2017年04月24日

第57回ORPHEUS読書会 限りなく透明に近いブルー 村上龍 著




 


 現代日本の作家4人を題材にしたシリーズのデビュー作、中短編までをこれで終えました。今回までの読書会を終えてみて、今回の龍のデビュー作、おそらくこの4人のシリーズ中、最も優れた作品はこれなのかも知れない、と私は思いました。

 個人的には特に愛好してる作品では無いし、好みの作家、という訳でも無い。

 しかし今回までの読書会で深めた研究によって、作品の主題、技法、影響度、など総合的に鑑みて、改めて私の思い至った結論です。自分でもこれは非常に意外な結論です。しかも私がリピートして読んでいる回数では、読み辛い内容のせいで最も少ない作品なのです。

 またこの作品は、龍本人の設立した電子書籍を出版する会社によって、アプリとして本人自身の意匠によって書籍化されており、そうした表現スタイルとしても、やはり先端の在り方を提示している。まるで、このデビュー作品そのものの様に。

 今回、じっくりとアプリ内でスマートなフォントで読むこの作品と、本人の手書き原稿を読み比べ、私が痛感したのは、表現というものは、それを『生み出す熱量』こそが、全てを凌駕して大切な栄養だと言うことでした。

 思えば、全ての表現者に必要なもの、とはこの人間の内側から吹き出す『熱』では無いでしょうか?

 決して上手では無い手書きの文字で20代前半の学生時代に書かれた、手書きの原稿を読んで、そこに愛おしさを感じてやみません。



posted by サロドラ at 03:33| 文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月21日

第57回 ORPHEUS読書会


第57回 ORPHEUS読書会

4/23(sun) pm15:33:33

Mnemosyne : 参加者全員

題材『限りなく透明に近いブルー 村上龍 著』
http://amzn.to/2pYgfyQ


参加者 : salon d'Orange music society研究生

視聴者の皆様もチャットにてご参加ください。

主催
salon d'Orange music society
http://www.salondorange.com/society.html




http://www.ustream.tv/channel/salon-d-orange-live





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 今回は近代現代日本の作家シリーズの4人目で、村上龍氏のデビュー作『限りなく透明に近いブルー』を題材にします。最初に中期中短編の『69』をやってしまったので、捻って今回が村上龍、衝撃のデビュー作をとりあげます。

 シーンの大半をひたすら占めるのが、乱交とドラッグシーン、という本作。凡人が普通の気分で読むには全く読み辛い作品です。しかしこれが上梓された1976年、ベトナム戦争が終わり、日本の戦後ももはや終わり、三島は自決し、どこかしらけたムードの中に突然現れたこの異彩を放つ作品は、芥川賞受賞作の中でも未だにトップの売り上げ部数を誇っており、私の知る限り、この作品から続く龍氏の世界観がJ-Rockシーンに与えた影響はとても大きい。

 music societyの研究題材として、これは欠かせない一品であろうかと思います。


 USTREAMで参加したい方は、よく作品を読んで鑑賞してから、どうぞご参加ください。


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posted by サロドラ at 20:29| 文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月13日

ロボットと人の未来



 最近、囁かれて久しいトピックですが
 http://www.jiji.com/jc/article?k=20170330035488a&g=afp




 P.K.Dick好きの私の見地からも、この研究、大旨正しいと思います。


 本来、人間がしなくて良い作業を人間がしている現在の方が、どうかしている。単純作業の工員や労働者など必要が無いし、そこで働く人自身が、それを良いと思ってる人など現実120%居ない。


 人間は人間らしく生きるべき、働くべき、で、ロボットに人間が成る必要など無い。



 で、ここで大問題は、溢れてしまった単純労働の人達…、だけど、この問題、古代、それも超古代の人類が、生命存続の為のリスク回避として、分業化し、システム化し、社会形成をしていった、その歴史的な構造の大きな揺り返しが、今、テクノロジーの発達、つまりは効率化によって、やっとこさやって来た、というのが、真の正体です。


 2000年期に入ってから、つまりはIT関係が成熟を見せ始めてから、特に私は超古代への回帰欲求が強く心に芽吹いて止まず、自分の仕事の全てはそれを規範として作業しているのですが、それは実はこうした社会の波を私の無意識が敏感に感じているに違い無く、現代に超古代を結ぶ仕事の意味、重要性は、そこにあると考えています。


 ただ違うのは、人口数。この問題だけは超古代の前例で解決できない。


 これは昔は戦争という形で人口淘汰を、自然に人間はしていたけれど、現在、ヒューマニズムの勝利によって今後、これは無い。その代わり、環境問題を通して、まさに神の采配であるかの様に、自然災害という形で、人口調整がされてしまう。要は、これは地球自身が、その自然のシステムによって、調整機能をそういう形で実現させてしまっている。

 2000年期以降の大事件、911からに始まった戦争、311及び世界中の震災、の全ては、これで説明ができます。



 超古代、、人間は、自然に成っている果実で潤い、システムを形成する必要など、無かった。国家も、村も、社会システムが無いのだから、争いも無く、永遠に平和で、天然の恵みによってのみ生き、安らかに死んでいった。世界中の古代神話に触れる時、それらに共通、通底して描かれている世界観である。


 人間が従属するのは、人間の造った構造物では無く、自然、天然のサイクルやシステムだった。


 どこの超古代文明も、これが基本的な様態です。





 この超古代と、現代を結ぶ。


 これが、今の社会問題の真の解決方法で、もう世界中の多くの人はそれに無意識レベルで気がついている。


 20世紀のアート、文学、を眺めると、総括として全てはここに到達する方法の模索、実験の繰り返しだった様な気がする。


 できれば、今世紀でその完成型を見たい。


 私は、その完成型に自分が到達したい。いつもそう思っています。


 

 さて。


 システムへの無分別な従属をする人は、もうこれからの時代ダメです。そういう人は要らないので確実に淘汰される。これから職業を模索する人に言いたいのは、そこです。最先端の社会学者、研究者の予想は、思ったよりも、かなり早くやって来る。

 システム、というものの性質とは、人間を真に思考しない痴呆にし、ロボットにする。痴呆に成り、ロボットに成った人間は淘汰される。


 システムに従属しない人間は、思考を常に要求される。機械的ドグマの外に立つ事を常に欲求する。



 会社人間、も、公務員、という制度も、つまりは社会保障の担保自体が、まるで恐竜の冬の様に、もう今世紀中に消えてゆく。


 人間を保障するのは、自然、天然の、抗えない力だけが、それを担保し、維持する。


 ここから法律、政治、社会、生き方、食物、アート、つまり人間の生き方全般を、組み替える必要が、必然として、今、来ている。




 私は、80年代にP.K.Dickを読んだ時から、太宰を読んだ時から、春樹を読んだ時から、ピカソの美を観た時から、岡本太郎の啓発を聴いた時から、宮崎駿アニメに感動した時から、そして、全ての良質な20世紀の音楽に魂を打たれた時から、


 この時代の到来を予想していました。そこにもう既に、これらのサインが明確に記されてあった。




 ロボット、とは人間のシステムの代替であり、つまりは安全保障の担保の代替であり、そして人間とは、人間の産物であるロボットが永遠に叶わない、人間以上の機能の代替存在、である。


 その露骨な表出が、今世紀の未来に起る、主要な出来事だ。



 私はシステムとしての書にも、システムとしての音楽にも、ノスタルジー以外の興味は無い。それが生まれる瞬間に全てを戻してしまえば、それでいい。この時間の中でそれを成し遂げるならば、超古代は超未来に自動的に変貌するのだから。


posted by サロドラ at 07:56| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする