2018年04月15日

村上春樹の電子化


 リリースされてから、だいぶ後に成って電子書籍化されているのを知った。しかし品揃えは、どこか微妙で、それが本人の意志なのか、出版社の戦略的意図なのか、よく解らない。

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 ノルウェイも、ハードボイルドも無い。ノルウェイはやはり電子化しない方が良い気もするし、しかしiphoneでふと読みたい、という願望もある。

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 しかし、もっとびっくりしたのは、公式webがいつの間にやらできていたこと。




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(なんと書斎も。さすがアナログレコードを沢山所有されてますね)

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(春樹文学と音楽の関係もすべてlink。至れり尽くせりの充実度)




 全てが英文。彼の立ち位置、センスを徹底していて絶妙にクールだ。

 これぞ春樹、という気もするし、comme des garconsの公式webをどこか連想する気も。

 ‥にしても、日本語で書いてる日本人作家が、徹底して日本語を排したwebサイトを掲げているのは、前代未聞な凄さだ。


 そういう日本の作家などまず居ないし、居ても成立しない。春樹だけが、こういう手法を徹底して機能させうる唯一人の日本人作家だと思う。


 このwebの在り方には、本人の作為性、戦略性を感じてとても面白い。


 戦後日本の作家は、多かれ少なかれ、こうしたかったのでは無いだろうか? 


 この路線で春樹を超す、としたら、原文の文章を英語で書いて、世界でヒットさせることが出来たら、春樹超えになる、と思うけど、現実それはちょっと無理っぽい。


 日本語の言葉、文章、を歴史から拾い上げ、掬い取り、で行くなら、三島は頂点だけど、ある意味見事にその不可能を越えてみせた作家だと思う。


 日本の歴史的な文物、文人の表現は漢字の輸入から始まった経緯があり、江戸期までの近代以前は、漢籍の素養、漢文学の知性こそ、文学表現の核だったし、それは東洋を総括する文物だった。


 対して、近代、そして戦後は西洋の素養、西洋の文物の知性こそ、文学表現の核に成っており、その越え方について皆が一斉に苦労していた経緯があるけど、春樹たった一人がそれをさっ、と飛び越えてしまっている。



 この構造は読書会でも、都度都度明かしてしてる事だけど、弥生以降、天皇制以降の日本を漢文学の触発によって文物化したのが、歴史的日本文学で、その頂点は間違いなく三島だ。

 
 対して、天皇に総括される日本の否定から始まったのが戦後日本の文学で、村上龍は特にエポックメイキングな作家だが、春樹はそれをバウンドさせて、世界に到達してしまった。


 もちろん、この中間に有象無象の作家と作品、それも良質なものだって沢山有るけれど、より全体の切っ先を顕わしてるのは、やはりこの3人だと思う。


 太宰は、自分の一番好みの作家だけど、この3人の資質のどれをも含み、どれとも違う作家である。私がある種の天才をいつも自然に感じるのは太宰だ。


 漱石、鴎外、芥川、谷崎、などの文豪は、東洋と西洋の狭間を苦悩した文物史、精神史にどうも見えて仕方が無い。どれも子供の頃から馴染んでる作家でもあるけど、だからあまり深読みする気持ちがどうしても湧いて来ない。川端、大江、というノーベル賞作家は、正直私は読む気もしない‥。ノーベル賞なんてものは、地球上の文学を補完などしていない、と思う。例えば東洋ではインドでタゴールが真っ先に受賞しているのを見ると、それを特に思う。あんなのはインド思想の観光名所を映した絵葉書に過ぎないのだから。

 人間の営みを映し出すものでない、観念の文学に何の意味がある??



 さて、春樹。

 この人には東洋と西洋の狭間の苦悩が無い。だから、とっても気持ちいい。

 海外の読者からしても、この気持ち良さは同じなのだろうと思う。

 ただ、翻訳された文章にはやはり日本語とは違う微妙な誤差があり、それもまた、味わいとなってそれぞれの言語圏でそれぞれの読まれ方をしているのだろうな、と思う。


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(洋風だがどこか変なデザイン&タイトルの"風の〜""ピンボール")

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(こちらは和風な"風の〜"。それはそれでやはり変)


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(永年私が愛読してる英語版ノルウェイ。やはり微妙感?満載なデザイン)


 ‥にせよ、こんなスムーズな互換が可能なのは、徹底的に英語を基準とした文章作りを最初からしていた特異な作風にある。

 
 この作風は見事に成功してる。それは文字文化以前の日本の記憶と、"世界を標準化する"英語やアメリカ文学を直結させる特異な作風となっていて、こんなものが自然に生まれたのは、日本の近代化、その最後の姿としての敗戦、という歴史の経緯が、ある種強制してきたスタイルだ、と私は考える。



 ひるがえって、完全ガラパゴスの今の日本、陸の孤島化する日本、に何か面白い出来事が起っているか?と思って眺めても、文学では何も起ってない、。(と思う。がよくは知らん)


 平安期や、江戸期、の様な閉鎖空間だから生まれる面白いもの、も結構あるのだけど、政治的な強制も特に無いのに、自らを閉鎖化しようとする単に怠惰な今のガラパゴス日本に、正直私は何も期待はしていない。それは面白くても、とにかく構造が弱過ぎる。


 

 今のアメリカの帝国化現象、あれは地球全体の歴史でみた時、人類にとってある濃厚な示唆を持っていて、人間の原初的な統一化を意味している。

 それは浅薄な陰謀論者などが、単なる不幸な個人から吹き出すルサンチマンの摺り替えをするスケープゴートの様なネタに成っているけれど、それは大きな間違いだ。今動いてる世界の流れは、全人類の統合へと確実に向かっていて、あらゆる分野の多方面からそれを補完し、浸食する構造に成っている。


 村上春樹の電子書籍化と、web-cyber空間への浸食は、この流れを本能レベルで確実に捉えている、と思う。

 
 そしてその手法、彼はいつでもそうだけど、巧妙に関わりたくは無い無駄なもの(それは明確に日本のweb空間、言論空間)を、実に巧みに躱している。戦後日本を代表するこの人は、戦後日本を最も回避している人物である。


posted by サロドラ at 08:25| 文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月04日

奔馬 〜豊饒の海〜 三島由紀夫 著 第61回ORPHEUS読書会 on youtube





 明治維新150年を迎える今年初の読書会、三島由紀夫の『豊饒の海 奔馬』を題材にしました。

 今回はこの議題と時節に相応しく、明治維新の中心地であり、明治からの宰相の書が並ぶ山口市 菜香亭で行いました。今回は特別に、大広間に並ぶ歴代宰相の書作品を鑑賞、解説をした映像をつけています。それらは三島の『豊饒の海』という極めて特異な作品への理解を深める上で、重要な情報を沢山含んでいます。


 明治という時代、大正、昭和という時代への変遷、あの小説の4作中で描かれている舞台背景と人物達の心の世界に具体的に触れるのに、最高の場所です。



 歴史の真実に触れる‥とは、私達が立っている現実の地面の下に広がる暗い地下世界に触れる事であり、さらに、それは自然に形成されている個人の深い心の内面、深層意識(それは個人の種々の五感、感受性、好み、などを根底から支配している)に触れる事でもあります。



 だからこそ、こうした歴史という時間軸に関する知見や知覚は、個人の歩む人生の足取りを、つまりは「運」などと曖昧な言葉で人が言っている事を、それはまるで機械仕掛けの様に、正確かつメカニカルに決定しており、それこそが、私達の時間軸と、平面軸であるこの現実世界の未来に対する足取りの踏み方、目には見えない糸のたぐり方を私達に教えてくれます。


 だから歴史は面白い。それはまるで時間軸上の世界地図。



 その地図を手に入れたら、方位磁石一つあれば、私達はとても楽しく愉快で、そして自由な旅ができるのだから…。



 という訳で、今年、戊戌の幕開けに相応しい、動画をどうぞお楽しみください。



 *******


 ☆ ORPHEUS読書会 追記


 この作品全4巻、特にこの2巻、1巻は、虚構に対する作家としての強烈な職人根性を持つあの三島が、人生で初めて、そして最後に書いた本物のリアルな私小説であり、この作品にはこの映像で私が語っている様な構造上の秘密のみならず、もっと現実的な秘密がここには隠されています。


 もう平成も終わる時代、だからこそ過ぎ去った時代の総括として、こうした非常に際どい事を記すのも、もう佳いか…と、思います。


 月修寺門跡として、登場する人物の、おそらく現実のモデル…、それは厳密に秘匿され続けた昭和天皇の妹、糸子内親王です。歴史の本当の真実は全く計り知れないが、少なくとも種々の逸話から、あの入念な取材から作品を丹念に制作する三島が「それを真実だ」と見做していたであろう事柄であり、それが小説世界へ見事に映し出されています。

 そして、その門跡の元で出家する聡子には、もう終わってゆく平成の世の妃殿下その人の影が濃厚に含まれています(実際には数人の影が複合的に合わさっていますが)。


 この視点からは、門跡の元で出家する聡子のシーンは、全く別の意味を持つシーンとなって鑑賞され得ます。


 私は第1巻『春の雪』の、月修寺での聡子の出家のこのシーンに、この作品の『最も美しいなにか』、を心に観て止まないのですが、それは虚構の作品中で美しいのみならず、あのシーンにこそ、三島の現実のリアルなこの日本、天皇、宮中…、への強烈な愛と憎悪が、自らの実体験を持って、作品中に託されているからです。これは現実の体験から編み出された驚くべき私小説であり、『体験』を種として、あの優れた小説作法で描ける技量と実力があってのみ初めて可能な『奇蹟』であり、世界の中で、こんな奇蹟が可能にできるのは彼を置いてほかには居ない…。

 体験、というものは、人間の中の誰の中にも、まるで神の配剤の様に存在する。しかしその体験を表現しアウトプットすることは、体験それ自体とは全く別次元の問題である。

 体験そのものの絶妙さも、奇蹟を孕むが、それを表現する為の、入念に永い時間をかけて積み重ねられた卓越した技量そのものも、体験それ以上に奇蹟を孕むのである。

 本作品は、この2つの通常あり得ない出会いがスパークした奇蹟である。


 こうした理由で、三島自決の際の『天皇陛下万歳』の言葉には、この様な驚くべき個人的な体験の含みから、公として社会的な総括、それは日本の歴史全体を含む全てが、多面的に入っている。

 思えば、彼は本名の『公威』そのままの人生を生きて完結させたのも数奇な事実です。これを眺めても、人間とは、彼につけられた言葉と文字、つまり彼の名前のままに人生を描く、という畏ろしい真実を私はここに感じて止みません。


 この事を今回の第61回読書会の追記としておきます。


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 5/13 再追記


 この後、何度か「春の雪」を再読をしました。


 ふと気がついたこと。



 聡子とは本当は誰なのか。彼女の陰翳は漢字伝来から始まった日本文学そのものの暗喩である、ということ。


 聡子がまるで源氏物語の藤壷の様に懐妊した子を、堕胎してしまう人物、医師の名を『森博士』とわざわざ名付けていることを今までまったく見落としていました。


 そう、森博士とは森鴎外だ。


 これに気がついて改めて鴎外も少し読み返してみました。


 そうだ。ここで一度滅んでいるのだ。歴史の連続性を持つ日本語、そして日本文学が。そして日本という文明が。それを堕胎させる人物として医師でもあった鴎外ほどのエレガントな適役はいない。漱石でもなく、荷風でもなく。



 この視点から読んでみると、この物語りはまったく違う姿を見事に顕わす。


 太宰が『斜陽』で描いた貴族的な文明や美学が崩壊していくさまを、この作品で三島は滅んでゆく歴史的な日本語、日本文学、つまりは『言葉が織りなす心の世界』そのもののメタファーとして各人物にそれぞれ投影している。


 単なる太宰的な私小説と思っていた以上の、やはり三島らしい文学的な仕掛けが巧妙に仕組まれている。


 さらに実は日本に限定せず、人間にとって歴史的連続した言語、文明の終わる瞬間、という普遍的な問題をこの作品は色濃く示している。


 源氏から始まり、近松、上田秋成などの中世から近世の言葉と心の世界、その終焉を描いている。


 潜在性としては生きている。しかし現実には完全に死んでいる。つまり、大和言葉を平安仮名で綴った源氏も、近松の浄瑠璃も西鶴の仮名草子も、秋也の漢文で綴った作品も、現代の日本人は誰も原文では読めはしない。他国や他言語ではなく、自国の作品なのに。ここまで深い言語の断絶を味わった国が、先進国で日本以外に在るのだろうか?



 これをたった一人で背負った三島という作家の死によって、現代の日本人作家の登場、その恐ろしい連続性への無知の言葉の世界がある。


 その切っ先が龍であり、春樹だ、と改めて私は思いました。


 春樹の長編最新作などは、この視点から読むと、実に整合した文学的面白さがある事も追記しておきます。春樹の言葉で言う『メタファーの顕現』。飛鳥時代の様な姿、衣装を着せた『メタファーの顕現』を主人公が刺し殺すまでの物語りは、実に文学上のスリルに満ちているのです。





posted by サロドラ at 09:09| 文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月25日

豊かなる海 "Mare Foecunditatis"




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"Mare Foecunditatis"は、豊かなる海という意味で月のクレーターの名前








 日付が憂国忌に成った瞬間、ふと思いついて、言いたいままに、言いたいことを勝手に語ってみたけれど、これ、なんか楽しいですね(笑)。音は完璧に自由に成るし(FMラジオ局くらいのクオリティー、やろうと思えばそれ以上、で普通〜に簡単にできる、という…)。実際の読書会は後日しますが、この作品への思い入れは、かなり大きいので、語っても語っても語れきれないほど。こういう形は初めてだけど、気が向けば勝手にやってみよっ、と。



******


 なんか作業しながら改めてしみじみと思ったのだけど、20世紀のメディアは、もう本当〜に、終わったのだな。。ソーシャル・メディアって、ほん〜〜とにいい。

 AMラジオ、FMラジオ、既存のスタジオは基本的に機材はしょぼいし、放送コードもあるし、スポンサー居ないと成立しないし。TV局はまだ環境はマシだけど、それでも機材は割としょぼく、エンジニアも正直、音に関してはホントに無能なヘボばっかり。放送事故無しで取りあえず音が出ればいい、と思ってる。彼らってアーティスティックな音の質や中身は二の次のお仕事。(まぁ、仕掛けが大掛かりなので、単純にそれに手が回らないのだと思うけど)

 そら、youtuberの方が、これからは流行る筈だわ…。。。

 こっちは事故無いし、やりたい放題に質をあげれるし、なんの制限も無いし。。。

 もっと本当に自由な表現ができそうな気がする…。

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2017年09月06日

ノルウェイの森 村上春樹著 第59回ORPHEUS読書会 30周年記念前夜祭 youtube



 



 ちょうど読書会のこの日に、発売されて30年を迎えるこの作品『ノルウェイの森』を議題にしました。思えば太宰が人間失格を書いた年齢と、春樹自身もほぼ同じ年齢で書かれた作品です。それは作家としてあるピークを迎える年齢なのかも知れない。

 もちろん春樹はその後も大作を書き続け、それも絶大な支持を世界で獲得し続けている凄い作家ですが、私の中の春樹は、やはりこのノルウェイの森を絶頂とする初期からの全て作品です。この作品で、彼の中の何かが終わってしまった気がする。詳しくは映像中にありますので、どうぞご覧ください。


 この作中主人公と同じ年齢の頃に、まるで自分自身の『現実の物語り』の様に感じながら息が詰まる様な気持ちでこの作品を読みましたが、今の自分が読んでも、この作品により深く強い感銘を受けます。

 そしてオルフェウスという名前の私達の読書会に、これほど相応しい作品は無いのではないか?と思います。この物語は70年前後の東京のとある寓話‥それはまるで現代の神話です。


 また、music societyにとっても私個人にとっても、このタイミングほどこの作品の相応しさはありますまい。


 なぜかメイン映像が録画を失敗してしまい、ustream動画を編集したので画面が粗いですが、客観的に観ても内容の良い読書会だと思います。どうぞお楽しみください。



 20世紀の日本で生まれた文学作品の中で、もっとも美しい作品のひとつ

 ノルウェイの森30歳のバースデイ、そして多くの祭り-Fête-のために乾杯!


posted by サロドラ at 06:09| 文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月19日

人間失格 太宰治著 第58回ORPHEUS読書会 69周年 桜桃忌前夜祭 on youtube






 今回のORPHEUS読書会は今年69回目を迎える桜桃忌の前夜に、太宰渾身の代表作、人間失格を議題としました。今回は私自身のホスト役という形式にしました。今までの文学史、評論史に未だに存在しない、真説の太宰論を展開しています。


 私はこの作品はもう30年以上、文字通り魂から向き合っている作品です。今回も改めて現代のデバイスで周辺作品も含めて2、3回通読しました。やはり、素晴らしい作品、素晴らしい文学者でした。


 心から太宰先生の御冥福を感謝を込めてお祈り申し上げます。



PS.
 今回の読書会参加者のMくんはなぜか6/9生まれだったらしく、Tくんは太宰の命日にして誕生日である桜桃忌の次の日生まれらしい…。。69回忌の桜桃忌に相応しいメンバーだったようです。ワレワレ、相変わらず、勝手に"宇宙の神秘"と自動リンクしているらしい。。


posted by サロドラ at 21:16| 文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月24日

第57回ORPHEUS読書会 限りなく透明に近いブルー 村上龍 著




 


 現代日本の作家4人を題材にしたシリーズのデビュー作、中短編までをこれで終えました。今回までの読書会を終えてみて、今回の龍のデビュー作、おそらくこの4人のシリーズ中、最も優れた作品はこれなのかも知れない、と私は思いました。

 個人的には特に愛好してる作品では無いし、好みの作家、という訳でも無い。

 しかし今回までの読書会で深めた研究によって、作品の主題、技法、影響度、など総合的に鑑みて、改めて私の思い至った結論です。自分でもこれは非常に意外な結論です。しかも私がリピートして読んでいる回数では、読み辛い内容のせいで最も少ない作品なのです。

 またこの作品は、龍本人の設立した電子書籍を出版する会社によって、アプリとして本人自身の意匠によって書籍化されており、そうした表現スタイルとしても、やはり先端の在り方を提示している。まるで、このデビュー作品そのものの様に。

 今回、じっくりとアプリ内でスマートなフォントで読むこの作品と、本人の手書き原稿を読み比べ、私が痛感したのは、表現というものは、それを『生み出す熱量』こそが、全てを凌駕して大切な栄養だと言うことでした。

 思えば、全ての表現者に必要なもの、とはこの人間の内側から吹き出す『熱』では無いでしょうか?

 決して上手では無い手書きの文字で20代前半の学生時代に書かれた、手書きの原稿を読んで、そこに愛おしさを感じてやみません。



posted by サロドラ at 03:33| 文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月21日

第57回 ORPHEUS読書会


第57回 ORPHEUS読書会

4/23(sun) pm15:33:33

Mnemosyne : 参加者全員

題材『限りなく透明に近いブルー 村上龍 著』
http://amzn.to/2pYgfyQ


参加者 : salon d'Orange music society研究生

視聴者の皆様もチャットにてご参加ください。

主催
salon d'Orange music society
http://www.salondorange.com/society.html




http://www.ustream.tv/channel/salon-d-orange-live





******

 今回は近代現代日本の作家シリーズの4人目で、村上龍氏のデビュー作『限りなく透明に近いブルー』を題材にします。最初に中期中短編の『69』をやってしまったので、捻って今回が村上龍、衝撃のデビュー作をとりあげます。

 シーンの大半をひたすら占めるのが、乱交とドラッグシーン、という本作。凡人が普通の気分で読むには全く読み辛い作品です。しかしこれが上梓された1976年、ベトナム戦争が終わり、日本の戦後ももはや終わり、三島は自決し、どこかしらけたムードの中に突然現れたこの異彩を放つ作品は、芥川賞受賞作の中でも未だにトップの売り上げ部数を誇っており、私の知る限り、この作品から続く龍氏の世界観がJ-Rockシーンに与えた影響はとても大きい。

 music societyの研究題材として、これは欠かせない一品であろうかと思います。


 USTREAMで参加したい方は、よく作品を読んで鑑賞してから、どうぞご参加ください。


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posted by サロドラ at 20:29| 文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月13日

The Book of Tea - 茶の本



 この時期、卒業や栄転などを祝ったりすることが、そこかしこで多いわけですが、いつもいつも、まるで条件反射の様に、つい無意識に口から出てしまう言葉、『うん、がんばってね』『がんばってください』『がんばろう』


 とにかく、何か頑張らねばならぬ気に人をさせつつ、私自身は日々淡々と己の為す事をこなしてゆく訳で。こりゃどう考えても、非常にシュールで可笑しな、そして偽善的な話である。


 そもそも「頑張る人」って、私としてはちょっと違う。

 無駄な力が入り過ぎてるだけの人で、正直、そういう人って私は鬱陶しいし、メンドクサイ。


 
 天恵の様な最高のもの、最高の仕事が出来る瞬間、それはいわゆる「頑張って」はいない、…と思う。



 最高の高い集中力は、物凄くクールで、冷徹な落ち着いた感覚からのみやってくる。

 例えば、その種の完成品の様なイチロー選手みたいな人から、『おれ、頑張ってます!』なんて言葉が出て来そうには絶対に、無い。



 「いやー、最近どうかい?」


 「いやー、がんばってますよ」


 などという会話は、お調子者同士の無意味な会話であって、そんな内容の無い場所に近づくのは私は嫌だ。


 だいたい「頑(かたくな)に張る」だなんて、柔軟性が無さ過ぎて、お話にならないよ、そんな硬い人は。。


 瞬間瞬間の変化にフレキシブルに、一瞬間のスピードで対応するのが、なんであれプロのお仕事なんだから…。




 …んな事を、つ〜ら、つ〜ら、と、このところなんとなく考えていて、ふと、見つけた。この件に関する核心なる言辞。



『茶の本』 岡倉覚三(天心)著




 東京芸大の礎を築いた岡倉天心のこの本は20代の頃から、安価な岩波文庫版でなんとなく読んでは居たけれど、いまいちその名著性が自分にはしっくり来なかった。…で、最近、偶然に元の英語(原文は英文)に触れて、衝撃的にびっくりした。だいたい、日本人が書いた本なのに原文が英文だ、という事にすらあまり気にせずに触れてたものだから、うっかりもいいとこなり。

 …これ、全然、違うじゃん。訳文と原文…。。。


 というより、非常に詩的な言い回しで、深い精神それも日本、東洋を総括した世界観を書いた英文なので、これは翻訳が非常に難しい。


 うっかり読み落した部分部分の内容が、まぁ凄いこと凄いこと…。。これは恐ろしく凄い本だぞ、おい。



 こちら、私が最初に触れた翻訳文。


 7章の中の特に第1章ラストは、素晴らしく美しい詩の様な名文として世界中で知られていますが、この翻訳文からは、その重要なエッセンスがこれをただ普通に流し読んでしまうと、ちょっと見えずらい。

 

 だいたい、女媧とか、大権現、とか現代日本人にはそれ自体が意味不明なり。


女媧
 https://ja.wikipedia.org/wiki/女カ



 下半身蛇の夫婦の神なり。

 わたし、この絵眺めると、最近大好きなAyabambiさまのお二人を何故かどうしても空想してしまいます…(笑)



さらには大権現
 https://ja.wikipedia.org/wiki/権現



 ………。。。 あの、これ、全然違います。意味が。本地垂迹がどうのこうのなど、この言葉の意味とは本当に一切関係無いです。


 『権現』と歴史的に表記されてしまうこの言葉は、天心の元の原文では「Avatar」と書かれていて、このアバターという言葉の観念自体が世界でインドにしか無いのであって、翻訳などできませんよ、そりゃ。。


 
 要は、この2つともそれぞれ古代中国と古代インド、もっと云うと東洋の神話に於ける天から降臨する救世主の事を意味しています。


 だいたい最初に私が岡倉天心という名に惹かれて読んだのも、彼はその当時に渡印していて、ヴィヴェーカーナンダという重要な人物に実際に会っている唯一の日本人だったから、なのですが、私がその当時に強烈に心惹かれたのがその師匠であるラーマクリシュナ・パラマハムサだったからです。その匂いの片鱗に触れたくて、私は当時この茶の本を読んだ。


 なので、私は道教やヒンドゥーなどには文献上はもう既にかなり詳しかった筈なのに、この一文で天心の語ろうとしている意味を完全に読み落していた。。


 それなりにあった知識でも、全く、読めていなかった訳です。



 …ということで、この『茶の本』はとにかく抜き差しならぬ名著なり、と推しておきたい。

 茶の本(このセイゴー先生版は案外お薦めかも)

 無料版はこちら先の岩波と同じ青空文庫版と、英文版


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 『現代の人道の天空は、富と権力を得んと争う莫大な努力によって全く粉砕せられている。世は利己、俗悪の闇に迷っている。知識は心にやましいことをして得られ、仁は実利のために行なわれている。

 東西両洋は、立ち騒ぐ海に投げ入れられた二竜のごとく、人生の宝玉を得ようとすれどそのかいもない。この大荒廃を繕うために再び女媧を必要とする。われわれは大権化の出現を待つ。

 まあ、茶でも一口すすろうではないか。明るい午後の日は竹林にはえ、泉水はうれしげな音をたて、松籟はわが茶釜に聞こえている。はかないことを夢に見て、美しい取りとめのないことをあれやこれやと考えようではないか。』



The heaven of modern humanity is indeed shattered in the Cyclopean strangle for wealth and power.The world is groping in the shadow of egoism and vulgarity.Knowledge is bought through a bad conscience,benevolence practiced for the sake of utility.

The East and the West,like two dragons tossed in the sea of ferment,in vain strive to regain the jewel of life.We need a Niuka again to repair the grand devastation; we await the great Avatar.

Meanwhile, let us have a sip of tea. The afternoon glow is brightening the bamboos, the ...

Let us dream of evanescence, and linger in the beautiful foolishness of things. (直訳: 儚きを夢みて、事物の美しき愚かさに、私達はしばし留まり過ごそうではないか…。)





前後の文脈から、さろどら超訳


 ま、天が整理してくれるから、それまですゞやかな清涼な午後にでもさ、

 そう頑張らず、お茶でも一杯、飲みなよ。







さすが天心の創った学校の遺伝子をなにか受け継いでいます7。。
 
 

posted by サロドラ at 07:07| 文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月25日

第56回ORPHEUS読書会 憂國 三島由紀夫著




 今回の読書会は、私の所感を述べる内容が、あまりに莫大な情報量がゆえに非常に困難で、言いたい事の1/100も言えてない…。本当は3、4時間話し続けろ、と言われれば一人で延々延々と話し続けるでしょう。 


『日本』という議題について、いつでも私は講演会をしますのでどうぞ呼んでください(笑)。


posted by サロドラ at 09:09| 文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月21日

第56回 ORPHEUS読書会


第56回 ORPHEUS読書会

11/25(sun) pm19:09

Mnemosyne : 参加者全員

題材『憂国 三島由紀夫 著』
http://amzn.to/2g6CxcO



参加者 : salon d'Orange music society研究生

視聴者の皆様もチャットにてご参加ください。

主催
salon d'Orange music society
http://www.salondorange.com/society.html




http://www.ustream.tv/channel/salon-d-orange-live





******

 さて今回は、前々回偶然、桜桃忌に太宰の中短編を議題にし、前回、これもまったく偶然911に春樹のテロルを主題とした傑作『パン屋再襲撃』を議題にしたので、今回は通常の読書会のルールを特別に曲げて"意図的"に憂国忌の日に、三島の『憂国』をテーマとします。

 オルフェウス読書会は、あくまでその文学性、芸術性に主軸を置きたい、とは思っていますが、しかし、作品のタイトルが示す通り、どうしてもこれは政治性を含んだ議題になってしまうのを避けれない。

 この事実がどうしようもなく含んでいるのは、アート、美術、文明、文化、そういったもの全ては、現実として(それがどんなに浮世離れしたものであろうとも)、政治とのカウンターライン上に常に存在しているものである、という命題です。

 奇しくも今月、大統領選により米国史上最悪最低の大統領が選出され、むしろ日本にとってはこれほど良いチャンスなど無いレベルの好機が満ちてきた感も、どうやら充満しています(笑)。
 三島の芸術的主題はともかく、その命懸けの政治主張は、今や"極簡単に"実現されそうな機運になっている…。 三島自決のあの当時、あれほど困難に見えた主題、憲法改正という大変革が…。


 USTREAMで参加したい方は、よく作品を読んで鑑賞してから、どうぞご参加ください。

*****

…、っと、書きながら、やっぱりふと思うのだけど、どうも私の発案する事は、何時でも不思議なほどに世界とぴったり一致してしまう…。。







posted by サロドラ at 09:09| 文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月16日

第55回ORPHEUS読書会 〜第1回 夜空の下の読書会〜 パン屋再襲撃 村上春樹著


 
第55回ORPHEUS読書会 〜第1回 夜空の下の読書会〜
 





前から密かな懸案だった、初めての野外読書会

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風や虫の声が、とても気持ちがよい

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…しかし、機材電源の事情で、後半は教室に移動して


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 本当は『星空の下の読書会』としたかったのですが、当日2016年9月11日は雲で星は見えない、それで『夜空の下の読書会』としました。

 今回の作品は海外でも、とても人気のある戦後日本の短編作品です。この頃の春樹作品は最高の切れ味の佳作ばかりです。

 このパン屋再襲撃 ラストシーンの、おそらくは無意識的な元ネタになっている、春樹の文学的師、Scott Fitzgeraldの名作、Great Gatsby 第9章  ラストシーンの最高に素晴らしい、感動的な一文を、ここに引用しておきます。
 911NY同時多発テロの犠牲者の方や、そのような世界を生き抜いていく私達自身のために…




 So we beat on,against the current,borne back ceaselessly into the past.

 
〜Scott Fitzgerald〜


 だからこそ我々は、前へ前へと進み続けるのだ。流れに立ち向かうボートのように、絶え間なく過去へと押し戻されながらも  

 
〜村上春樹 翻訳〜



posted by サロドラ at 09:01| 文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月06日

第55回 ORPHEUS読書会


第55回 ORPHEUS読書会

9/11(sun) pm19:09

Mnemosyne : 参加者全員

題材『パン屋再襲撃 村上春樹 著』
http://amzn.to/2cBZacT

参加者 : salon d'Orange music society研究生

視聴者の皆様もチャットにてご参加ください。

主催
salon d'Orange music society
http://www.salondorange.com/society.html




http://www.ustream.tv/channel/salon-d-orange-live





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今回は第50回目より開始した、日本の作家シリーズ〜キャリア中期短編より〜というコンセプトで、村上春樹の中短編名作『パン屋再襲撃』を題材にします。歴史的なテロの日、911にこんな題材を選ぶのも乙(?)と言えます。今回も前回に続き、参加者はレポートを作成した上での読書会となります。ご興味のある方はどうぞustream生放送にてご視聴されてください。


主に、世界汎用のポピュラリティーという観点で4人の作家を選びましたが、今やこの4人の中でも最右翼といえる作家、村上春樹氏。その作品中でも今回の題材は、海外でも人気の高い作品ではないかと思います。面白い議論になることを個人的には期待しています。


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2016年06月19日

富嶽百景 太宰治 著 第54回 ORPHEUS読書会 youtube





69年目を迎える桜桃忌に‥。

失われてゆく日本の美意識を表現してみせようとした

生誕108年目を迎える強烈なロマンスに賭けた彼の作家魂に…。




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2016年06月09日

第54回 ORPHEUS読書会


第54回 ORPHEUS読書会

6/19(sun) pm19:09

Mnemosyne : 参加者全員

題材『富嶽百景 太宰治 著』
http://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/270_14914.html

参加者 : salon d'Orange music society研究生

視聴者の皆様もチャットにてご参加ください。

主催
salon d'Orange music society
http://www.salondorange.com/society.html




http://www.ustream.tv/channel/salon-d-orange-live





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 さて前回から6ヶ月もたってしまいましたが、6・19に読書会を行います。前回の"69 村上龍"に続き、今回は"富嶽百景 太宰治"です。前回から随分と間を置いたのは、今回は参加者に入念な準備を促していたからです。これまで、ラフでカジュアルなスタイルで読書会を行ってきたのですが、50回目以降、徐々にシフトアップしてゆき、今回は更にもっと本格的に読書会を行います。50回目からのシリーズとして、"世界標準音楽"の制作を目標とする私達の音楽研究会に相応しく、ガラパゴス化した日本ではなく、世界に到達する質を提示してきた日本の作家として、戦後の4人の作家、太宰、春樹、三島、龍にスポットを当て、彼らの原点であるデビュー作から、入りました。今回は4人のキャリア中期の成熟した名作品にスポットを当てます。USTREAMで参加したい方は、よく作品を読んで鑑賞してから、どうぞご参加ください。


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2016年01月30日

69 村上龍 著 第53回 ORPHEUS読書会 youtube






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2015年12月30日

日本人の微笑 〜魂のプライド〜


 年の瀬に、あるひとつのエピソードを。

 昨年、私がこの文章に触れてから自分に鳴り止まない、ひとつの美しい詩句の様な挿話。

 それはアイルランドとギリシアを祖国に持ち、日本を愛して止まなかった一人の魂が観た、胸を震わせる魂の姿形だ。それは現代の、上っ面だけを着飾り、そうして薄汚い魂の泥まみれの日本人が失った最大の価値観だ。この話はたったの100年前の年の暮れ、日本の片隅で起きたごく小さな出来事に過ぎない‥。





 日本人の微笑にまつわる誤解は、一度ならず、とてつもなく不愉快な事件を引き起こしたことがあった。かつて横浜で商売をしていた英国人Tの場合が、その一例である。
 Tは歳取った立派なサムライを雇い入れていた。私の想像では、彼はT自身の日本語教師であり、他の役割もあったのかもしれない。彼は当時の風習に従って、頭に丁髷を結い、腰に大小の刀を帯びていた。

 現在でも、イギリス人と日本人とはお互いに非常に良くわかり合っているとは言えないが、ましてあの頃は、今よりずっとひどい状況だった。日本人の使用人たちは、当初、外国人の雇い主の許でも、日本の名家に奉公したときとまったく同じように振る舞っていた。そして、この罪のない誤解のおかげで、使用人を酷く、また無慈悲に使うことが、横行したのである。その結果、わかったことは、日本を西インド諸島の黒人と同じように扱うのは、実に危険だということだった。そのために何人かの外国人が殺害されたが、かえって道徳上の良い規範がもたらされる結果になった。
 話題を元に戻そう。Tはむしろ、この老いたサムライを気に入っていた。しかし、最もTの理解の埒外にあったのは、サムライの東洋的な礼儀作法や、深々とするお辞儀であり、かつTにとってはまったく意味のない、ときおり献上されるこまごまとした贈り物の品々であった。
 ある日、このサムライは頼みごとを持ってやってきた。私が思うには、それは大晦日の晩のことであった。理由は詳しくは述べないが、この日は誰かれもが金を必要としている。その頼みごとというのは、サムライが帯びている二本の刀のうち長い方と引き換えに、Tに金を幾らか借りたいということだった。その刀はとても美しい名品で、商人の目には非常に高価な品物に映ったから、躊躇なく金を貸してやった。何週間か後、老サムライは、無事、太刀を請け出すことができた。
 なにがその不愉快な出来事の発端だったのか、今ではその原因を知る由もないが、たぶん、Tがいらいらしていたのであろう。ともかくある日、Tは老サムライに怒りをぶつけた、サムライはといえば、Tの激怒を、微笑を浮かべ、低頭しつつ、甘んじていた。
 このサムライの態度が、Tを更に激昂させた。口汚く罵ったばかりでなく、相手の態度の変わらないと見るや、Tは彼にここから出て行けと命令した。それでも、老人は微笑を絶やさなかった。ことここに至って、Tは完全に自制心を失い、相手の老サムライを殴ってしまった。
  と、その時、Tは急に恐怖を感じた。あのサムライの長い刀が瞬間、鞘を離れたと思うや、Tの頭上で空を切ったからである。サムライは少しも老人らしく見えないどころか、若者のように敏捷だった。なにしろ刀の使い方を心得た者ならば、かみそりのような刃をもつ日本刀を両手に握れば、たちどころに、いとも簡単に人の首を刎ねることができるのである。しかし、Tがさらに驚いたのは、次の瞬間、老サムライは見事な早技で刀を鞘に戻すと、踵を返して立ち去ったことであった。


 不思議の念にかられて、Tはそこに座って考え込んだ。思いめぐらしてみると、この老サムライにまつわる、数々の良い思い出が浮かんできた。頼みもしないのに、見返りも求めずに、自分にしてくれた親切の数々、珍しい贈り物の品々、そして無類の誠実さ、Tは、段々、自分が恥ずかしくなった。それでも彼は、自分を正当化するためにこう考えた。
「結局のところ、非は相手にある。私が腹を立てているのを笑う権利など、奴にはないはずだからな」。そう思ってみたものの、機会があれば彼に謝ってもよいとさえ、Tは心に決めていた。
 ところがその機会は、とうとう来なかった。その夜、老人はサムライの作法に従って、ハラキリの儀式を挙行したからである。遺された美しい筆跡の遺書には、死の理由が記されていた。サムライとして理に適わない仕打ちを受けて、反撃を為し得ないのは恥辱であり、堪えるに忍びない。サムライは、そのような仕打ちを受けたのである。他の場合であれば、報復をなしえたであろうが、今回は余程事情が異なっていた。サムライの名誉の規範によれば、かつて借金の形にした刀を用いて、まさしくその金を貸してくれた相手を傷つけるなどということなどということは、出来ない相談だった。かくして、刀を振るうことが出来ないとなれば、残された道は、名誉の切腹を選ぶことしかなかったのである。
 読者の方々に、この不愉快な後味を和らげたいとお思いなら、Tがそこで本当に深く反省し、遺族に対し丁重に振る舞ったとお考えになってよい。しかし、老人がどういうわけであのような仕打ちを受け、また自らの死を招くような微笑を浮かべたのか、その原因についてTがついに悟るに至ったなどとは、決してご想像いただく訳にはいかないのである。



   『日本人の微笑』ラフカディオ・ハーン(小泉八雲) 著述 より引用

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2015年10月23日

風の歌を聴け 村上春樹 著 第51回 ORPHEUS読書会 youtube





(今年8月に行ったこの読書会で研究した内容は、大内さんの例の不思議なメッセージとなにかリンクしている…)








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2015年07月18日

第13回 ORPHEUS読書会 〜 1周年記念スペシャル youtube〜





第13回 ORPHEUS読書会 1周年記念スペシャル  http://www.ustream.tv/channel/salon-d-orange-live
秘密の花園 著者 フランシス・イライザ・ホジソン・バーネット (Frances Eliza Hodgson Burnett) 
amazon http://www.amazon.co.jp/秘密の花園-バーネット/dp/4890138951

スペシャル・ゲスト・ムネモシュネ(Special guest Mnemosyne)- 児童文学作家 さとうまきこ先生
http://members3.jcom.home.ne.jp/maki-mizushina/

主催  
salon d'Orange music society
http://www.salondorange.com/society.html
@CS赤れんが(Yamaguchi city,Japan) 2012/4/1


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 3年前にさとうまきこ先生を東京のご自宅からスペシャルゲスト参加を頂いた、1周年記念のオルフェウス読書会スペシャル・ヴァージョンの模様を、さとう先生のご了承を得てyoutubeに置きました。こうして観ると、さとう先生の『映像的エッセイ』という趣となっている貴重な映像記録になっています。さとう先生の読者の方やファンの方には知られざる世界が観れる面白い内容です。皆さん、どうぞゆっくりお楽しみください。



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 なお、50回記念シリーズの第二弾となる次回の第51回オルフェウス読書会は、村上春樹のデビュー作『風の歌を聴け』を題材に、8/29(sun)pm19:00より行います。ご興味のある方はustreamにて自由にご参加ください。




Broadcast live streaming video on Ustream












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2015年06月23日

風姿花伝 /世阿弥 〜第3回オルフェウス読書会 youtube〜




第3回 ORPHEUS読書会  http://www.ustream.tv/channel/salon-d...
風姿花伝 著者 世阿弥
紹介本 世阿弥能楽論集 小西甚一 編 http://amzn.to/1Sujh6S
風姿花伝 世阿弥 野上 豊一郎 編, 西尾 実 編 http://amzn.to/1GvE0Ca

ムネモシュネ(Mnemosyne)- SALONDORANJU

主催  
salon d'Orange music society
http://www.salondorange.com/society.html
@CS赤れんが(Yamaguchi city,Japan) 2011/05/15


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風姿花伝 ー 日本が生んだ600年前の天才パフォーマーによる究極のパフォーマンス論。 それを現代の音楽パフォーマンス、芸道の磨き方、コンテストや対バンなどの競合者との勝ち方、など全ての現代パフォーマンス、ステージングにも生かせる、究極の芸道哲学の解説と詳細。


〜 初心、忘るべからず〜 



世阿弥のこの恐ろしくも美しい、そして深い意味は本編で。この言葉の本当の意味に皆さん驚愕するはず。

この第3回ORPHEUS読書会を、芸道に賭ける全てのミュージシャンに捧げます。






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2015年06月21日

アンドロイドは電気羊の夢を見るか?/Philip.K.Dick 〜第1回オルフェウス読書会 youtube〜






第1回 ORPHEUS読書会  http://www.ustream.tv/channel/salon-d...
アンドロイドは電気羊の夢を見るか? 著者 フィリップ・K・ディック (Philip K. Dick) 浅倉久志 翻訳
amazon http://amzn.to/1BrK3s6

ムネモシュネ(Mnemosyne)- SALONDORANJU
主催  
salon d'Orange music society
http://www.salondorange.com/society.html
@CS赤れんが(Yamaguchi city,Japan) 2011/3/11


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 記念すべき第1回 ORPHEUS読書会 の模様をyoutubeにアップしました。こうして今聴いても充実した内容に思います。

 Ustreamの過去アーカイブは全て消去されたのですが、ファイルを全て保存しており、内容を鑑みて徐々にyoutubeにアップしようと思っています。


 第1回は音声のみです。podキャスト感覚でどうぞお楽しみください。





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