2017年10月06日

「日本語を書く」ということ

 

 いつもふざけた記事が多いので、たま〜には真面目な記事を書くか…(笑)。


 基本的に、書道も音楽も、授業、レッスンなどで教える内容を私はblogに書いたりしない方針をとっているのですが、たまには書いてみましょう。

 長文ですので、興味のある方はどうぞ。


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 ご存知の通り、私は現在、メールは拒否、lineも拒否、更には電話も…などという奇妙な状況を自らに課しています。

 唯一のコミュニケーション手段は、手書きの手紙。もしくはデジタルを介さずにリアルに話す、という事のみ。




 そんな奇矯な風体を採る深い理由があります。書の観点から、少しそれをここに記してみましょう。


 
 まず、簡単に記すなら、メール、PCでの文字表記、つまり皆さんが今、ここに見ている現代日本語のフォント表記で、本来の日本語の言葉の深い世界、美的で正確な表意文字の世界を描く事は、不可能です。更には、本などの活字表記でも、それは不可能です。


 私が拒否したいのは、まるで押込められ、監獄の様な場所に閉じ込められている現代日本語の言語世界で、それが許せず、それをリリース(解放)したい、との美学が、この数年、ずっと心にありました。


 そこで解放するのは、言語や文字の世界である以上に、実は、心、さらには魂、さらには霊、という領域にまで、それはおそらく及んでいます。


 このことを切に感じるのは、もう2、30年、毎日毎日、瞑想と共に独習しているインドのサンスクリット語(梵語)の世界を深めることによって、触発されているものです。あのインドの神々の言語の様な古語と、原日本語の本来の大和言葉は、性質としてとても似ているのです。


 日本語は漢語、漢文による漢字の輸入によって、現代へと続く文字文化の様相が出来ましたが、なぜそれは、それ以前の古代の時代に文字表記の姿をとらなかったのか?


 通常の学校教育では、この最も重要な問題には触れらていません。


 教育上は、ただただ、非常に狭い範囲の現代日本語の表記文字を、記号の様に文字を学習し、記憶する作業だけに、時間を割いている現状があります。これは明治時代の富国強兵政策に、端を発しています。この作業は、文化的な側面…、否、"文明的な側面"をまるで無視した、政治的なものです。それは識字率を100%にあげて、知的水準を高め、国を強くする為のものでした。


 この方針は、今の学校教育にまで、連綿と続いています。簡単に言えば、それは『軍隊教育』と言い換えても良い。


 昨今の学校教育上の問題とは、その歪みが、平和を是とし、憲法上の非戦を第一義とする戦後の今、ひび割れて噴出している、というだけのことです。


 当然です。


 矛盾しているからです。理想では軍国主義を否定しながら、軍国主義のままのスタイルの教育方針をずっと採ってきているのだから。ひび割れるのが当たり前なのです。


 明治以降のこのスタイルの教育様式は、軍隊を育てるものであり、この様式でいくなら、寧ろ、正規国軍を所有し、軍国主義である方が、寧ろ矛盾無くフィットします。


 一方では平和を謳いながら、一方では軍隊式のまま、なのだから、これはもう子供の心からすれば、なんだそれ?どうすりゃいいの??…ですよ。この問題を真面目に考えれば、そりゃ、不登校にもなれば、引きこもりにも成ります。成って当たり前です。


 さて、ここでは政治の話は横に置いておきましょう。




 私は、とにかく、この矛盾は絶対に許せない。


 それは明らかに、心や、魂を、迷わせる。



 これが始まったのが、明治時代です。


 明治の文豪も、大正ロマンの文学も、昭和の戦後文学も、一括するなら、この矛盾の倒錯を描いている。この迷える心、それが日本の近代文学の主題で有り続けている。もちろん、それは文学と芸術作品である以上、『美しい病』として、その徒花の心の世界が、言葉の世界へ昇華されている。




 しかし、これは美しくても、やはり病んでいる。どうしても、病んでいる。近代日本の作家の自殺とは、この矛盾に相対してまるで必然として起こっている。




 話を戻します。


 古代の原日本語、大和言葉。それは、その繊細さ、精緻さゆえに、文字化することを自らの性質から拒否していた言語である。

 これがインドの古語、サンスクリット語の性質と、そっくりなのです。

 かのインドと同じく、それはまず、神話の世界を描く言葉、口伝、口承の物語りの文学として、連綿と続いていたに違いない。

 ところが、サンスクリットは近代に於いても、その表記に厳しい規制を強いているのと裏腹に、日本語は、漢語の世界の触発によって、文字を書き始めることになります。そこにはやはり政治性が深く絡んでいる。大和政権の成立と、この言語表記の事件とは、密接な関係が有り、初期の律令制とは、憲法という文字表記によってのみ成立する国家形態と、軌を一にしている。


 文明的には、本来の繊細な日本語というのは書いてはならず、表記不可能なのです。


 その不可能性の実例は、今日では、地方の方言という形で、その言語の姿、響き、の面影を宿しています。方言というのは、どこか心を癒されるとても良いものですが、今でもアニメなどのポップカルチャーにも重要なアイテムとして、頻繁にその言語的な効力が使用されている。あれは本当は、日本語の本来の力の発現に触れる表現を、無意識に成している。



 さてこの表記不可能な言葉を文字化する時に、何をしたか? 

 音表記をひたすら、した。


 これが仮名です。


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 現代では、仮名はまるで捉え処の無い、もう本当はどう使っていたのか、正確にはよく解らない、秘密の呪文の様な様相となって、あまりに煩雑な為、明治期にほとんどが公式表記から削除されました。


 その無意味、無作為、意味不明な選択の残り香が、今、ここに私達が眺めている、平仮名です。


 その瞬間、本来の言葉の音、響き、までを同時に、日本語から失うことに成りました。

 まぁこれは、本当を言うと、江戸期にはもう、かなり混迷を呈していて、真実は解らなく成っていた、という状況ではありました。



 しかし、明治、大正、昭和、と続く現代日本の状況でも、昭和後期辺りまでは、まだ、この本来の仮名表記は、公式教育では無いにせよ、良識ある文人によって、微かに日常に使用され、公式では無い、という理由によって、俗に「変体仮名」と呼ばれ(思えば奇妙な俗称である)、今日に至ります。

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(昭和中期頃の手紙文章)


 ですから私達、書道を勉強する書家は、この変体仮名の世界を総称して、仮名と捉えています。


 しかし、音を失い、その正確な使用法を忘れたこの「変体仮名」は、もうデザイン上の意味しか持っていません。

 現代の仮名を専門とする書家でも、この正確な使用法からは、ほど遠い距離があるでしょう。

 平安の古典を深く臨書していれば、なんとなく、この用法は、これかな…?という直感は働いては来るのですが、その言葉を、自分が話し言葉として知らないのですから、もうそれはどうしたって空想です。

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 しかし、それでも、この本来の仮名を交えた書体は、やはり表現上、とても柔軟で、やっと足を伸ばしてほっとした、という様な趣を、実際に自分で書いてみて初めて実感できます。
 



 それは当然。300種以上の文字表現を、政治的に47種に押し込めて文字を書いているのだから、無理があるのは当たり前。


 この平仮名という監獄。


 これは現代日本語表記の一つの病です。これが、現代に於いて、一般論としては、当然ながら病とは認識されていない。


 さらにこれは文字表記の問題のみならず、この仮名表記によって、失った音、響き、…この問題に、これは敷衍し、現代に於いての標準語の、音の平面性、表情の無さ、に繋がっている。


 この音、響きを失った標準語に比べると、方言は、まるで『魂に手が届くような』とても豊かな音の響き、表情を宿しているのは、明白です。


 標準語の洗練とは、音の平面性と、無表情のことです。それを人は、奇麗な言葉だ、と誤解している。


 エスペラントとしての日本語、それが標準語ならば、エスペラントとしての世界言語が、英語である、という感覚と同じです。


 これは政治の問題であって、心や、魂を映し出す、文化、文明の問題では、到底、無い。



 さらには現代日本語は、漢語もほぼ消失する絶滅種の様相を呈し始めている。それは本来は外来語である以上、元の故事など、我々、日本人のものでは無いのだから、英語と同じく、厳しく勉学に励まなければ、真に身にはつきません。

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(この篆書体の漢字、深い内的な意味を理解する人は何人?※解答は下の方に)


 明治から昭和までの教養人の嗜みとして、漢籍に入る、と称するこの漢語の世界は、文字言語の基盤でしたが、今の日本は、英語をカタカナで使用することこそ知性の基盤と、闇雲に信じている有様です。これもまた、勿論、政治によるものであり、間違っても、文化、文明の問題では無い。世界の覇権を握る帝国主義と言える、あのアメリカ。それは軍隊と共に、政治的に日本語という言語に寄り添っている。


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 しかし、言語とは、その発生場所として、間違っても政治から生まれたものなどではありません。


  人間の、自然な営み、太陽、月、土、水、空気、自然環境がそれを人の体を通して、その響きや、内的な意味を、与えてきたものです。



 この問題を心や、魂で触れた時、私は、矛盾だらけ、雑味だらけ、意味不明な、日常の言語を一度、棄ててみたくなった。


 音、響き、そこから哲学した文字、それを全部書き換えてみたくなった。

 それが"Liu"というプロジェクトです。

 漢字も仮名も棄てた。漢語を棄てた。そして日本語も棄てた。


 創作言語を語り、創作言語を謳い、創作言語を書きたくなった。

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 それが深まると、もう、日常の言葉を聴くのも、書くのも、見るのも、嫌。


 さらには、一応、日本語を喋り、書いてはみるものの、ふと見ると、先に記す監獄状態。喪失状態。言語的、屍体を相手にしてる気分になってしまい、私はそれを相手にしたくない。



 こうなると大変です。


 電話、嫌い。メール、嫌い。ライン、さらに嫌い。 
 …おまえら、オレを縛るんじゃない…。



 まぁ、顔の表情や、空気、質感とともに、語るなら良しとしよう。そこには非言語という言語が存在しているのだから、こいつは私は大好きだ。

 んで、監獄だらけの網目を、抜け出した文字なら、まぁ、普通に日本語でも書いてやるか…。。。



 こんな状態へと。

 これは、おそらく、私以外の誰〜〜も思わない苦悩でありましょう。いや、苦悩とは言うまい。快楽、と言っておこう。


 何しろ、解放しているのだから。


 言語を解放すると、どうなるか。


 心、魂を、つまりは無意識の世界を解放することに成ります。


 本当の自由、を味わうことに、なる。


 これは私の超絶なフォーマルだが、一般からは単なる逸脱です。



 さて、しかしそうは言え日本語はやはり、棄てても、簡単には棄てることは出来ません。少なくとも日常の生の営みでは。それで言語なるものを学習したベースですから。


 せめて、日常の私がするのは、表意文字としての漢字を、表意文字として正しく描き、美しい、まるで古代の神の言語のような大和言葉の忘れ形見の仮名を、なるべく学習による直感に依って正しく描くこと。


 そして、本当は描くことが不可能、それを拒絶するかの様な美しい日本語を、非言語の世界とともに、まるでそれを喪失などしてなかったかの様な笑顔で、話すこと、だけです。




 ここから先の本当にしたいこと、それは、書と、そして音楽の芸術表現の中でだけ、しましょう。

 音楽は音楽で、書、文字、言葉としての言語以上の、言語的な解放の所作があり、これに真剣に取り組んではいます。こちらは言語以上の、広さと深さを持っています。人間が生命として魂を宿した時代は、ロジカルな言語の成立よりも、おそらくずっ〜と永い年月だったのですから。



 まぁ、私は、既に構成されたロジックの外に、何故か最初から極自然(?)に立ってしまうオトコ、なのでしょうか…。


 いつも私達を包んでいる、大きな宇宙という実在は、とっ〜〜〜ても、まるで目眩がするほど、広いのですから。


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 私は、この絶大な広さを、ほんの小さな手のひらに収める魔法を日々、真剣に学んでいるのです。




 これが、書く、ということ。これは謳う、ということ。それは、おそらく、生きる、ということ。



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***
付記

※ 上記の篆書体の字は『活』という漢字です。


皆さんは、『活』というと、まるで活き活き(いきいき)としている…などというポジティブなイメージを持っていると思います。

活動する。活躍する。…さらには就活、婚活、生活。。。

よく憶えておいてください。この『活』という漢字の哲学は、右側、旁の部分の「舌」という形ですが、これはベロの舌では有りません。口の部分は『サイ』と発音する部首で、神への祈祷文を入れる箱の象形です。そこに氏名の『氏』と同じく、斧を象形化した字が上部に突き刺さり、それは、神への祈りを打ち消す古代の呪術儀礼を意味するものです。

つまり、これは寧ろ『人の切なる心の願いを叶えない』呪詛を意味し象形化した文字です。

これが現在の意味に転用されているのは、カツという漢語の発音を引用し、水が流れるさんずいを加えた用例で、六書では、この漢字は象形ではなく、形声といいます。


‥つまり、、、就活→×
        婚活→×
        生活→×


 この言葉に間違って洗脳されてるあなたは、就職は叶わず、結婚は叶わず、真に生きることは叶わない。

 人の心を迷わせる。魂を迷わせる。霊を迷わせる。

 …と私が説いているのは、こうした意味です。『活』など止しましょう。『活』などと肩に力を入れず、己の本分を尽くして、自然体で物事を成せば、あなたの素直な心からの祈りは叶いますよ。





 














posted by サロドラ at 09:06| 書道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする