2021年04月12日

神秘 @ 絵画



前に書いた記事に関連したニュースを見つけた。

https://www.cnn.co.jp/style/arts/35168801.html


 これによると、洞窟内が酸欠状態である種の神秘体験をしやすくなる、とのことで、こういう壁画を描いた古代の芸術家は敢えてこうした状態を求めたのである、という主旨の学説らしい。

 これを読みながら、むか〜しよくあったライブハウスとかのド熱いロックバンドの酸欠ライブ(近年ではもう無いのかな?)をワタシはついふと空想した。


 一瞬なるほど…とも思うが、しかし酸欠だから神秘体験だとか、それで空想を立体化しやすいから凄い絵が描けた、…ってのちょっとあまりなぁ。。。そりゃ学者が机の上で考えそうなことだな、と思った。


 5000年後のアカデミズムでは、古代のライブハウスでは酸欠状態でライブやってトランス状態になったりして観客で死者まで出る、というティーンエイジャーの通過儀礼(確かに事実ではある)が行われていた…、それは地球の豊饒を人々が願い指を変な形で立てたりして…などという珍説もまかり通るのではなかろうか?


(別に大地の豊饒を祈ってライブやってる人だとか観に行く人など現実いないのであって、そこでは皆が純粋なエクスタシーを求めているだけである。)



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 この記事にある写真の壁画、これは全く凄い絵で、線の描写力、紙や布なんかに描くのとは訳が違う状況、岩肌の面が不安定な、まったく描きづらい場所に、フリーハンドで、しかも描き損じを絶対無しに描いてる訳で、もの凄い修練無しにこんな事はできない。高い次元で自分で絵を描いた事ある人なら誰でもすぐに理解できる事である。

spainh.jpg


 例えばピカソは線を描くのが超絶に巧い人だが、この壁画の線はこうした条件の違いから勘案すると、固定したカンバスに描いてたピカソの遥か上の卓越である。


 …がしかし、酸素欠乏に全然成らない場所の古代壁画も世界には沢山あるし、例えば日本の古墳内の見事な絵画も、別にそこに入ったからと言って酸欠にはならない場所であるが、その描写力、色彩、格調は、現代の画家でそのレベルの技術を持てる人がそんなには居ないレベルの技術的卓越である。

takamatsus.jpg



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 ただこの学説で納得できることは、神秘と絵、古代信仰(精神的営み)と芸術、の問題については、やはり共感できる重要なファクトだと思う。


 これは古代でも現代でも、おそらく未来に於いても、永遠に変らない…。


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 地下のライブハウスでのド熱い酸欠ライブは、古代人の営みと同じ事を現代の中で無意識にしていた、というのなら、そうなのかもしれない………。。。


 意味不明な、しかし確かな実存に満ちた熱狂…。物凄い芸術に必要なものは、ワタシはあの"熱狂"である、と思う。

 今、この時代の、個人が個別に、部屋で、空想して、ネットで繋がって、…というものに決定的に欠如してしまうのは、あの熱狂であって、そこでは本当に力のある芸術品は出てこない、とワタシは睨んでいる。


 随分前にたまたま見たシャガールの講義録に、パリで生まれた最高の絵画は、パリの街角のカフェ、そこにいる市井の人々、その不思議な熱狂の空気と、真っすぐに繋がっていて、ルーブル美術館とそれらは完全に地続きだった。だからこそ、あんなに素晴らしい芸術品の数々があの場所で生まれたのだ、とあった。



That's it.

posted by サロドラ at 06:22| art | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする