2020年04月09日

右筆 : 文物を刻んだ職人としての書流 〜源氏物語 帚木に寄せて〜



9/16 記す

 4月の物忌み期間頃に暇なものだから矢鱈と長文を書いた。

 …のだけど、何かペダンティックに過ぎる気がしてオフった記事を、少し気が向いたので校正を入れて再公開します。

 もしも、偶然ここをお読みの方の何かのお役に立つなら嬉しく思います。



 非常に長文ですので、お時間のある方はどうぞお楽しみください。



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 右筆、と言っても歴オタ以外の一般人的にはいまいちピンと来ない言葉ではないかと思います。

 よく歴史上の人物の書状などが発見されたりすると報道されますが、真筆はかなり少なく、多くは右筆という専門の代筆者が書いている場合がとても多い。戦国武将などは武術に長けていても、何も文人として教育や訓練を受けた訳では無いので、まぁ書はかなりなド下手だったりする。

 そこで秘書とでも言うべき右筆の登場と言う訳ですが、歴史研究の専門分野の仕事では、この右筆の筆跡から洗っていき、歴史の確証的な「裏取り」をすることで、歴史の真実を検証するなどという作業がよくされています。それはまるで、警察の現場検証、指紋を取ったりDNA鑑定をしたり、なんて作業にどこか似ている、地道かつ骨の折れる作業でしょう。
 
 
 面白いのは右筆でも、非常に優美な能筆家と、驚くほど悪筆な筆跡もあったりして、そこは筆跡鑑定などとは言わぬまでも、この字、こいつじゃん、なんて事があるらしく、それが発端と成って面白い歴史の真実が発見されるなんて事もあります。


 まぁそういう事は、私の専門分野ではないけれど、源氏物語研究を始めてから、どうもやはり写本原本の筆跡の味わいは、私にとってはかなり気になるファクターとなっています。


 で、私の主題としては、右筆の書跡から当時の書の書流、それは必ずしも分類など不可能な、当時の生々しい筆さばきの職人達の仕事を検証する、という点です。


 普通、一般的には書の勉強なんていうのは、そういう誰が書いたかよくわからん字はあまりメインテーマとはしない。特に日本の書跡についてはその傾向が激しい。


 逆に中国の、例えば木簡の様な最初期の隷書体などは、珍しがって臨書してみたり、なんて人は結構多いと思います。(私もかなり好きではある)


 しかし、そういうものは日本の右筆よりももっと怪しい、訳のわからん字も実に多い。

 そういうのを眺めると、私は最初期(1920〜1940頃)のアメリカ南部のデルタ・ブルースのレコーディング音源を彷彿して、その味わいに酔う事もある。


 が、日本のあまりに実直な右筆の書に酔う、なんて経験はあまり無く、改めてこの三年ばかりそういう筆跡ばかりに触れていると、実直なだけで今まで面白くは感じなかった中世の書の職人達の仕事っぷりに、素直な感銘を受ける事も、ここ最近多いのです。


 よく書壇で取り沙汰される、著名な貴族や文人、僧侶による墨跡の書体よりも、ある意味リアルな歴史の息づかいをそれらに感じるのです。


 そういう著名人ではない右筆は、まるで歴史の黒子の様な存在で、本人の名前があまり残っていない。


 しかし、彼らの仕事こそが、上代から中世以降の日本最高の文物を後世の私達に伝えてくれる、非常に重要な仕事をしてくれている。


 これはレコーディングメンバーの記録が無い名盤、なんていう音楽のアルバムと一緒で、このプレイヤーは誰だ?と驚くほどの素晴らしい名演奏が残されてるのにクレジットがまったく無かったりして、後で実はこの人が…なんていう事が、我々などはよくあります。

 海外では70年代中盤以前、日本のJ-POPなどでは80年代中盤以前当時、レコーディングメンバーへのリスペクトは著しく少なく、アルバムに記載されていないどころか、弾いた本人が、あれ?これおれの仕事だっけなぁ?なんて事が本当によくあるのです。


 笑い話みたいだけど、喫茶店などにいてBGMでゆ〜らゆら流れてくるそういう音源を本人が自分だと知らずに、いぃ〜プレイするじゃねぇか…などとコーヒー飲みながら聴きいってたら、あぁ、これオレじゃん(苦笑)なんていう…。。


 いったい微笑ましいんだか、なんなんだか…。


 これは現代の出来事です。

 
 直近の現代ですら、こんな調子なのだから、数百年、数千年などの歴史に潜むこういう出来事は、それはもう実に意外な真実が影に満載されていて、専門研究者の方々の多大な労力を軽く吹き飛ばす膨大な物量です。



 例えば近代で、この右筆の習わしを受け継いでいたのが明治初代首相の伊藤博文で、ここ山口には伊藤の書跡、などという軸ものが極普通の一般家庭にすら残っている事も珍しくは無いのですが、そんなところにゴロゴロしてるそれらの多くは右筆、すなわち秘書の書いた書跡で、本人の真筆は実に少ないのではないでしょうか。

 しかし、落款印はもちろん本人の印なので、これはまぁ真性の贋作とは言えないトリッキーな本人作品という事になります。

 これがあながちインチキか、というと歴史的事柄から見ると一概にそうともいえない。


 江戸時代以前の名だたる武将の書状などの書跡も、やけに達筆で立派な筆跡の書状の多くはそうした右筆の書である、と基本的に判断して間違いない。多くの場合、本人の字は、なんだか豪放だけど頼りない字だったりして、歴史上の強面のイメージを覆す、その本当の人間性、キャラクターを垣間みる気にもなり、思わず笑ってしまうことがよくあります。



 まぁこんな調子なのだけど、この数年、私が感じるのは、こうして今、ここを眺めている人が見ているこうしたデジタル上の文字などはスティーブジョブズの発案によるフォント書体で、生の息づかいを持った生きた文字を個々の肉眼で見る機会そのものが、極普通の日常の中で非常に激減している。



 現実、子供が学校教育上、人間が手で書く「生きた字」を見るとは、教員の先生が黒板に板書する字くらいではないかな?


 また漢字ドリルや練習帳などは、フォント書体をただ大きくした文字が多く、それらは表意文字として『生きた字』ではない。


 
 この事は何かの奇縁(?)によって、私自身にも重く課せられた何か重大な責任、とも言える訳で、他人ごとじゃないのだから、、冷や汗をかくほどにかなり恐ろしい。


 文字ってのは、歴史に残る名筆ではなく、万人が語り、喋り、筆記し、そこから心の世界を伝え合う、何気なく人が書いた、何気ない文字にこそ、その時代の真実の姿が映し出されるものです。


 文物の歴史を刻む名も無き右筆の仕事に、最近になって感銘を受けたのは、それです。


 そうした右筆の仕事が書き写した源氏物語 第二帖目帚木の中で『筆さばきとはかくあるべし』という美学を左馬乃頭の口によって語らせた美文の一節を、最後にそのまま記しておきます。


 これこそ、筆をさばく事の核心。書の核心。造形することの核心。そして表現の美しさの核心。

 
 時が変わっても、真理は決して変わらない。


 正式の学無き女性ながら、平安の時代に早くもそうした美の真理を悟り、核心を真芯で見抜いた紫式部の美学、卓越した慧眼を、日本人として誇りに思います。




国立国会図書館 デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2585099?tocOpened=1 
コマ番号 23/81 より




東久邇宮家旧蔵本原文  (歴史的仮名遣い 大島本参照)

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馬乃加三 物佐多め能博士に成亭
飛 、ら支ゐ多り 中将盤 此古と八
里き 、者弖むと心二入弖あへ
志らひ居多无へ李 与路川の事に
与曽へ弖於保世 木能みちのた
く三能与ろつの者越 心にま可勢天
徒く里出春母 里んし能毛弖あ
曽ひ物のそ能物とあとも佐多ま
らぬ八 曽八徒きされは三堂流遣
に可う毛志川邊可り介里と時に


馬頭、物定めの博士になりて、ひひらきゐたり。中将は、このことわり聞き果てむと、心入れて、あへしらひゐたまへり。よろづのことによそへて思せ。木の道の匠のよろづの物を心にまかせて作り出すも、臨時のもてあそび物の、その物と跡も定まらぬは、そばつきさればみたるも、げにかうもしつべかりけりと、時に


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徒遣つ 、さ満を可へ弖いまめ可し支
にめうつ里亭お可しきもあ里
大事とし天満古と二う類八し
き人能ちうど乃加さりと須流
佐たまれ累やうある物越奈ん奈
く志出累事奈ん 奈越まこと能
毛のの上手は さ満古と二見部王
可れ侍る 又絵と古路に上手おふ
可れと 春三加き二えら八連弖
つ支〜二佐ら二をとりまさり遣

つけつつさまを変へて、今めかしきに目移りてをかしきもあり。大事として、まことにうるはしき人の調度の飾りとする、定まれるやうある物を難なくし出づることなむ、なほまことの物の上手は、さまことに見え分かれはべる。また絵所に上手多かれど、墨がきに選ばれて、次々にさらに劣りまさるけ



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ちめ 婦としも見部わ可連須 可 、
れと人能見よらぬ蓬莱乃山
あら海のい可連類魚の春可多
唐国能者遣し幾け多物能可多
ち めに見部ぬを尓の可本奈と能
於とろ〜志く徒くり堂る物八 心
にま可勢弖 一き八め於とろ可し
亭 志つに八 尓さらめと佐弖あり
ぬへし 世乃徒年能山の多 、春まゐ
水の奈可れ め二ち可支人能家居

ぢめ、ふとしも見え分かれず。かかれど、人の見及ばぬ蓬莱の山、荒海の怒れる魚の姿、唐国のはげしき獣の形、目に見えぬ鬼の顔などの、おどろおどろしく作りたる物は、心にまかせてひときは目驚かして、実には似ざらめど、さてありぬべし。世の常の山のたたずまひ、水の流れ、目に近き人の家居


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ありさ満 気尓とみ部 なつ可し具
や八らい多る可多奈とをしつ可二可
幾ま世弖 春く与可ならぬ 山の
遣しき 木婦可く世者奈れ弖 多 、
み奈し 遣ち可起ま可き能内を八其
心志つらひ乎き亭なとを奈ん
上手盤いとい支よひ古と二 王る物
盤 於よ八ぬ所 於保可め累 手越
可き堂累仁裳 婦可き事八奈く
弖可古 、可しこ能てん奈可にはし里


ありさま、げにと見え、なつかしくやはらいだる形などを静かに描きまぜて、すくよかならぬ山の景色、木深く世離れて畳みなし、け近き籬の内をば、その心しらひおきてなどをなむ、上手はいと勢ひことに、悪ろ者は及ばぬ所多かめる。手を書きたるにも、深きことはなくて、ここかしこの、点長に走り




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可き 曽こは可となく遣しき者
め累八 う地三るに可と〜志く遣
志き堂ち多れと 奈越まことの春
ち越こまや可二 加起え多る八う八へ
能 婦弖き部て三ゆ連と いま一
度とり奈らへ亭み連は奈をし
ち二奈ん与りけ累 者可奈き事
堂二可く古そ侍連まし亭 人能
心の時二あ多り天 遣しき八めらん
み累め奈さ遣越八 え頼むまし


書き、そこはかとなく気色ばめるは、うち見るにかどかどしく気色だちたれど、なほまことの筋をこまやかに書き得たるは、うはべの筆消えて見ゆれど、今ひとたびとり並べて見れば、なほ実になむよりける。はかなきことだにかくこそはべれ。まして人の心の、時にあたりて気色ばめらむ見る目の情けをば、え頼むまじ


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くおもふ多无へ弖侍類 曽能八しめ
の古と春起〜志くとも申侍
らむ と弖 ち可くゐ与れ八君も
めさ満し給ふ 中将いみしく志ん
し亭 保 、つえをつき亭む可
い居多无へ李 法乃世の古登
わりとき 、可世む所能 心ち須るも
可つ盤 お可しけ連と 可 、る徒ゐ亭八
をの〜むつ古と母え志のひと 、
め春奈んあり遣流


く思うたまへ得てはべる。そのはじめのこと、好き好きしくとも申しはべらむ」とて、近くゐ寄れば、君も目覚ましたまふ。中将いみじく信じて、頬杖をつきて向かひゐたまへり。法の師の世のことわり説き聞かせむ所の心地するも、かつはをかしけれど、かかるついでは、おのおの睦言もえ忍びとどめずなむありける。







現代訳  林望(謹訳 源氏物語より引用)


 かくして、左馬頭は、この際の物定めの博士というような立場になって、まさに滔々と弁じ続ける。中将は、その博士の説く道理をすっかり聞き尽くそうと、狸寝入りをしている源氏とは対照的に、ひしと熱を込めて、受け答えしているのであった。

「男女のことも、なにか他のことに喩えて考えてご覧になったらよろしい。たとえば、木工職人が、なんでも思いのままに作り出すという場合でも、なにかこう特殊な遊びで、とくに規範的な作りようが決まっているわけではないというときは、思い切って洒落た趣向に作ってみるのも、なるほどこんな作りようかと面白いもんです。

 また時と場合によって珍しい趣向を出してみる、するとその新機軸の工夫に目を奪われてなるほどと感心する場合もある。

 けれどもね、そういう臨時の作り物でなくて、真に大事な品物、つまり、ほんとうに立派な格式の家の調度の装飾とするようなものの場合は、しかるべき用途や定格があらかじめきちんと決まっているものですが、そういうのを規範どおりに狂いなく作り上げるということになると、それは生半可の小手先ではどうにもなりません。

 やはりほんとうの名人上手の手腕というものは、こういう品物を作らせてみるとはっきり分かります。

 また、宮中の絵所にも、上手な絵描きはいくらもおりましょう。そのなかに、絵の輪郭を墨描きしていくようなのは、またそのなかでも手腕のある物が選ばれておりますから、次々に描いていくのをちょっと見ただけでは、誰がほんとうの名人であるかまでは、なかなか判じかねます。

 ではありますが、その絵がたとえ誰も実物を見たことがない蓬莱の山だとか、あるいは荒海のなかで怒り狂う怪魚だとか、または唐国のどう猛な獣だとか、目には見えない鬼の顔だとか、そういうおどろおどろしい絵柄は、なにしろ誰も見たことはないんですから、どんどん空想にまかせて、あっと驚くような姿に描いたらよろしんです。

 実際にそれが本物に似てないかもしれないとしたって、まあそんなものかと思って見る。しかし、世の中の当たり前の山のたたずまいだとか、水の流れ、どこにでもあるような家々のありさま、そういう珍しからぬものを描くとなると話は別です。

 誰もが目に親しいものなんですから、ハハァなるほどなあと納得できるように、なつかしくなごやかな風景などを、静かに描き込んで、遠景にはとくに険しくもない里山の景色などを、木々がこんもりして、いかにも俗世を離れた風情に点綴し、なお近景には、人里の垣根の内を描くについても、いちいちに特段の配慮や技法を用いなどしてね、ほんとうの上手というものは、とりわけて筆勢が格別で、すばらしい絵を描きます。

 こうなるとそこらの二流絵師などはとうてい足下にも及ばないというふうに見えますな。



 書の道だってそうです。

 ほんとうの書の心得もなくて、ただあちらこちらの一点一画を、すーっと長く伸ばして走り書きしたりして、

 なんとなく洒落たらしく書いているのは、ちょっと見には、いかにもひとかどの書き手のように見えますが、

 しかし、やっぱり正真の骨法をおろそかにせず規矩準縄に書き得た手は、一見すると何の技巧もないように見えますが、

 改めて、かれこれ並べて見れば、どうしたってその実直な筆法のほうに心惹かれる。




 というふうに、かりそめの技巧のようなことでも、そうなのですから、

 まして女の心なんかは、なにかの折節につけて、こううわべばかりを格好付けて見せるような表面上の風情などは、

 しょせん信頼すべきものではないと、私などは思うばかりでございますなあ。



 こう考えるに至った経験など、いささか好き者めきますが、申し上げましょう」


 こんなことを言いながら、左馬頭は膝を乗り出した。

 すると源氏は、ふっと目をさましてみせる。

 中将は、左馬頭をすっかり信頼しているようで、じっと頬杖をついて対座している。と、こんなところの様子を見ていると、話はたかが女の話題なのだが、なにやら法師が世の道理を説き聞かせている所みたいな感じがして、ちょっと可笑しかった。

 こういう時、とかく人は、自分の色事話なども、ついついぺらぺらと喋ってしまうものである。



posted by サロドラ at 07:07| 書道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする