2019年08月16日
別にこんなところに書きたくはない事実
ずっと、ある人物に困っている。私がパニック障害という病気になったのもこの人物こそ原因である。
今まで散々迷惑をかけられ、突然に理不尽な暴行も受けたりしているので警察に相談しても良いだろうし、現行犯でない無いにせよ立件すれば懲役刑だろうし、民事事件としてもきっちり成立する。
自分の性格として、人を憎んだり、邪見にするのは性分では無いので、つい甘い対応しかできないのだけど、さすがに自分の関わる仕事などにも勝手に入ってきて結果的に潰されるので、責任として、そこは黙ってはいられない。
ストーカー気質の病的な人間に関わるのは、今の世の中、もう危険だと言ってもいいと思う。
はっきりと言うが、帰省して音楽を教えていて、今まで延べ100人以上は色々な人と接してきたと思うけど、かなりな割り合い、精神病などの心の病いを持った人が多かった。割合で言えば、まんまヤバい人は、3割から4割くらい。
潜在的に少し精神病気質を持ってるだろうな、と思われる人を勘定すると、5割を超える気がする。
たぶんこれは、こうした田舎の地方都市で、自分の様な形の看板を出してやってるから、余計にその傾向が高くなるのだろうと、自分では思っている。
自分としては、ただ純粋に音楽を教えたりする事には、信念もあるし、やりがいだってあるけれど、話がそうではなくなる相手だと、教えたりしていても、もう音楽の話では無くなるのだ。
芸術と精神病気質、などという問題は、それは確かにあるだろうけれど、そんなのは自分の領域では無いし、そうした事は医者がやれば良い仕事で、自分には範疇外で、まるで手に余る自分の能力を超えることだ。
今年はブログなんて書く気もしないのだけど、現実、自分が関わったことで、周りの関係者にまで迷惑がかかってしまっているので、こんな場違いな場所にであっても、書かざるを得ない。
自分が体を動かせる健康な状態なら、もっと違う対処もできるのだろうけれど、これぐらいしか今の自分にはできない。
++++
世の中を眺めると、ほんとイカレてるよ、これ、というトピックばかりで、気分が悪くだけなので普段はニュースなどほとんど見ない。
でも大きな話題だと、つい目に入ってしまうものもあって、つい見てしまう。
最近だと京アニの放火殺人、それから表現の不自由展の話題など。
慰安婦像を表現するか否か、は単純に政治の話題であって、芸術自体ではないけれど、実はあんなもの自体が、芸術の水準には、ほど遠いから問題なのであって、もしもあの慰安婦の少女像が、世界中の誰が観ても、涙を流さざるを得なくなるほどの、造形的な完成美を持っていたなら、それは芸術品として展示されるべきだし、きっと歴史にも残るだろう。
しかし、映像で観るかぎり、陳腐極まりない稚拙な造形で、公共の場所で税金を使ってする展示になど値しない。
芸術やアートとは、徹底的に積み重ねられた技術と思索を持って表現された、霊性の造形だ。そういう本物の芸術ならば、どんなに危険なものでも絶対に自由であるべきだ。
そんなことは、頭がおかしい人間が思いつきで表現できる事では無い。
それを勘違いしてる人が世の中多すぎる。
あんな陳腐な造形を人前で展示する作家(?)の愚劣や、アイディアをパクられたと騒いで、一生懸命に人知れず造形美を積み重ねてきた人達を平気で殺す自称作家(?)だの、ほんとアホか、と…。。。