2009年10月23日
Fruitarian
私はフルータリアン‥、と本当は言いたいのですが、実際は単なるラクト・ベジタリアンです。
でもネットを眺めるとこの10年でかなり世間的にも私と同じ人が増えたと思います。
15年前は、『俺、フルータリアン』とか言っても誰もその言葉すら知らなかった(笑)。しかし本当に純粋なフルータリアンって、きっとまだ世界でも少ないでしょう。
その当時、私は1カ月だけ、純フルータリアンをしてみましたが、色々な事情でそれは1カ月が限界でありました。
挫折理由その1.
お腹一杯フルーツを食べるとなると、毎食ステーキを食べる以上にお金がかかる。異様な食費増大になってしました。…そりゃ、メロン一つでも最低2、3千円はするし、その上、大好きなマンゴー、ベリー類、スターフルーツも並べて…、とかしてると、そりゃもう凄いゴージャスな状態です。
他には、木の実、ミルク類(ヨーグルトとかバター)、を主食とします。これはインドや中国の古い聖典の記録から類推してこのスタイルに成りました。
挫折理由その2.
ベジタリアンに切り換えた時も、随分クリアーな気分になるものですが、その上を行くクリアーさで、本当に目の前の風景が変わります。空気の透明度が高いというか、光りの光量が強いというか…。
これはかなり楽しいのですが、全てが明晰なのは、かなりちょっとキツイ。もしも道行く人達の心の内面を全部見えたとしたら、どうでしょう? 世の中悪人だらけにしか見えなくなります。それよりもっと深く見ると、本当は皆さん、神様の様に善人なのですけどね…。
挫折理由その3.
やっぱ体力落ちる。。。朝を起きて、手を挙げようとすると、なんか挙がらない…。しかし、コンクリート壁状態の都会ではなく、まわりが大自然に囲まれた場所だと、ちょっとこれ、違うのかも。。。なんか外からの力の加減が良い場所だとね…。
そういう訳で都会のフルータリアンはたった1カ月で失敗しましたが、今、イナカだし、またいつかチャレンジしようかな、と。
哲学的には、フルータリアンこそ、人類至上の食生活である事を私は信じます。食物連鎖の輪からもっとも遠く、真に人間的な肉体的要求、精神的要求を満たすものではないでしょうか。
最近、日本文化の発祥を追ってたら、それは人類文化の発祥に繋がったのだけど、その場所はずばり南国なのです。フルーツが有り余る程自然にできる…。思うに、本当は人類ってもともとフルータリアンだったんじゃないのかな?
ゴリラとか猿って、木で果実を貪って生きてるしね…。
ある意味、魚を釣ったり、動物を狩猟したり、そして農耕を始めたのが、人類の特有な発展をみたのだろうけど、おそらく本質…(それは肉体の姿形とか、精神の霊性とか)、から見るとひどく不自然な事をしたのかも知れない。
初期の小乗仏典なんかには、人間が動物を殺して食べようとした瞬間に、神々が猛反対した、などという記述もありますね。
今、流行の環境問題って、結局ここから既に始まった訳だからね。ディープエコロジーは、確実にベジタリアンも通過してフルータリアンに帰結するだろう、というのが私の見解です。
アダムとイブが食べるのは「禁断の果実」であって、魚や動物じゃない、ましてや野菜や米じゃない。
ま、しかし実際は、とりあえず、禁酒、禁煙して、と(笑)。ラクトベジを続けようかな、っと。いつかはフルータリアンを。ゴーギャンみたいにそこらじゅうにフルーツがある南国に移住するかな…。
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