この十数年ずっと思っていること。このおよそ1年の間、墨と筆の技術に関して、教えることでもメインテーマとしている、自然光による陰影の美。
日本的な建築様式の空間の中の、有機的な光でだけ現れる、その真の姿、について。
こちら学校の教室。ブラインドをおろし、電気を消して、薄暗がりにして、書作品を鑑賞してもらいました。光と影、遠近や立体性、そして、陰と陽という哲学が、どう平面の美術に完成してゆくか。その完成が、鑑賞者に何を観せるのか。
こう貼るが…..このほの暗い雰囲気は写真では出ぬ、ね。。。

更にもっとわかりやすく、真の日本の美が姿を現すその瞬間、その光の環境で、10代の日本女性のみんなの顔や姿を、お互いに眺め合って鑑賞してもらいました。それが、どれほど美しいか、を...。
本当の人間の美しさ、まるで心の深い内面まで映し出すような、微妙な表情の揺らぎや、輪郭、その陰翳からくる美しさ。
これは日本人女性でないと、こうはならない。西洋人や他のアジア人でもならない。しかもそれは思うに10代後半の日本女性だけが、この特権中の特権を持ち得る。
日本文化、日本美術が、この1000年、最高の技術の粋を磨き上げてきた、その環境下、その年月の日々、女性の平均寿命は20代後半くらいでした。そういう切実な理由からこの事実はやって来ている、と思います。
ごく普通に女子高生が明るく眩しく輝いてる、という現代の在り方としても、美しい、と言えるけれど、この状況下で顕れる美は、単なる平板なそれとは全く、その意味、その姿、が違っている。
この方法だと、どんな体型の、どんな顔つきの、どんな日本人女性でも、現代人の誰もが忘れて知らない、本当の美しさが、ふっ、と遠くから姿を顕わします。
その事実を鑑賞してもらいました。
現代の様式は西洋の環境下の模倣の洗練、と言えるけれど、それはたった100年。
こちらは1000年以上かけて磨き上げた文明が産む美学。その含蓄、深み、重みが違う。それはまるで内面の美と、外面の美が、不思議にお互いが手を結ぶ瞬間の様だ…。
そして、この美しさは、写真にも動画にも、決して写せない、という残酷も、実際に撮影して体験して頂きました(笑)。
みんながインスタや、ツイッターで普段楽しんでいる、単に高彩度で綺麗な画面を、この美は遥かに超えており、この美しさはただスマホのボタンを押すだけでは、写真にも動画にも絶対に出来ない、ということを。
何しろ、『この不可能の場所』から、とっ〜ても楽しくて素晴らしい、真の芸術の作業が始まるのだから。
この出発点にまず立って欲しい。この場所に立つのに時間をかけてはいけない。それこそが真の教養だと思う。
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こちらはお教室の小学生達。
もう黄昏ときで、薄暗く、お互いの顔は、はっきりとは見えない。『誰そ彼』とき、そのもの。
キャンドルで作品をかざし、敢えて、『音』と『言』という漢字の表意文字の深い意味合いと、なぜ、この場ではわざわざ墨を水から擦って書くのか、その技法の意味、作品の鑑賞方法を皆の書いた作品で詳しく解説。
小学生には少し難しい話だったと思うけど、いつか大人に成ったときに、思い出してくれたら、それでいい。きっと、僕の言葉も、風景も、忘れずに憶えているから…。
そういう魔法をサロドラ・ポッターはみんなにかけておいたぞ(笑)。

で、たまたまこの日yちゃんのバースデーで、ひと足早いクリスマス・フォース大会を。モロゾフ・プリン・チョコ争奪Star wars決戦! 漲るフォースでm花ちゃんの優勝。
古の日本人が発見した、この美しさの本当の正体は、宇宙の闇から、ここまで到達した生命の歴史、魂の経緯、の美しさだ。これは、きちんと伝えておかなければならない。そして、これから先、ずっと忘れないで伝え続けて欲しい。何千年も、何万年も。人間がずっと生きている限り…。
ちょうど美術館でも国宝級仏像や、雪舟の水墨が観れて鑑賞。でもこれね、その環境でこの本当の凄さを直接観るのは無理です。頭の中で推し量りながら鑑賞せねばならない、という…。水墨画に白熱光ビカッ〜っと当てるなよ、おい…。ぐるぐる歩き回って、私はとっても複雑な気分でお茶しましたよ。これじゃ雪舟が筆先で成し遂げた一番大事な技術は消えてしまうのだもの…。。


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さて、こちらは音楽と言語、その一体性についての特別なクリスマス・イベントです。
http://bit.ly/2iEJw3S 音楽に特化せずに、どうぞ幅広く色々な方に体験して頂きたいですね。

未来を創造するのは同じ長さの、過去をはかれば良い。
その叡智は、時の永さ分の強いバネとなって、未来への道順と私達の行く先に光を照らしてくれるのです。