インドではこの時期、女神を祀る祭祀で9日間過ごしています。
私も現地でそれを体験したことがありますが、眺めていると、玄関の前に魔除けの模様を描いたり、夜昼灯火をずっと灯したり、なかなかに風情があるもの、です。
こんな風習が数百年ではなく数千年も続く文化、文明。
日本で言うと、京都の大文字焼きや、精霊流しの様な風情と、どこかそれは似ていて、日本文化の根源はやはりかの地にすべてあるなぁ、と想いを寄せたり。
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哲学でそれを観ずるなら、女神とは自然、自然元素の表象で、創造、維持、破壊を表象する三神に付随する女神をそれぞれ三日間ずつ、計九日間祀り、熱心な帰依者はその間は断食をしたり、節制をしたりします。
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そうした祭祀によって、断ち切るのは様々な種類の『人間悪』。
故にもっとも重要視されるのは破壊の神の女神、それは火の元素を司る女神で、神話の説話上は、神的恩寵によって、神も男も殺す事ができない悪魔的な存在を倒す為に、神の謀ごとで女神の姿で様々な武器を持つ神が顕れ、それを倒す、というものです。
まるでそれは人間(悪)と自然(善-神)の関係を説明している様で、とても面白く、そして興味深い。
女神と九夜過ごした後、もっとも古い神話上の神、全世界の主祭神(悪魔との闘争の果てに倒す英雄)を祀る祭祀によって『絶対善』の勝利を祝祭して、一年が完結します。
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日本の今のニュースを眺めていると、夏の異常な暑さで生態系が変化したからなのか、街中に熊が出てきて人を襲ったり、なんだり。
熊も大変だろうけど、山でもない普通のそこらの街道を歩いていて襲われるのも、ちょっと……。
しかし、かのインドの説話や祭祀を眺めて、自然への畏敬の念を、かつてはもっと持っていたであろう日本の文化を考えると、異常な夏の暑さと同じく、それもある種の人災にも思えます。
勇壮な熊は山の自然そのもの、象徴なのだから。
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そんなことをふと想いながら、言葉を棄て、この世界、その謎や神秘に想いを馳せ、九夜を灯火とともに静かに過ごしました。
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偶然、ちょうど中日が、私の生命の旅路の生誕日。それが最初に始まってから137億年…。
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しかし、その前後、どうにも煩わしい何かが周囲に。それをよくよく観察、洞察。
その正体を、私は知っている。
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思えば、人間悪、それは言語と共に始まった。
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音楽というものはどこか天界的なもので、心惹かれてやまない深い理由ですが、言語にはどこか、有益な力と同じ質量の邪悪な力も備わり、またそれは、人間の驕りともどこか地下深くで繋がっています。それは切実な最後の人間の砦、壁。
まだ文字も持たなかった古代の人々は、その特質、言語の境界壁に今よりも遥かに繊細だったのかも知れない。
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と、過ごして九日目。
これも偶然、旧暦の九月九日。重陽の節句。
偶然ながらよく出来ているなぁ、、、と、感心しつつ、気が向いてふらりっと地元の女神様に参詣。
神殿に到着すると、太鼓の音が鳴り響き、他に誰もいない中、大祓祝詞を宮司様が奏上されている。
幽玄に響く音に聴き惚れて、頭を垂れて長い祝詞祭文をずっ〜と拝聴。
耳を澄ませて聴くと、その物語中に、祓いごとの秘技が語られている。
これまた、偶然に佳きものを聴きました。
非常に不思議な事に、なにか大事な祭り事の折、いつもこんな風に、まるで導かれたかのようによくよく立ち会う‥‥。(←なにも、考えておらぬ。)
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そんなこんな、なにか黒い悪を倒す、さらに黒々とした女神に想いを馳せていたら、ふわり、と、、
チベットのヒマラヤ山奥深くの大自然から、まるで宇宙の漆黒のような数億年の物体が手中に…。きっと、女神が黒い悪を倒したのでしょう。
とても、素敵な九日間。