リリースされてから、だいぶ後に成って電子書籍化されているのを知った。しかし品揃えは、どこか微妙で、それが本人の意志なのか、出版社の戦略的意図なのか、よく解らない。
ノルウェイも、ハードボイルドも無い。ノルウェイはやはり電子化しない方が良い気もするし、しかしiphoneでふと読みたい、という願望もある。
しかし、もっとびっくりしたのは、公式webがいつの間にやらできていたこと。


(なんと書斎も。さすがアナログレコードを沢山所有されてますね)
(春樹文学と音楽の関係もすべてlink。至れり尽くせりの充実度)
全てが英文。彼の立ち位置、センスを徹底していて絶妙にクールだ。
これぞ春樹、という気もするし、comme des garconsの公式webをどこか連想する気も。
‥にしても、日本語で書いてる日本人作家が、徹底して日本語を排したwebサイトを掲げているのは、前代未聞な凄さだ。
そういう日本の作家などまず居ないし、居ても成立しない。春樹だけが、こういう手法を徹底して機能させうる唯一人の日本人作家だと思う。
このwebの在り方には、本人の作為性、戦略性を感じてとても面白い。
戦後日本の作家は、多かれ少なかれ、こうしたかったのでは無いだろうか?
この路線で春樹を超す、としたら、原文の文章を英語で書いて、世界でヒットさせることが出来たら、春樹超えになる、と思うけど、現実それはちょっと無理っぽい。
日本語の言葉、文章、を歴史から拾い上げ、掬い取り、で行くなら、三島は頂点だけど、ある意味見事にその不可能を越えてみせた作家だと思う。
日本の歴史的な文物、文人の表現は漢字の輸入から始まった経緯があり、江戸期までの近代以前は、漢籍の素養、漢文学の知性こそ、文学表現の核だったし、それは東洋を総括する文物だった。
対して、近代、そして戦後は西洋の素養、西洋の文物の知性こそ、文学表現の核に成っており、その越え方について皆が一斉に苦労していた経緯があるけど、春樹たった一人がそれをさっ、と飛び越えてしまっている。
この構造は読書会でも、都度都度明かしてしてる事だけど、弥生以降、天皇制以降の日本を漢文学の触発によって文物化したのが、歴史的日本文学で、その頂点は間違いなく三島だ。
対して、天皇に総括される日本の否定から始まったのが戦後日本の文学で、村上龍は特にエポックメイキングな作家だが、春樹はそれをバウンドさせて、世界に到達してしまった。
もちろん、この中間に有象無象の作家と作品、それも良質なものだって沢山有るけれど、より全体の切っ先を顕わしてるのは、やはりこの3人だと思う。
太宰は、自分の一番好みの作家だけど、この3人の資質のどれをも含み、どれとも違う作家である。私がある種の天才をいつも自然に感じるのは太宰だ。
漱石、鴎外、芥川、谷崎、などの文豪は、東洋と西洋の狭間を苦悩した文物史、精神史にどうも見えて仕方が無い。どれも子供の頃から馴染んでる作家でもあるけど、だからあまり深読みする気持ちがどうしても湧いて来ない。川端、大江、というノーベル賞作家は、正直私は読む気もしない‥。ノーベル賞なんてものは、地球上の文学を補完などしていない、と思う。例えば東洋ではインドでタゴールが真っ先に受賞しているのを見ると、それを特に思う。あんなのはインド思想の観光名所を映した絵葉書に過ぎないのだから。
人間の営みを映し出すものでない、観念の文学に何の意味がある??
さて、春樹。
この人には東洋と西洋の狭間の苦悩が無い。だから、とっても気持ちいい。
海外の読者からしても、この気持ち良さは同じなのだろうと思う。
ただ、翻訳された文章にはやはり日本語とは違う微妙な誤差があり、それもまた、味わいとなってそれぞれの言語圏でそれぞれの読まれ方をしているのだろうな、と思う。

(洋風だがどこか変なデザイン&タイトルの"風の〜""ピンボール")

(こちらは和風な"風の〜"。それはそれでやはり変)

(永年私が愛読してる英語版ノルウェイ。やはり微妙感?満載なデザイン)
‥にせよ、こんなスムーズな互換が可能なのは、徹底的に英語を基準とした文章作りを最初からしていた特異な作風にある。
この作風は見事に成功してる。それは文字文化以前の日本の記憶と、"世界を標準化する"英語やアメリカ文学を直結させる特異な作風となっていて、こんなものが自然に生まれたのは、日本の近代化、その最後の姿としての敗戦、という歴史の経緯が、ある種強制してきたスタイルだ、と私は考える。
ひるがえって、完全ガラパゴスの今の日本、陸の孤島化する日本、に何か面白い出来事が起っているか?と思って眺めても、文学では何も起ってない、。(と思う。がよくは知らん)
平安期や、江戸期、の様な閉鎖空間だから生まれる面白いもの、も結構あるのだけど、政治的な強制も特に無いのに、自らを閉鎖化しようとする単に怠惰な今のガラパゴス日本に、正直私は何も期待はしていない。それは面白くても、とにかく構造が弱過ぎる。
今のアメリカの帝国化現象、あれは地球全体の歴史でみた時、人類にとってある濃厚な示唆を持っていて、人間の原初的な統一化を意味している。
それは浅薄な陰謀論者などが、単なる不幸な個人から吹き出すルサンチマンの摺り替えをするスケープゴートの様なネタに成っているけれど、それは大きな間違いだ。今動いてる世界の流れは、全人類の統合へと確実に向かっていて、あらゆる分野の多方面からそれを補完し、浸食する構造に成っている。
村上春樹の電子書籍化と、web-cyber空間への浸食は、この流れを本能レベルで確実に捉えている、と思う。
そしてその手法、彼はいつでもそうだけど、巧妙に関わりたくは無い無駄なもの(それは明確に日本のweb空間、言論空間)を、実に巧みに躱している。戦後日本を代表するこの人は、戦後日本を最も回避している人物である。