2013年11月06日

ブラックジャック


http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20131104-OYT1T00361.htm?from=ylist
興味深い内容です。

マンガの神様、手塚治虫。

 私、ここや昔の日記にも何度も書く通り、小学生時分には漫画家になろうと真剣に毎日修練してた頃もあり、ブラックジャックも当然、重要な研究、練習アイテムの一つでした。

 今でも、おそらくそっくりにあの顔を描写できる自信があります。

 しかし、そういう幼少時の頃に強く自分に擦り込まれてるもの、というのは恐ろしい力を持つもので、現在の自分の価値観にも、多くの部分にそれは浸透していると思われます。


 あのマンガの魅力の重要な一つに、助手のピノコの存在があるのだけど、今思うと、なんてシュールな存在でしょうか?

 手塚はまずアトムでロボットを描いたけれど、ピノコは、生の人体パーツから生まれた、言わば人造人間です。



 手塚マンガに触れる時、そこにはヒューマニズムが最高に巧く描かれてるのですが、そのヒューマニズムの内容は実に毒気を含んでいて、それは本質論としては病的ですらある気がします。ブッダ、火の鳥、、それらの描かれ方に、非常に重要なヒューマニズムの恐ろしい本質が描かれている。


 そういう毒を毒のまま描いてる手塚作品の一つに、奇子(アヤコ)という作品があります。

 これは、ヒットラーについての作品、アドルフに告ぐよりも、日本的に陰湿で、恐ろしい人間の在り方を描いていますね。


 でも、この黒い側面こそ、彼をしてマンガの神様の地位に納まる偉大な作家にしている。

 これは子供受けをする藤子不二雄の漫画に、やはりその様な黒い陰影をはっきりと宿していて、その面もまた純粋にアダルトな形で作品化されているのと同じです。


 そういう陰影がはっきりある作品や作家こそ、ファンタジーをリアリズムとして描けていると思います。






 …で、私の得意の自慢ネタで、人に吹聴してやまないのですけど(笑)、このブラックジャック連載当時に、漫画家志望であった小学生の私は手塚治虫御本人に直接会って、まさにブラックジャックの単行本にサインをしてもらった、という。。


 小学生の私は、彼のペンの持ち方、筆勢などを、生で凝視して観てました。

 何しろそれはもう、自分が毎日練習してる、そのお手本の絵を描く御本人が実際に描く姿を真近で生で見る、という衝撃的な場面で、今でも、そのお姿をはっきりと記憶しています。


 神様のお手並みをその手元で鑑賞した、という。。


 私は書道を3歳くらいからずっと臨書練習をしてたせいで、線を描く、という事にはかなりな修練を既に積んでいたのですが、顔の描き方、表情をどう出すのか、またそれ以上に人間の情感やエモーションをどう表現するか、という部分は手塚漫画から、当時はかなり学んだ気がします。


 で、それは結局今では、漫画ではなく、音楽、特に演奏、プレイスタイルの側面にとても役に立っているという。。。


 この状況は小学生時分の私には、ひとかけらの予想をすら出来ない事でした(音楽、というか学校の音楽の授業が、とにかく大嫌いだった)。


 …これを思うと、子供が本来持つ可能性はまったく未知に溢れています。



 しかし、今でも不思議なのは、そんな小学生時分に、何故、東京を私は一人で自由行動をしていて、たまたまそういうチャンスに偶然に遭遇したのだけど、その経緯が、なんだか記憶に曖昧です。何故そんな出来事があったのだろう?





…………………………………………、、、、と、書いてて、はっきり思い出した!



 あれは、丸の内、東京駅の前だ。新幹線の待ち時間が長くて、両親は駅の構内で映画を観てたんだ。それも確かアダルト系な成人映画だった(それしか暇つぶしのネタが無かったらしい)。で、小学生の私は、独りでそこらを歩きたくて、丸の内界隈を歩き回っていたんだ。


 忘れてたと思ってた記憶…。全部思い出せる。丸の内側の東京駅の景色。そして、デパートのビル。その階上で手塚治虫の原画展覧会があって…。そうだ、そうだ。



あぁ、もう記憶から消えたと思ってた自分の大切な記憶を、今これを書いてて取り戻した…。




posted by サロドラ at 15:38| art | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする