2024年07月03日

Yesterday




 もしもビートルズがいない世界に行ったら?と、いう架空の世界に行った売れないソングライターの映画。


 前からちょっと観たいな、と思ったらアマプラにあってやっと観た。


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 初めてビートルズを聴いたのは、中学生に入った最初の英語の授業。

 担任だった英語担当の『ミスターバンブー』と自らを称するT先生が、カセットテープのデッキを持ってきてくれて、かけたのがイエスタデイ。他にもカーペンターズとかを聴かせてくれた。


 小学生の頃から、特に何の自意識も無く英語塾に通っていたせいで、中学校の英語の授業はあまりに幼稚、簡単すぎて退屈だったのだけど、そのイエスタデイだけが、妙に耳に残った。


 たぶんクラスの全員の子がその時に感じた、その音楽が教室に流れた瞬間の、なんとも言えない心に沁みる感動、あれはなんと表現すれば良いのだろう?


 確か授業が終わった直後、中学生になって最初に新しい友達になった東京からやって来た天才的秀才のSくん(彼はなんら勉強する素振りも見えないのに、常に勉強ができてその後ストレートで東大へ)が、「なんて素晴らしい音楽だろう!」と、教壇付近をうろついてやけに感嘆していたのをよく覚えている。


 こうした、実に何気ない、ふとした瞬間の記憶を幼少の頃から何故だかよく覚えているのである。


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 その後、音楽は自分にとって何か抜き差しならぬ存在に変貌し、洋ロック経由でジャズ、現代音楽、民族音楽、へ…、などと言う音楽マニア定番の道を歩くのであるが、、、


 その間、ビートルズをよく聴いた、などの記憶はまるで無い。


 とかくジャズミュージシャンなどしてると、ビートルズ、という名前が出ただけで、「ふん。」と侮蔑の表情を露わにする年配ベテランミュージシャンもよく見かけるほど。


 これは、まぁ人のセンス次第で、やっぱりビートルズはいい、などという人もいる。


 そんな時分、極たま〜に、誰かから借りたビートルズのベスト盤をカセットテープに録音しておいたものを、ふと聴いてみる、、程度。(自分でレコードを買ったこと、無し。)


 
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 しかし、よく考えると、ビートルズをどう聴くか?というのは、ミュージシャンにとっては何か試金石のようなもので、抜き差しならぬもの、、、と、後々気付いたのだけど、、


 が、、ビートルズは、寧ろ恐ろしく高い絶壁、のようなもので、どこか遠くに投げやり、そして、ある瞬間、やはり不意に感嘆したり、、、を人生に於いて繰り返す、ほとんど妙な存在。

 
 とりわけ、それを聴こう、としてない瞬間、、どこかの店先で酷い音質で聴こえてきた瞬間、、


 そういう瞬間、雷に打たれたような驚き、に貫かれた経験が幾度もある。



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 ビートルズとはおよそそんな関係、なのであるが…。


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 それは顕教と密教の違い、とでも例えればいいのかしら? こちとら音楽密教派、なのである。
 

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 で、映画を眺めていて、実に面白かったのだけど、エド・シーランが何ともいい味を出している。

 役者ではなくエド・シーランがエド・シーラン本人として登場する。これが実にいい。


 エド・シーランという人は、”ダミアン・ライス”フォロワーで、いつもどこか二番煎じ感が拭えず、しかし大衆受けしたのはこちら側、というあの立ち位置からしても、最高の妙役と言わざるを得ぬ。 






7/5追記 さろどら和訳を挿入しておきます。役者の会話もだけど、特に歌詞、詩の和訳、、アマプラ字幕や既成翻訳はちょっと(いや、かなり?)意味が違うので…。訳しながら激しい号泣が止まらず… 



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 で、これらの名シーンを眺めながら、思い出したのは、やはり最初にビートルズを聴いた瞬間の心の体験。


 あの体験を世界中の何億人がしている、と思うと、何か空恐ろしい気すらした。


 あの60年代という時代、、戦争の爪痕からやっと世界中の人々が立ち上がったあの時代、だからこそ起き得た奇蹟、、と理解していた。


 その理解は、間違っているのかもしれない。


 この映画を観ながら、率直にそう思った。

 

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 二つの対比的な挿話。


 やはり中学生の頃、音楽の女性教員が、何気にビートルズのイエスタデイのこと、とは敢えて言わずに、最初のメロディーが、レの音から始まる、それは音楽的に凄いこと、、と、どこか理論めいた説明をふとしたことがあった。


 これもまた、授業が終わったら、とある悪友が、「ふん。そんなの何も考えずに、ただそうしただけじゃん」


 と、嘲笑を込めて呟いていた。


 これまたよくある話、である。
 


 理論的に言うと、あれは主和音上に挿入される付加音(tension)としての係留した倚音(appoggiatura)で、最初にそんな曲を大衆にヒットさせたのは、ビートルズ流行よりも数年も前に、ブラジルのボサノヴァ開祖、A.C.ジョビンが既にしたこと(代表曲イパネマの娘)、である。



 この映画の中で、J.レノンが、実はまだ生きていて、78歳になった彼が海辺の辺鄙な小屋で暮らし、主人公が会いにゆく。レノンは「いい人生だったか?」と聞く主人公に、「いい人生だった。嘘をつかず、愛する人を愛し貫いた。ちょっと複雑だけどね。」と答えるシーンがある。


 「今すぐ行って、愛を伝えるんだ。」と老人のレノンは言う。


 人生で、この二つの事をできる人は、あまり、、いない。ほとんど、いない。




 それがあの曲の最初のノート、レの音、の本当の秘密、である。



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https://forbesjapan.com/articles/detail/71994


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 「この人たちはたしかに人生の哀しみとか優しさとかいうものをよく知っているわね」

              
                     『ノルウェイの森』村上春樹


posted by サロドラ at 07:07| 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする