2022年01月28日

鬼界カルデラ




 鬼界カルデラについて初めて知ったのはもう数年も前、大内さんが逝去された追悼ライブの折、楽屋でぼけ〜っとして「演奏する前に桜島でも眺めに行きたかったなぁ‥」などとふと呟いてたら、大内さん事務所を引き継がれた姉のご主人様が、何か突然、鞄から大きな地質学的な地図を取り出して、真剣な顔つきでワタシに説明をされ始めた。

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 その方は阿蘇の某施設の所長などをされてる本職の地質研究者で、いつもそんな地図を持ち歩いてるなんて、さすがプロの学者だな…と感心したのであるが、その内容は衝撃的で、鹿児島沖合の海中にある海底火山の噴火について、という件であった。


 ニュースなどでは専門研究チームが船を出して海中火山の様子を調査しているのを極たまに見かけるが、トラフや富士山噴火ほどのあまり大きな注意喚起は、TV等一般メディアであまりされて無い様である。

 その内容があまりにも絶望的過ぎてインフォメーションし辛い、…というのが真実ではなかろうか。

 
 それは世界でもトップクラスの破局的な噴火(リンクは阿蘇噴火想定記事)で、しかも研究者的には、いつ起きてもおかしくはない、という海底噴火である。


 トンガですら原爆の数百倍のエネルギーの爆発だった様だけど、このすぐ近くの海底火山はその遥か上の大きさで、今も溶岩は海中で吹き出し中で、エネルギーが凝縮過程にある、との事だった。



 ………………………………。。。。。。
 

 ワタシは楽屋の机に広げられた地図を眺めて沈黙するしかなかった。。。


 爆発は今日、明日かもしれないし、何十年後かもしれないし、何百年後かもしれず、案外何万年後かもしれず、こればかりは専門家でも予想が全く出来ないらしい。

 そりゃ地球内部の詳細観察は今の技術ではまだ全然出来ないのだから仕方が無い。

 ただ周辺の海の状態と、カメラを溶岩口近くに落として観察する、と言った表層のファクトを随時専門家チームは集めているらしい。

 

 地球というもの自体が巨大な生き物なのだ、とワタシは思った。

 I feel the earth,move,under my feet.なんてキャロルキングの古い歌がワタシの脳内を駆け回りもした。

 
 思えば我々は、宇宙をぐるぐる廻ってる辺境の巨大岩生物に引力で無理矢理へばりついて、しがなく生きている極小の生物に過ぎぬ。


***


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 九州あたりの神社、神道の歴史は、大和政権以前の本来の日本の宗教観を映した、古い神社が多い。それは関西、関東の神社とは根底から何かが違っている。


 ワタシはそれらを見るのが好きで、数年前は夜中に突然電車に飛び乗っては古代の古墳や祭祀場を旅したものだった(今は病気のせいで全くできない)。その所行はもはや"古墳マニア"と言っても良い。

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 そういう場所を歩いていると、地元のタクシーの運転手さんなど親切な説明等をしてくれたりして、本には書いてないドメスティックな濃ゆい情報を聞きつける良質なフィールドワークになっていた。

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 実際に歩いて風景を肌で感じて眺めると、色々な事が見えてくる。地名の漢字、人々の名前、地元の言葉、地形………。


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 南九州は縄文時代にやはり破局的な噴火で一度滅んでいるのだけど、その経験の風説から、神社が祀られ、天地自然をなだめる、という意味合いの神社が実に多い。


 人間が足を踏み入れてはいけない禁足地となってる神域は言わば結界で、現実に災害が起きてもその結界外ではヒトが生きていける臨界線となっている。

 
 ゆえに御祭神の中心は、記紀神話に登場する神々とは違うものが多く、そちらこそが中心で、後づけの様に神話上の御神名が横並びに祀られている。


 ワタシはその辺りに非常に興味を惹かれて導かれる様に、そういう場所をうろうろとしている事が多かった気がする。

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 それらの神域とは自然の脅威の中心となる危険な場所で、安易にそこに人間が入るな、という古代からの経験から来る智慧だった様である。

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(どう見ても活火山の山肌)

 しかし、そうした場所には何か特殊な磁場が働いているのも事実で、ワタシはいつもそれらを肌感覚で感じる。もしかしたら、それが温泉の様に身体に良い効果ももたらし、人々の病気が治ったりもした事があるかも知れない。

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 トンガの噴火の時は、衝撃波が地球を廻ったらしいが、噴火数時間後に今まで経験した事が無い謎の全身の筋肉痛に似た傷みで、眠ることもできず、深夜で病院は開いておらず、、でかなり困った。

 さらに翌々日は、学校の講義にでかけて終わって帰ろうとしたら、パニック障害の発作なのか何なのか、タクシーですら乗り続ける事ができず、途中で降りて歩こうかと思ったら、激しい動悸と目眩で歩く事もできなくなり、本当に困った。

 5m歩いて止まってじぃ〜っと休み、を繰り返して、結局帰りつけるのに数時間かかった。凄く短い距離なのに…。。

 
 おかげで行き倒れる危険を感じて心底恐ろしくなり、50m圏内だけをウロウロして生きている。


 もう少し暖かくなれば、仮に途中で生き倒れて立ち往生しても死にゃしないだろう、と暖かい春を待つばかりである。


 たぶんワタシは病気のせいで身体が過敏に成っていて健常な方より、身体が何かを敏感に察知する状態なのではないか、と思ふ。


***


 という訳で、九州南端の海底火山噴火の際には日本全体大変な事に成る(ってか死滅に近いが…)のだけど、水道、電気、ガスといったインフラが不能化しても、生き延びるサバイバル術を日々訓練することを日本全国民にワタシは強く推奨したい。。

 人間の小賢しい人工的担保、保険の類いは、その規模では一切、消去される。


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 その際には再び原始時代に戻るのだ。




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↑全然関係無いが天文館むじゃきの白くまは実に美味いものよ。

posted by サロドラ at 18:23| 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年01月07日

新春ねこ天国


 新年に際してどうやら天界からのお導きらしく、普段は友ネコ連山口支部の面々としか遊ぶことしかできぬ哀れな身分なのであるが、世界中から同種族が集結してきてくださる、という嬉しい出来事が。

 何しろ、道を歩いても急に倒れそうに成ったりして、救急車でも呼びかねない危険な状態なので、数キロ先ですら遠出することができない。

 そういう訳で友ネコ連の皆様にも新年のご挨拶ができずにいて、独り悶々としていたところである。


 そんなワタシに風の便りが舞い込み、どうやら50m圏内に、なんと世界中から選りすぐりのネコ連が大集結するらしいではないか?


 ふぉぉぅぅぅ。。。。

 
 新年そうそうねこ天国へ、と。。


 足を運ぶとコロナのせいかヒト気が少なく、あまりヒトの居ない会場に、数十匹は御集結されておるではないか。
 
 
 できれば、ねこ科の活動時間の朝3、4時頃に御逢いしたい気もするが、それは叶わぬ。

  ふわり、と登場したネコ科のワタシを、"ねこ"の名前の由来通り、ご〜ろごろ寝てるねこが過半数を占め、起きてるネコがワタシを見かけて健気に接待してくれるのが嬉しい。

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 いつも思ふのであるが、洋ネコ類は毛がふさふさして手触りも良くデザインも何か美しい。しかし性格は押しが強かったり、どこか冷たい風情もあったりするが、和ネコは何処かおっとりとした優しい性格で、ワタシの顔を見ると、何か話しかけてきては、膝に乗ってきて、納まりの良い体勢に落ち着くとすやすや眠り始めるので、首をなでたりしていると、ゴロゴロ喉を盛大に鳴らし始める。

 また、やけに優美な姿のシャムは、やはりワタシの顔を見て走ってやってくると、激しく全身で抱きついてきて、ワタシの顔を舐めたりなんだり何か大忙しである。

 それはそれで嬉しいのであるが、しばらく熱い寵愛を受けると、ふいっ、と何処かに気侭に行ってしまった。

 

 ………。


 なんてか、これ、日本の女子と、外人の女子の違い、とでも喩えれば良いのであろうか…????


 やはりワタシは和ネコを推す。


 和ネコはどうやら漢字伝来の頃、中国から渡ってきたのがルーツらしく、和ネコの歴史は漢字の歴史とともにある、と言っても過言ではない。

 大陸的な性格から徐々に島国的な性格へと変化したのかも知れない。

 まるでそれは漢字から仮名へと変化した歴史様相と妙に似ているのではないか?

 
 
 立派な禰古萬樣(敢えて尊称のつもりで由緒ある古式名でワタシは普段呼ばさせて頂いている)に相談を持ちかけてみる。


 非常に慧眼な新年のご助言をワタシは禰古萬樣から頂戴した。

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 それはこんな内容であった。


 「われわれ禰古萬族は、無駄なことはせず見ての通りごろごろ眠って過ごしている。

 危険を察知したらイソイソと逃げるし、余計な争いは好まぬ。

 そこにこそ生きる奥義があるのだ」


 ワタシは敬服した。

 その誠に見事な叡智よ。

 
 
 思えば、日本美術の最高峰に位置する最高傑作は何か? というテーゼにワタシはこれこそが日本の最高の美、哲学、を凝縮したと思しき最高の芸術品、と昔から崇敬している作品がある。

 それは日光東照宮にある、左甚五郎作「眠り猫」である。

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 20代の頃は暇があればよく足を運んだものだけど、近年は遠くて簡単に行けない(今は更に難しい…ってか絶対に無理)。


 これは美術の教科書などにもよく掲載されているが、ワタシもよく写真で眺めていたものである。

 
 この眠り猫がなぜ凄いか、それはただ見ただけでは理解不能である。

 この左甚五郎の作とされる、同一、同種のものは、京都知恩院門中の「忘れ傘」である。

 これは小学生の頃、初めて生で見た。その説明書きには「魔除け」とか「火難除け」とか書いてあった筈だ。

 この説明は、当たらずとも、遠からず、なのであるが、その秘密のヒントを貰ったのは、恩師のジャズピアノの佐藤允彦さんから現代音楽の作曲法についての講義を受けていた時である。

  ふと思い返して、あの不思議な傘の意味を初めてワタシは知った。


 それから左甚五郎に就いて色々調べて東照宮の眠り猫の記憶が蘇り、写真ではなく、初めて生で眺めに行った。


 数時間、ワタシはそこにじっと居てそれを眺め、それを眺めるヒトを眺めた。

 観光で来る多くのヒトは、あぁこれが有名な眠り猫か、…ぐらいな感じで、スーツ姿の眼鏡中年おじさんなどは、「なんだこりゃ、ただの猫じゃないか?」とぼやいていた。


 ワタシはそれらを眺め、それが「ただの猫」であるからこそ、物凄いのだよ、と心で呟いたものだった。


 また知恩院の忘れ傘(←10年前はヘアスタイルが違う)は「ただの傘」であり、だからこそあれは何かとてつも無いのであって、左甚五郎が後世の日本人へと投げかけた謎かけ-Question?は、やはり日本初(世界初)の、最高の、コンセプチャルアートなのである。

 それはM.デュシャンの便器よりも、遥かに時代が早く、そして遥かに深い。


 その意味は、理解できるヒトが理解できれば良い。

 まるで馬鹿は素通りせよ、と、言わんばかりである。

 それくらい、なんとも何気無い。

 
 本当に凄いものは、至極、何気無い。

 …だよね? 先生。

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posted by サロドラ at 07:07| 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年01月01日

★ 謹賀新春 〜寅〜



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淡雪舞ふ 末古止乃春末天 阿止比登月



 恒例の十二支の哲学による今年の指針、寅年の象意に就きまして。

 寅は、矢を両手で左右から持って真っすぐにする形を描いた象形で、かなり後の時代に、それに御霊屋の屋根であるウ冠をつけた形がついて現在の形に成った漢字です。


 一昨年の子が右手をあげた子供(王子)の象形で、

 昨年の丑がその右手で何かを掴もうとしている象形。

 今年の寅は両手が登場し、矢を真っすぐに支え、直している、と解釈される象形。さらには、それが屋根の中に入っている、という形式に成っている。


 寅という漢字は、何かを真っすぐに直す、または、屋根のある家の中で、真っすぐにする、正す、という意味で漢語としては「慎ましい」という意味合いを含意する漢字です。



 
 そういふ漢字学を鑑みた今年の寅年は?


 今年は、一昨年に産まれ、昨年に右手で掴んだ色々なもの、価値観を、今度は両手で正しく矯正し、修正し、それらをより強く大きな流れにしていくのに必要な準備を家に籠ってする年です。それらは未だ表に表出せず、地面の底で新しく芽ばえ掴んだものを、しっかりと調整していく、という年と成ります。


 一見地味な様ですが、仕事だろうと、遊びだろうと、趣味だろうと、更には芸術作品だろうと、何だろうと、この世の全てのものは目に見える表面の結果ではなく、それを"そうさせている力"こそが実体で、昨今そこが大きく勘違いされていて、それが原因と成って社会全体を脆弱化させている。

 目に見える表面ばかりしか見ない人、見えない人、見て呉れの表面の現象に惑わされる人は永遠に無能です。


 目に見える場所で華を持てる有能な人は、見えない場所の集積、質が非常〜に高く大きい。
 
 
 つまり、一見地味な今年こそが真の意味での真剣勝負の年です。


 こういう目に見えない場所で、正していく人が社会に増えれば増えるほど、全体の民度は大きく上がり、パワーが強く成る。”底力”というやつです。


 …という訳で、今年は来年以降に表面に芽吹くものの準備、調整、修正を綿密に行いましょう! それが今年1年を「生きた年」にする重要なコツです。怠らず精進あるのみ。



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 会員の皆様に御送りしています、拙著の賀状は、今年は東北東の方角にフレーム等に入れて飾ってみてください。(たまたまここをお読みの方もどうぞ試しに画像をプリントでもして、東北東に飾ってみてくださいね。)


 きっと良い事がありますよ。




 本年もよろしくお願いいたします。


 令和肆年 新暦 祝月 元旦  

posted by サロドラ at 09:09| 書道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする