2022年10月31日

○Liu● 


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 さて数年前から深めている開発コード名"クジラ"は新言語"Liu"の中の音楽部門。

 こんな場所で内容を絶対に晒さぬ、けれど、、、

 そろそろ表にクジラを浮上させる準備が進んできたし、そもそも第三者からすれば、なんだそりゃ?…なので、この名称を公に銘記するにあたり、詳細には触れず、少しだけ解りやすい解説を記します。


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 これに関して、ワタシは大言壮語を堂々と一切の遠慮無しに宣っている訳ですが、素人から見れば、そういふ言動は唯の怪しい、アタマのおかしいヒト類に見える訳で、これは何の専門分野でもそうだけど、あまりに専門性の高い内容から抽出される新発見の世界は、まぁ嘲りの対象となるのは宿命であろうか、と思われます。


 天動説が当たり前の頃に、地動説を唱えるのは誰にも理解できないゆえに、「おい、おまえ、自分がぐるぐる廻ってるのだ」などと言ってもまぁ一般人などという人種はほんとにお馬鹿なもので「おまえアホか、空を見ろ!星が動いてるじゃないか」などと返されるのがオチといふものでした。


 音楽、という見地で、これと同じ状態、と言えば少しだけ核心に近づけるでしょうか。


 ワタシ、子供の頃から、学校の音楽の授業がそれはもう本当に嫌いで、今日は音楽の授業がある、というだけで1日中暗い気持ちになったりしていたものでした。


 これは経験上、なにもワタシだけではなく、結構、プロのミュージシャンに成る様な逸材で、こういふヒトは意外と多かったりします。


 学校で展開される音が、もう背筋が凍るほどに辟易するもので、しかもそれをおまえもやれ、歌え、笛を吹け、とか強要される上に、何処かの音大出の教員が、べルカント唱法かなんか知らんが、「あぁぁ〜〜〜♪」なんて目の前でお手本の歌でも歌われると、もう生理的に受け付けなさ過ぎて、ガチで全身に鳥肌が立っておりました。(涙)


 人体とは実に不思議なもので、非常に魂が感動して鳥肌が大いに立つこともよくあるのですが、恐ろしく嫌なものに触れても何故か鳥肌がびんびんに立つことがあります。

 


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 しかし、数奇にも最悪の苦手科目(?)だった筈のこの分野で、一体何の運命のいたずらだったのか、全てを極めるべく文字通り魂を賭けて何十年だか技と叡智を磨きあげ続けてきた今になって思ふと、子供の頃のワタシの感覚、感性の側の方が物凄くただしかった訳です。


 子供の感性、といふものは絶対的にただしいベクトルを何故か不思議にも持っているもので、子供の知性では、それを明確に理知したり、説明できないだけで、実はかなり正確に理解していたりするものです。


 また、書道、といふものも日夜教えたりもしている訳ですが、これもまったく音楽と同じで、学校教育で教えている内容の杜撰、出鱈目、、これはもうほとんど病気に近い感じがワタシはしています。


 よく教えていて、学校でこう習いました、などと子供が素直に言う事があって、そんな時はワタシは、本気で怒って怒鳴り返して、「その先生をここに連れて来い!!!!〈怒〉」と叫んだりする事がガチであります。。。

 一晩中、延々と専門的に解説、説教し尽くしてやろか、と本気で思ったりする、といふ…。。。


 これら、ホントになんの冗談にもなりません。。。


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 パーソナルコンピューターの父、Alan Kayは、小学校に入学してふと教科書を眺め、そこに書いてある事が全部間違いだ、と即座に気づき、学校に行くのを辞めて、ずっ〜〜っと独りで図書館に入り浸って本を読んで勉強したといふ有名な逸話がありますが、まぁあの天才、我々現代人の恩人、とも言える彼にして、実にただしい判断力、実行力、とワタシなどは感心するばかりです。

 ワタシも彼ほどの天才ならば、小学校の1日目で、ふい、とボイコットしておくべきだったのに…、、と今になって自分のあまりの無能さが悔やまれるところです。


 
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 さて、こうした長年に堆積した体験から、ついに到達した地点が、Liuの出発点でした。


 最初の頃は、それを実現するデバイスが無いので、今ある既成のものを使用して、少しずつ密かな実験をライブステージごとにこっそり試していました。

 これは家で独りでやっても、感じが掴めないもので、人前で、聴衆を前にして、ダイレクトに空気で感じるものから、感覚が掴めるものです。

 もう、その最初の時点で、確かな実感、手応えが、はっきりと見えていました。


 これだ!!!!!!!!!!!!!!!!!! っと。


 しかし、聴衆からは、その実態はよほど耳の良いヒトで無い限り、こちらが本当は何をしているのかが解らない筈で、なんか変った音楽だな…程度のものだった事でしょう。

 youtubeで公開してる映像などでも、その印象は変らん、と思います。

 まぁ、ただ生の演奏といふのは、空気の揺れがダイレクトに伝わるので、解らなくても、何かがある、のは結構誰でも感じてもらえていた、とも思われます。


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 で、この数年、デバイスに於けるその基礎創りから始めていたといふ訳ですが、この作業は分野外のド素人な訳で、難航に難航を重ね(今も難航中だが)、まぁ難破船にならず、少しづつ帆を揚げればいいか…、という進行をしている状態。

 

 本格的には、来年から小さな場所から始動を徐々に膨らませる予定ですが、去年たまたま、それを人前で空気振動に変える場を持てて、今年は、より高度なアンサンブル上でそれを投入できる幸運に恵まれる、という訳で、音楽の天界様に深く感謝するばかりです。


 
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 数学、という分野の創始者と言えるピタゴラスは、ワタシがかつて子供時代に鳥肌が立つほど嫌いだった規律ある音楽の創始者でもあります。

 彼の偉業のおかげで、音楽に和声が産まれる礎も(そうした規律性からこそ)産まれました。

 しかし、そこまで何百万年、音楽は存在し、これから未来にも音楽は永遠と存在します。


 ワタシの能力の範囲では、1万年をひとつの基準値と考えていますが、1万年前と1万年後を繋げる作業が、Liuのコアパーツです。


 それは音楽、といふよりも、人間の世界理解、生命の方法、存在の方法、それらの転換を促すものです。


 おそらくピタゴラスが考えていたのも、おそらくこの事で、彼はそれをギリシア神話への深い傾倒から編み出したのは間違い無い。


 ピタゴラスが発案、追求した数学といふ概念は、コンピューターを動かすアルゴリズムの基礎でもあり、言語の基礎でもあり、世界のすべては数字に変換できる、と信じていた彼の偉業は、今、目の前に眺めている、誰でも解りやすいGUI=ユーザーインタフェースへとAlan Kayの天才性を通して姿を変えました。

しかしこれらの裏側で動いている実体は単なる数式で、今、手にしているデバイスは数の変幻性から電気信号を通して動いています。

 
 おそらく、この基礎から出発して、この基礎の根底を破壊し尽くすことが、自分の使命である様に思います。


 その到達点はどこなのか?


 それはおそらく神の境地と言える『完全な自由』なのだと思います。


 古代から人間が、すべての生命が、求めてやまず、今も求めてやまず、しかも、未だ誰にも手に入れる事ができていないもの。

 
 人類の歴史、闘争、全生命の歴史とは、これに賭けられている直線の糸にワタシには見えます。


 Liuという名は、その"糸"を意味しています。



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 最後に常に指標としているピタゴラスの言葉を



 
〜 公道を離れて誰も行かない小道を行け 〜
      by Pythagoras






posted by サロドラ at 03:03| 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする