2025年01月08日

太陽の鳥



 The 御來光 



 こんなのを眺めたのは、何十年ぶり、いや、もしや子供の頃(それもたった一度だけ)、以来では?



 だいたい、太陽が昇る時間に眠りにつく習慣が、大昔から規則正しくあるくらいで、太陽が昇っている、と言うのは睡眠に入るノロシに等しい。


 そんなこの身が!!



 で、もはや初体験と言ってもいい、初日の出なるものをジィ〜〜と眺めた。


 ………………なかなか、上がらん。待たせるものよ。



 そこらじゅう、皆、やって来ては、初日の出フリークらしき人々が、待ち侘びて立ちすくしている。


 なにか神社参拝よりも、神聖な生もの、を待ち侘びるどこかシュールで宗教的な風景に見えるから、実に不思議である。



 で、いよいよ!




 うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!!!


 裸眼で見てると、なんか紫色に光が見えてきて、ほとんどサイケデリックな体験では無いか??


  
 そうか、初日の出フリークは、皆、こんなサイケな超越体験をしておったのか!!!!!?????





 と、初めて知るこの身。


  

 で、写真を撮ろうか、としてみたら(皆さま、スマホを手に待ち構えてらっしゃる。)、、全然、この裸眼サイケな絵柄は撮れぬ、もの。


 
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  あまりに寒いので、スタバでお茶しながら温まり、google推しのAI機能、消しゴムマジックで、要らぬ人やら、木やら、建物やら、変な電線やら、消すは消すは


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  すると。


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***



 ひと休みして、今度は近くの氏神様の社へ。


 何か意外にも賑わっており、無料で甘酒を接待してくださっている。美味しい。

 茅の輪をぐるりぐるりと、くぐってみたりして。


  
 
 ***


 今にして初めて知ったのだけど、境内の幾つかの社をジィ〜と眺めていると、あら?と気づいたことが。


 この身がいつも生息し、たまにミュージシャンの合宿所とも化すこのお教室は、明治時代に写真館として建てられた古い建物だけど、それ以前の江戸期まで、この場所は恵比寿様が祀ってあった神社で、ここに祠があり、そこには全国から旅芸人の傀儡師達(操り人形による舞台芸)が集まり社でステージをしていた、との古文献の記録を随分前に読んだ。

 (ちなみに、これも偶然、江戸期からの傀儡集団が東京の吉祥寺に今も存続するが、その劇団の運営する喫茶店は日本一素敵な喫茶店で、日々の読書や、仕事の打ち合わせなど、常に利用させてもらっていた。さらにもっと深恐ろしき縁もあるが、これはここでは敢えて書かぬ…)



 そうか、そんな由緒で、この身はこの場所で日夜、音楽と書に精進し、おそらく山口の歴史上おそらく初の古代サンスクリット語によるveda(30年くらいは毎日密やかに研究している)を、独り朗々と音読、詠唱してみたり、などしている、という訳か…と、妙に納得した。



 どおりで、やけに全国、いや全世界から、旅芸人(ミュージシャンだけどね)を引き寄せる妙に強い磁場がここに…。



 で、ここに元々いらっしゃった恵比寿神様。


 境内をよく眺めると、八柱の神を遷宮して集めた祠に、鎮座されておられる。


 おぉぉ!!!なんと、ここに!???



 そもそもこの教室周辺は、その当時、参勤交代の旅休憩所で栄えた場所で、当時は神社も8、9以上は周囲5、600m以内に有り、仏教寺院もまた7、8社はある(こちらは今でもある。)



 その関係で、明治維新期に多くの若き著名な密使達、皆、この辺りで密会しており、障子や襖の裏側から、密議文書が張り紙で発見され、うちの書道会も昔はよくお世話になってた裏打ち(和紙の二重貼り)老職人さんは、それらを密かにコレクションしていたのを生前に見せてもらった記憶がある。


 その老職人さんは、役人どものバカものどもは、こうした重要な歴史文書の重要性、保存の意義を全然わかっておらん、と、この身に実に苦々し〜い顔でボヤいておられたのをよく記憶している。
  

 さらに江戸期以前、中世の鎌倉、室町には大内氏の邸宅がこのあたり一帯を占め、つい去年も、教室の10m先を工事してたら大内氏関連の遺跡が新たに発掘され、調査されていた。




 ここまでは、よく山口の観光の名所として、語られること。



 歴史マニア、歴オタやら、全国から惹きつけるのに充分なポテンシャルはまぁ、ある。



 ***



 が、、、流石にここにもはや20年超えで生息してみると、そういう表面ではない、もっと凄い、何事か、を体感として、ひしひしこの周辺の何かしらに感じるのである。


 それは大内文化、ザビエル、雪舟などが中世を絢爛に彩るよりも、はる〜〜かに以前の、おそらく本当の山口の秘密、である。



 それが、この身をして、ここに惹きつけ、縛りつけている磁場、何か強力なフォースを深い地面の底から放っている何か、である。


 
 ***



 京都、奈良、そして鎌倉。 そうした日本を代表する古都は、6、7世紀以降の日本の歴史の所産である。


 そもそも、中世に朝鮮由来の大内氏がここで栄えた原因も、大陸から地理的に近く、中央集権国家の体を成した大和政権に癒着し、ここに基盤を作ったその元のポテンシャルは、中世以前の、まだ奈良、京都で中央集権化する以前の、地盤が強固に存在する。



 そこで、中世以前、大和政権以前の記憶を辿るもの、として山口市界隈全域、さらに山口県全域、を俯瞰すると、それを伝える不思議な神社や遺跡が、かなり多く存在する。


 そういう種類の神社は、創建がいつなのかもはっきりせず、宮司さんなどにお話を伺うと、どうも御神体は社とは別の、山全体だったり、巨大な岩(磐座)だったり、弥生以前の記憶を継承するものらしく、表面の儀礼は中世以降の神道の様式の体を成しているものの、裏の本来の儀礼の対象は、まるで別の、宮司さん達にも、実はよくわからない、しかしそれこそが重要な得体の知れぬ「何か」らしい。


 そう言う現場に、この10年くらい、なぜだか導かれてふらりふらりと吸引されるかのように足を運んだことがある。(ちなみにそう言う場所でUFO(?)すら、見た。) 


 こう書くと、愈々、怪しさを増すが、しかし、、、事実である。




 そう、ここだ。真の中心は。 



 この中心は、たぶん、今も日本を支えている。誰にも知られずに…。


 大内氏が大陸から来たのも、ザビエルがキリスト教という光を持って来たのも、近代日本を建設しようと明治維新の立役者達が来たのも、この密やかな力に、無意識、無自覚に釣られて来た、のである。



 これはこの10年くらい、色々研究していて、やっとその輪郭がぼんやりと見えてきた”something”だ。



 現実、これこそが、自分の音楽と、書の営み、普通の人からはかなりわかりづらいであろう、難解なそれ、をこの場所で導き続けている…。


 ***



 かな〜り多くある、それらの一つに、周防一の宮(五の宮まである)の防府市西部の玉祖神社がある。



 玉祖(たまのおや)という名前からわかる通り、玉(ぎょく)、これは古代中国で、重要な霊物として尊重され、多くの漢字にも、この玉(ぎょく)から派生した漢字を、今でも多く私たちは使っている。その多くは「日」の形で混入し、例えば、太陽の陽の旁の上部の「日」、易、賜、などもこれに類する。



 この実物は、中世、書聖 弘法大師空海が密教の呪具の一つとして唐から持ち帰り、その実物を見たことがあるが、1000年以上前の物体でも、元が霊石だからか、まるで輝き、光を失っておらず、とても驚いた。



 しかし、実は中世以前、それは山陰側の特に出雲を中心とした場所に持ち込まれ、それが勾玉などの霊的工芸品へ進化した、と見られる。


 温泉地で有名な玉造温泉は、その時代から栄えた場所で、出雲大社は、大和政権以前の巨大な神殿を拝する拠点である。


 
 で、山口の玉祖は、その出雲からの移民で、一の宮が玉祖神社なら、その北方の数十キロ先にある二の宮は出雲神社(出雲大社とはあまり関連しない)である。


 この二の宮周辺の木が、奈良の東大寺を創建する際の、基礎木材として選ばれ、わざわざここから奈良まで、巨大な木を運んだ。


 木なら、全国のどこにでもあるのに、何故にこんな遠方の山奥をわざわざ選んだのか? ここに真の秘密がある。


 東大寺は無論、国家鎮護を目的に創建した、特殊な建造物である。日本を支える為に建造した寺院である。



  ****



 日本書紀よりも数年早く記述された、古事記は、大和政権のプロパガンダ的な書物の元の原初を孕む記述が多い。



  712年。やっと漢字で記述することに慣れた頃、漢文でなんとか日本人が記述した最古の歴史書。



  もっとも面白いのは、上巻の天照大神と素戔嗚尊のくだりで、姉弟の神の関係ながら、喧嘩をして岩の中に太陽神が隠れてしまい、それを神々が慮って、再び太陽を輝かせるくだりである。


  これを歴史上に起きた皆既日食と見る研究者も多いが、神話として見るなら、それは唯物論史観ではなく、人間の心の世界の表象として見るべきである。



  現存写本で最古の記述。

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  国立国会図書館コレクション
  https://dl.ndl.go.jp/pid/1184132/1/18

 【原文】
 集常世長鳴鳥令鳴、而取天安河之河上之天堅石、取天金山之鐵、而求鍛人天津麻羅、而 【麻羅二字以音】

 科伊斯許理度賣命【自伊下六字以音】令作鏡、

 科玉祖命令作八尺勾璁之五百津之御須麻流之珠、而召天兒屋命布刀玉命【布刀二字以音下效此】
  

 【読み下し文】
常世の長鳴鳥を集め、鳴かしめ、そして天安河の河上の天の堅石を取り、天の金山の鐵(鉄)を取り、そして鍛人天津麻羅を求めて、伊斯許理度賣命に科して鏡を作らしめ、玉祖命に科して八尺勾璁の五百津の御須麻流の珠を作らしめ、そして天兒屋命、布刀玉命を召して…



 ***


 
 『素戔嗚尊のあまりの乱行に、憤った天照大神はぷいっと岩屋戸に引き篭もってしまい、太陽が隠れて真っ暗な暗黒となったため、八百万の神々は皆で天安河に集まり、思金神に思案させて』


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 まずは、常世(とこよ)の長鳴鳥(ながなきとり)を鳴かせた。


 玉祖神社にいる常世の長鳴鳥。黒柏鶏。


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 実際に大きな声でなが〜く、こっぅけこっぅこぅ〜〜〜〜〜〜〜〜と鳴く鳥。さすが神話に登場する神鳥らしく、姿も勇壮で、世界的に見ても見事な部類の美しい鶏。


 太陽の昇る朝を象徴する鳥。


 神話、と言えば、新訳聖書のイエスが十字架に架かる朝、忠実な弟子のペテロが、鶏が鳴く前に3度自分の恩師のことなど知らない、と言う、と預言され、そんなことはしない、と言ったものの、実際は恐ろしくなったのか、気がつくと預言通り、3回もイエスなど知らない、と言ってしまい、その瞬間、鶏が鳴き、ペテロは号泣。


 …という、どうにも可哀想な、実はとても誠実なペテロの話を空想してしまう。


 ジュルジュ・バイタイユは、このペテロを秘密満載の最高傑作の筆名に「天使なるペテロ」として使用。無論、この聖書の哀しい話の引用。





  さて、『太陽が昇る暗喩として立派な鳥が鳴いたのち、天安河の河上にある天の堅石、天の金山の鉄を取って、天津麻羅(あまつまら)という鍛治師の神を求め、伊斯許理度賣命(いしこりどめのみこと)に、八尺の鏡(約2.4メートルの大鏡)を作らせる。』


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 この鏡が、伊勢神宮にひっそりと鎮座する三種の神器の一つ、八咫鏡(やたのかがみ)。



 鍛治という金属精錬の術を持つ職人がここで登場するが、これはやはり出雲に多く出土する古代最古の剣を製鉄した職人集団であろうか。それをオーガナイズするのは、作鏡連(つくりかがみのむらじ)=鏡をつくる集団を始祖とする子のおそらくは女神。



  その次に、いよいよ玉祖神社の御神体である、『玉祖命に、勾玉を、五百津の御須麻流(いおつのみすまる)の珠(たま)=500個の、つまり多くの珠を数珠繋ぎにした喩え、で勾玉を八尺(約2.4メートル)の長さに連ねて作らせた。』



 玉祖命は、この霊石を勾玉の形にカッティングする術を持つ職人で、出雲をやはり祖とし、出雲には当時の多数の華麗な勾玉が今も現存する。


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 これが皇居に鎮座する、三種の神器の八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)。




 ちなみに、三種の神器の最後の一つの剣は、素戔嗚尊が八岐大蛇(やまたのおろち)という人々に害をなしていた大蛇を退治したとき、その蛇の尾から出てきた草薙剣(くさなぎのつるぎ)。


 名古屋の熱田神宮に鎮座するが、この剣、大蛇の話の解釈は、代々連綿と出雲大社を継ぐ神官家系で、民俗学にも詳しい第82代出雲国造 千家尊統氏の解説によると、大蛇は河川氾濫の災害を意味し、この河川では砂金が産出され、大蛇の尾から出てきた剣とは、河川氾濫を治水工事で収め、その際に砂金などの金属から剣を製鉄技術によって鍛治師が陶工した、という説を唱えておられる。かなり信憑性が高い学説。


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 と、いうわけで、日本神話の3
種の宝、これらすべて、出雲関連の産出なのである。


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 ***



 山口に話を戻すと、この出雲族は大和政権成立よりもかなり以前に、山口に移住した民がいた痕跡が神社をはじめ各所にある。



 その代表が、玉祖命を祀る玉祖神社で、その背後のひっそりとした場所に、玉祖命の墓所まである。


 
 この周辺地域は、大和政権成立時から、製鉄、鋳造などの技術に優れ、和同開珎(わどうかいちん)=日本初の流通貨幣の鋳造所でもあった。やはり708年、古事記の記述と同時期である。



 これは、出雲族からもたらされた技術、またこの土地にある鉱山から産出される銀、銅などが合体して生まれた現象である。



 ***



 と、まぁ歴史の検証をそれなりに記したけれど、こうしたこと、以前の、それを導いたもっと凄い話があるにはあるけど、これはまだ秘密。


 
  これが、この身の奏でる音楽と、書を、導いている御神体。



  この場所が、いかに歴史的にかなり特殊な場所か、その片鱗が伝われば佳きか、と。
  
  
 
  ま、いいや。

  神話の鶏は盛大になが〜〜く、鳴いたぞ〜!!! 太陽が隠れて暗闇〜〜な感じの、この世。


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  さぁ、太陽を開けよう。

  
  
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posted by サロドラ at 08:08| 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年12月29日

今年を振り返ってみて


 
 辰年。


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 辰の文字は貝の象形で、動くという意味で、なんとかかんとか、などと書いて1年が始まってみたら、始まるその日に震災。空港は炎上。


 ん?


 で、始まり、更にその月に、山口市などという国内でも割とマイナーな都市がなぜか世界的注目を浴びる都市として紹介。


 ん??



 こりゃ、何かが動いておる。


 で、米大統領選は、トランプは銃撃されあわや即死を免れながらも、圧倒的勝利。国内は自民の裏金だなんだ、で、凋落。


 隣の韓国はアジア初の女性作家がノーベル文学賞受賞。かと思ったら、なんとこの時代に軍が出動する戒厳令。


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 ん???



 動いておる。どころの騒ぎではない、得体の知れぬ大騒ぎのこの世。


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 パンデミック終了の出来事としては、100年前もまぁ似たような混沌が支配していた事を思えば、歴史の胎動は古来から十二支の哲学通り、やはり循環し、繰り返しておるな、などと、妙に感心してみたり。



 ***


 個人的には、去年の夏に罹患したコロナの後遺症らしき症状がなぜか半年も後になって吹き出してきたのか、初春から秋まで、人生で経験したことが無いような蕁麻疹との戦いと、罹患時にも起きた突然、体が動かせなくなる症状で、道端でぶっ倒れてみたり…。


 道端でぶっ倒れると、しかし、空って青いなぁ…、と。


 むか〜しから大好きなフランス文学の一節を思い出してみたり。 

 
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 ***



 パンデミックもいい加減、変な出来事だったが、それが終わると何が起きるか?という、これら一連の動きもまた、人生で経験できたことはある意味、得難い貴重な体験だった気も。


 せっかく生きているなら、あまり体験できない貴重な体験をできるだけ多くしたい、などとそもそも考えている性分な為、まぁなかなかに面白い1年ではありました。


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 ***


 だいたい、悪く見える出来事、って多くの場合、真反対の異常に良い出来事だったりする。


 反対に、全て良し。最高。…って状態は、好事、魔多し、とはよく言ったもので、やはり真反対の最悪な出来事、でもあること多し。



 ***


  二元論を超越する思想、哲学については、10代の頃から何か心惹かれてやまぬ身からすれば、こうした善悪は、表裏一体の同一のもの、などという空恐ろしくも、至高の芸術を想起させる美しい考えもあるもので‥‥。


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 ***



 ま、いいや。(←全部これで片付けるオトコ)


 よく村上春樹作品に登場する◯◯くん、っぽいですな。



 ***



 あ〜〜〜、いい年だった。


 きっと来年は、もっといいに違い無い。 


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posted by サロドラ at 07:07| 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年12月11日

クリスマスは山口市から



  旧暦の神無月の十日あまり…で始まる源氏物語 紅葉賀。


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  旧暦の神無月に歩いてみると、普通はもう紅葉で映える景色のはずが、まるで紅葉は紅くはなく、何か青々としています。



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  そのつい先日まで、なんと10月なのに真夏日、などという日もあったくらいで、紅葉も紅くなるのをためらっているらしく…。



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  で、一ヶ月待って、ようやくそろそろかな?と思って歩いてみました。




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  今年の山口市は年明け頃に、New York Times誌の今年旅行に行くべき52の場所、と銘打つ記事の3位に輝き、心底びっくりしたのですが、その記事の文章は、自分が普段生きる場所の半径数十メートルの小さな、そして良質なお店が紹介され、写真は、驚くほど美しい紅葉の参道に、和服女性が映える見事なPhotoで、そりゃこれ見たら、はるばる来たくもなるよなぁ…、と感心しきり。



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1位 北米の皆既日食

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2位 五輪開催のParis,France

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  しかし、この写真の場所、地元民からすれば結構穴場のような場所で、ここにこんな美しい場所が?と、少し意表を突かれる場所。ここも、まぁここから数百メートルの場所です。



 普通、地元的には紅葉を眺める、となると長門峡などで紅葉狩り、鮎でも食べて、などと思うものです。



 今年は改めて、そんな近くの、あまりに身近過ぎてあまり気づかない美観を、萌えるように紅く染まる紅葉ととも愛でたい…などと風流心をついそそられ、ゆっくりと歩いてみました。



 ***



 この辺りは、子供の頃からの遊び場の一つ、よく知ってる筈の風景なのに、その同じ風景は、今、客観的に眺めるとまるで違う。


 建物の多くが変化してるせいもあるものの、やはり年齢や、自分の感性や、自分の積み重ねた何かの知性、技術や、、口ではうまく言えない大きな流れ、とでも言うものによるものなのか、それはまるで違う景色に見えるものです。


 ***



 まずは蕎麦など食してみる。ここは明治時代から続く地元では一番古い蕎麦屋さんで、新蕎麦の香りがとにかく素晴らしい。


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 店を出て眺めた五重の塔は、なかなか紅葉の色も点在して見えるけれど、残念にも工事中の幕が張られ、なんともタイミングが残念。まさかこんな状況は誰も予想しなかった、と言う訳でしょう。



 そこから、古くからある平安京を模して碁盤の目のように形作られた大路をゆっくりと歩き、空気感を感じて見ると、ここはよく西の京、と喩えられるけれど、どう見てもこの風情は京都よりも、鎌倉の市街地にどこかそっくり。


 古都。


 やはり、それは何か急拵えてできた市街地とはまるで違う空気が満ちています。



 ***



 で、世界でデビューした参道の風景。


 これは………………………………………………………。






 

 

 もう12月なのに、まだ全ては紅くはなく、八割ほど、でも赤、黄、緑、とグラデーションが掛かりかえって美しい……。


 なんと言うのか、その不思議な精気、自然が奏でる粒子のようなもの、なんとなくそこには神か精霊が宿るような気配…。


 思わず、黙り込んで、紅葉の下をゆっくり歩いてみました。




 しかし‥この萌えるような紅(くれない)は、何故こうも胸に染みるのだろう?
 

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 あまり人はいなかったものの、たまたまやって来た中東系?のような家族連れのお父さんが、思わずため息をついて「Beauty…」と声を漏らしていました。


 
 この参道は、大内氏の邸宅があった場所に、中世の時代に別の場所にあった寺院を移築してできた禅宗のお寺で、禅宗独特の古刹の雰囲気が漂っています。


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 京都ではなく、どこか鎌倉に似ているのは、市内の主要な名刹は禅宗の寺院が多いせいなのかも知れません。


 

 ***



 で、この参道に入る入り口に、こじんまりした古民家があるのですが、ここは『善の研究』で知られる近代日本を代表する哲学者 西田幾多郎が山口に滞在中居宅した場所です。


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 この看板にある通り、西田幾多郎はここで初めて新訳聖書に触れ、キリスト教の世界に触れると同時に、赴任した山口高校の校長の影響で、禅に目覚めます。




 鎌倉にあるやはり禅宗の通称「あじさい寺」東慶寺にある西田幾多郎の墓所に、参禅したついでにゆっくり散策したりして幾度となく行ったことがあります。



 よく考えると、この人に縁のある場所に、特になんの意識もなく子供の頃からよくうろうろしてたもんだ、と、思いながら、ジィ〜と看板を読んでみたり。



 西田氏が山口高校に赴任したちょうどその頃、長い期間の禁教から解かれたキリスト教再興の機運も高まり、ザビエルが滞在した当時廃寺だった大道寺というお寺の跡地が発見され、そこに記念公園を造設したのですが、その造設をしたのが、詩人中原中也の祖父でした。



 何だか文学的な、不思議な縁です。



 で、その西田哲学。西田氏は京都大学の教授時代に、今では「哲学の道」として知られる小道で、沈思黙考して歩いたとのことですが、どこかこの周辺の道の雰囲気は、哲学の道の風景とも不思議とよく似てもいます。




 ***



 さて、この場所で西田氏はキリスト教と禅に開眼する機縁を得た、と言うことなのですが、これもまた、奇縁というか何というのか、この参道の脇には小さな井戸があり、それは参道から出た通りに元はあった井戸で、この場所で、大内氏の許諾を得たザビエルは、日本で初めて正式にキリスト教、新訳聖書の説法を始めます。




 つまり、初めて日本でキリスト教を布教し始めたその場所は、禅宗の寺の脇で、そこで西田氏は後年「善の研究」に結実する思想転換を得た、という訳で…。




 そんなこんなを思いながら、この場所の空気に触れていると、確かにこの土地が醸す雰囲気には、何か独特の強制的な力、ある種のフォースに満ちた磁性のようなものがある…、と感じます。


 ある意味、ここは哲学、文学、霊性、とでも言った意味での強力なパワースポット、なのかも。


  

 ***


 と、それこそ沈思黙考しつつ、そのすぐ近くの老舗外郎屋さんでお抹茶などを頂きつつ、和みました。




 ***


 と、言うわけで、クリスマスは山口市から! という表題は、もっと詳しくは、奇しくも今年、突然に世界デビューを果たした、この場所(龍福寺 参道)から!! が正解。
 


 ***



 で、まるで冗談みたいですけど、これが今年(正確には前年旧暦 お正月)の書き初め。


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 自分が新しく創造した音楽で、世界デビューぞ、うひょひょひょ。と思って揮毫したら、山口市が先にデビューしちゃった。


 わははは!!!!



 変なオチ。でした。


 
 
posted by サロドラ at 07:07| 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年09月06日

123:森に入る方法



 9月にして気温35°、、暑くてかき氷をしゃくしゃく食べていたら、いったい何のインスピレーションなのか、、、、ふわり、と森へ。


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 森、と言えば、ソローの「森の生活」は20代頃からふと手に取り、ふと手に取り、を繰り返しては、漠然とよくは自分でもわからない憧憬を持っていて、海外ドラマでも、小説でも、森が舞台となる描写にはいつも奥底から強く惹きつけられる性癖がある。


 山口に帰山した際も、妙に中途半端な地方都市感な実家よりも、せっかく田舎ならやはり森、ではないか?などと思い、母親に森の中に家でも買って住みたい、と口走っていた気も。


 島根の田舎育ちの母親に「そんな大変な生活、できるわけない。あんたアホか」と一蹴され、友人と森について語り合っては独り悶々とし、深夜に森へとドライブしたりしていた。


 しかし、山というのは、どこか何か恐ろしい、形容し難い何か、を感じるのも事実で、山によっては近くを通るだけで、どこか不吉な、何か人智を超えた何かの存在を感じさせる。


 大昔から、日本文化、精神史上、多くの崇拝される神社の御神体は山で、宮はただそれを崇める儀礼上の場に過ぎない。


 そういうのは20代頃から全国各地の聖地を歩いて体感していたこと。


 ***



 さて、森、、である。


 森と言っても、なんのこた〜ない、市街地からタクシーで10分も行けば、もうそこは森、であって子供の頃の記憶を辿って、奥にある滝を目指してタクシーから降りて歩いた。


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 記憶ではすぐ近く、と思って異常に舐めてたら行ってみると、山道は結構な急勾配で、普通にデパートの階段を昇るだけでも、死にそうになる哀れなこの身からすると、きついのなんの。


 途中、行き倒れるかと。携帯の電波も通じない。ここで救急車は呼べまい。


 ジィ〜と座って、また、歩きを繰り返し、、、さらに、道を間違えたのか、山道をそれていよいよ本物の森めいた道なき道に歩みを進める。


 下を見ると、折れた木や、種々の草が生えて、まさに森。


 そこで気がついたのは、予想もできない森の中を歩くのは、体の使い方がまるで違い、自分でもまるで動かしたことが無い身体の動き、を頻繁に要求される。


 街中のジムなんかの洗練した体の動きの100倍くらいの多様な体の動きではないか?と。


 で、目的地の滝には辿りつけず、結局、あまり人が来ることはない渓流の川原に漂着。


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 この石がまた、色々な形をしていて、ただ立ってるだけで、足ツボマッサージをするわするわ。


 別に人もいないし、誰も見てないので、素っ裸になって、透明な清流に入水して、身を清めた。


 なんか60年代の西海岸あたりのヒッピーになった感






 ***


 で、帰りもやはり道でまるで動けなくなり、薬を飲んで、ジィ〜、としたりしたのだけど、今度は下り坂なので、地球引力に身を任せてるうちに、だんだん身体のキツさがすっ〜と取れて、極点に達したのか、今度はえらく歩けるように。



 もしや、これは……………………………。



 今まで薬で治癒せぬパニック障害を温泉やら、なんやらで試しに試したのだけど、、どんどん悪化する一方だった、、、でも、、なんかこれは、、、、治る気配、ムードを感じる。




 ***



 森の生態系の中では、なにか多様な要素、が多く働き、それこそ人智を超えた何かの力が働いている、のではないか?



 オゾン層、森林浴、有酸素、さらに電磁波が存在しない、と、、説明もできそうだけど、、



 ちょっとそういうのとも違う、何か。


 この神秘をして、大昔の人は山を神そのものとして崇拝していたのかも知れない。


 ‥と、思った。



 ***


 ふと思い出したのは、第二次世界大戦、日本、ドイツ、イタリア VS アメリカ、イギリス、フランス、、それを三島は「ドイツの森、日本の森、、森の宗教と、一神教の闘争だったのである」となにかに書いていた言葉があった。


 ソローの「森の生活」は19世紀のアメリカ人の記述だけど、産業化する人間生活への警鐘としてそれは実践され、その警鐘の内訳は、ソロー本人も予想もできないほどの多様な実害の予見だったのかも知れない。





posted by サロドラ at 01:02| 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年02月18日

Fruits,Fruits,Fruits !



 私は長らくフルータリアンを標榜するゆるいラクトベジタリアン。


 そんな生態を送っているのですが、旧暦新年を迎えるにあたり、何か正月らしいものでも、と、極近所の新しく出来たなかなかお洒落な町割烹へ。

 勧められるままに、季節限定生絞り酒の杯を重ねながら年越しそばを食べたり…。


 …は、いいのだけど、帰って寝てたらふと目が覚めて、異様に気分が悪い。何か死の匂いが身辺に漂う。

 まるで若い頃、牡蠣にあたって死にそうなった感じと似ている感覚が全身を襲う。



 で、げえげえ嘔吐して、バッタリ死んだ様に眠った。12、3時間は寝た。 

 目が覚めたら、一応少し回復の兆しがある。


 そもそもこの季節、外をただ歩くだけで、フラフラで、心臓発作やら眩暈やらで生きた心地もせず、数週間前にも2、3回は道で行き倒れた私である。


 そんな体調不良に重なっての食あたりはかなり、きつい。


***


 もはや、魚を焼く匂い、がどこか遠くでするだけで気分が悪くなり、フルータリアン生活の本道へと軌道修正せざるを得ぬ、という過酷な状況に…



***


 普段、フルーツはそのまま丸齧りで食べるのが好きで、基本何もしない。

 ただシャクシャクと齧るだけ。その原始性こそが美味。


 しかしネット上で全国のフルーツパーラーの画像をしげしげ眺めていると、どうも飾り付けの妙、とでも言える装飾に興味を持ち、よし飾ってみよう、と思い立つ。



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さっそく買い込むわ、買い込むわ。


幸いにして、市場の苺などの価格は採れ高のせいか下がっている。



まずは1品。

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なんか凡庸、という美がない。


幾度か試作して、少しづつ、、

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こりゃ意外とむずかし。


飾り付け、はともかく、食べてみて気づいたのは、カットして色々混ぜて食べる美味しさ。

 
単品丸齧りより、なぜかとても美味しい。




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奥深いのぅ。





posted by サロドラ at 20:26| 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年07月03日

Twitterの終焉 


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 twitterに7/2からAPI(アプリケーション・プログラミング・インターフェース)の制限…がかかり、全然閲覧できなくなりました。



 私はSNSの中でもtwitterだけを独自の使い方で10年以上使用してましたが、よくある『人と繋がる』だとかのコミュニケーションツールではなく、主には全世界の澱みないニュースを渉猟するツール、たまに自分のイベント宣伝、音源や動画の宣伝、などの商用利用、、さらには生存確認?(私はこの数年、病気で寝てると突然に心臓を止まる事がある為、『心不全で死亡』などと言われて屍体自然遺棄、、とかなると実に危ない)などを目的としていました。


 ***


 人によって使い方は様々なプラットフォームでしょうが、そんな訳で私にとっては『世界の窓』というのが一番の主目的で、何しろメディアは基本的にどの国もあまりに偏向性が強く、記事ライターの実に個人的認識や思想を、文面からそのまま無自覚に飲み込む、だとか、TVの言い分をそのまま自分の無意識に流し込む、などの行為はかなり危険だと昔から思っています(そうした理由で、TVをもう何十年も持たない、観ない、を貫いている)。


 ***


 最近では、ロシアが内戦化したワグネルの乱、そしてフランス、パリの移民による内戦状態に近い連日の巨大な暴動、など、twitterではそれを生で観た本人からの動画投稿など、目が離せないほど凄いニュースの目白押しで、一番信頼できる即時性の高いリアルタイムのニュースメディア。


 これらの動乱のスピード感に、日本のTVは全然ついて来れず、世界ではトップニュースで報道が流れているのに、普通の感覚では特番で報道するレベルにも関わらず、国内ではアニメだかドラマだか、奇妙な価値観のバラエティーだかが流れ続ける始末。。


 これじゃ、誰もTVなど観ない訳で、私が時代に先行していた様に、今の若い世代ではTV無所有、という人が自然に大多数派となっています。


 ***


 
 また、おそらく多くの人にとってtwitterの一番の利点は、災害時における最もスピードがある情報交換で、重要なライフラインと化しているのは、もはや疑いようのない事実で、これで命が助かった方も沢山いると思います。




 ***



 そんなtwitterが終焉すると、非常に困るのですけど、イーロンの説明から読み取れることは、巨大なデータにアクセスする混乱が生じたことからの対処…との背景に、私見ではロシア、プーチンが関与している、と思われます。(googleサーバーレンタルをケチった単なる言い訳の可能性も…)



 ウクライナは大統領を始め、前線兵士個人からの生々しい投稿などで西側からの賛同を集めるのはtwitterがメインで、ワグネルの乱以降、プーチン側が非常に警戒、危機感を強めた結果です。


 これは極最近の出来事ではなく、トランプの選挙時の背後の怪しいロシア介入とは、これと同じ方法でのメディア、マス・コントロールだったはずで、あの奇妙なトランプ人気を支えたのは、sns経由の陰謀論の繁殖を巧みに利用し、マス(大衆)扇動した結果、、というのが真実だと私は眺めています。


 これらはコロナ禍に於いても、その流れで洗脳されたままのマス側に、コロナが無い、だとか、実に奇妙な、歪んだ情報が今も延々と垂れ流れ続けています。


 発信元は、何のことは無い、医学も、疫学も、何も知らないど素人の一個人から発した妄想的噂が、雪だるまになって転がって行った形態で、これで命を奪われた方、今も苦しむ方も、世界中にかなり多いようです。




 ***


 ともあれ、、、私はまた別の経路を探し、情報渉猟、宣伝利用などしてゆくことでしょう。


 ってか、国内産のsns、今が創るチャンスだと思いますけど、ね。

 (mixiとか掲示板の時代ではもはやないでしょうし…)










posted by サロドラ at 03:03| 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年01月28日

鬼界カルデラ




 鬼界カルデラについて初めて知ったのはもう数年も前、大内さんが逝去された追悼ライブの折、楽屋でぼけ〜っとして「演奏する前に桜島でも眺めに行きたかったなぁ‥」などとふと呟いてたら、大内さん事務所を引き継がれた姉のご主人様が、何か突然、鞄から大きな地質学的な地図を取り出して、真剣な顔つきでワタシに説明をされ始めた。

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 その方は阿蘇の某施設の所長などをされてる本職の地質研究者で、いつもそんな地図を持ち歩いてるなんて、さすがプロの学者だな…と感心したのであるが、その内容は衝撃的で、鹿児島沖合の海中にある海底火山の噴火について、という件であった。


 ニュースなどでは専門研究チームが船を出して海中火山の様子を調査しているのを極たまに見かけるが、トラフや富士山噴火ほどのあまり大きな注意喚起は、TV等一般メディアであまりされて無い様である。

 その内容があまりにも絶望的過ぎてインフォメーションし辛い、…というのが真実ではなかろうか。

 
 それは世界でもトップクラスの破局的な噴火(リンクは阿蘇噴火想定記事)で、しかも研究者的には、いつ起きてもおかしくはない、という海底噴火である。


 トンガですら原爆の数百倍のエネルギーの爆発だった様だけど、このすぐ近くの海底火山はその遥か上の大きさで、今も溶岩は海中で吹き出し中で、エネルギーが凝縮過程にある、との事だった。



 ………………………………。。。。。。
 

 ワタシは楽屋の机に広げられた地図を眺めて沈黙するしかなかった。。。


 爆発は今日、明日かもしれないし、何十年後かもしれないし、何百年後かもしれず、案外何万年後かもしれず、こればかりは専門家でも予想が全く出来ないらしい。

 そりゃ地球内部の詳細観察は今の技術ではまだ全然出来ないのだから仕方が無い。

 ただ周辺の海の状態と、カメラを溶岩口近くに落として観察する、と言った表層のファクトを随時専門家チームは集めているらしい。

 

 地球というもの自体が巨大な生き物なのだ、とワタシは思った。

 I feel the earth,move,under my feet.なんてキャロルキングの古い歌がワタシの脳内を駆け回りもした。

 
 思えば我々は、宇宙をぐるぐる廻ってる辺境の巨大岩生物に引力で無理矢理へばりついて、しがなく生きている極小の生物に過ぎぬ。


***


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 九州あたりの神社、神道の歴史は、大和政権以前の本来の日本の宗教観を映した、古い神社が多い。それは関西、関東の神社とは根底から何かが違っている。


 ワタシはそれらを見るのが好きで、数年前は夜中に突然電車に飛び乗っては古代の古墳や祭祀場を旅したものだった(今は病気のせいで全くできない)。その所行はもはや"古墳マニア"と言っても良い。

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 そういう場所を歩いていると、地元のタクシーの運転手さんなど親切な説明等をしてくれたりして、本には書いてないドメスティックな濃ゆい情報を聞きつける良質なフィールドワークになっていた。

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 実際に歩いて風景を肌で感じて眺めると、色々な事が見えてくる。地名の漢字、人々の名前、地元の言葉、地形………。


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 南九州は縄文時代にやはり破局的な噴火で一度滅んでいるのだけど、その経験の風説から、神社が祀られ、天地自然をなだめる、という意味合いの神社が実に多い。


 人間が足を踏み入れてはいけない禁足地となってる神域は言わば結界で、現実に災害が起きてもその結界外ではヒトが生きていける臨界線となっている。

 
 ゆえに御祭神の中心は、記紀神話に登場する神々とは違うものが多く、そちらこそが中心で、後づけの様に神話上の御神名が横並びに祀られている。


 ワタシはその辺りに非常に興味を惹かれて導かれる様に、そういう場所をうろうろとしている事が多かった気がする。

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 それらの神域とは自然の脅威の中心となる危険な場所で、安易にそこに人間が入るな、という古代からの経験から来る智慧だった様である。

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(どう見ても活火山の山肌)

 しかし、そうした場所には何か特殊な磁場が働いているのも事実で、ワタシはいつもそれらを肌感覚で感じる。もしかしたら、それが温泉の様に身体に良い効果ももたらし、人々の病気が治ったりもした事があるかも知れない。

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****


 トンガの噴火の時は、衝撃波が地球を廻ったらしいが、噴火数時間後に今まで経験した事が無い謎の全身の筋肉痛に似た傷みで、眠ることもできず、深夜で病院は開いておらず、、でかなり困った。

 さらに翌々日は、学校の講義にでかけて終わって帰ろうとしたら、パニック障害の発作なのか何なのか、タクシーですら乗り続ける事ができず、途中で降りて歩こうかと思ったら、激しい動悸と目眩で歩く事もできなくなり、本当に困った。

 5m歩いて止まってじぃ〜っと休み、を繰り返して、結局帰りつけるのに数時間かかった。凄く短い距離なのに…。。

 
 おかげで行き倒れる危険を感じて心底恐ろしくなり、50m圏内だけをウロウロして生きている。


 もう少し暖かくなれば、仮に途中で生き倒れて立ち往生しても死にゃしないだろう、と暖かい春を待つばかりである。


 たぶんワタシは病気のせいで身体が過敏に成っていて健常な方より、身体が何かを敏感に察知する状態なのではないか、と思ふ。


***


 という訳で、九州南端の海底火山噴火の際には日本全体大変な事に成る(ってか死滅に近いが…)のだけど、水道、電気、ガスといったインフラが不能化しても、生き延びるサバイバル術を日々訓練することを日本全国民にワタシは強く推奨したい。。

 人間の小賢しい人工的担保、保険の類いは、その規模では一切、消去される。


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 その際には再び原始時代に戻るのだ。




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↑全然関係無いが天文館むじゃきの白くまは実に美味いものよ。

posted by サロドラ at 18:23| 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年01月07日

新春ねこ天国


 新年に際してどうやら天界からのお導きらしく、普段は友ネコ連山口支部の面々としか遊ぶことしかできぬ哀れな身分なのであるが、世界中から同種族が集結してきてくださる、という嬉しい出来事が。

 何しろ、道を歩いても急に倒れそうに成ったりして、救急車でも呼びかねない危険な状態なので、数キロ先ですら遠出することができない。

 そういう訳で友ネコ連の皆様にも新年のご挨拶ができずにいて、独り悶々としていたところである。


 そんなワタシに風の便りが舞い込み、どうやら50m圏内に、なんと世界中から選りすぐりのネコ連が大集結するらしいではないか?


 ふぉぉぅぅぅ。。。。

 
 新年そうそうねこ天国へ、と。。


 足を運ぶとコロナのせいかヒト気が少なく、あまりヒトの居ない会場に、数十匹は御集結されておるではないか。
 
 
 できれば、ねこ科の活動時間の朝3、4時頃に御逢いしたい気もするが、それは叶わぬ。

  ふわり、と登場したネコ科のワタシを、"ねこ"の名前の由来通り、ご〜ろごろ寝てるねこが過半数を占め、起きてるネコがワタシを見かけて健気に接待してくれるのが嬉しい。

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 いつも思ふのであるが、洋ネコ類は毛がふさふさして手触りも良くデザインも何か美しい。しかし性格は押しが強かったり、どこか冷たい風情もあったりするが、和ネコは何処かおっとりとした優しい性格で、ワタシの顔を見ると、何か話しかけてきては、膝に乗ってきて、納まりの良い体勢に落ち着くとすやすや眠り始めるので、首をなでたりしていると、ゴロゴロ喉を盛大に鳴らし始める。

 また、やけに優美な姿のシャムは、やはりワタシの顔を見て走ってやってくると、激しく全身で抱きついてきて、ワタシの顔を舐めたりなんだり何か大忙しである。

 それはそれで嬉しいのであるが、しばらく熱い寵愛を受けると、ふいっ、と何処かに気侭に行ってしまった。

 

 ………。


 なんてか、これ、日本の女子と、外人の女子の違い、とでも喩えれば良いのであろうか…????


 やはりワタシは和ネコを推す。


 和ネコはどうやら漢字伝来の頃、中国から渡ってきたのがルーツらしく、和ネコの歴史は漢字の歴史とともにある、と言っても過言ではない。

 大陸的な性格から徐々に島国的な性格へと変化したのかも知れない。

 まるでそれは漢字から仮名へと変化した歴史様相と妙に似ているのではないか?

 
 
 立派な禰古萬樣(敢えて尊称のつもりで由緒ある古式名でワタシは普段呼ばさせて頂いている)に相談を持ちかけてみる。


 非常に慧眼な新年のご助言をワタシは禰古萬樣から頂戴した。

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 それはこんな内容であった。


 「われわれ禰古萬族は、無駄なことはせず見ての通りごろごろ眠って過ごしている。

 危険を察知したらイソイソと逃げるし、余計な争いは好まぬ。

 そこにこそ生きる奥義があるのだ」


 ワタシは敬服した。

 その誠に見事な叡智よ。

 
 
 思えば、日本美術の最高峰に位置する最高傑作は何か? というテーゼにワタシはこれこそが日本の最高の美、哲学、を凝縮したと思しき最高の芸術品、と昔から崇敬している作品がある。

 それは日光東照宮にある、左甚五郎作「眠り猫」である。

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 20代の頃は暇があればよく足を運んだものだけど、近年は遠くて簡単に行けない(今は更に難しい…ってか絶対に無理)。


 これは美術の教科書などにもよく掲載されているが、ワタシもよく写真で眺めていたものである。

 
 この眠り猫がなぜ凄いか、それはただ見ただけでは理解不能である。

 この左甚五郎の作とされる、同一、同種のものは、京都知恩院門中の「忘れ傘」である。

 これは小学生の頃、初めて生で見た。その説明書きには「魔除け」とか「火難除け」とか書いてあった筈だ。

 この説明は、当たらずとも、遠からず、なのであるが、その秘密のヒントを貰ったのは、恩師のジャズピアノの佐藤允彦さんから現代音楽の作曲法についての講義を受けていた時である。

  ふと思い返して、あの不思議な傘の意味を初めてワタシは知った。


 それから左甚五郎に就いて色々調べて東照宮の眠り猫の記憶が蘇り、写真ではなく、初めて生で眺めに行った。


 数時間、ワタシはそこにじっと居てそれを眺め、それを眺めるヒトを眺めた。

 観光で来る多くのヒトは、あぁこれが有名な眠り猫か、…ぐらいな感じで、スーツ姿の眼鏡中年おじさんなどは、「なんだこりゃ、ただの猫じゃないか?」とぼやいていた。


 ワタシはそれらを眺め、それが「ただの猫」であるからこそ、物凄いのだよ、と心で呟いたものだった。


 また知恩院の忘れ傘(←10年前はヘアスタイルが違う)は「ただの傘」であり、だからこそあれは何かとてつも無いのであって、左甚五郎が後世の日本人へと投げかけた謎かけ-Question?は、やはり日本初(世界初)の、最高の、コンセプチャルアートなのである。

 それはM.デュシャンの便器よりも、遥かに時代が早く、そして遥かに深い。


 その意味は、理解できるヒトが理解できれば良い。

 まるで馬鹿は素通りせよ、と、言わんばかりである。

 それくらい、なんとも何気無い。

 
 本当に凄いものは、至極、何気無い。

 …だよね? 先生。

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posted by サロドラ at 07:07| 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年01月01日

辛丑


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★ 謹賀新年 本年も宜しくお願いします ☆



 丑の字の象形で原型である金文、甲骨文字の中でも上記の書体は、本来それが右手の形で、右手の五本指でなにかを握っている形をより明確にあらわしてる形です。

 今年は、昨年に新たに生まれた新しい価値観を、よりしっかりとものにしていく年となることでしょう。

 ここでしっかりとそれを自分のものにする作業が大切な年です。

 まだ表面には出てこない新しく芽吹いた価値観をより自分のものにしていくことこそ大切な年です。


 人知れず地道に精進していきましょう。


posted by サロドラ at 09:09| 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月17日

電磁波と紫式部




 もう通信機類を全て落とす生活をして何ヶ月かたちました。

 眠くなると突然心臓が止まりそう成って死ぬかと思うのだけど、医師からはパニック障害と診断され、はや6年。昨年は更に具合が悪くなり、道を歩いていて突然激しい動悸で動けなくなることも何度か…。。

 色々とよく調べると、どうも通信機系から発する電磁波による被害ではないか、という推論に達して、それらを全回路遮断。最初は社会学的な気持ち良さだと思っていたものは、案外、科学的なことだったらしく…。

 強い目眩で1ヶ月間も動けなくなった6年前も、私の身辺をwifi環境で機材類を無線で完璧に繋ぎ始めた頃だし、歩いていて心臓が止まりそうになって死ぬかと思った場所も、強い電波を発する施設(TVやラジオ局)。


 wifiを切り、端末類も全て通信をオフ。疑わしいLED系の電灯類もすべてオフ。



 キャンドルの光でじっとする。



 するととても快適で気持ちがいい。これは理屈抜きの快適さで、全身の細胞が蘇るような感覚です。









 もしもこの動画に有る様な電磁波の影響で、多くの人が無自覚に調子が悪くなったり、人によっては命を落とす人もいるとしたら、これはまるで昭和の時代の水俣病、四日市病、足尾銅山事件などと同じ、しかも全国規模の問題な訳で、もっと国立大学などの研究機関で本格的な研究をして欲しいです。

 そうとは気がつかない潜在的な被害者数は、超絶、膨大なのではないか、と。。

 社会を眺めると近年やたらに多い、発達障害や精神障害、さらにはガンなどの病気なども大きな原因は実はこれでは? 

 特に成長期の子供に通信系電子機器を持たせるのは安全の為に絶対やめた方が良いかと…(スマホの発明者、Sジョブズの死の原因は実は電磁波だったのか…?)



 そういう訳で、大変お手数ながら、引き続き、私への私信はすべて手書きのお手紙にて今後もよろしくお願いします。





*****



 そんなこんなで、pcやスマホの電源を入れず、じっ、として本を読む…のだけど、紫式部の源氏物語を一昨年の秋から写本の手書き原文で読み続けているのですが、もうこれが大変な素晴らしさ。。 


 平安時代から江戸時代、明治初頭の頃まで、1000年以上はこんな感じで、人々は蝋燭の光の元で、毛筆によって手書きで書かれた文章を読んでいた環境と、私は同じ状況な訳で… 


 …もの凄く、佳い。。


 電磁波に身体をやられないと、こんな状態は絶対にやって来なかった訳で、ある意味、私は電磁波サマに感謝せねばならぬかもしれない。


 文章の息づかい。まるで耳元で優しく囁いてくるような文体。その囁きに完全に連動してくる呼吸感のある筆使い。文章の内面の奥に潜む、強烈な知性や教養とセンス、まるで天界と通じるような、いにしえの人々の高い霊性‥。電気を遮断して開けた世界は、こんな風である


 予想もしない素晴らしい世界が、そこに待ち構えていた。




 紫式部…


 もうほとんど、私はこの人に恋をした、と言ってもいい。


 今、そこに、すぐそばに、自分のすぐそばに、彼女が本当に寄り添っているような気が、いつでも私はしているのだ…。



 
 この源語スピンオフ・シリーズは今後深めまくるつもり。







posted by サロドラ at 10:43| 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月01日

〜隠り世(かくりよ)の出来事〜 亥年の真意と神意 


☆明けましておめでとうございます★
☆今年もよろしくお願いします★



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 今年は十二支の中の最後の干支の年であり、奇しくも平成が終わる年です。


 そもそもこの"元号"という時間や時代の考えは、漢字を輸入した当時、古代中国に倣って始めたもので、大化の改新に於いて、大化の元号を使用したのを日本に於いての最初の元号の使用とした事にさかのぼります。律令制度の導入、即ち国家の統治方法を"編み出した"ことに依って、国の統治体制は大きな変化をしました。歴史学的には国内統治の概念だけで、多くが語られがちですが、この本質は対外政策にこそ意義を大いに含んでおり、隣国の大国に対する牽制の面にこそ、その大きな理由があったのでしょう。

 その意味では、この元号の使用開始と天皇を中心とした律令国家体制は、その本質が明治維新とそっくりに酷似しているのです。


 それは、ともかく…

 
 前年の"戊戌"が、鉞の象形である、との意味から、刈り取る、すなわち斬って、斬って、斬りまくる、という年でした。力の無いもの、本物で無いもの、無駄なものは、すべて天から刈り取られてしまい、破壊される年である、…と、私はここで説明しておりましたが、実際に日本でも、世界でもそうした、バッサリ斬るという出来事が恐ろしい程に起きた年でした。これは個々人の中でも起きている筈なので、ここをお読みの方も思い当たる事も多いのではないでしょうか。


 今年の亥とは、そうした動きも終わり、後は終っていったものの死によって新たな再生を待つ年です。


 亥という漢字の成り立ちは、甲骨文字では動物の死骸が横たわった象形で、この亥の字に骨へんをつけると、まさに骸という漢字ですね。 またこの亥の漢字は、甲骨よりもっと時代を後に経た篆書体の書体では、植物の内側にある種の部分を象形化しており、まだ外には出ない果実の中にある、種子の部分を象形化した意味もあります。



 『死』とは何かただ不吉なものではなく、生命にとって最も崇高な、最高の出来事です。生とはその始まりの瞬間に、この死までの時の直線を到達点として始まっているのですから。亥の字にりっとうをつけた漢字が、時刻の『刻』であるのは、その様な考えが背景にあるのです。


 こうした哲学が、この亥という漢字を十二支のサイクルの最後にあてている事に、私たちは重々注目せねばならない。


 生と対峙し相反する様に見える死、しかし実は生と死は、相反ではなく表裏一体の同一である、と我々は考えを巡らすべきです。この一元論的な哲学だけが、生の時間を輝きのある、真に生き生きとした力に溢れたものにする秘儀だからです。


 
 戦後日本の現在では、こうした死の哲学を、死に溢れた戦争の遺棄によって忘却してしまい、それはつまり逆に、生の哲学を失っています。この世界では生きれば生きるほどに、死人だか、幽霊だか、妖怪だか、の様にあてど無く、まるで出口の無い息の詰まる場所で、死んだ様に生きている人が多くなっている。特にこの日本で、この問題は大きい。先年、戌年に相応しく、やっと刑が執行されたオームの事件などは、そうした日本の疲弊がいびつな姿で現れた嫌な事件でした。



 私達が生きていくことに偉大な力を与えるのは、その逆の死の哲学です。


 私は先年のクリスマスの日に、教会のミサに参加して典礼をじっくりと味わい眺めていましたが、イエスの死、という究極のモチーフが、逆に人々をして、真に生きる力を与えているのだ、と強く再確認をしたものです。西洋の世界の息づかい、とはまさにここにこそ核心がある。(ちなみに、この核心の核という字も篆書の"亥"の象形からきている)


 これは西洋的な思考様式ですが、我々の東洋の哲学では、多様かつ深い思考、多種な様式、によってこうした哲学をずっと歴史の中で連綿と温存しています。それが多様で煩雑な為に、一般に理解するのが難しくなっている、というだけで、聖書一冊を規範としたシンプルネスのキリスト教よりも、むしろ個人の多様な趣味嗜好にあった世界観が、我々の伝統の価値観の中には広く、そして濃く、転写されているのです。日本の伝統文化ほど、そうしたものの多様性と許容の度合いが強い文化は、他に類を見ない。



 さて、我が日本の場合、特に今年に行われる即位の典礼に、この死と再生の秘儀は盛り込まれています。一般には公開されない宮中の秘儀とは、継承者による個人としての死が、天皇としての再生によって、時代という時間そのものが新しく刷新され、人々の心も新しい時間を生きる、という様式に出来上がっています。

 この特異な儀礼は、元号を使用していた古代中国でも見られない特殊なもので、現代社会の中に、生きた歴史として連続して連綿と続いているのは、世界の中でこの日本だけです。

 私の考えでは、これは東洋という範疇を越えており、人類史のある記憶を生きた文化として温存した形式を持っている。

 
 この事に関して日本は、この地球という星、世界の中で、全く唯一無比であり、その形式を連続して保持する歴史的永さは世界最高です。


 そうした理由で、日本という国の国内ではなく、人類全体に対して、こうした貴重な文化を継承して伝える責任が、私達には間違いなく在る。



 またこれは偶然ながら、平成の成という字は、先年の戌と同じく鉞の象形ですが、それを刈り取り、東洋の小さな一画で続いた平和な時代を終える今年は、新しい時代の大きな胎動の為に、芽を吹く事を待つ、準備をする年です。


 今年は、新規の事柄を始めたり、何かチャラチャラした軽い事や、浮薄な事をして浮かれる年ではありません。


 時代の終わりに思いを馳せ、新しい時代を生むのに必要な"終わり"の出来事を鑑賞し、その視点から、物事の背後や背景をじっくりと見つめましょう。それはこの世界で最も崇高で、美しい光景、なのですから。



 という訳で、今年はこの世には姿を顕わさない冥界、幽界、大和言葉では、隠り世(かくりよ)の年です


 今年は目には見えない世界に関する事柄が、大きく進み革新されます。


 天皇退位と即位の式典も、おそらくは意図性を持ってこの瞬間に行われるのです。それは明確に目には見えない神々の交代の儀礼を意味します。



 まだ形となって表だっては目に見えないこの亥(核)を、内面の洞察によって制する人こそが、次の時代の世界を制する人と成ることでしょう。



※今年はとても不躾ながら現会員関係者以外の方には、年賀作品を送付していません。私なりの意義あっての事ですので、どうぞお気を悪くなさらないでください。もしもご必要な方はこの画像をぜひ自由に御使用くださいね。きっと今年の幸運を運ぶことでしょう。


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posted by サロドラ at 01:23| 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月25日

サロドラな日常 10周年 Frank Cornellisen-Contadino


 今日で、このブログの記事を書き始めてから10年。

 最初はwebサイトに書いてた『気まぐれ日記』から移行した形だった。

 初記事はグルメで始まったので、グルメ・ブログに成るのか?と思ったら、そうでもなかった。

 初記事に記した、昼間からふとワインを飲めるお洒落なお店は既に無く、風の噂ではとても素敵なオーナー女性のYさんはイタリアでワイン修行をされているらしい。きっと、今でも素敵なままだろうな、と思う。


*****


 この節目に、なんとなく変遷を戯れに回顧してみる。


 これを書き始めの時代は、SNSはそこまで興隆してなくて(既にあったけど)、世間一般はブログ中心だった。

 この理由は凄く単純で、htmlでwebページを作るよりも誰でも気楽にネットの世界に文章や画像で飛び込める、から。コメント機能やリンク機能も現在のSNS的な要素を含みはじめたのは、この当時頃。ちょうど少しばかりネット人口も上がり、動画サービスも本格化し始めた頃。



 ここからの間に飛躍的に変化したのはスマホのほぼ完全な普及で、この変化こそSNS興隆に繋がった現実的な理由だ。

 これも思えば極単純な理由で、パソコンよりも扱いが簡単で、どこの誰でも簡単にネット世界に能動的に入れるから。



 してみれば、こうした変化の本当の原因は、iphoneの登場と普及、という事に尽きる訳で、S.Jobs、彼の感性が全ての原因とも言える。

 彼がもしも指で触る直感的なGUI(グラッフィック・ユーザー・インターフェース)に仕上げる方向に行ってなかったら、スマホはPDA(電子手帳)と同じ運命を辿っていた可能性は大きいと思う。ところが、世界の在り方は激変。

 原始性を持ち、生理欲求に叶った直感的な簡単操作、という事がいかに大事か、という事を難しい操作に慣れてるIT業界の人は、ほぼ気づいていなかったけれど、彼だけが違っていた。

 pcの普及も、最初にGUIを持つmac osありきで、windowsを経由して一般普及だった訳だから、まったくスマホも同じ運命を辿っている。

 そして、彼はもうこの世にいない…。





 twitterやFacebookなどは、このブログを書き始めの当時、まだ日本のユーザーはとても少なくて、やってみても一体何が楽しいんだかよく解らない、っていう意見が割と多数派だった。

 で、スマホが皆に行き渡ったお陰で、この10年で興隆して、今はもうSNS疲れによる、離脱者や逃避者の方が寧ろ多い今日この頃だと思う。

 インスタなども、最初はiphoneで写真を撮って編集する便利さに驚いて、世界の誰かが瞬時にそれを観る、という新しさに夢中で飛びついたものの、自分の場合は、facebookが買収して日本で流行るよりも前にすぐに飽きた…。

 初期版はコメント機能が無くてSNS的では無かったけど、あっちの方が好きだったね。いいね!を無理に押し合う心の苦痛感も無く。


 たぶん、今はもうインスタ映え主導で行動する人よりも、スマホを鞄にしまって、生の対話の大切さや、生の五感で感じる気持ち良さ、に翻ってみて目覚めた人、というのが世間全般ではスマートな人種なんだろうな‥と思う。

 SNSは形を変えて、より気持ちの良い方向へと進化するだろう。今のプラットフォームは残らない。万人にとって単純に不快指数の方が高いから。プリンストン大学の研究がそんな試算を出してたけど、まぁ正しいだろうな、と思う。



 今、感性の尖ってる世界の人達のしてる事は、生の体験の差別化、リアリティーの復興と回帰、それがメインで、そのカウンター側に凄い次世代テクノロジーの萌芽の着実な準備期間、という地図に成っている感じがする。



 まったく、諸行無常。


 

 私の単純な予想概論では、S.Jobのいない世界では、もうこうした種類の本質的で劇的な変化は、おそらく当分は無い。次の本物の天才が来るまで。

 見渡すと、まだいない…。


 いなくて良いのかも知れないし、そのこと自体が、世界をしてまったく違う概念や世界観に気づく予兆なのかも知れない。


 きっと天才は予想もしない方向から突然、やって来る。だからこそ、天才は天才なのだ。



 そういうものを見分けるのに、一つの重大な指針は、子供が直感的にそれに気づく、という事。小学生や中学生の直感的な臭覚が、最も鋭い。

 いつの時代も、若者が夢中になるものは次の時代を創る正しさを持っている。

 子供や若者が、率直かつ素直に面白い、と思えない様なものは、オワコン査定をしていい、と思っている。


 思えば明治維新から150年経ったけど、指導者も断行者も全員、10代や20代だったから次世代を創ることが出来た訳で、老害を倒してなんぼだろう、と。
 
 老害連中には似ず、近づかず、という姿勢でいよう。オレ個人は。

 だいたい今や30代で既に老害化も。。そういうの、ほんと、大っ嫌い。

 
 ばっさり斬って終わっとこう。
 
 
 精進×∞ のみ在れ、おれ。




********


消えていった、私の初期インスタ映えでも貼っておくか。。

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これ、初記事のyさんが使用してた焙煎ロースター。別のお店で今も。

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*****

 思えば、初記事のワイン、これはその後10年のオレの軌跡を見事に預言していた訳だな…。

 Frank Cornellisen ー Contadino












posted by サロドラ at 15:33| 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月01日

2018 "戊戌"  その真意、そして神意




明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします


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 今年は戌です。十二支は動物のことではない、という事は当ブログの愛読者の方にはもうお馴染かと思います。


 さて、今年の戌年。漢字学上の通説としては、戌は鉞の形の象形である"ホコ"に、横棒を一本入れた文字であり、この横棒は稲などの植物を表し、鉞で植物を刈り取る象形文字である、との事です。

 …が、、、、実は、この戌の文字と十二支の関係性は、この通説で全部を説明できている様には思えません。

 私が常に準拠している白川学説によっても、この戌の真の詳しい大意はあまり詳しい説明がされていないのです。ネット上を眺めても、種々の珍説すらも多く現れていますが、解らない事は、あまり妙な類推だけで断定すべきでは無い、との立場をとりたいものです。


 しかし確かな事は、戌の外径部位は、確かに鉞の形であり、この鉞は多くの漢字の旁に表れています。

 その代表的な漢字では、"成"という字。これはこの鉞に二本の紐をかけて儀礼をしている象形で、この鉞は、氏姓を名乗るに値する殊勲などを得た者が、王権からこの鉞を賜り、それに紐をかけて儀礼をして、まさに『成り上がる』祝いをしている文字です。この鉞部分だけを象形化した字が、"氏"です。

氏ー成ー戌 どれもこの鉞の表意文字である、という点は揺るぎない学説と思われます。


 
 古代中国の思想として、戌と亥は、十二支の最後を飾る象意であり、酉で全ての収穫の喜びを得た後の終焉、終わりの哲学を帯びています。

 それは完成であり、終焉であり、また新たな生命が宿るサイクルの胎動でもありましょう。


 ここに非常に深い哲学を観ることができます。


 終わり、生命の死、それを『生命の完成』と見做す思想、それがこの戌と亥には間違いなく表れているのです。


 インド哲学に喩えるなら、破壊の神、シヴァ神の思想にそれは非常に類似しています。しかもかの国では、創造、維持、の神よりも破壊の神、シヴァ神は最も民族の色濃い思想、哲学として、民衆から最も高い崇敬を得ているのです。

 我々、日本人の感受性にはない、非常に深い、そしてどこか畏ろしい、インド〜中国の大陸の思想の色濃さがここに表出しているのです。




 さて、今年は。


 昨年の収穫の喜びが終わり、生命から眺めると終焉、しかし、それは未来の胎動を生み出す、実は母体。それを生み出し、刈り取る年です。

 
 十二支の中で実は今年は最も重要な年です。そして格調の高い年です。


 大きな修練を人生で既に成し遂げている中年以降の方は、今年、ある位階を得る準備などをするのに相応しい年です。


 今年は全てに於いて、格調の高さを求めるべきです。


 その格調とは、この世界の全体像を知る造詣からだけ、得る事ができます。見せかけの華やかさ、きらびやかな高級、とそれは違うのです。

 
 今年に必要なのは『本物の高級』です。



 リアルな本物だけが顕れて生き残り、表面的で見てくれだけの力無いものは破壊されます。


 そういう、偉大で、畏ろしい年です。




 ***

 我が日本では、これも偶然なのか天意なのか、それとも深い意図的な計らいなのか、やはり来年に天皇が退位なさり、平成の元号が終わり、新たな時代が始まりますね。不思議なものです。

 
 平成はバブルに始まり、それがぶち壊れてミレニアムが始まり、思えば地味で暗い昭和に比べると、とても華やかで良い時代だった様に思います。
 
 
 "平成"という時代に思いを馳せる、今年は最後の年ですよ。




posted by サロドラ at 09:09| 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月23日

2017年のカウンターライン


 ……さて、わたくし、cloud化してたEメールを、もうこの数ヶ月間放棄。巷で皆様してるlineなども拒否。facebookなどはザッカーバーグの裏のにやけ顔をつい連想して、吐き気するほど嫌い。でもsnsがそれほど嫌い、って訳でもない…。

 、と、云う状態ですが、どうやら私、真実の愛の追求期間で、なにか奥義とでもいう事を悟ったところなども、かすかにありまして…。

 関係者皆様、ご迷惑をおかけしているかと思われます。これも人類の人文学に寄与する人体実験行為と見做しどうぞお許しください。





 …んで。






 非情、…いや非常に、気持ちいい。
















 もう数年も前から、海外のリゾート地などでは通信困難環境を売りにして人気を集めるホテル!、だとかをよく見かけますが、


 あ、おれ、今 通信無理だから。



 …と、プールサイドで、山盛りフルーツでも食いながらカクテル飲んで、何も考えず太陽を眺めては泳ぎ、読書でも…。
 んな、贅沢なことをしてるセレブの人達も今どき世界中、非常に多いかと思われます。

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 で、この『通信困難とはどれだけ気持ちいいか?実験』の数ヶ月…。。







 ……… こりゃたまらん。。。




 気持ちよ過ぎるぞ、おい。。






 今の高機能情報社会の世界を人類としては史上初めて体験している訳で、まだ、その本当の緻密な検証は社会学的には出来ていません。その新しさにこそ面白さもあるし、だいたい空想としては、私自身ハイテクはとにかく無類に大好きである。


 しかしインターネット最初期のエレガントな空想は、やはり空想で、いざそうなってみると、空想とは全然違う現実も露呈してくる訳で…。




 まぁ社会学、脳科学、生理学的に難しく説明もできるでしょうが、それは私の仕事では無い。


 人間のコミュニケーション。特に、心の世界の交流。


 明らかに人間はキーボードの前で、心のチャンネルが何処か捩じ曲がってしまう…けれど、見たところその事実に、多くの人の自意識は全然存在していない。

 このせいで、おかしい人では無い人が、完全に頭のおかしい人になってる例も眺めると実に多いし、結局はそれが原因、遠因の犯罪さえも多発している。




 効率化や便利のみを求め過ぎると、何処か人は愛を失ってしまうのではないかしら?




 ふと我に返り世界を眺めてみると、美学が強烈な明快さを持って確立してる人…、例えばギャルソンのデザイナー川久保玲さんなどがfacebookなどを安易に利用する姿は想像すらも出来ないし、彼女は宣伝媒体のwebすらも真っ向から否定する姿勢をずっと貫いている。作家の村上春樹氏はたまにネットに企画物で登場はするけど、未だに公式webなんて無いし、snsもきっとされないでしょう(隠れてしてそうな気もするが…)。だからこそ頑に作品を電子書籍化をしないのかな、と想像します。まぁ春樹作品の電子書籍化はした方が良いと個人的には思いますが…。

 さらに、もしもマイルス・デイビスが生きていたら…?(なんだか言うまでも無い。。…が、twitterにshit,fuck!とか、たまに呟いてたりして…w)




 …そういう訳で、私に何か御用のある方は、お急ぎの方はお電話、お急ぎで無い方は、ご面倒乍ら必ず自筆手書きのお手紙にてご交誼くださいまし。

 本当にできるなら伝書鳩など良いですね…。飛脚…、いや、瓶に入れた手紙を海に流して波で漂着するのを延々と待つのも良いかと思われます。(これはジョークではありません)


 なんだそれ、あほか、面倒くせ、…って方は、どうぞご遠慮無く私めなどは無視してください。



 すみませんが、どうぞよろしくお願いします(- -)。

 2017年のカウンターラインは、1970年代のカウンターラインの夢想した姿とどうやら真逆に成った様です7。

 私の宇宙大の作業環境はこれで完璧になりました。








posted by サロドラ at 01:23| 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月05日

喜びの年のはじまり Åγαβαμβι



 私の年始年末の儀式である魂の旅路は、真実と本物を追求する申年閉幕式に相応しい、日本最高の蕎麦求道者の本物の匠の世界を堪能して締め。

 この生き生きとした喉越し感。その無駄の無さ。フラットさ。飾らなさ。本物って、虚飾も無駄も一切、無い。


 できれば、こういうものだけを毎日喰っていたい…。。


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 で…、、独自のフルータリアンおせちを考案して、昨年の真実の追求の副次効果(?)で、生まれて初めてやっと嗜めるようになった日本酒で酉年を迎えるなり。



 そして、これもまた生まれて初めてNHKの紅白を全編通しで観た。

 J-popに興味無し。TVに興味無し。メディアソースに興味無し。で永年過ごしてる私であるが、なぜか今回はこれをじっくり観なければならん気がして。。…これが結果、非常に面白かった。


 この数年ほどは、旅先のホテルでほんの少しだけ齧り観て、こうした日本の音楽シーンの片鱗に自意識無しに寄り添ってる自分に心底絶望しながらも、その動向だけでもチェックするか‥、と思って観たら、やはり超絶的な絶望のどん底に突き落ちる事を繰り返し…(泣)。


 きっとTVもNHKも、この時代の変化に必死でもがいてるんだろうな…。もうTVの時代そのものが20世紀と共に既に終わりを告げたのにね…。その様がシニカルに面白かった。


 …だけど、そういう皮肉ではなくて、文句抜きで最高に素晴らしかったのは、林檎である。

 さすが林檎なり。と、オレンジのさろどらサマがフルーツ類の親類としてつぶやかしてもらおう。


 世界の最先端音楽シーンではとっくに旬を過ぎたエレクトロニカなメイキングを盛り込んだものではあれど、真摯にそれらを取り込んでいく貪欲で前向きな姿勢にとても好感を持つし、何よりも、屋外の生放送で、こんな仕事を成し遂げたスタッフ全員の仕事っぷりの素晴らしさ!に尽きる。こんな素晴らしいものを観ると、日本も、日本人も、捨てたもんじゃないぜ、って気になる。


 都庁をプロジェクションマッピングで彩りARの虚構空間を産み出し、無数の背景人物を操り、まるで震災などの悲しみに喪に伏す様なファッションデザインといい、20:16〜20:20の東京五輪に掛けた演出といい、そして、楽曲もスタジオヴァージョンとは雲泥の差の精気のあるアレンジ、演奏、歌唱、そして林檎の詩才だったと思う。




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 しかし、私の目を強烈に惹いて離さぬのは林檎の横のÅγαβαμβι←この文字一体どうやって打つんかい?)様お二人!!!

 その強烈な美学。この映像の中で、もう既に最も世界を席巻している才能は、実はこの御二人だ。しかも夫婦(いや、これは"婦婦"か?)とは!?


 すぅごいぞぉぉぉぉぉおお〜〜〜〜〜!!!!!!
50853137762477☆★☆★☆



 …こういう御人とはぜひ御仲良しになりたい…。。。
 

 酉年を迎えるに相応しい鳥肌が立ちまくりましたわい。




一応釘刺しとくと上記動画に法規定上の違法性はありません。JA○sR○句よ、法規定条文解釈上はこういう著作権法の抜け方もあるんだよ。

Åγαβαμβι Ayabambi 椎名林檎 紅白 2016 青春の瞬き 動画 Ringo Sheena 東京事変

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 …さて年を明け、いつも通り、早朝の早々にそうそうと出かけるおれ。

 今年導かれたのは、もう此処しか無い、という申年究極のエネルギーが満ちまくっていた場所。それが、一体どこかは例によってここには記さぬ。


 今年の全ての出来事は、ここから湧いて出てきていたのでは無かろうか?と、個人的に思ってる場所へ。



 そこに特殊な水があります。



 それは日本の書聖、空海。彼が空海として世に立つのに必要な力の最終準備、最終調整をした古来からの霊地で、その後の彼があの偉大な業績を成し遂げる礎を築いた場所です。

 去年の夏頃から、どうもその強烈なフォースをここから感じてならぬ…。


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  ご来光

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 私のメイン研究テーマに触れる、ここはおそらく数千年前から特殊な場所だったと思います。空海はそれを間違いなく知っていた。

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 世界的にみても珍しい原始林の森。しかも神使の鹿(やはりバンビか?)が悠々と森を歩いてる…。日本の正月飾りの定番、シダ類のウラジロも群生しています。フルータリアンの私は、史学や哲学的な見地から餅などをあえて飾らないけれど、ウラジロだけは欠かさない。それを観るだけで特別な気持ちに成ります。その理由が、こういう風景を観ると確信を持てます。


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 これが、その特殊な水。なんかオレンジ色ですな。。



 この水で、書道会員の皆さまに書き初めをして頂きました。今年の祈願はかなり特別な力にて叶うことでありましょう。





 で、私も書いたのですが、書体違いで色々書いた。

 行書ではこうですが、

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 草書では、こうなります。

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 まるで漢数字の七十七のような形になるので、七十七歳を喜寿として祝う風習が古来から日本にはあります。

 今気づいたけれど、これ、見ようによっては七七七にも見える形ですね…。


 昨年は皆さまご存知の通り、私は"7"の為に準備に準備を重ねましたので、きっと、その全てが開花することでありましょう。



 しかし、申年は真実追求の素晴らしい年でした。色々な事件に事件を重ねながら、結局は良い出来事、本当の真実だけがどんどん洗練されて露わになってゆく、という年でした。無駄は消え、本物だけが、最後にそこにある。

 結局、果実を結ぶのは、本物だけです。


今年はゆっくりお酒でも飲んで、その実りを楽しんで眺めましょう。
 

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(やはり神使のバンビが身の周りをうろうろと…)


posted by サロドラ at 07:07| 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月01日

2017 Happy new year!



新年あけましておめでとうございます

☆ 本年もよろしくお願いいたします ★



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 今年は酉年です。このブログを通読なさってる愛読者の方はもうご周知の如く、『酉』とは動物の鳥ではなく、十二支の酉を司る象形文字です。






 この文字は酒のさんずいが無い形ですが、酒を造る酒壷の形の象形で、漢字の生まれた殷代の末期頃にはこの壷は既に青銅器などの金属でできていました。さんずいを入れずとも、この形だけで、酒を意味しますが、これに蓋をした形が樽という字のつくりの部分です。きへんを持つ樽の酒樽は本来は木で出来ていたのではなく青銅器だったのですね。

 しかしこの殷代末期は、政治腐敗も凄まじく、酒池肉林という言葉はこの頃に実際に腐敗した王族によってされていた史実から出来た言葉です。これが原因となって、殷代は滅びます。


 さて今年の酉年ですが、前年の神の象意激しい機運は落ち着き、ゆったりとした喜悦に満ちた年と成ります。


 今年は何事につけても、ゆったりと酒でも飲みながらパーティーでも楽しむのが大変に宜しい。

 

 すなわち、今年はずばり、喜びの年です。


 という訳で、今年は昨年に懸命に動いて刈り取って得たもの事を、ゆったりと楽しみましょう。それが重要です。今年は得たものを熟成させ、発酵させ、その味わいを楽しむ年です。



皆さん、今年は大いに楽しみましょう♥


 


 2017年 元旦



 ps,私の作品が届いた会員の皆様はどうぞお部屋の西の方角に飾って、どうぞそれを日々眺めて楽しんでください。愛読者の皆様は画像ファイルをどうぞご使用ください。何が起るかお楽しみに!

posted by サロドラ at 07:07| 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月01日

真実


 今日、前回記事に書いた事件の判決が降り一斉に全国的に報道された。
 http://www3.nhk.or.jp/lnews/yamaguchi/4065702861.html?t=
 前回の初めての裁判傍聴は、ど素人としてかなり精神的にヘヴィーだったので、敢えて生での傍聴はしなかったけれど。。


 さて、私がこの件で一番学んだ事、ここに書きたい事は、この事件の本当の真実、報道、その報道を見たネット上の野次的な反応の、あまりにも大きな食違いである。

 
 私はこの事件よりも、私のほぼ予想通りに起きた、この社会的な結果の方に、かなり面食らった。
 …そこまで…なのか、と。。


 それは前回、公判を生で眺めていて、おそらくこの事件の核心、本当の真実、また、この罪を裁く罰としての公判の焦点など、まるで報道することは不可能だろう、と、率直に感じた通りだった。


 ごく簡単に言って、ネットやTVのソースをそのまま真に受けたら、この事件は事実が本当に、全然違う。

 今、ここをお読み方は、上のリンクのニュースソースを読んで、おそらく確実に、完全な勘違いをなさっている。

 すなわち、今、あなたが被告人に抱いた感情、イメージする内容、そこから心に作用する種々の断定、おそらく、それら全てが間違っている。


 事実として、この被告人は、あなたが今、思った意味で大きな罪は無く、あなたが今、思った意味とは違って、大きく罪がある。今日の公判では見事に裁判長がそれを的確に裁いた。また、精神、心の世界、更に霊的に‥、とでも言う意味では、更に法で裁けない場所にこそ、もっと本質的な悪が存在している。おそらく、確実に後で神的な誰かが裁くであろう、何かが…。

 

 真実。

 その追求

 そして、それを誤りなく正しく人に伝える事。




 私が特に興味を感じたのは、これら全ての難易度、ハードルの異常な高さ、である。


 まず、ニュースソースを見る限り、各社の報道記者はおそらく、全公判をそれほど深く見ずに今日の裁判長の判決主文だけから報道しているのは明白だ。決して、報道コードでマスキングされてる訳では無いと思う。肝心の部分は伝えられず、見ようによっては、本質の部分で事実と全く違う見栄えの事件になってしまっている。


 さらに当然、それを眺めた、ネット上の意見は、ほとんど全部、見当違いも甚だしい。これは、ネットユーザーが馬鹿なのではなく、メディアの構造自体に大きな問題がある。 
 しかし、その結果、ネットユーザーは現実に頓珍漢な馬鹿になってしまうのである…。




 物凄く、いい勉強になった。


 まず、出来事というものの本質、それを第三者が捉える事の差異と錯誤、さらにそれを伝えるメディアの本質。



 私は今日、1日中、朝から18時間ぐらいは、仕事の必要性から、ずっと日本から海外までのネット情報を収集していたけれど、情報というものが、こんなにも本質の差異が生み歪んでゆくのを目の当たりにして、メディアの情報の触れ方に、やはりこの大きな誤差を修正する重大な必要と、そのより巧みな方法を深く考えさせられた。

 

 これを例えるなら、

 音を鳴らした瞬間に
 ミュージシャンが聴く音、
 それを近く聴く聴衆、
 拡声処理で遠くで聴く聴衆、
 それをメディアで聴く聴衆、
 
 その巨大な誤差とまるでそっくりなのである。



 哀しい事件の詳細を、ゴシップ記事の様にここに書く気は私には無い。
 でも、この真実、そのあまりの遠さ、という事だけをここに記しておきたい。


 この事件の核心は、非常に哀れな被告人の境遇と出来事にあり、近親殺人とは言え、最初の供述通りなら充分に情状酌量の余地がある、執行猶予さえつく事件だった。ところが、争点は、途中から供述を真反対に裏返して無罪側に寄る詐称を被告人が始めたところで、裁判は複雑化し、結果、寧ろ厳しい判決に至った事件である。


 私が興味をひかれたのは、その嘘の内容、である。


 被告人は殺された魂を心に語らせながら、全ての経緯の真反対の嘘を詐称し始めたのである。それも"愛"の情感を涙ながらに滲ませて。


 それは、幼稚な女がよくつく嘘に過ぎない。 


 世間を騒がせている事件、STAP細胞詐称、ベッキー、さらには20年前のオーム事件…、世界の全ての事件は、愛のわずかな誤差、真実のわずかな誤差が、複雑に絡まって、大きな事件になってゆく。


今、世界で起きる大事件ではイスラム国など、もっとも巨大な例である。彼らが行うのは"神の愛"の詐称による無差別殺害である。


 "真実"にも、また"愛"にも、誤差、というものがあってはならない。わずかな誤差、ですらも。それが最後には世界の悲惨を生む。歴史上、すべて、この問題によって人類史は創られてきた。


 そうならば、人間の罪と罰は、実はこの”誤差”にこそあるのだ。




 そう、今日、私が見たもの。



 純粋なもの、それは無垢であればあるほど、弱く折れ曲がって、世界に反響し谺する。

 でも、そこに一切の小手先の技術、エフェクト(効果)、詐称、をどかして放ったならば、それはたとえ時間がかかっても、巨大な力に増幅されて何かを創る、ということだ。

 増幅された瞬間に、それは別のものに変化した形を成すかもしれない。でも、その中には微粒子の気流の様に、真実の宝石が鏤められている。


 私は、この本当の真実がメディアというものを通して歪む現象から、歪んでも、歪んでいない真実の伝え方、すなわち、音のレコーディングのコツを学んだ。

 そして、情報。やはり、それは常に生で、現実のリアルな情報に触れる。純粋なもの、それがゆえ拡張されてるもの、それだけに常に。




 殺人事件の公判に、かなり真剣に音楽の方法論を学ぶ変人は、きっとオレぐらいかも知れない。でも、オレみたいな奴がどこかの世界に居たら、きっとそいつとは本当に仲良くなれそうだな‥。



 ******


 巨大なプロジェクトに邁進中。sさん、iくん、ありがとう。すごく勉強になりました。

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posted by サロドラ at 03:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月06日

まぼろしおんせん。

 


 さて…、先にも記しました昨年夏から続く私の朝風呂ツアーは、いよいよ恐ろしいほどのディープさを、いや増しに増すばかりですが、ワタクシにつきものの、温泉珍事も、そのディープさをいよいよ増し始めた様子でして…。


 最近、無精で髪の毛も伸び始めたところでもあり、このところ、その成りを潜めた恒例の珍事のひとつも、無事復活(?)したらしく、つい先日も、例によって風呂上がりに素っ裸でぼけ〜っと座ってたら、割と若い二人組の男が、フロアーにガラッと入るや否や、


おぉー!


 と奇矯な声で叫んで、立ち止まったかと思ったら、あちらこちら眺めまわした上で


『あぁびっくりした、間違えたかと思った』などと、二人でブツブツつぶやきながら、いそいそと…。ふむ。。(←べつに理由は無い感嘆句なり)  


 
   


 で、そういうワタクシの方が、今度は返り討ちに合うかの様に、この私自身の珍事を上回る、さらに訳の分からない珍事(?)に遭遇。




 秘湯にもだんだん慣れてきて、ベテランの気すら発し始めてる私でありますが、その日も例によって、普通の人は誰も居ない平日の朝、そもそも人里離れた山奥の秘湯。それも連休明けの月曜の朝、である。



 こんな日のこんな時間にこんな場所で秘湯巡りをするのは私しか居まい、という、自負心にも近い奢りの感情が、私の心にはとぐろを巻いて蠢(うごめ)いているのは、正直、否めない。


 そういう、変な安心感から、そもそも私には油断が大きくあった。




 まずは共同風呂を眺めに行くと、だ〜〜れも居ない。川のせせらぎの音が緩やかに聴こえる。


 看板によると、ここは混浴らしく、お金も郵便受けに勝手に入れろ、などという、いい感じの雰囲気である。


ふむ。。。




 …でも、かえってなんか落ち着かないにゃ、と思い、老舗旅館の内湯となっている、露天温泉に行くことに決定。



 これまた鄙(ひな)びた、いい〜感じの旅館の小さな門をくぐり、玄関に行くと、し〜〜ん、として人の気配が無い。古い蓑笠などが飾ってある。


 しばらく、ごめんくださ〜イ、と何度か呼ぶと、おかみさんが出てきて料金を払った。


 「ここは、温度が低い温泉なので、ゆっくり入っていってください」


 と、暗〜い玄関先で言われて、露天に進む。



 途中、女湯脱衣所、とか書いてある建て屋があり、通り過ぎると、野趣たっぷりの露天温泉が。




 すると、先客があり、角刈りのおじさんが入っている。


 少し目が合ったのだけど、何か目を丸くしているおじさん。


 別に気にもしないで、奥の簡易脱衣所へ。


 「ふむ。ひとりだと思って楽しんでるところに、来るはずの無い変な客が入ってきた、って感じで、ちょっと悪かったのかな…」などと思ったけど、ま、いいや。



 で、自分の服を脱ぎながら、ふと見ると、どう見ても女物の下着と、サンダルが……。。



 ン???



 角刈りのおじさんは、岩に隠れた方に、移動してしまい、姿は無い。


 とりあえず、露天に浸かってみると、本当にぬるい。外は寒い。でもいい感じ。。…しかし、問題は、おじさん、である。女装趣味の変態おじさんだったら、ちょっとヤバい。


 ただでさえ、ワタクシも先の珍事の様に、変な勘違いをされがちな生物である。


 いや、待てよ、、、あれは、もしかして、おばさん???


 って、ことは、ここは女湯????

 おれが、何か間違った??????


 と、思い至って、なにか心臓がドキドキし始めた。




 どうしよう?


 周りをきょろきょろして、いや、ここはオトコ湯である。オレは間違ってないぞ。一体、何が起ってる????


 野趣溢れる天然岩湯船に首まで浸かって、10分くらいは、ぐるぐる考えた。

 その間、背後の岩陰の穴ぐらには、人の気配を感じるが、振り向こうにも振り向けず、ましてや、「こんにちわは〜ぁん」などと明るく声をかける空気感でも既に無い。


…………


さらさら  



…………



さらさら




‥無言の行間があたりを支配している。






 ………。。。。





 さて、私は10分以上は寒気の中を湯船に浸かったであろうか? 


 … 異常に長い10分間である。


 無言の ‥‥‥ の連続技に業を煮やしたかのように、
 角刈りおじさんは、とつぜん簡易脱衣所にざぶっぅ!!!と音を盛大に立てて、巨大なトドの様にあがっていき、その背後の姿が見えた。




 ええっ???





 瞬間に見たのは後ろ姿だけだけど、矢鱈に大きな巨体にはバストの膨らみが‥、けっこう大きい……。

 で、自分の服類などを持って、いそいそと、女湯脱衣所に走っていった。




 ????????????????????????




 ………おばさんだった????





 ってことは、ここはオトコ湯って訳ではなく、混浴で、こんな日には誰〜〜も居ないと思って入ってたら、オトコのオレが入ってきて、バツの悪い想いをして逃げていった、という件だったのか???


……… (悪いことしたかな‥)。




 ま、いいや。今度こそ、誰もいない超絶天然露天温泉を楽しもう。


 そう思い直して、ゆっくり楽しむべし。



 〜 〜 〜 〜 〜 〜


 いい〜ゆ だなぁ〜 あははは〜ん




 ふと見ると、目の前に『この温泉は数百年の歴史があり、2時間くらいは入らずして、この温泉の真価などわからぬ』などと口上を記されている。


 そうか。そこまで言うか。


 良かろう。受けてたってやろう。どん、と来い。



 さっきまでの緊張がほどけたせいか、とたんに気が大きくなって、普段は割とカラスの行水で早風呂なオレも、じっくりと攻めることに。





 ふむ。ええ〜のう。長風呂も。外は寒いし、湯はぬるい。自然のアルファ波はそこらじゅうに充満しまくってるし。







 ま、2時間はいかないにせよ、1時間半くらいは、楽しんだ。



 相変わらず、だ〜〜〜〜〜〜れも、いない。



 ふ〜〜〜。よし、出るか。オレといえども夕方から仕事もあるしね。
 ビ〜ル飲みてぇ。



 …などとつぶやきながら、簡易脱衣所は思いっきり外の寒気の中なので急いで服を着る。

 う〜〜む、えぇぇ温泉ぢゃ。



 で、さっきの女湯脱衣所の前を通り過ぎ、坂道の旅館の小道をすたすたとあがって行くと、後ろから気配がして、何かブツブツとぼやいてる声が聴こえる。

 ふと振り向くと、さっきのおばさん、と同一人物と思しき人が旅館から出て来て、手に荷物の様なものを持って、後ろからあがって来るのが一瞬見えた。




 
 えっ??????????





 姿は建築系の作業着。やっぱり角刈り。どう見ても、その姿はおじさん。声もおじさん。




 しかし、この時間までさっきの暗〜い旅館の中に居たのかしら???


 何してたんだろう?




 …ここにきて、再び、完全に訳がわからなくなって混乱した。



 おじさん、と思ったら → 女装の変態おじさん‥ → そうかと思ったら実は単なるおばさん‥ → そうかと信じてたら、やっぱり、おじさん!??



 意表をつきまくる展開に愕然として、坂を登り切ったところで、恐る恐る後ろを振り向くと、おじさん?は仕事用と思しき小汚いハイエースワゴンに荒々しく飛び乗ったかと思うと、びょ〜〜ん!と早々に去っていった。。。。










 ………なんだ、こりゃ?





 …混乱しながらも気を落ち着け、帰路につくことにしたものの、帰りの道中、今しがたのこの件をどう理解すべきか本格的に訳がわからなくなり、推論が頭を迷走しながら駆け巡るオレ。。




推論A 普通バージョン


 単なる地元のおばさんで、誰もいないだろうから、と思って入ったらオレに邪魔された。


推論B 少しディープバージョン


 女装気のある地元のおじさんで、誰もいないと思って油断してオトコ湯に入ってたら、オレに邪魔された。


推論C かなりディープバージョン


 男装気のあるおばさんで、誰もいないはずのオトコ湯にオトコのつもりでのんびり入ってたら、来るはずの無いオトコのオレ(しかもオンナと間違われる気のあるオトコ)が突然入ってきてビックリした。ジェンダーすり替わりの変テコリンな取り合わせが同じ湯船に‥。しかも閑寂として、他には誰〜も居ない。異性物同士の緊張した空間が。


推論D もっとさらにディープバージョン


 そもそも、玄関先で会ったおかみさんの雰囲気から、なにか普通ならぬ感じが既にあった。
 誰も居るはずの無い、こんな日、こんな朝、こんな場所…、いわゆる、世を憚る暗い秘密のある、普通ではない、真実の愛の世界がそこに…。



 … あ・わわわ。。。この図は見た目テキにはちょっと恐ろしい上に、しかも心の内面描写としては、ディープ過ぎて、なんだか異世界的に美しい。これだけで芸術作品の主題に成りかねない。

 真実の愛の追求、を独り行為し続けてるオレには、これは…。。。心に湯気の様に沁みわたる気も…。

 数時間この脳内妄想の物語りから逃れるのがエラく難しいことに…。。







 ふむ。申ドシじゃの。






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posted by サロドラ at 09:06| 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月23日

純粋な白に輝く神々の来た道 ☆7



 私の朝風呂ツアーは、いよいよ海超え間近に迫ってきた模様ですが、もうほとんど私の仕事の一環、もしくは義務、もしくは宿命、であるかの如く、また、ふらり、‥と出かけた。。

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 ふらり、と、漂着してみると、とても辺鄙な場所に、 場違い感充満にも壮麗と建っている妙に立派なホテルが‥。なんだこりゃ? 調べてみると某大企業社長の出身地らしく、黒川紀章の建築で、中空吹き抜け構造の高層ホテルが建っている。


 しかし、不思議なのは、どう考えても辺鄙な場所に、似つかわしくない無駄にでかい建築。平日のこんな日に、そんなところへ誰か来るのだろう?(おれみたいな妙な宇宙人しか居ない筈だけど‥?)と、思いながら近づいていくと、田舎の匂いがまったくしない、とっても美人で、とってもスタイルの良い若い女性と、道すがら何人もすれ違い、チェックインしてエレベーターに乗っても、そういう感じの女の人が、いそいそとコンビニ袋を持って部屋に入っていくではないか?


 ……??? (←キツネにつままれた感のあるさろどら)


 朝風呂に行くつもりが、オレは間違って金星にでも着いたのか? 

 訳がわからないが、とりあえず、地下の天然温泉(当然ながら源泉で塩分と硫黄分が割と強かった。隣別館には古代ローマ式なんてのもある)で和んで、最上階のBarでゆっくり考えごとをすることに。Barの名前はamore(愛)


 隣の席にはそういう美人女性3人に変な背広の爺さんが囲まれ、会話している。


 ま、いいや。風呂あがりはビールだな。

 …んまい。


 エンジェルというカクテルが美味しかった。

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 で、背広爺さんは一人で帰っていくと‥

 「ねぇ、あのじじい、目の焦点がさだまってなくね?」

 「いや〜ん♡」

 「ぜったいキャバ嬢とかって、向いてないよね〜ん」


  なんて女子会話が耳に飛び込んで来る。ん?…このホテルにはそういう店でもあるのか??…でもなんか違う。 ますます謎は深まる。(あとで謎はすべて氷塊)



 お気に入りのアイリッシュウィスキー、ブッシュミルズを飲んで、明日の朝風呂計画を立てる。


 問題は海を超えるかどうか、だ。 種子島宇宙センターのパンフレットが妙に気に成り、思わず朝風呂じゃなくて、朝宇宙に成りそうな欲望を必死で抑え、まてよ‥縄文杉、という朝風呂パターンも…などと、ぐるぐるアイディアが浮かぶが…。

 宇宙にもロケットにも縄文にも、並々成らぬ強い欲望があるのは事実である。だが…ここはっ! 朝風呂がファーストミッションである。だいたいそれはちょっと仕事に戻れんだろ‥。

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 …で、行きついたのは、日本の原点中の原点。神の降りた場所。そこから地上の神話が始まる場所。天と地を結ぶ場所。その聖なる山。

 吹雪の雪原のその輝く静謐な美しい山が、私を招き待っていた。


 でもそれはここでは語らない。誰にも語らない。誰にも語れない。言葉にできはしないのだから…。枯れる程の涙が僕の魂を洗う。素晴らしい体験だった。



 





posted by サロドラ at 11:23| 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月07日

魂の旅路 ☆7


 新年を迎えるにあたって、オレンジ・ポマンダーの完璧版も無事完成。今年のは、でかい‥。

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 で、いつも通り年始年末は、導かれるままに魂の旅路へ…
 聖地でカウントダウン

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 そして今年はあえて日の出を待って、日本で最も重要な最古の儀礼に使用する湧き水の若水を汲みました。

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 その水を墨で摺って会員の皆様は書き初めをして祈願。

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 ワタクシも書き初め いつもの中国明代のヴィンテージ硯で墨を摺る。いい香り‥。

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 さて‥今年は導かれてみると‥、、なんと!と、いうかやはり、と言うのか、昨年暮れの記事に書いたラフカディオ・ハーンの自筆原稿に遭遇。かの文章、『日本人の微笑』が収録されてる『日本の面影』の初版本も。彼はやはり高い霊性に根ざした精緻な筆記技術を持っている…。あまり知られていない彼の本当の真価は、そろそろ世界に知られることになるだろうね‥。

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 こちらは晩年の遺作『神国 日本』の初版本。

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 年始年末の私の儀式はすべて完璧。


 こちらは、いにしえの太陽の儀礼の装束。なんて美しい…。
 この時代、科学の発達した現代よりも石の発掘と研磨技術、何より、何か霊的なそれらの使用法が非常に優れている事を、生の実物で確認した。なんて素晴らしい…。

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posted by サロドラ at 07:07| 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする