2017年03月13日

The Book of Tea - 茶の本



 この時期、卒業や栄転などを祝ったりすることが、そこかしこで多いわけですが、いつもいつも、まるで条件反射の様に、つい無意識に口から出てしまう言葉、『うん、がんばってね』『がんばってください』『がんばろう』


 とにかく、何か頑張らねばならぬ気に人をさせつつ、私自身は日々淡々と己の為す事をこなしてゆく訳で。こりゃどう考えても、非常にシュールで可笑しな、そして偽善的な話である。


 そもそも「頑張る人」って、私としてはちょっと違う。

 無駄な力が入り過ぎてるだけの人で、正直、そういう人って私は鬱陶しいし、メンドクサイ。


 
 天恵の様な最高のもの、最高の仕事が出来る瞬間、それはいわゆる「頑張って」はいない、…と思う。



 最高の高い集中力は、物凄くクールで、冷徹な落ち着いた感覚からのみやってくる。

 例えば、その種の完成品の様なイチロー選手みたいな人から、『おれ、頑張ってます!』なんて言葉が出て来そうには絶対に、無い。



 「いやー、最近どうかい?」


 「いやー、がんばってますよ」


 などという会話は、お調子者同士の無意味な会話であって、そんな内容の無い場所に近づくのは私は嫌だ。


 だいたい「頑(かたくな)に張る」だなんて、柔軟性が無さ過ぎて、お話にならないよ、そんな硬い人は。。


 瞬間瞬間の変化にフレキシブルに、一瞬間のスピードで対応するのが、なんであれプロのお仕事なんだから…。




 …んな事を、つ〜ら、つ〜ら、と、このところなんとなく考えていて、ふと、見つけた。この件に関する核心なる言辞。



『茶の本』 岡倉覚三(天心)著




 東京芸大の礎を築いた岡倉天心のこの本は20代の頃から、安価な岩波文庫版でなんとなく読んでは居たけれど、いまいちその名著性が自分にはしっくり来なかった。…で、最近、偶然に元の英語(原文は英文)に触れて、衝撃的にびっくりした。だいたい、日本人が書いた本なのに原文が英文だ、という事にすらあまり気にせずに触れてたものだから、うっかりもいいとこなり。

 …これ、全然、違うじゃん。訳文と原文…。。。


 というより、非常に詩的な言い回しで、深い精神それも日本、東洋を総括した世界観を書いた英文なので、これは翻訳が非常に難しい。


 うっかり読み落した部分部分の内容が、まぁ凄いこと凄いこと…。。これは恐ろしく凄い本だぞ、おい。



 こちら、私が最初に触れた翻訳文。


 7章の中の特に第1章ラストは、素晴らしく美しい詩の様な名文として世界中で知られていますが、この翻訳文からは、その重要なエッセンスがこれをただ普通に流し読んでしまうと、ちょっと見えずらい。

 

 だいたい、女媧とか、大権現、とか現代日本人にはそれ自体が意味不明なり。


女媧
 https://ja.wikipedia.org/wiki/女カ



 下半身蛇の夫婦の神なり。

 わたし、この絵眺めると、最近大好きなAyabambiさまのお二人を何故かどうしても空想してしまいます…(笑)



さらには大権現
 https://ja.wikipedia.org/wiki/権現



 ………。。。 あの、これ、全然違います。意味が。本地垂迹がどうのこうのなど、この言葉の意味とは本当に一切関係無いです。


 『権現』と歴史的に表記されてしまうこの言葉は、天心の元の原文では「Avatar」と書かれていて、このアバターという言葉の観念自体が世界でインドにしか無いのであって、翻訳などできませんよ、そりゃ。。


 
 要は、この2つともそれぞれ古代中国と古代インド、もっと云うと東洋の神話に於ける天から降臨する救世主の事を意味しています。


 だいたい最初に私が岡倉天心という名に惹かれて読んだのも、彼はその当時に渡印していて、ヴィヴェーカーナンダという重要な人物に実際に会っている唯一の日本人だったから、なのですが、私がその当時に強烈に心惹かれたのがその師匠であるラーマクリシュナ・パラマハムサだったからです。その匂いの片鱗に触れたくて、私は当時この茶の本を読んだ。


 なので、私は道教やヒンドゥーなどには文献上はもう既にかなり詳しかった筈なのに、この一文で天心の語ろうとしている意味を完全に読み落していた。。


 それなりにあった知識でも、全く、読めていなかった訳です。



 …ということで、この『茶の本』はとにかく抜き差しならぬ名著なり、と推しておきたい。

 茶の本(このセイゴー先生版は案外お薦めかも)

 無料版はこちら先の岩波と同じ青空文庫版と、英文版


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 『現代の人道の天空は、富と権力を得んと争う莫大な努力によって全く粉砕せられている。世は利己、俗悪の闇に迷っている。知識は心にやましいことをして得られ、仁は実利のために行なわれている。

 東西両洋は、立ち騒ぐ海に投げ入れられた二竜のごとく、人生の宝玉を得ようとすれどそのかいもない。この大荒廃を繕うために再び女媧を必要とする。われわれは大権化の出現を待つ。

 まあ、茶でも一口すすろうではないか。明るい午後の日は竹林にはえ、泉水はうれしげな音をたて、松籟はわが茶釜に聞こえている。はかないことを夢に見て、美しい取りとめのないことをあれやこれやと考えようではないか。』



The heaven of modern humanity is indeed shattered in the Cyclopean strangle for wealth and power.The world is groping in the shadow of egoism and vulgarity.Knowledge is bought through a bad conscience,benevolence practiced for the sake of utility.

The East and the West,like two dragons tossed in the sea of ferment,in vain strive to regain the jewel of life.We need a Niuka again to repair the grand devastation; we await the great Avatar.

Meanwhile, let us have a sip of tea. The afternoon glow is brightening the bamboos, the ...

Let us dream of evanescence, and linger in the beautiful foolishness of things. (直訳: 儚きを夢みて、事物の美しき愚かさに、私達はしばし留まり過ごそうではないか…。)





前後の文脈から、さろどら超訳


 ま、天が整理してくれるから、それまですゞやかな清涼な午後にでもさ、

 そう頑張らず、お茶でも一杯、飲みなよ。







さすが天心の創った学校の遺伝子をなにか受け継いでいます7。。
 
 

posted by サロドラ at 07:07| 文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする