で… やっ、、、
っと、貴方様を生で聴けました。。

自分が一番愛してる音楽家だけを、何故か生で聴く事がずっと永年叶わなかった。もう、ブラジルまで行って聴きに…、だとか、もうオレはこの人だけは永遠に観れない運命にあるのか…、だとか、心のどこかでそう思ってた。
本当に心底、愛してるものって、それは神様の厳しい掟なのか、そんなに簡単に邂逅ができない…。
初来日の折は、僕はまだ駆け出しのギター弾きで、なにか大きなホールでの自分の演奏の仕事と重なって行けず。2回目もそんな感じ。3回目に至っては、こちらにいて不埒な情報砂漠化により完全にうっかり見逃し。
…それが、やっと。。。
彼は74歳になっている。オレはオレでおまえのおっさん加減もいい加減にしろという齢に達し、生きた心地もしない有様に…。
……………それが、 やっと。。。。。
実は、私のblogを愛読される方もご存知の通り、私の変な食べ物から、奇矯な行動までの全ては、実はここには詳しくは到底書けない、特別な事、それは名付けて『真実の愛のプログラム』というものを21ヶ月間、厳格に遂行していたから、なのですが、それが終わる最終日の前日に、なんと、本当に私の『真実の愛の音楽の化身』、それ自体が、そんな素敵なタイミングに、まるで誰かが計った事の様に、本当に生で目の前にあらわれ…………。。。
いつでも、彼の歌声と、彼の生み出すまるで魔法ような美しい世界観は、自分と共にいつも寄り添い、自分がどんな時でも、彼の音楽に裏切られた事は絶対に無かった。
特に、それは自分の人生のもっとも美しいシーンの中に、必ず、そこに、流れていた。
僕は音楽家として、彼を研究しよう、などと思った事は一度も無く、ただその在り方の全てに、感銘と憧れだけを感じ、自分の本当に愛してるものを、『解き明かす』なんてしようとは、僕は思わなかった。それはただ、ただ、味わうだけ、それだけでいい…。
本物の愛には、理屈もなく、理由もなく、思考すらも、無い、と、思う。
それはまるで永遠の様な気がする、という事は、時間も無く、と言う事は、生も死も、何も無いのでは無いか? とも、素朴かつ、単純に、思う。
導かれてゆくと、何か来賓席のような趣きの上段席に。

単独公演はここ大阪のみ、という訳で全国から濃いファンの人達が、おそらく私と同じ様に、人生そのものの心の思い入れを抱きしめて、ホールいっぱいに満場の人が集まってる…。
詳しいレビューなど、僕がしなくともきっと良いでしょう。
Caetano Veloso Japan Tour 2016
ポルトガル語詩を、皆が一緒に口ずさみ始める。それは自分の人生の歌、そのものの様に。
ただ、そこには風の歌を聴く様な、そんな世界がずっと流れていた。
僕ら数千人は、とてつもなく至福の頂点に満たされた。
そんな素敵な一夜でした。
ずっと、心に響いて離れない。
この記憶のためだけに、ほんの数秒、映像を隠し撮りしました。ごめんなさい。
僕はこれを忘れたくない。
ギター1本。椅子。gt vo前にマイクを立てた、だけ。舞台装置一切無し。完全な真っ暗な会場に、ライトに彼が浮かぶだけ。ライティングのみ美しい背景画の様な演出。
完璧な絵に、不必要なフレームなどは入らない。
そこには完全ノーギミックの、音楽 それがあるだけだ。
これが音楽だ。
史上最高の愛の音楽をありがとう、カエターノ!!!!!
https://twitter.com/caetanoveloso/status/785138566997344256
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