2021年06月06日

円環

 
https://news.yahoo.co.jp/articles/519faec31f39a96feb305db36f49001756eee186?page=1


 ワタシは氏の著書を子供の頃(確か小学生の頃)に読み、小説よりもルポの731部隊の話(悪魔の飽食)などは衝撃を受けた記憶がある。


 余談だが、細菌戦は日本軍によって第二次大戦下に想定され、実際に中国で開発されていた、という事実を考えれば、現在のコロナ禍の原型は、もう半世紀以上前にまさに中国で用意されていた事を意味する。

 それらのデータはGHQが全て押収し、米国の技術の礎となり、さらにその技術が再び中国で実験され(持ち込んだのは因果にもおそらくアメリカの学者だ)、世界的な災禍を起こした、という歴史の因果は、恐ろしいもの、業、「目に見えない円環」とでも言えるものを感じる。


 これらを小学生頃に読んだのがきっかけで、中学生頃に触れた遠藤周作の名作「海と毒薬」はワタシの中への浸透度が非常に大きかった。ワタシの"文学"との出会いは、ここに原点が間違い無くある。

 善と悪、戦争と平和、神と悪魔、……これらは自分の思春期の核の様に存在した事が、今になって気がつくことだ。


 昨年、春樹の父との邂逅、追想を描いた「猫を棄てる」にもそうした内容を含み、その部分は特に興味深く、胸に沁みる思いで読んだ。

 これらは父や母が戦争期を実体験した世代の共通項目ではないか?

 戦後世代の両親を持つ人に、この感覚や感受性は無い、という風にワタシには見える。彼等は現代から歴史を見過ぎている。

 文字で書かれた文献よりも、書かれなかった強烈な事実の方が、実際には歴史のファクトに膨大に多い。


***

 ところでこの記事の苦労、ワタシはまだ氏より遥か若輩であるが、この状態を8年前に疑似経験した。その時は、たった5メートル歩くのが必死の苦労で、ふと横を見ると高齢のおばあさんが杖をついて歩いてるのを見て、ただ歩く、というのはこんなに大変な事なのか?と実感して、隣を歩く見知らぬおばあさんの「偉大」を胸にひしひしと感じた。

 ワタシはまた、更に食事がまったくできなくなった。

 そういう体験は、人生観、自分の生きてる世界をまったく変えてしまう。

 しかも、それで眺める事の出来る世界は、より洗練され、より気高く、素晴らしいのだ。


 この体験は、自分の音楽観をも根底から変えた。

 これが無かったら、ワタシは普通〜にフルアコかなんかで唯ジャズでも弾くか、飽きたらマーシャルでロックでも弾いて満足してた筈。
 
 これらすべて、ワタシがまったく別次元の音楽に足を踏み入れるきっかけとなった。


 
 世界の見え方が変わり、音楽の聴こえ方が変わり、音の微細な聴こえ方が、完全に変化したのだから、もうそれまでの自分のままでいる事は不可能になった、のである。

 これはもう今迄のように、お手本とする何かの既成の音楽がある訳でも、そういう人物がいる訳でも無い。(精査に調べると歴史上にはそれと思しき人が数人いる、と思われる、が彼等の音、音楽観は実際には聴けない)

 
 ただ、ワタシの標榜する到達点への確信、それは20代頃にまるで不可思議な恩寵の様な偶然として現実に体験を積み重ねた"音楽というものの究極地点"、にやっと自分の力で近づいていく下地が固まってきたのだ、と思う。


 この旅は、なかなか、楽しい。


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posted by サロドラ at 09:09| 文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年06月03日

ラ・フェト・コモンス・ライブ #1



La fête commence LIVE〈ラ・フェト・コモンス・ライブ〉



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 さてお待たせしました。いよいよライヴを本格始動します。数年間、言語そのもののロジックの生成、音楽ロジックの生成、などじっくり取り組んできたワタシの最初ライブです。


 本当は昨年、ライブをしようと思っていたのですがコロナでできず、今回たまたまジャズフェスへのお誘いを受けた事がきっかけで、こうした流れになりました。

 XIでサックスを担当された花田さんと、これもまた偶然、近代詩の研究をオルフェウス読書会でしてたら、詩人の桑原さんと知遇を得させて頂いた縁で、これをミックスしたら何か生まれるのではないか?…と、いうワタシの直感から、こういうイベントのスタイルになりました。


 計3回のライブで、アート表現の全貌が体験できるライブとなります。


 おそらくワタシが誰かと演奏するのは暫くはこれが最後になる筈です。これから先は人間と演奏する音楽は暫くはしないつもりです。(想定される演奏に人間が身体的、能力的について来れない音楽であるがゆえ)


 つまり、終わりの始まりのライブという…。


 祭りが始まる、というタイトルは、桑原さんが2015年にドイツのベルリンで同時翻訳によってポエトリーリーディングをされた詩で、大変良い詩なのですが、これを生で聴けるのもまた貴重な機会でないかと思います。


 またサックスの花田さんにも無理にお願いして、完全無伴奏のサックスソロ(そういう実例は世界でも一部のフリージャズ以外まぁほとんど無い)、というかなりな難題に挑戦して頂く、という…。


 つまり、全てが全て、前代未聞の表現を目指すのが目的のライブです。


 "フェト - fête "とはギリシア語の"祝祭、祭り"が語源のフランス語ですが、祭りが始まる、というよりは、パーティーが始まる、という意味に近い言葉です。

 前回、偶然にチェンさんに巻き込まれてアリスの創作劇をした副題が『さぁパーティーが始まるよ!』というものだったのですが、今回、それを全く別の形で受け継いで、パーティーが始まる! ということになった、という事のようです。

(これらは何か神意によるものなので、ワタシ自身よくはわかってない)

 6月27日の第一回目の祭りの始まりライブは、個々の完全独奏ライブです。


 そういう訳で、皆さん、さぁ前代未聞の宇宙のパーティーが始まるよ!じゃぁぁ〜ん!!!!


posted by サロドラ at 09:09| 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする