2015年07月07日

Su-fau 〜雲〜  2nd Liu works



sufau.jpeg



Su-fau (スファウ) 〜雲〜  2nd Liu works
 




posted by サロドラ at 07:07| 書道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月15日

「人」漢字の成り立ち 〜人とは何か?〜




 書の授業にせよ音楽レッスンにせよ、基本的にここでは授業ネタはあまり書かない事にしていますが(最も繊細な部分がネットでは伝わらずに誤解だけが広がり易いので..)、しかしこの問題は広く知って欲しい事なので徒然に記します。

 前回『努』の成り立ちの世間的な誤解と、語彙の本意について書きました。

 今回は『人』です。


 ずばり、人間とは何か? という深い命題をこの「人」という漢字は見事にたった2本の線で描写しています。





人とは何でしょうか?






 もしも皆さんが、「人」を厳密に定義づけ、数本の線で描写する、、としたら一体どう描くでしょう?



 漢字はその造形が表意文字として特定の文字の状態が固まるのにおよそ2000年を費やしています。


 2000年間、哲学し続けている。本来の意味での「書家」とは文字を通した哲学者を意味しています。

******


 「人」という漢字を私達は皆、小学1年生で習っても、『人とは何か?』という深い問題について、この漢字の象形の深い意味、造詣を学校でただしくは教わってない様子です。


 書道に於いて、この哲学が「人」という漢字の書き方、描(えが)き方をおのずと決定させます。



 私はよく試しに生徒や学生の皆さんに逆に質問しますが、「二人の人と人が重なりあって、お互いを助けるのが人だ」という珍説(?)を学校で習ってる人がとても多く、どうやら元ネタはTVドラマ金八先生の武田鉄矢らしいのですけど(笑)、この説は漢字学として完全な間違いです。(あぁTV文化よ…変な洗脳をしないでくれ。)



 お互いを助け合う事は無論、尊い事ですが、たとえば動物や鳥や虫ですらも、生存の為にお互いを助け合ったりしますから、それは生命や万物に浸透する『愛の尊さ』であっても、『人間』という存在固有の特殊に傑出した特性を決定づけ、定義する要素ではない。

 どうもこの説は、日教組的な共産主義思想の匂いどこか感じさせるもので、私は無性に嫌いです。




  さて、人の象形文字はこの様な形です。


IMG_5608.jpg



  
  これは前かがみの人を横から眺めた姿です。完全な直立ではなく、どこか前かがみの姿を描いている点が特に重要です。




 そう、これは二足歩行を人間が始めた、その瞬間を描いています。


 四つ足の動物が、二足で立ち上がった瞬間。その瞬間に、人間は、人間になった。


 生物として、手を手として自由に自立使用し始めた。おそらく、この手の運動能力の拡大と、人間特有の脳の肥大発達は大きく関係している。

 
 手を微細なレベルまで使用し始めた人間は、自由に解放された手によって道具を発明し、それは驚くべき高度なレベルに進化し、地上最強の霊長類に完成した。




 二足歩行で立ち上がり、手を使用し、道具を手にし、工芸や芸術を産み、言語を文字で書き、科学を産んだ。

 そして私達人間は、まだ人間進化の途中過程にある。

 Apple創業者のsteve jobsがスマホやタブレットに、スタイラスペンではなく、指で直接触れ、繊細な動きを直接手で触って動かすデバイスに徹底してこだわったのは、この人間の本質問題をずばり見抜けていたからに違いない。だからこそ、このデバイスは爆発的な普及を全世界で遂げた。

 そんな彼は開発中、パルアルトでずっとにぎり寿司を握る日本人寿司職人の技を眺めては、ずっと長い時間、自分の両手を見つめていたそうです。




 さて、楷書体では本来、こうした成り立ちにより、手にあたる左払いを短く、胴体部にあたる右払いを長く、古典では描かれています。

 




IMG_5609.jpg

 ちなみに、書聖 王羲之はこの様に書いている。



IMG_5611.jpg


 明らかにこの胴体部である部分を意識して、右に払い抜き去らず、下に抜いて描いており、この様な書体に於ける哲学上の精密さこそ、彼が書聖たる所以です。


 先の巷に溢れる珍説は、江戸期以前の古典に於いて人という字が、まさに手によって、どう描かれていたのかをよく知らない事からきている。

 きっと活字や機械的フォントしか見ておらず、生きた文字の歴史を見ていない。


 現在のフォントや活字などで、人という文字を眺めても、「入る」と逆同一形でしかないので、この様な深い哲学世界に、普段私達は全く触れる事がない訳です。






 結論。 これは世の金八先生説と、ほとんど逆の説。




 人とは何か?

 


 己の二本足で立ち上がり、己みずからの足で自立して歩め。


 そして、もはや足ではない、その手を使ってみよ。


 動物が遠く及ばない、その手の動き、極限の繊細さこそ、人間とは何か?を私達に教えるのだから…。






 私が日々、筆で指先の極限的な繊細な線で、言葉を表意文字で書くこと。楽器、特に弦に指で直接に触れ、最も繊細な心の震えや振動を指先から音にし紡ぐこと。


 人間の本質に直接触れる、この動物には到底できない、最も人間的な行為。

 それが生む人間存在の霊的な意義と快楽のふるえに導かれて、私は筆で書き、弦を鳴らすのです。



 この地上で動物ではなく人間として存在し、生きる。その極限、本質の醍醐味。


 私は、指先で言葉を哲学し、指先で弦をはじくのです。







posted by サロドラ at 09:09| 書道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月09日

雲の本質 太陽の本性


 GWはまったくの気まぐれ且つ直感に従い、次回"Liu"作品の主題『雲』の研究のため、日本最高の雲を研究できる場所に移動しました。

 このところ寝てたら本当に心臓が止まりそうで、どうしようかと思ってるところでもあり、日本最高パワーの秘境でパワー充填。


IMG_5503.JPG




 でもどこに行ったかは秘密。そこはまるで宇宙に手が届きそうな、大自然で、誰にも知られず妖精や精霊が本当に息づいている場所。日本の神々のふるさと。




 …そして雲を観るつもりで行って偶然観たものは、、この人生で最高の太陽、その姿、その本性、でした。



 そこで観たもの、感じたもの、五感を超えて触れたもの、、それは決して言葉では言えず、写真や動画でも写せない。写真や動画に撮ったけれど、これは真実の感覚を想い出す、まるでメモリーみたいなもの。とても奇麗な良い写真だけど自分の心の世界を貶める気もするから、公表しません。





 太陽神の本性の姿はとてつもなく美しい…。






IMG_5508.jpg


 聖地でできた蜂蜜のソフトクリーム。こりゃうまい。



IMG_5516.JPG

今回の作品専用の神域に湧く聖水を採取させて頂きました。




posted by サロドラ at 00:09| 書道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月25日

気づきの無い喪失



 某老舗旅館に掛かっている初代総理大臣 伊藤博文の書

IMG_5381.JPG


 伊藤博文は達筆で知られ書跡が沢山残っているのですが、実は真筆は少なく、多くは側近に代筆させて本人の落款印を押しただけのものが真筆として出回ってるとの諸説もあります。それらは本人が自ら作らせた贋作というトリッキーな作品な訳ですが、某TV番組に出てた真筆の鑑定が出た彼の書跡などは、その観点でちょっと怪しい。落款印で鑑定をするとそれはそうだけど、筆遣いで鑑定すると………。

 実際、私は書家としての眼で見た時、多様な書体で書いている彼の書跡を眺めてみて、明らかに同一人物ではない筆遣いを見てとる事があります。思うに御本人は失敬ながら、おそらくそれほど"能筆"ではない。

 結論、この作品はリアル真筆です。豪放、清廉、しかも女好き(笑)、という氏の剛胆な性格がこの作品にはよく顕れている。


 眺めていて私がとても感慨深かったのは、落款に記されているこの作品を書いた年号 "己亥" (明治32年 西暦1899年)。 


 翌年の西暦1900年に、明治政府は多種類の平安仮名を全て削除して現在の平仮名に変えました。最近この説を私は痛切に感じざるをえないのですが、この年を最後に奈良〜平安から続いた大和政権としての日本という文明は一度、滅びた。この作品がその前年の作である事を考えると、この国の歴史の道程、成り行きを感じて非常に感慨深い。

 哀しい事だけど、私達はたった100年も前の歴史、文明、文化の真実を、日常感覚として遥か遠くに喪失している。

 それは言い換えるなら、私達は"私達を"喪っている。


 …本当にそれでいいのか?



***
 
 こちらは、ipadを使用した授業も3年目となり、そろそろ慣れました。

IMG_5416.JPG

 私自身は紙もペンを使用せずタッチパネルに指で線を書いています。時間効率がとても良い。…でも、やはりここぞという場合はやはりアナログな板書。

IMG_5417.JPG

 デジタルデバイスはその便利を享受すればするほど、結局はアナログの方が重要だと言うのがよくわかります。


 デジタルの本性とはそれ自体で完結するものではなく、アナログの良質性の抽出装置がその本性だと私は考えています。

 もっとも繊細な部分でデジタルはアナログには、遥か遠くかなわない。おそらく永遠に。

 デジタルは人間の知性の結晶だけれど、アナログな有機物とは全宇宙の素朴で自然な合成物なのだから。それは人間の知性や感覚を超えている。それは言わば神の知性の結晶だからだ。





****


新言語 "Liu"作品の第一号 フィアー・アンヌを教室入り口に展示してみました。


IMG_5421.JPG





posted by サロドラ at 17:21| 書道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月11日

御香水


 京都から来られている生徒のKさんが、伏見にある御香宮神社御香水を持ってきてくださいました。

 何しろ、この水で書くと書道が上達する(!)とのことですので、早速、生徒の皆さんで使用したり飲んだりしました。

 
 それで私自身も、萌えに萌えて改めて稽古初めをしてみました(笑)。


 水は柔らかな軟水で、確かに粒子の細かい墨が摺れて、線質に筆使いがよく表現されるようです。これで毎日練習すれば、確かに上達する気がしました。


IMG_5262.JPG

やはり蘭亭序の第一文字目の『永』から稽古初め。1年に数回しか使用しない作品制作用の中世1600年頃(明代)のヴィンテージ硯、古端渓と、やはり青墨の『聖品』で。







 
posted by サロドラ at 19:46| 書道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月13日

い ろ は


 普段、書道の生徒の皆さんが仮名の字源(元の漢字)を暗記するのに、50音順ではなく、いろは、、で憶えてもらっています。…というのは、仮名を書くのに、元の漢字が何かを知らずしては、正確な仮名の形が書けません。

 で、いろはにほへと…、、くらいまでは何処の誰でも知っていても、その後の全文をすらすらと全部言える人は現代では意外と少ないのではないでしょうか?

 
 更に、平安時代から続く古のこの歌の深い意味を、学校などでは何処まで教えてるか、となると非常に疑問なので、学生のみんなに尋ねたりするのですが、やはり、なんだか芳しくない返答だったりしますね…。



 しかも、音楽用語としても、未だに平気でA majorを『イ長調』とか言ってるものね、我が国では。モーツァルトのなんとかイ短調…とかって…(笑)。


 私は、この12平均律による西洋的音楽用語を、日本の大時代的な「いろは」で言うのは、時代錯誤かつ単なる混乱の元になっているので(イタリア語、ドイツ語、英語、明治時代的日本語のもう全く無意味な混濁状態…)、もう絶対に辞めるべきだと私は思っていますが、しかしそれに反して、このいろは歌自体は本当に物凄く美しい歌です。

 こんな美しい歌で音訓を諳んじていた日本人のその感性や、その霊性の高さを世界に誇ってよいと思います。でも、それが哀しくも多くの現代人には全!、然、! 伝わってない。。。。。

 で、まぁ、ネット上でも色々情報があるでしょうが、ここでも私が少し授業でしている解説を。



仮名
 いろはにほへと ちりぬるを
 わかよたれそ つねならむ
 うゐのおくやま けふこえて
 あさきゆみし ゑひもせすん

漢字仮名混じり文
 色は匂へど 散りぬるを
 我が世誰そ 常ならむ
 有為の奥山 今日越えて
 浅き夢見じ 酔ひもせず


直訳
 色は匂うが 散ってゆく
 我がこの世の誰が 常であろうか
 有為(明滅するこの世界)の奥の山を 今日越えて
 浅い夢を見ることもなく 酔いもしない


現代日本語意訳

 色(しき)ー五感で感じる全てのものは 散り滅びゆくものだ
 この世界にあって、何処の誰が、永遠の常住に留まることができるだろう?
 この瞬間瞬間に生起する世界の、奥の世界を今、越えてしまうのならば
 幻の様なこの浅はかな夢であるこの世界に、酔い迷うことはない





 これは仏教の唯識思想に由来する、霊的な訓戒と叡智を込めた、ほとんど神秘でさえある呪句にも等しい歌な訳です。

 さて、古の先祖達は何故、これを音訓で子供に諳んじさせていたのか?

 それはこの短い歌は、この辛く哀しい過酷な世界を強く生き抜いていくための、巧みな智慧が込められている美しい魔法の言葉だからです。

 それはただ文字の学習だけがこの歌の目的だった訳ではなく、発音させて音訓を憶えさせながら、なおかつ、生きていく為の深い霊的智慧を子供達に伝えていたからです。


 そういう文明を1000年近くは持ってた筈なのですけど………この現代日本は完全にそれを失っています。

 でも、私達の感性に於いては、決してそれが滅んでいない事に、希望を持つ事にしましょう…。(少なくともこの私にはそれが失われていないのだから)



 
 しかし実は、私がいつも気になるのは、この仮名表記ではなく、むしろこれらの歌の音律です。

 平安の時代、どんな美しいサウンドでこれを読みあげていたのでしょうか?
 ラフカディオハーンが100年前の出雲で、お盆の典礼を初見した時の印象の記述から、私はいつもそれを妄想しています。


 それは静寂の美しさと、規定されない音律の美しさに溢れていたに違いない。


 私の心には、それが妄想ではあれ、確かに響いているのです。








posted by サロドラ at 23:59| 書道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月03日

行書体


 最近、学校の講義では割と平易な種類の行書体に力を入れて日々稽古しています。

 数ヶ月前に読書会でも紹介しましたが、私は偶然、ラフカディオ・ハーン著『日本の面影』を読んで頭を殴られる様な強い衝撃を受け、そこから開眼して渡辺京二著『逝きしの面影』を少しずつ読んでるのですが、現代日本人の一般的日本観と、奈良、平安から明治初期まで続いた『現実の日本』、『現実の日本人』というものの、とてつもなく大きな差異に、強い衝撃を受けています。暇なとき、ここにも詳しく記しておきたいことだと思っています。

 渡辺氏はこれを評して、文化というのは連続しても、文明というものは滅びる、日本という文明は一度滅びてしまった、と語ります。


 せめて私にできることは、消えそうな小さな文明の灯を消さない様に守護をしながら、さらに歴史上、未だ掘り起こしてない深い価値を発見し、新しい未来の価値を産み出す作業、です。

 
 現代では、簡単な楷書すらも、もう極普通の筆法を失いかけている時代にあって、草書はもはや完全に消失し、草書と楷書の中間を埋める行書は、草書を一般的に喪失している以上、当然ながら既にその体を成さない状態です。

 でも、そこに深く繊細な心の世界に通じる文明の所作があり、それはとても小さく見えて、とてつもなく大きなやり甲斐も私にはあるのです。


 こうした姿勢は音楽家としての私のアイデンティティーとも一貫して自然に一致しています。


 超古典、いや超古代主義でありながら、超最先端でありうること。それを世界と多元主義化してミックスすること。


 そういう自分を励ましてくれる気がして、最近はいつでも心癒され、共感し、自分の羅針盤にすらなってる、彼の不思議に素敵な声でも、どうぞ御聴きください。

「芸術と人生」ではなく「芸術は人生」、と力強く語る彼こそ、いのしえの美しい日々の日本人の忘れ形見ではないでしょうか?  小泉八雲ことハーン氏が魂を震わすほど感動したのも、まさにその一致を顕わしていた日本文明なのですから…。
 
 








posted by サロドラ at 21:09| 書道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月03日

時の糸



もう6年も前に初めて偶然触れる事になった古代文字の刻まれた石を再訪しました。今回は前回行っていない丘陵の頂上にある場所がメインです。


詳しくここに書き記す事は不可能ですが、そこには時の糸が結ばれ、この様な文字を書いた人たちの本意を確かに自分の心の内に発見しました。




IMG_3716.JPG






人は何故、文字を書き始めたのでしょう?


そして何故、言語を話し始めたのでしょう?






それは『時の糸』を結ぶためです。



それが無ければ、時は糸を織ることができません。






何千年か、何万年か、もしかすると、何億年か、、
その時の連続の物語は、それが表れるや否や、瞬間の中で消えてゆきます。
その消失を止めるのは、言語による文字だと古代の人間は発見したからです。


現在では当然過ぎる使用法の、横、すなわちこの瞬間、世界や人々を結ぶコミュニケーション・ツールとしての言語と文字は、本来意図した使用法ではありません。


現在のこの瞬間の同時体験を共有するのに、言語も文字も必要など無いし、それらが生み出す観念は寧ろ体験の神聖な程のリアリズムを、人間の卑小な脳内に納まる様に概念化し、抽象化し、ねじ曲げてしまいます。
即ち、そこでは本来、それら言語、文字など、莫大な情報を濁らせる邪魔者でしかありません。


IMG_3722.JPG


神域の中に無造作に祀られる文字と、古代では神殿ではなかったのか、とも推察される丘陵の文字を僕は眺めていて、その貴重な「糸」をはっきりと心の脳裏に観ました。


あまり人々に振り返られもせず、置き去りにされた、これらの石の存在に敬意を込めて、インセンスと献火を捧げて、言葉と文字の本当の意味を回復した気がします。



…そして、この時の糸を僕に結んだのは、日本の聖なる古代の麻の糸でした。







posted by サロドラ at 23:23| 書道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月14日

デジタルデバイス新学期


 今日は新入生の初授業でした。

 少子化で学校関係は定員割れの時代にあっても、今年度の本校は大人気の定員オーヴァーで、専門学校としては普通はあり得ない不合格者もやむを得ずあったそうです。そういう訳でクラスの人数もいつも以上に多い人数でした。

 
 私は昨年、ipadを実験的に初使用して授業を通年してみて、とても高いレスポンスがありました。
 
 白墨まみれで板書したり、資料をコピーして配ったり、などという手間が無くなり、とにかく授業を進める効率がとても良いので、結果、学生側の成績向上の成果が如実に表れました。



IMG_3508.JPG


 そこで、今年は更によりハイテクな使用法をしてみるつもりです。


 プレビューを、臨書の為の板書文字を中心に前年度はしていたのですが、更に私の指先の技術をカメラで拡大して見せて、より手先の技術を明確に伝えたり、大学関係の古典画像アーカイブ資料などを瞬時にwebで呼び出して見せたり、書き順の不明瞭な字の確認をしてみせたり……、、など、手元の指先操作だけで大きな視覚効果をあげそうです。


 この辺り、教育関係の方は多いに実行吟味の余地がありそうですよ。



 また現代的には学生のほぼ全員がスマホを日常使用しているので、それらのデバイスも連携させたアイディアも思案中。これらに関してはアナログ時代とは比較にならぬ習熟度のスピードアップが期待できそうです。


*****************


 しかし、面白いと思うのは、こういったハイテクな方法を駆使して、逆に超アナログな字の筆写手法をあげていく、という事です。


 デジタルというのは、メディアアートなどの様にデジタル方式がデジタル内で完結する事よりも、それがアナログと有機的に合体し始める時にこそ、よりスリリングで驚きの真価が顕れる、という事実に私は昔から常々、一家言を持っています。

 こういう時代だからこそ、手書きの手紙とか、手書き文章の価値がより拡大されている事象は、現在、社会現象として既に顕在化しています。



 思うに、最後はアナログが最強に強い。




 繊細さのコントロール、不均一性から顕れる情感表現、人間の感性と有機的な一致感、など、これはデジタルテクノロジーがどんなに進化しても(むしろ発展すればするほど)、それはアナログの優雅と豊かには叶わない。

 デジタル手法の最高の有効性とは、それらアナログの有機性を抽出する為のドリッパーみたいなものだと私は考えています。


********

4/21 追記

…で、早速、スマホ実験運用しました。
私自身の手元技術の繊細な指の動きを、各自がスマホで確認しながら学生が実習を『何時でも』『何処でも』独習できるシステムです。


IMG_3550.jpg


IMG_3551.JPG



 こういう事は実はもう10年以上も前にsalon d'Orange music societyで、まだyoutubeなどの動画サイトも無い頃に、私は自分のサーバー上で実験を重ねていた事です。


 当時、私はスマホなど無い代わりにSONY CLIE PEG-NX80Vを愛用していました。未だに超名器だったと思っていますが、あれはiphone登場前にもう既に”タッチパネル”でした。しかもキーボード搭載。プロダクトデザインも凄くクールだった。(あのセンスと技術を持ってして、何故、SONYはappleに勝てなかったのか…? あれのいいところの全部、jobsに完璧なスタイルで盗まれてない???)

しかし、その頃の実証が今頃になって、だんだん役にたってきた感も…(笑)。








posted by サロドラ at 21:43| 書道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月02日

言葉の生まれ故郷


 今週は言葉、そして表意文字としての漢字の本当の原点をみんなで勉強しています。

 http://www.tansuishodo.com/kotobano.shtml
 ここの今月の指針をどうぞお読みください。

 
 「花」という漢字のパーツを分解して、そのそれぞれの形が何を意味してるか?をまず学びました。


  それらには2000年分の深い叡智と、深い霊性を含んでいるとも言える哲学がこのシンプルなフォルムに隠されています。

 IMG_3459.JPG
 


  …そして、実際に五感と五感を超えて、その言葉と文字の故郷を実際に眺めに行きました。それは言葉にも、文字にも、閉じ込められはしない現実の世界…


  触ったり、香ったり、聴いたり、…川のせせらぐ音、風のそよぐ音、雑踏や人々の雑音、青い空に映える薄紅に葉、散って舞う儚い花びら、そこに集う生命、緩やかで暖かい太陽の光、


IMG_3461.jpg



  しかし街中を一巡してる間、色々な文字が、まるで洪水の様に反乱する風景を皆で眺めながら、立ち止まって、書体や漢字、その場所の歴史などを説明したりして子供達と一緒に子供目線で歩いてると、なんだか、ここはまるで不思議な国の様です。

 私は極普通の普段から日常風景にそう感じてはいますが、まるで宮崎駿アニメの中に皆でトリップしてきた感が、今日はより強くあったことに少し自分で驚きました。

 子供ってこんな風に世界が見えてるのだな…。

 ここはまるで、極自然に言葉と文字の生まれ故郷に近い場所です。

IMG_3502.JPG

 
 今日はいつもより長く、7分間の黙想して、今、心で観てきた風景、世界を内観して感じてみました。

IMG_3503.JPG

 

IMG_3469.JPG

IMG_3471.jpg

IMG_3477.jpg

IMG_3478.JPG

IMG_3483.JPG

IMG_3486.JPG
 ここは実はORPHEUS読書会でもよく利用しますが、この一帯は19世紀から続く、山口大学や旧制山口高校の元々の敷地です。この赤煉瓦造りの明治時代の建築物も山口大学教育学部の校舎の一部で、ここが往時のままに残る最後の建築物です。ここで近代日本の礎を創った明治〜近代の宰相達も学んだ場所です。この場所こそ、明治政府から誕生した近代日本の教育の原点であり、日本の近代教育の故郷とも言える場所です。

 「土地」という意味では、明治政府によって政治的に施行された、47文字の現代仮名表記、漢語仮名混じりの調和体による現代日本語表記…、、それら私達が話し書く『現代日本語』という言葉の、ここは本当の生まれ故郷と言えます。



 ちなみに、こうして建物が復興される前はなんとも素敵な廃墟で、サロドラの幼少時の秘密基地でもあり、隠れ場でもあり、数々の天才的?いたずらの聖地でもあります。


 しかも、おまけにこの書道教室の古〜い建物は、その時代、明治時代往時の頃そのままの木造建築としてはおそらく最後の建物です。ここで文字と言葉の勉強を日々してる私達は、何か不思議な磁場に導かれている、とサロドラは思えてなりません。



 あっ、そうだ…、付け加えると、詩人の中原中也も、ちょうどこの場所で学びました。中也はサロドラ的にも小学、中学、高校ともに学校の先輩なのですが、近代日本を代表する叙情詩人が生まれるバックグラウンドには、実はこんな場所や歴史の背景が隠されています。


 
****



 近くのアート展を観に行って、いつもの非常にアーティスティックな出張コーヒーを賞味。

IMG_3437.JPG

 なんかすごくマニアックな豆なので思わず購入。結構苦み、酸味が強く、煎れ方ひとつで後味の香りが変化します。

IMG_3439.jpg

 何気ない、この写真、すごく良かった。今はもう消失してしまった、あの外国のお菓子の様なザビエル教会、2本の塔を眺める2人の少女…、ちょっと涙ものなくらいな世界、物語を感じるフォト。


IMG_3440.jpg

posted by サロドラ at 17:16| 書道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月15日

墨色

 
 この季節、入学、卒業、など何かと祝い事、謝礼、他、熨斗袋を書く事も世間様世界では多いと思います。 

 普段、音楽であれ、書であれ、授業で講義する内容をblogに書く事を私はほとんどしませんが、


 今日は一つだけここをお読みの皆さんにだけ伝授します。


 しかし、最初にお断りしておかなくてはならないのは、ここで画像で見るのと、実物を肉眼で生で見るとは全く違う、という点です。ですから、あくまで写真画像は参考程度だと思ってください。

 



 さて普段の熨斗袋などを書く時、まぁ良くて簡便な筆ペンなどを使用して書く方も多い事かと思います。

 しかし、結論、筆ペンの文字はどんなに字を上手に書いたとしても、何処か安っぽ〜い質感になってしまいます。



 その原因は、墨色にあります。





 まず、この線。これは筆ペンの線の色です(すみません、少しピントがぼやけてますね…)。

IMG_3339.jpg

 で、筆ペンで書いた文字の色はこんな感じ。

IMG_3329.jpg



 これは要するに「墨に似た黒インク」の色です。まぁ化学薬品に近い黒い液体、という感じです。
 
 …別にこれで良いじゃない?と思う方も居るかもしれないけれど、、、お手数ながらどうぞ、最後までお読みください。







 では次、これは「お習字」でよく使う汎用の墨液の線です。


IMG_3340.jpg


 で、墨液の文字はこんな感じ。

IMG_3330.jpg


 黒インクよりは、まぁ墨に近い。
 上の筆ペンの線と比べると、遥かに「書」っていう立派な雰囲気はより出ます。

 けれど、実は汎用の墨液もインクと大して変わらない、化学薬品的な添加物バリバリの液体です。

 普段の教室の授業など、全国的にもこの状態で練習してる所がきっと大半でしょう(毎回、摺ると時間がかかるので…)。







 では本物の墨を水から摺った線。
 

IMG_3331.jpg


 解り易くする為に、わざと薄墨にしました。

 どうですか? たった一つの線の中にも、濃淡、色合いが和紙の上で、大きな変化をしているのが解るでしょうか?
 この線の中での色、質感の不均一性こそ、書の表現の中で最重要なものです。

 筆の緩急、筆使い、で色合と線のシルエットを自在にコントロールする事が可能になります。

 2次元平面である筈の表現を3D立体にする事も可能です。
 本来の良い書作品は、この「立体性」と「線の歌い方」「文字の造形的意味」に実はあります。


 IMG_3349.jpg







 これは、エレキギター(特に歪み系)で言うギタートーンと全く同じ。

 エレキギター弾きは、結局、真空管アンプに一生拘る羽目になるのですが、このトーンの不均一性こそが、深い心の世界、感じ方、などエモーションの繊細な表現を実現する、表現上の最重要ファクターだからです。

 シュミレーターや、エフェクターではこの質感は絶対に出せない。それは表面が似てても、根本が全く非なるものです。手先の技巧上、どんなに巧く弾いても、ど下手が弾いても、全然、同じ、のっぺら〜〜とした音(笑)。

 


 更にこれを簡単に音楽と食べ物に、もしも例えるとすると、、、



 a 筆ペン=アンプシュミレーター=インスタントラーメン

 b 墨液&筆=ソリッドステートアンプ(JCなど)&ブースター系エフェクト=添加物入りラーメン

 c 本物の墨&筆=真空管アンプ直音=ギミック無しの無化調の本物のラーメン



 ………ってな感じです(笑)。



 cの状態は、手間もコストもかかる。しかも手先の繊細な技術も全部出るから、より難しい。。とっても、難しい。

 でも、決して上手でなくても、充分、面白いもの、良いもの、自然な美味しいもの、にはなります。

 またそういう状態に慣れる人ほど、手先の技術も必ず巧く成ります。




 bの状態は、まるで平板な、ノッペリと紙に文字がただ張り付いた様な、味気なさがあります。

 しかし、これが全国のほとんどの多層勢でしょう。

 一瞬、騙されて美味しいかも知れないが、そんなものを毎日喰ったら病気になるでしょうなぁ、って感じのもの。


 それは本来、不均一な人間の深い心の世界を表現するには、もう何か程遠い…。


 でも残念ながら、そういう平板さ、均一さに、多くの人は飼い慣らされてる事が昨今多いので、まぁこれでいいじゃん、って人も、現実はさぞ多いでしょう。。。が、、、、、


 そういう人は、己の自然な心の不均一さと、生活を取り囲む身の回りの、簡便かつ無理で不自然な平板さに、自分でも知らぬうちギャップが生じていて、自分の不快感や苛つきの、真の発生場所が自分で見えない、という事が多い、という気が私はします…。




 で、いわんや、aの状態は、完全に偽物な上、まるで表面で嘘を付いた様な、味気ない…、と言うよりも、ほとんど危険レベルの物体ですが、これは、もしもb,cの状態を体験的に知らない方からすれば、「なんか問題あんの?」なんてのが、現実では無いかなぁと思います。

 えぇ、そうです、便利で簡便な様ですけど、こりゃ本質的に問題が大ありです。



 で、今日の結論



 字が別に上手でなくても良いし、書道も習字も習った事も無い、という方でも、『ものは試し』で、100円ショップとか売ってる安いもので良いので、試しに墨を水からきちんと摺って筆で熨斗袋を実際に書いてみてください。

 決して上手な字でなくても、驚く程、ゴージャスな雰囲気の物体になります。

 手間と言っても、熨斗袋を書く程度の墨の分量を摺るのは、1分間もかかりはしません。
 その際、注意するのは安物の墨は、墨色が薄いので、濃くなる様に強めに摺る事です。


 要は、書く人の「真心」「誠実さ」の問題です。そして、人間的な有機性、という感触が強く出るのです。

 自分は字が下手だなって人でも、下手成りの、何か「味」のある感じにもなるし、もしも字が上手な方なら、こりゃ立派!って感じに成ります。
 
 結局、気持ちや、心、が伝わる。

 これが一番大事。


 経験の無い方も、ぜひお試しください。
 

IMG_3350.jpg










posted by サロドラ at 23:11| 書道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月23日

「11月23日」という日


 今日、11月23日。

 日本人という民族にとって(もしかすると世界中にとっても)、本当はこの日こそ1年で最も神聖な1日です。本来的にこの日は日本人にとって、キリスト教圏に於けるイエスの誕生日であるクリスマスに等しい祝祭の日です。

 いつも不思議に思うのですが、どれだけの日本人がこの事を、単なる風習ではなく知的な理解をしているでしょうか?

 学校教育では未だに戦後のGHQの施策を引きずって、日本固有の神話や物語りを子供に教えない。おそらくそれが原因なのでしょう。

 この日は勤労感謝の日、という共産主義的な匂いのする全く意味不明な名前でずっと汚されている。そんな奇妙な名前とは無関係に、日本人にとって永い間、この日は祝祭の日でした。


 この日は全国でも、神社の秋のお祭りが各地で開催されており、ここ山口市でも天神祭が商店街で神輿や稚児行列などが盛大に行われ、数日前から辺り一面に紙垂が飾られています。

 毎年この数日間は、普段の商店街の雑踏と言えど、何か、神域の様な清らかな気が、辺りを覆っています。


 この日、伊勢神宮では新嘗祭がおこなわれていますが、この祭りは飛鳥時代から1500年くらいは続いています。しかし、これはこの名義、スタイルの祭りとして、という意味で、おそらく本当はもっと古くから連続している儀礼(ともすると何千年、何万年の可能性も…)だと私は考えています。


 全国中の祭祀はこの伊勢神宮で行われる新嘗祭を本意として行われています。

 そこで、この新嘗祭の『嘗』という漢字の真意を、書家として、今日のこの日に皆さんに知って頂きたいと思います。



 嘗の上の部首、縦、点、払い、の部分は、元の象形では、横棒に斜めの線が描かれ、それは幽気が立ちこめている姿です。

 その下のワ冠は、御霊屋の屋根でその下の口の部分を「サイ」と呼び、これは神への祈りの祈祷文を入れる箱型の象形です。

 そして、その下にヒの様な形の部分は、人の屍が横たわっている形を意味し、その下の日は、玉(ぎょく)という水晶玉の形で、この文字全体が古代の一つの儀礼の姿形をしています。

 そして、この儀礼の元に、上に描かれた幽気の部分こそ、目に見えない神が姿を顕わし顕現することを表現しています。


 これは即ち、1年に1度、神を儀礼によってお迎えし、普段は目には見えない神がそれに呼応して姿を顕わす、という事を意味しています。


 ちなみに、当の旧字体「當」や、「尚」という字もこの意から派生した漢字です。


 天皇即位の際に行われる、1代に於いてただ1回だけの、この新嘗祭を大嘗祭と呼び、実質、天皇が個人を捨て、天皇という地位に即位する、という、おそらくそれは南方のポリネシアあたり周辺から古代に伝わり、まさに弥生以降を経て飛鳥時代頃、農耕儀礼の態を為し新嘗祭としての確立をして、そして21世紀の現代の今に至っても日本に連綿と続く、世界にも類をみない特殊な形態の古代儀礼です。

 
 クリスマスは意味不明に馬鹿騒ぎしたり、プレゼントを送りあう我々ですが、本当に大事な日は、今日この日。

 またこの11・23、という西洋暦の日付の確定は割と近代なのですが、この数の日付の確定には深い儀礼的な意味を持っています。

 しかし何故、多くの人は本来の意味というものを忘れ、意味を喪失してしまっているのでしょう…?

 私にとって重要な問題として、意味を失った人間が、何かもの創りをする時、やはり意味の無いものしか創り出す事ができません。

 意味、というものを我々は失ってはならない。


 …しかし、一般論として意味が忘れ去られているとしても、非常に感動的な事に、その所作は確かに、まるで無意識の営みであるかの様に、連続し続けています。

 この様な驚くべき連続性こそが、日本、そして日本人という民族の最も根底的な力ではないでしょうか。


 これ程の永い時間の連続性を現代社会と融合しながら保持し続ける高い能力を持っていたのは、地球上全体を眺めても、結局この日本だけでした。

 海外のどの国、どの民族も、これを真似する事などができはしない。


 王族は滅び、皇帝は革命によって駆逐され、固有の文明の連続は、外来的世界宗教と、テクノロジーが破壊を繰り返してきた。


 ところが不思議な事に我が国だけは、これらの難を、特に難ともしないで驚異的に極自然に逃れ続けている。

 この本当の秘密に触れる時、日本人は、真に日本人でありうると私は思っています。


 余談ですが、steve jobsのあの有名な言葉「stay hungry,stay foolish!」の言葉の発案者で、ホールアースカタログの制作者、stewart brandは、1万年の時を刻む、という長時間の連続性を意味する時計を創り、時間の連続性と、その視点からの文明をオーガナイズしています。

 その維持システムの最良の見本に、伊勢神宮の式年遷宮のシステムを選んでいます。それは、それが生きた文明に於ける時間の連続性に関して、世界最長であるという認識からです。

 人類はその大きな視点から、世界の環境を考え、ひとりひとりの人生を創造し、安定した文明を存続させようという本意だと私は理解しています。



posted by サロドラ at 11:23| 書道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月16日

努という漢字


こりゃまたひどい。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20131115-OYT1T00394.htm
(↑ニュース記事がリンク切れのため、こちらを勝手にリンクさせて頂きます。https://volar.theshop.jp/blog/2018/07/23/214519


 これはいつも授業でも、私はよく教えるのですが、『努』という漢字の成り立ち。


 「おんな」の「また」の「ちから」、という風に、漢語、漢字を日本語訳にした訓読みで、本来外国語であるその語彙、成り立ちを読み解こうと思う時点で、教育者として絶望的ですがな……。。。


 「おんな」はまだ良しとして、、、又は「また」ではそもそも無い。これは「右」という漢字の左払い、横棒、の上部のパーツと同じ形で漢語的には、これを「ユウ」と読みます。

 この「ユウ=又」とは、右手の手のひらと右腕の上腕部の形の象形で、このパーツだけで、まさしく右手を意味します。
 

 即ち、努という字の上のパーツ、「奴」は、女(女性を含む弱者全体を結果意味する)を右手で捕まえ、奴隷化する事を意味します。

 だから奴は奴隷という語の「奴」でしょう?
 

 そして、奴の下に心をいれると、「怒」ですね。

 すなわち、「怒」とは奴隷の心、、その様な鬱積した心の様態です。日本語訳で「おこる」という語彙と、本質的な感性がまず違っています。

 
 という訳で、努力の「努」とは、奴隷の力。日本語の「つとめる」という意味合いでは本質的にありません。

 すなわち、隷属し、無理矢理に使役され、酷使される側‥、そういう者の力です。



 よく先生、親は、子供に言いますよね。


 『努力しろ』 『努力が足らん』


 ‥‥‥‥いいんですよ、そんなくだらん事などしなくても。(自分の子供や生徒を「奴隷」に育てあげたいなら知らんけど。)


 『勉強につとめなさい』…これならまぁ良い。

  
 …しかし漢語で『努力』、、、こりゃいかん。



 んで、この悪徳園長先生。確かにこの「努」の漢字の成り立ち通りの行為を、全くそうとは知らずにしてると言う……(哀しく苦笑)。


 まさにこの「努」という漢字の成り立ち通りの愚か者丸出し行為を、(間違った意味で)口にし、(正しい意味で)行為してるという事実。。。


 これこそ、言語、そして漢字という文字の、本質的な力の発現をみている訳で、恐ろしい誤謬です。この様な間違いと、それゆえの哀しく滑稽な悲惨は、(日本の歴史上)世間一般に深く浸透しています。

 その矯正こそ常々、私が書道を教える時の重要なモチベーションの一つとなっていますが、書道とはカリグラフィー、習字、単なるデザイン、などとは本質的に異なっているのも、こうした部分の知的理解、読解、そしてその体得と、コントロールする力にこそあると私は思っています。

 本質的な意味に於いて、『書』とは、世界を生み出し、創造する力の根幹を成すものです。




 …で、私が口酸っぱく皆に伝える結論。


 努力」などしてはいけません!



 己の力が内側から、そして魂の底から湧いて来ないくだらない事は最初からするな。

 本当の己の力を誰に言われずとも、みずからの内に自然に、充分に湧き出ている力から出せ。 

 みずから、宇宙の自立した全ての力がそうである様に「精進」せよ。


 そうすれば、誰でも天才かつ自由であれる。

 


 ps,

この「自由」の通りのライブイベントを、来月、私達は現実に皆さんに体験して頂きます!情報は追って告知します。

posted by サロドラ at 05:02| 書道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年10月25日

小野道風


 しかし…インターネットというものはオモロいものですが、これを調べよう、と思ってウロウロしてたら予想外の情報に行き当たって、しかもそれが異様に面白かったりして…(笑)。


 今日、面白かったのはこのページでした。
 http://www.bizocean.jp/column/president/president18/


 私達の世代の知る、もっとも格好良かった”HONDA”のカラーって、実はこの人のカラーだったんだなぁと思います。この人が去ってHONDAの色は別の色に変わったのだな。

 あの神に近づくようなセナや、まるでエンジニアの夢を叶えたかの様な本田宗一郎に素敵な「色」を与えたのはこんな人だったんだなぁ、と今頃、インターネットのお陰で初めて私は知りました。


 途中、本田宗一郎氏が引き出しから、平安の書の三蹟の一人、小野道風の逸話から色紙を自書し自戒していたくだりなど、非常に興味深いです。
 今の日本の経営者でこんなセンスを持った人、いますか? 真の意味での教養と言ってもいいけれど…。

 HONDAが輝いてたあの頃の様な、世界のトップから今の日本企業が引き離されてるのは、こんなセンス、教養をして大きな舵を切る感性を首脳陣が失い、頭が良くても「無教養」だからです。

 書家として、この逸話にちょっと付け足すなら、三筆ではなく、三蹟の一人をチョイスした本田宗一郎氏のセンス、感性はやはり抜群です。



 私は三筆の書跡を、(その人物という意味ではなく)書家としてはまったく評価しないのですが、三蹟の成した仕事は実に「究極の日本の偉大」である、、と思っています。

 日本らしさを持ってエンジニアリング、テクノロジー、という場面から世界の頂点を極めた経営者の感性に、それは実に相応しい。


 

 小野道風 書  

 む免の可能 布利於く ゆ支にうつり勢盤 堂連可盤 ′(盤)なを わき弖 おらまし
(平安仮名)


 むめのかの ふりおく ゆきにうつりせは たれかは はなを わきて おらまし
(平仮名 表記) 

 梅の香りの 降りおく 雪に移りせば 誰かが 華を 分けて 折らないでしょう
(現代語 直訳)


 梅の香りが、降りつもった雪にもしも香りを移すなら、誰が華と雪を振り分けて折るでしょうか?
(現代語 意訳)


                                    〜 和歌 紀貫之 





 また、この桜井氏の様な、素敵な感性を持ってオーガナイズする人が、現実、現場に少ないでしょう…と思しいのはとても残念です。…こういう人、好きなんだけどなぁ、おれ。



 ここで氏のおっしゃるとおり、今の多くの日本の首脳陣も、これから社会に出る若い人なども、単なるツールとしてのお金をまるで主役にしてしまってる人が多いけど、それは本末転倒。

 それはまるで、人間は生きる為に食べる、のではなく、食べる為に生きる、という言ってるに等しい。こんなのは、万物の霊長類たる人間じゃなくて、動物ですよ。動物。





 ま、そりゃいいけど…、、、ところで私は実は車にはまったく興味がありません(笑)。

 そもそも今日、私が必死で調べてたのは、勿論、私の脳内を四六時中かけまわる、音楽、アート、そのテクノロジー的なものの源泉…、それと私の現在の様な、非常に数奇な食生活についての関連性でした。

 それはやはり、古代ギリシアにこれら全ての答え、がある様なのですが、こんなところに詳しく書ける事では到底無い、奥深過ぎな問題のゆえここでは軽く割愛しますデス。

posted by サロドラ at 05:18| 書道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月17日

デジタルペン習字 for ipad


 こちらもいよいよ実戦化。ipad使用法の私的発見を早速実戦に使いました。

 IMG_2106 3.JPG
 デジタルペン習字。

 これは万年筆やつけペンなどの線の強弱や陰影に、かなり近い線の表現か可能です。アナログの90%の情報量は再現できます。

 IMG_2105.JPG

 そしてこれで授業をする真の狙いは、学生諸君の注意力を喚起して、短時間で技術のポイントをマスターさせること。細かい線のディテールの詳細が説明しやすいし、黒板の板書で見るよりも、スマホやpc画面に見慣れた現在の学生の頭に入りやすくなる、と見ています。初回での反応はとても良かった。(ペン習字なんて超アナログな作業と裏腹に、こういう状態の目新しさで注意力を惹き付けた感も…)


 デジタルペン習字の実演をyoutubeにアップロードしました。








posted by サロドラ at 15:17| 書道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月03日

国際交流


 と、multiculturalismの事を言ってたら、まさに文化の日の今日、私も自分のフィールドで実際に実践させていただきました。

111133.JPG


 山口県少年地域国際交流推進コンソーシャム主催『Road to Japan2011』というプログラムにおいて、主に英語圏の東アジアのボーイ&ガールスカウトの皆さんに書道の体験をしていただくという講義を担当しました。

 今、国際的にも漢字はブームの最中ではないかと思いますが、書道の概論を簡単に英語で説明して皆さんに「和」という漢字を色紙に筆で書いてもらいました。

111131.JPG


111132.JPG


↑日本のガールスカウトの皆さん、県立大学の皆さんのサポートで書道を体験中!



 私はヒンドゥー圏の文化をこの数十年間、非常に尊敬し愛していますので、インド、ネパールほか東アジア諸国からの皆さんに逆にこちらの文化を伝える事は、個人的にも格別な喜びでした。とても楽しかったです。

 この模様は11/7月曜、KRY山口放送の熱血TV(pm16:20〜)に於いて放送される予定です。





posted by サロドラ at 18:29| 書道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月29日

書道論考


 ふと見るとこのブログ、書道ネタしばらく書いてないですね…(笑)。

 書道ってやはりゆったり、ゆっくり自分が進化するものなので、あまり日々の濃いネタはブログに書く気にはならないのですが、最近かなり感動したのはこのアプリ。

 http://iphone.appinfo.jp/apps/406778382/王羲之/

 私、一応毎日臨書練習をしてるのですけど、これは凄い。陰影もかなり良い状態で画像化されてるので、ただ眺めて良し、これを見ながら練習しても良し、という優れものです。

 でも、王羲之はもの凄く奥が深いのでまったくの初心者の人なんかの練習素材にはちょっと向きません。

 これをきちんと解読したり、解析のするのが毎日楽しくて仕方がない訳ですが、日々驚くべき発見があります。これは表面的に見ると、単なる『奇麗な字』に見えるけれど、これの本当の凄さは、「漢字の背景の歴史」が描写させれてる点である、というにつきます。しかも即興で(!)です。歴代の皇帝が愛してやまなかったのも、そこにあると思います。すなわちそれは数千年のひとつの民族の歴史を背負っている。


 すべての文字の歴史背景まで、一筆で即興描写ができる本物の書家が現代に於いて、一体どこかにいるでしょうか?


 私は実は戦後、近代の日本の書にはほとんど興味がないのですが、結局はこの背後の情報量の希薄が、ひどくそれらをつまらないものにしてると思うのです。それはまるでJ−POPという音楽と同じで、『意味』がない。それらは時代を反映すれど、勉強の素材には到底向かない。

 さらに鑑賞の対象である書作品はともかくも、町中で見かける様々な書体を眺めていても、それらは『不出来』を素通りし『奇怪』ですらある様に、どうしても私の目に映ってしまいます。しかも多くの普通の人がその奇怪に不満を感じないどころか、疑問すら特には感じないと思うのです。哀しくもむしろ私の様な眺め方こそ、奇怪かつ屈折してることになってしまうのです…。


 奇怪、といえば、例えば明清の頃の支那作品(あくまで「中国」ではなく、こう言いましょう)の『奇怪』が、むしろ戦後日本ではもてはやされてる風潮すらあるのですが、それはお互いの時代的な心情とも確実にリンクしているのでしょう。

 明清の政権交代の不安定と、官の屈折、それと戦後日本の主体性を失った屈折、それはまるで同じです。こういう時代には、否応なくフリークスがもてはやされてしまう。 


 で、こんな時間を過ごす我々などが、ふと街角に佇んででスマートフォンに映じた、あの書体を眺めると、まるで世界のねじれと汚濁から心が洗われる気すらします。墓場まで右軍の作品を持っていってしまった、あの迷惑な(笑)いにしえの皇帝の気持ちも少しはわかる気がします…。おそらく彼は歴史の本当の正体、そこに生きた優れた人たちの魂とあの世で寝そべりたかったのでしょう…。




posted by サロドラ at 16:45| 書道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月13日

日々是精進


 今年は色々な課題を拡げる計画なのですけど、まぁとにかく自分の内的活動をまず拡大しているという。去年は途中で肩を壊したせいで後半は毎日の修練が全くできなくて悔しい想いをしたので、まずはそのへんからかな、と。

 こちらは暮れから深めていた仮名による古今集。
 学生の皆さんも少し上達した様ですね。

11133.JPG

学生さんの作を添削

11132.jpeg

11131.jpeg



 古今集は読むほどに凄い。深い。芸術的にエロい。3拍子そろっております。

***

 HPリンクの改変を試みて、ネット上の広告を眺めてると、なんかあなたもすぐに巧くなるギター!、とか1週間で簡単に巧くなるヴォーカル!とか文字が踊りに踊ってて、コーヒー噴き出してしまった。

 勿論これらは詐欺に近いのだけど、飛びつく哀れな人も多いのでせう。まったく振り込め詐欺じゃないんだから…。こういうバカ詐欺の主には、じゃ、おまえの音を聴かせろよ、ほらよ、やってみろ!と、満員の聴衆のステージ上でマイクかギターを投げつけてやれば良いのです。

 こういう言葉が口から出る人はまずギターには向いてないし、音楽には向いてない。要するに才能がない。

 凄い人ほど、ギターが簡単、とか音楽は簡単、とかって言葉を絶対口にはしないよね。。。

 例えばイチローみたいな人が、野球ってちょー簡単!なんて事は言わないでしょう? 

 なんでも最初は簡単。…というかそんな気がする。上に行けば行くほど道は険しくなる。その先に本当の膨大な宇宙が見えてくるからなのね、これは。

 それが見えたら本当にそれが面白くなるし、凄く巧くもなりますよ。

 1週間の一生懸命で見えるのは半径10mに過ぎない。10年で見えるのは大気圏くらい。20年で太陽系、30年で銀河系くらい。

 でもそれよりももっともっと広範囲な宇宙がそこには厳然と存在している。 

 で、その宇宙をやっぱり手のひらに入れてみたい。

 そういう感じ。




;;;;;;
posted by サロドラ at 21:19| 書道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月03日

坦翆書道会web


 おととい朝を起きたら突然書道会のサイトがすべて消えていました。

 えっ???と思ったらサービス終了のアナウンスがinfoseekの公式サイトに確かにある…。だけどメールでの告知も何もなしに突然一晩で全データを消すなんて滅茶苦茶だ。人気の無料サーバーだったから何万というたくさんのサイトがあった筈だけど、たった一晩で膨〜大な情報量が消えた事に成ります…。

 確かに10年前はネットは基本的に無料という考えがなんとなくあって、ネット時代も成熟してきたからそういう無料サーバーは廃止にという事は理解できるけれど、これを決定した楽天は企業としての社会的責任をもうちょっと考えて欲しい。

 これとは他の件でも楽天という会社に私は悪いイメージしかありません。例えば楽天で買い物をしてメアドを登録したら、速攻迷惑メールがどんどん入ってくる。他の買い物サイトでこんな事はないですよ。楽天だけです、そんな事があるのは。裏で情報を売ってるとしか思えない(これをお読みの皆様も御気をつけ遊ばせ)。そんな事は明確に『犯罪』なのです。社会倫理の欠如した企業としか思えない。

 そういう訳で、一晩でサーバー引っ越ししました。 

 どうぞ皆様今後ともよろしくお願いしますm_ _m

 坦翆書道会web
 http://www.tansuishodo.com


posted by サロドラ at 15:10| 書道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月06日

蘭亭序清書


 卒業を迎えた子が去年から臨書を毎月重ねている蘭亭序を条幅に清書。


 稽古風景
rantei3.jpg



***

 iphoneのアプリ『live cams』で、世界中のリアルタイム画像をぼけーっと眺める。おもしろすぎ。

 フロリダのホテルの朝のプールサイド
10461.jpg

 NYの街角
10462.jpg

 どこかの教室?(海を超えた場所から私がゴロゴロと寝そべって眺めていたとは知るまい)
10463.jpg

***

 同じくiphoneの歩数計で測って1日1万歩を歩く目標達成。なんか1万歩って7,8kmは歩くのね…。


 iphoneに支配されつつある私。

 
posted by サロドラ at 09:22| 書道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする