「私の信じる所では、今の口語体は国語の持つ特有の美点と長所とを悉く殺してしまっている。」
という一文が序章で語られる谷崎の随筆をたまたま読んだ。あまりに素晴らしい随筆なので、自分自身へのメモを兼ねてここに記す。
これは戦前の昭和14年に発表された陰翳礼讃に収録され現在の文庫本ではカットされている随筆。しかし、これこそ文章に於ける陰翳礼讃と呼ぶべき名文で、できれば当時と同じ旧字旧仮名文でここに引用しておきたい。
上の文章はこうなる。
「私の信じる所では、今の口語體は國語の持つ特有の美點と長所とを悉く殺してしまつてゐる。」 最初に、読書の実用性ではなく、ただ美という観点、言葉の味わいという観点で、この二文を眺めて頂きたい。
☆☆★★
数ヶ月前、物忌み期間中にあらゆる本を読み散らしている中で、芥川が旧仮名や旧字を棄てる省庁の論に強い怒りを表明している文を読み、芸術としての文章を書く者として、意匠への矜持からそれを勝手に改変するとは何事か、と強い遺憾を示していたが、それを読み、改めて芥川作品を幾つか旧字旧仮名で読みなおして、今まで全く気がつかなかった彼のエスプリに強く感銘を受けた。
そんな事をしながら、ふと忘れていた記憶から思い出した出来事がある。
自分と文学の出会いは中学生頃で、遠藤周作の作品で初めて文学を知った、という自意識が長年あった。それは音楽との出会いの時期と一致している。
それ以前、小学生の頃は専ら江戸川乱歩の怪人二十面相や、家に50冊くらいはあったであろう子供向け世界文学全集などを、ただなんとなく読み散らしていただけで、音楽は音楽でそれとなく流行の音楽のレコードやたまにコンサートを聴いていた。しかし、そこには特に強い自意識もなく、それらとの本当の出会いは中学生から、と、自分では思いこんでいた。
それが旧字旧仮名の芥川作品を読んでいて、どこかでこの感じに出逢った記憶がある……いつだろう? 芥川と言えば、太宰にかぶれていた頃、芥川こそ太宰の内省的文学の原点、と位置づけて幾つかの作品を読んだが、その時分には正直何の感銘も受けなかった。特に晩年作品は完全に精神病者の内的描写であって、自分には何の関係も無い、としか思えなかった。
ところが…………。
自分と芥川の本当の最初の出会いは、実は小学2、3年の頃で、蜘蛛の糸、地獄変などを子供でも読みやすく書いてある文章を読んで、あまりに強い刺激を受けてその触発から、それについて絵を描いた事が記憶の彼方から蘇ってきた。
その頃の自分と絵の関係は、まるで今の自分と音楽の関係の様で、2、3歳の頃から言葉を覚えるよりも先に絵ばかり描いていた。言葉や名称をよく知らない物体について、黙ったまま絵に描いて人に伝えていたほどだ。そんな自分が初めて、非常に内面的な絵を描いたのはおそらくあれが初めてで、その強い不思議な衝動、画用紙に描いた地獄世界の様相は、自分でも鮮烈な出来映えに驚いたし、学校の中など周囲でも随分反響があった。描いて仕上がった絵そのものも、それを描くプロセスなども鮮明に思い出した。
これはどこかに置き去りにして完全に忘れていた記憶で、思えば遠藤よりも前、さらには太宰に繋がる布石が、そんな前にあった…ことをはっ、と思い出した。
そうして芥川作品を旧字旧仮名でじっくりと読んで、初めてその格調、それ以前の日本文学には無い人間精神の、とあるポイントに独特の角度から切り込む内面描写の素晴らしさ、など改めて感銘を受けた。
そうしてみて、今度は逆に同じ作品を新字新仮名版で読むと、なんだかまるで
気の抜けたサイダーのような拍子抜けの文章なのである。
心の闇の陰翳、どこかに畏れを顕す暗いシュールな描写、そんな緊迫した空気感が何もかもすっきり切り落とされ、まるでコクも出汁もブイヨンも効いてないスープの様だ、と感じた。
思えば、子供の頃に読んだ芥川は子供が読みやすく、漢字をなるべく排して平仮名を多用した文章だったに違いなく、それに強い衝撃を受けて、その後、新字新仮名文で読んだ芥川には何一つ感銘を受けるものがなかった、その不思議の理由が、まるで真実を隠していた未知の塗装物が剥げ落ちて行く様に、明白に成り始めた。
こうして、以前は単に読みづらいだけだと思っていた、現代文に於ける旧字旧仮名の文体の芸術表現上の意味を、今頃になって、改めて噛み締めることになった。
この3年間、旧字旧仮名どころか、現代日本語自体を全否定した生活を紫式部とともに毎日過ごしていたのが、一種の準備体操になったのかもしれない。
そうして、これと同質の経験は、音楽でもよくあることだ。
マスタリングという作業をレコーディング音源はするのだけど、元がアナログ録音時代の音源をリマスタリングする時点で、音の印象は変化せざるをえない。どんな名盤でも
これで台無しに成っている作品を、幾つも知っている。 リマスターを最初に聴くリスナーは、その種の名盤にほぼ間違い無く巨大な勘違いをしている。 …と思われる。
★★☆☆
前置きが長くなったが、谷崎の指摘は、芥川の憤怒を更に緻密かつ論理的に指摘したもので、学者という立場ではなく、昭和初期当時のプロ文士の職人芸的な、文章表現の実際、そしてそれは日本という文明に関わる人間の在り方にまで影響を与え、言葉がどの様に人間の世界に影響し相互に浸透していくのか、それらを克明に描いている。
ネットが普及したこの時代でも、やはり動画や画像ではなく、コアな情報の中心とは言葉と文字表現である。今ここをたまたま読むあなたの行為がそうである様に。
興味がある方は
本文を読まれると良いが、ここに自分が重要だと感じた要点を列記する。
1
「〜のである」口調がどこから来たのか。薩長土肥から来た方言である。断定性を表す 「のだ。」「だ。」は固く発音が汚い。これら明治中葉、口語文発生の頃に維新の豪傑から来て固定化され、やがて国語文章に口語文として固定化された。
日本語文章に於いて文章の虚構に迫真性を与えるのは、省略したシンプルな文であり、説明的煩雑な文はリアリズムを失う。そのシンプルネスが、間や行間に隠された世界によって迫真性をもたらす。
「〜であるのだ。」「〜あるのである。」などの二重の結語は文章上は無駄だが、昭和初期には既に乱用され、特に知識人ほどその乱用がひどく、ただ難しい文章にすることが流行した。むしろ、市井の職人や、人夫の言葉の方が、端正な日本語を使っており、高名な日本語学者でも最近の人の文章は意味がわからない、と嘆息している、と谷崎は指摘する。
補足解説
明治期には谷崎の指摘通り、特に閣僚を占めていた長州人が喋る長州弁が多く入り、高官や警察用語などの「〜であります。」などというのは長州の方言である。それがやがて文章にまで波及している、と谷崎は指摘する。それらが四国や九州から流入した方言である、との谷崎の認識は、長州弁に馴染む自分の見解ではそのほとんどが谷崎が予測する「薩土肥」ではなく長州弁である、と思われる。一昔前の本当の長州弁は、今ではほぼ絶滅していて、今や老人でもそれをよく知らない。また70年代から現代に至る自民党代議士の演説を聴くとこれがよくわかる。田中角栄の名演説によくある言い回し、「
〜なのであ〜ります!」という特徴的な言い方も新潟弁では勿論無く(微妙なイントネーションは東北弁だが)、明治以降の長州弁から官庁の辞令、演壇言葉に定着した元は長州弁である。谷崎の指摘通り、それらは関東の江戸言葉ではない。現在標準語として定着した言葉は元が関東弁ではなく地方の言葉であることが多い。
2
主格(一人称)が歴史的日本語文には無い。対して英文、仏文、独文などには細かい主格規定が必然としてある。
源氏を例に、あるセンテンス(空蝉、末摘花の冒頭文)には2つの主格が隠されているが動詞の敬語によってそれが誰を意味しているのか特定される。なれば主格の無さは貴人の御名に触れない敬意から来ているのではないか。特に行幸、行啓などの語彙はそれ自体が貴人への敬意をあらわし、高貴な人物の御名がみだらに登場しない事により品格を讃える様に出来たのではないだろうか。
歴史的な漢詩などの漢文の主格の無さには、読者と世界観の曖昧さに妙味がある。読者に文章の疑似体験性、時間の悠久さをを迫る効果がある。
補足解説
谷崎の作品を外国文に翻訳した例を引用して本文で説明しているが、最近読んだこれに類する面白い事例に、東大名誉教授をされている米国出身日本文学者、ロバート・キャンベル氏が井上陽水の翻訳を手がけた折、陽水本人にこれで正しいかどうか質問した、という話があって、名曲「
傘がない」を英訳するのに、タイトルに主格を入れて訳したら、陽水からダメだしが出て、主格が、私なのか、なんなのか、それが確定しないからこそ、万人にとっての自分の内面に迫る迫真性、普遍性がある、だから主格を入れてはいけない、と指摘を受けたというエピソードがある。
※「傘がない」は全体が強烈な暗喩性に満ちた歌詞で、恋愛詩に偽装された社会派な政治詩である。この詩の傘は唯の傘ではない。だからこそ所有者をあらわす断定的な主格を入れる事はそもそも不可能である。3
給はん 給ひ 給ふ 給へ は貴人の動作を敬う用法
給ひ 給ふる 給ふれ と変化する時は貴人の前で自分の動作を卑下して言う言葉
この様に動詞の変化、用法によって隠された主格の関係性が確定され、省略された主格と人物の関係性などが自ずと決定している。
この様な消えた歴史的日本語だけではなく、現代文に於いてもそれは可能である。
補足解説
まさにこの指摘は、源氏物語の素晴らしさであると同時に、原文を読む時の文章上の難しさである。この難しさは明治期の最初期の現代訳、与謝野源氏のわかりづらさの原因でもある。与謝野源氏は主格の無い本文をそのまま直訳した箇所が多く、読者はその文が誰をさしているのか混乱してしまいやすい文章になっている。源氏は平安当時の京言葉による語り口、囁く様な口語体で、登場人物のちょっした相手との微妙な関係性が、主格ではなく動詞や他の語の名詞によっても間接的に表現され、簡略化された文章の行間に潜む心の世界を描き出している。谷崎はそれが現代では実用ではない古語ではなく、現代日本語によっても再現可能である‥としている、ところに特に注目すべき点がある。まさにその好例こそ陽水の詞の例ではないか。
(こういう問題に触れて以降、「私」を私とも僕とも俺とも小生とも我が輩とも、何も言えなくなったのである。ワタシという記号で仮に一人称を現在、無理矢理使用しているが、まったく釈然としない。
ワタシすら消して、この記事については一人称を自分と表現している。今にこれらすべてはこの数年開発中の新言語"Liu"が解決してくれるのかもしれない…いや、だったらとても嬉しい。)☆★☆★
これらの谷崎の陰翳礼讃としての日本語理論から、簡明な結論を導いてみる。
書かずに書いていることが、美しく巧い文章の極意である。書いてない場所に書いてあるものが、より強いリアルな輪郭を持つ。
この理論をもしも音楽に応用すると
演奏せずに演奏している音が、最高の美しい演奏である。それは無音でも静音でもない。明確に演奏されている音よりリアルな音である。
さらに私達が実際に話す日常の言葉に応用すると、
言っていないことに、最高に、濃厚に、言っていることがある。
もちろんこれらはすべて表出しているシンプルな部分の高い精度に依存している。
そして無論、これらは表現能力や語彙力の無い人間がただ言葉に躓いた無言や静音とは、一見似ていてもまったく真反対の表現である。
そして無駄に煩雑な表現形態の遥か上位にある表現である。
ジャズの帝王、Miles Davisは嘗てこれらをして、唯一言、まさに極シンプルにこういう有名な名言を残している。