なぜか非常に珍しくふと、早起きしてしまったので、早朝喫茶店でお茶をしながら、ホールアースカタログについての雑誌を読みふける。やはり、この時代の西海岸が大好きだ。カウンターカルチャー、その強さや勢いを感じる。このあたりのトピックに触れるだけで、なにか元気になる。
で、日本のサブカルチャーという語彙は、あまり好きではない、ってか、嫌い。何故なら、どうしても"弱い"から。カウンター〜っていうと、体制や権力を吹き飛ばすエネルギーや、強烈な対抗心を感じるけど、サブカルっていうと、体制にあわよくばおもねる弱々しい気風、匂いを何処かに感じて、なにか全然、信用できない。だから、いわゆる"オタク"も、自分は大嫌いだ。拮抗する力に、何処か媚びへつらってるから。その"疎外された匂い"はなんだかとっても好きなのだけど。
で…、スチュワート・ブランドの、とっても深くて気まぐれな気合いに、ふわりっ、と感化されて、なにか暑い中、ビールでも飲みながら半径777m圏内を深く気まぐれにう〜ろうろして、情報吸収&接種(情報収集ではない)。
まずは、ふらりっと、通りかがりに美術館(別に入る気などなかった‥)。
う〜ん、意味不明に吸引されてみると、一瞬地味ながら、展示品、凄〜くいい。所蔵品を集めた写真、抽象画、日本画の展示で、微妙に濃い深い味わい。こりゃ、変な巡回展よりも全〜然、良い! 個人的に大ヒット。
写真は、戦後頃の佳品。
"女"が題材なのだけど、戦後の浅草のストリッパー、横浜の街娼、皇居前で米兵におもねる女、…というモチーフから、畑を耕す美しい生粋の日本の女、戦後の強い女、けだるい女…、など、”戦後の現代日本”を象徴するような、"女"が題材で、コンセプトが、とても素晴らしい。
天才あらーきーは、敢えて女を撮らない、その瞬間、その間合いこそ、やっぱり天才だと思った。
で、今度は現代の日本の抽象画。これって、今のNYやロンドンのオフィスに飾ったら、きっと最高にクールだろうな。。。ドラマのロケなんかで使用しても、こりゃ充分いける。岩本拓郎氏、椿義則氏の作品、などとても良い。
さらに、江戸末期から明治、大正にかけての日本画。
畳で鑑賞できるようにしてあるのも、とてもいい。まぁこのあたりは、それこそ世界のカウンターカルチャー人には垂涎の品々、という趣きですね…。

これは平安時代の竹取物語を、描いた作品(著作権は存在しないので至極勝手に掲載)。

最後のシーンは、富士山で、かぐや姫からもらった天の薬などを兵士をあげて燃やすシーンで、だから、"富士"(兵士がたくさんいる)の名前になった、などの逸話に感服。この平安の物語の着想の美しさに心惹かれる。
大正期の仮名遣いをゆっくりと時間をかけて読み下しチェック。
ん〜、できたら、これは美術館ではなく、日本家屋で蝋燭の火で一晩中、眺めてみたい…。
ペーシュ・メルパとレモングラス・ジンジャーで、ぼんやりと現代美術の並ぶ庭を眺めて考えごと。

しかし、このイギリス産のデザインは、これまた微妙に良いですな…。
上からも

横からも

次は隣の図書館へ。
調べたい資料はそっちのけで、結局、目についたのはアビーロード・スタジオの黎明期からの写真記録。こうして読むと、全然、知らないことだらけ。目から鱗が盛りだくさん。
ジョージ・マーティンの前に、初めてビートルズの4人がデモテープを録音しに来た時の話など、非常に興味深い。アビーロードでその後に録音される、あの偉大な作品群が、ほんの偶然、神様の気まぐれであった事がよくわかる。この偶然無しにあの人類が知るビートルズは、この世に存在などしてはいない。

前期ジェフベックグループの写真。これ、アビーロードだったんだね。それで林檎が?
やっぱり自分はカウンターカルチャーの子孫だと思った。自分にサブカルチャーのDNAは完全に、ない。
21世紀の今、眺めると、60〜70年代のカウンターはもはやメインカルチャーに成ってる。さて、問題は、この次のカウンターポイントとカウンターライン、だろ。サブカルなんぞではない、硬派で強烈なカウンターラインを、オレは真芯で射抜いてやる。