2014年11月03日

行書体


 最近、学校の講義では割と平易な種類の行書体に力を入れて日々稽古しています。

 数ヶ月前に読書会でも紹介しましたが、私は偶然、ラフカディオ・ハーン著『日本の面影』を読んで頭を殴られる様な強い衝撃を受け、そこから開眼して渡辺京二著『逝きしの面影』を少しずつ読んでるのですが、現代日本人の一般的日本観と、奈良、平安から明治初期まで続いた『現実の日本』、『現実の日本人』というものの、とてつもなく大きな差異に、強い衝撃を受けています。暇なとき、ここにも詳しく記しておきたいことだと思っています。

 渡辺氏はこれを評して、文化というのは連続しても、文明というものは滅びる、日本という文明は一度滅びてしまった、と語ります。


 せめて私にできることは、消えそうな小さな文明の灯を消さない様に守護をしながら、さらに歴史上、未だ掘り起こしてない深い価値を発見し、新しい未来の価値を産み出す作業、です。

 
 現代では、簡単な楷書すらも、もう極普通の筆法を失いかけている時代にあって、草書はもはや完全に消失し、草書と楷書の中間を埋める行書は、草書を一般的に喪失している以上、当然ながら既にその体を成さない状態です。

 でも、そこに深く繊細な心の世界に通じる文明の所作があり、それはとても小さく見えて、とてつもなく大きなやり甲斐も私にはあるのです。


 こうした姿勢は音楽家としての私のアイデンティティーとも一貫して自然に一致しています。


 超古典、いや超古代主義でありながら、超最先端でありうること。それを世界と多元主義化してミックスすること。


 そういう自分を励ましてくれる気がして、最近はいつでも心癒され、共感し、自分の羅針盤にすらなってる、彼の不思議に素敵な声でも、どうぞ御聴きください。

「芸術と人生」ではなく「芸術は人生」、と力強く語る彼こそ、いのしえの美しい日々の日本人の忘れ形見ではないでしょうか?  小泉八雲ことハーン氏が魂を震わすほど感動したのも、まさにその一致を顕わしていた日本文明なのですから…。
 
 








posted by サロドラ at 21:09| 書道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする