The 御來光 
こんなのを眺めたのは、何十年ぶり、いや、もしや子供の頃(それもたった一度だけ)、以来では?
だいたい、太陽が昇る時間に眠りにつく習慣が、大昔から規則正しくあるくらいで、太陽が昇っている、と言うのは睡眠に入るノロシに等しい。
そんなこの身が!!
で、もはや初体験と言ってもいい、
初日の出なるものをジィ〜〜と眺めた。
………………なかなか、上がらん。待たせるものよ。
そこらじゅう、皆、やって来ては、初日の出フリークらしき人々が、待ち侘びて立ちすくしている。
なにか神社参拝よりも、神聖な生もの、を待ち侘びるどこかシュールで宗教的な風景に見えるから、実に不思議である。
で、いよいよ!
うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!!!
裸眼で見てると、なんか紫色に光が見えてきて、ほとんどサイケデリックな体験では無いか??
そうか、初日の出フリークは、皆、こんな
サイケな超越体験をしておったのか!!!!!?????
と、初めて知るこの身。
で、写真を撮ろうか、としてみたら(皆さま、スマホを手に待ち構えてらっしゃる。)、、全然、この裸眼サイケな絵柄は撮れぬ、もの。

あまりに寒いので、スタバでお茶しながら温まり、google推しのAI機能、消しゴムマジックで、要らぬ人やら、木やら、建物やら、変な電線やら、
消すは消すは。

すると。
***
ひと休みして、今度は近くの氏神様の社へ。
何か意外にも賑わっており、無料で甘酒を接待してくださっている。美味しい。
茅の輪をぐるりぐるりと、くぐってみたりして。
***
今にして初めて知ったのだけど、境内の幾つかの社をジィ〜と眺めていると、あら?と気づいたことが。
この身がいつも生息し、たまにミュージシャンの合宿所とも化すこのお教室は、明治時代に写真館として建てられた古い建物だけど、それ以前の江戸期まで、この場所は恵比寿様が祀ってあった神社で、ここに祠があり、そこには全国から旅芸人の傀儡師達(操り人形による舞台芸)が集まり社で
ステージをしていた、との古文献の記録を随分前に読んだ。
(ちなみに、これも偶然、江戸期からの傀儡集団が東京の吉祥寺に今も存続するが、その劇団の運営する喫茶店は
日本一素敵な喫茶店で、日々の読書や、仕事の打ち合わせなど、常に利用させてもらっていた。さらにもっと深恐ろしき縁もあるが、これはここでは敢えて書かぬ…)
そうか、そんな由緒で、この身はこの場所で日夜、音楽と書に精進し、おそらく山口の歴史上おそらく初の古代サンスクリット語によるveda(30年くらいは毎日密やかに研究している)を、独り朗々と音読、詠唱してみたり、などしている、という訳か…と、妙に納得した。
どおりで、やけに全国、いや全世界から、旅芸人(ミュージシャンだけどね)を引き寄せる妙に強い磁場がここに…。
で、ここに元々いらっしゃった恵比寿神様。
境内をよく眺めると、八柱の神を遷宮して集めた祠に、鎮座されておられる。
おぉぉ!!!なんと、ここに!??? そもそもこの教室周辺は、その当時、参勤交代の旅休憩所で栄えた場所で、当時は神社も8、9以上は周囲5、600m以内に有り、仏教寺院もまた7、8社はある(こちらは今でもある。)
その関係で、明治維新期に多くの若き著名な密使達、皆、この辺りで密会しており、障子や襖の裏側から、密議文書が張り紙で発見され、うちの書道会も昔はよくお世話になってた裏打ち(和紙の二重貼り)老職人さんは、それらを密かにコレクションしていたのを生前に見せてもらった記憶がある。
その老職人さんは、役人どものバカものどもは、こうした重要な歴史文書の重要性、保存の意義を全然わかっておらん、と、この身に実に苦々し〜い顔でボヤいておられたのをよく記憶している。
さらに江戸期以前、中世の鎌倉、室町には大内氏の邸宅がこのあたり一帯を占め、つい去年も、教室の10m先を工事してたら大内氏関連の遺跡が新たに発掘され、調査されていた。
ここまでは、よく
山口の観光の名所として、語られること。 歴史マニア、歴オタやら、全国から惹きつけるのに充分なポテンシャルはまぁ、ある。
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が、、、流石にここにもはや20年超えで生息してみると、そういう表面ではない、もっと凄い、何事か、を体感として、ひしひしこの周辺の何かしらに感じるのである。
それは大内文化、ザビエル、雪舟などが中世を絢爛に彩るよりも、はる〜〜かに以前の、おそらく本当の山口の秘密、である。
それが、この身をして、ここに惹きつけ、縛りつけている磁場、何か強力なフォースを深い地面の底から放っている何か、である。
***
京都、奈良、そして鎌倉。 そうした日本を代表する古都は、6、7世紀以降の日本の歴史の所産である。
そもそも、中世に朝鮮由来の大内氏がここで栄えた原因も、大陸から地理的に近く、中央集権国家の体を成した大和政権に癒着し、ここに基盤を作ったその元のポテンシャルは、中世以前の、まだ奈良、京都で中央集権化する以前の、地盤が強固に存在する。
そこで、中世以前、大和政権以前の記憶を辿るもの、として山口市界隈全域、さらに山口県全域、を俯瞰すると、それを伝える不思議な神社や遺跡が、かなり多く存在する。
そういう種類の神社は、創建がいつなのかもはっきりせず、宮司さんなどにお話を伺うと、どうも御神体は社とは別の、山全体だったり、巨大な岩(磐座)だったり、弥生以前の記憶を継承するものらしく、表面の儀礼は中世以降の神道の様式の体を成しているものの、裏の本来の儀礼の対象は、まるで別の、宮司さん達にも、実はよくわからない、しかしそれこそが重要な得体の知れぬ「何か」らしい。
そう言う現場に、この10年くらい、なぜだか導かれてふらりふらりと吸引されるかのように足を運んだことがある。(ちなみにそう言う場所でUFO(?)すら、見た。)
こう書くと、愈々、怪しさを増すが、しかし、、、事実である。
そう、ここだ。真の中心は。
この中心は、たぶん、今も日本を支えている。誰にも知られずに…。
大内氏が大陸から来たのも、
ザビエルがキリスト教という光を持って来たのも、近代日本を建設しようと明治維新の立役者達が来たのも、この密やかな力に、無意識、無自覚に釣られて来た、のである。
これはこの10年くらい、色々研究していて、やっとその輪郭がぼんやりと見えてきた”something”だ。
現実、これこそが、自分の音楽と、書の営み、普通の人からはかなりわかりづらいであろう、難解なそれ、をこの場所で導き続けている…。 ***
かな〜り多くある、それらの一つに、周防一の宮(五の宮まである)の防府市西部の玉祖神社がある。
玉祖(たまのおや)という名前からわかる通り、玉(ぎょく)、これは古代中国で、重要な霊物として尊重され、多くの漢字にも、この玉(ぎょく)から派生した漢字を、今でも多く私たちは使っている。その多くは「日」の形で混入し、例えば、太陽の陽の旁の上部の「日」、易、賜、などもこれに類する。
この実物は、中世、書聖 弘法大師空海が密教の呪具の一つとして唐から持ち帰り、その実物を見たことがあるが、1000年以上前の物体でも、元が霊石だからか、まるで輝き、光を失っておらず、とても驚いた。
しかし、実は中世以前、それは山陰側の特に出雲を中心とした場所に持ち込まれ、それが勾玉などの霊的工芸品へ進化した、と見られる。
温泉地で有名な玉造温泉は、その時代から栄えた場所で、出雲大社は、大和政権以前の巨大な神殿を拝する拠点である。
で、山口の玉祖は、その出雲からの移民で、一の宮が玉祖神社なら、その北方の数十キロ先にある二の宮は出雲神社(出雲大社とはあまり関連しない)である。
この二の宮周辺の木が、奈良の東大寺を創建する際の、基礎木材として選ばれ、わざわざここから奈良まで、巨大な木を運んだ。
木なら、全国のどこにでもあるのに、何故にこんな遠方の山奥をわざわざ選んだのか? ここに真の秘密がある。
東大寺は無論、国家鎮護を目的に創建した、特殊な建造物である。
日本を支える為に建造した寺院である。 ****
日本書紀よりも数年早く記述された、古事記は、大和政権のプロパガンダ的な書物の元の原初を孕む記述が多い。
712年。やっと漢字で記述することに慣れた頃、漢文でなんとか日本人が記述した最古の歴史書。
もっとも面白いのは、上巻の天照大神と素戔嗚尊のくだりで、姉弟の神の関係ながら、喧嘩をして岩の中に太陽神が隠れてしまい、それを神々が慮って、再び太陽を輝かせるくだりである。
これを歴史上に起きた皆既日食と見る研究者も多いが、神話として見るなら、それは唯物論史観ではなく、人間の心の世界の表象として見るべきである。
現存写本で最古の記述。

国立国会図書館コレクション
https://dl.ndl.go.jp/pid/1184132/1/18 【原文】
集常世長鳴鳥令鳴、而取天安河之河上之天堅石、取天金山之鐵、而求鍛人天津麻羅、而 【麻羅二字以音】
科伊斯許理度賣命【自伊下六字以音】令作鏡、
科玉祖命令作八尺勾璁之五百津之御須麻流之珠、而召天兒屋命布刀玉命【布刀二字以音下效此】
【読み下し文】
常世の長鳴鳥を集め、鳴かしめ、そして天安河の河上の天の堅石を取り、天の金山の鐵(鉄)を取り、そして鍛人天津麻羅を求めて、伊斯許理度賣命に科して鏡を作らしめ、玉祖命に科して八尺勾璁の五百津の御須麻流の珠を作らしめ、そして天兒屋命、布刀玉命を召して…
***
『素戔嗚尊のあまりの乱行に、憤った天照大神はぷいっと岩屋戸に引き篭もってしまい、太陽が隠れて真っ暗な暗黒となったため、八百万の神々は皆で天安河に集まり、思金神に思案させて』

まずは、常世(とこよ)の長鳴鳥(ながなきとり)を鳴かせた。
玉祖神社にいる常世の長鳴鳥。黒柏鶏。

実際に大きな声でなが〜く、こっぅけこっぅこぅ〜〜〜〜〜〜〜〜と鳴く鳥。さすが神話に登場する神鳥らしく、姿も勇壮で、世界的に見ても見事な部類の美しい鶏。
太陽の昇る朝を象徴する鳥。
神話、と言えば、新訳聖書のイエスが十字架に架かる朝、忠実な弟子のペテロが、鶏が鳴く前に3度自分の恩師のことなど知らない、と言う、と預言され、そんなことはしない、と言ったものの、実際は恐ろしくなったのか、気がつくと預言通り、3回もイエスなど知らない、と言ってしまい、その瞬間、鶏が鳴き、ペテロは号泣。
…という、どうにも可哀想な、実はとても誠実なペテロの話を空想してしまう。
ジュルジュ・バイタイユは、このペテロを秘密満載の最高傑作の筆名に「天使なるペテロ」として使用。無論、この聖書の哀しい話の引用。
さて、『太陽が昇る暗喩として立派な鳥が鳴いたのち、天安河の河上にある天の堅石、天の金山の鉄を取って、天津麻羅(あまつまら)という鍛治師の神を求め、伊斯許理度賣命(いしこりどめのみこと)に、八尺の鏡(約2.4メートルの大鏡)を作らせる。』

この鏡が、伊勢神宮にひっそりと鎮座する三種の神器の一つ、八咫鏡(やたのかがみ)。
鍛治という金属精錬の術を持つ職人がここで登場するが、これはやはり出雲に多く出土する古代最古の剣を製鉄した職人集団であろうか。それをオーガナイズするのは、作鏡連(つくりかがみのむらじ)=鏡をつくる集団を始祖とする子のおそらくは女神。
その次に、いよいよ玉祖神社の御神体である、『玉祖命に、勾玉を、五百津の御須麻流(いおつのみすまる)の珠(たま)=500個の、つまり多くの珠を数珠繋ぎにした喩え、で勾玉を八尺(約2.4メートル)の長さに連ねて作らせた。』
玉祖命は、この霊石を勾玉の形にカッティングする術を持つ職人で、出雲をやはり祖とし、出雲には当時の多数の華麗な勾玉が今も現存する。

これが皇居に鎮座する、三種の神器の八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)。
ちなみに、三種の神器の最後の一つの剣は、素戔嗚尊が八岐大蛇(やまたのおろち)という人々に害をなしていた大蛇を退治したとき、その蛇の尾から出てきた草薙剣(くさなぎのつるぎ)。
名古屋の熱田神宮に鎮座するが、この剣、大蛇の話の解釈は、代々連綿と出雲大社を継ぐ神官家系で、民俗学にも詳しい第82代出雲国造 千家尊統氏の解説によると、大蛇は河川氾濫の災害を意味し、この河川では砂金が産出され、大蛇の尾から出てきた剣とは、河川氾濫を治水工事で収め、その際に砂金などの金属から剣を製鉄技術によって鍛治師が陶工した、という説を唱えておられる。かなり信憑性が高い学説。

と、いうわけで、日本神話の3
種の宝、これらすべて、出雲関連の産出なのである。

***
山口に話を戻すと、この出雲族は大和政権成立よりもかなり以前に、山口に移住した民がいた痕跡が神社をはじめ各所にある。
その代表が、玉祖命を祀る玉祖神社で、その背後のひっそりとした場所に、玉祖命の墓所まである。
この周辺地域は、大和政権成立時から、製鉄、鋳造などの技術に優れ、和同開珎(わどうかいちん)=日本初の流通貨幣の鋳造所でもあった。やはり708年、古事記の記述と同時期である。
これは、出雲族からもたらされた技術、またこの土地にある鉱山から産出される銀、銅などが合体して生まれた現象である。
***
と、まぁ歴史の検証をそれなりに記したけれど、こうしたこと、以前の、それを導いたもっと凄い話があるにはあるけど、これはまだ秘密。
これが、この身の奏でる音楽と、書を、導いている御神体。
この場所が、いかに歴史的にかなり特殊な場所か、その片鱗が伝われば佳きか、と。
ま、いいや。
神話の鶏は盛大になが〜〜く、鳴いたぞ〜!!! 太陽が隠れて暗闇〜〜な感じの、この世。

さぁ、太陽を開けよう。
