差異が生み歪んでゆくのを目の当たりにして、メディアの情報の触れ方に、やはりこの大きな誤差を修正する重大な必要と、そのより巧みな方法を深く考えさせられた。
これを例えるなら、
音を鳴らした瞬間に
ミュージシャンが聴く音、
それを近く聴く聴衆、
拡声処理で遠くで聴く聴衆、
それをメディアで聴く聴衆、
その巨大な誤差とまるでそっくりなのである。
哀しい事件の詳細を、ゴシップ記事の様にここに書く気は私には無い。
でも、この真実、そのあまりの遠さ、という事だけをここに記しておきたい。
この事件の核心は、非常に哀れな被告人の境遇と出来事にあり、近親殺人とは言え、最初の供述通りなら充分に情状酌量の余地がある、執行猶予さえつく事件だった。ところが、争点は、途中から供述を真反対に裏返して無罪側に寄る詐称を被告人が始めたところで、裁判は複雑化し、結果、寧ろ厳しい判決に至った事件である。
私が興味をひかれたのは、その嘘の内容、である。
被告人は殺された魂を心に語らせながら、全ての経緯の真反対の嘘を詐称し始めたのである。それも"愛"の情感を涙ながらに滲ませて。
それは、幼稚な女がよくつく嘘に過ぎない。
世間を騒がせている事件、STAP細胞詐称、ベッキー、さらには20年前のオーム事件…、世界の全ての事件は、愛のわずかな誤差、真実のわずかな誤差が、複雑に絡まって、大きな事件になってゆく。
今、世界で起きる大事件ではイスラム国など、もっとも巨大な例である。彼らが行うのは"神の愛"の詐称による無差別殺害である。
"真実"にも、また"愛"にも、誤差、というものがあってはならない。わずかな誤差、ですらも。それが最後には世界の悲惨を生む。歴史上、すべて、この問題によって人類史は創られてきた。
そうならば、人間の罪と罰は、実はこの”誤差”にこそあるのだ。
そう、今日、私が見たもの。
純粋なもの、それは無垢であればあるほど、弱く折れ曲がって、世界に反響し谺する。
でも、そこに一切の小手先の技術、エフェクト(効果)、詐称、をどかして放ったならば、それはたとえ時間がかかっても、巨大な力に増幅されて何かを創る、ということだ。
増幅された瞬間に、それは別のものに変化した形を成すかもしれない。でも、その中には微粒子の気流の様に、真実の宝石が鏤められている。
私は、この本当の真実がメディアというものを通して歪む現象から、歪んでも、歪んでいない真実の伝え方、すなわち、音のレコーディングのコツを学んだ。
そして、情報。やはり、それは常に生で、現実のリアルな情報に触れる。純粋なもの、それがゆえ拡張されてるもの、それだけに常に。
殺人事件の公判に、かなり真剣に音楽の方法論を学ぶ変人は、きっとオレぐらいかも知れない。でも、オレみたいな奴がどこかの世界に居たら、きっとそいつとは本当に仲良くなれそうだな‥。
******
巨大なプロジェクトに邁進中。sさん、iくん、ありがとう。すごく勉強になりました。