2024年05月28日

Le bleu du ciel  〜"空の青み”



 もう何年前のお稽古中の出来事。

 
 書とは、世界を創造する根源なり。


 …などと説きたかったのだけど、これを小学生や中学生の子供に伝えるのは、なかなかに…難しい。


 で、ふと、「ねぇ、もしも今欲しいものあげる、って言ったら何が欲しい?」

 
 と、中学生のKちゃんと、小学生のYちゃんに質問すると、


 「お金。」 美術嗜好のKちゃん即答


 「あたしゃ子供が欲しい!」 歴女のYちゃんやけに元気に即答


  えッ!? 

 そういふものが欲しいのか???!!!!!!!!!!!

 

  てっきり、ゲームが欲しい、だとか、お人形さんが欲しい、だとか、そう言う答え…を予想する、おっさんのくっっぅそ生っちょろく、ド甘い、考えはたったの一瞬で女子攻撃に合い壊滅的に崩壊。まるでミサイル攻撃で焼け野原状態のわらし…。



 書は世界を創造…などと高尚な説明、難解な解説は、一瞬でどこかに飛んでしまい、、、。



***


 これはもう生物としての、男女の感性の違い、結局は分かり合えない男と女、など何か空恐ろしい難問を目の前に突きつけられた、という風情へ…と。


 
***


 

 どうも、最近、歩く、、、という人間にとって最も原始的な動き、二足歩行作業、すらもやたらと難しい状態になって、今年に入ってからそれは異常に顕著で、しかも今まで経験したことがない、蕁麻疹がこの2ヶ月は続いているこの身…。


 去年に罹患したコロナの後遺症か?という気もするが、近所の外来医院などでも、あまりハッキリした答えは見つからないまま、しかし症状だけはある訳で、、、。



 で、道を歩いて、突然動けなくなって、路傍に坐りこみ、、近くに見つけたベンチにようやく辿り着いて寝転がって、青空を見上げる。


 心に浮かんでくるのは、青空の風景を眺める心が紡ぐ、この身の細胞の構成物と、それを通して眺めるこの世界の大いなる不可知の青みの彼方。



 この細胞の構成は確かに、40億年くらいの連続性はあるはず、で、もしややはりあの宇宙の大爆発から連続もしていよう事に思いを馳せると、、、


 子供が欲しい、と、なぜだか歴女の子供のYちゃんが思うのは、この連続を確かに繋ごうとする意思の表れかも知れず、、



 この青空や白い雲、、この自然をどうしても人間の手による戯画に変えようとする人間の芸術の積み重ね、、、それを支えたのは間違いなくかなり高額、膨大な金銭、経済であって、、、経済とは人為的人工物であることを鑑みると、芸術などという人為的人工物とそれは直結することは当然、である。



 美術嗜好のKちゃんの答えは、まったく、正しい。



 そんな気もうっ〜すらとし始めるおっさんのわらしであるが、、、あまり実感はこの身には正直まったく伴っていない。



 
 しかし、歴史の糸を繋いで来たのは間違いなく、文字であり、言葉で、文が化けた文化、である。


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 それを紡いできたのは、やはり何故だかこの二足歩行をし始めた奇特な生物である人間である。


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 …そうか、ちょっとわかってきたのかな、おれも……。





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 いや、まだ、わからん、な。 なにか、人間、それ以上のもの、何ごとか、、永遠の不可知へと続くこの道は…。







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 長年愛用してるMargo Manhattan
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2024年01月15日

New York Times ー 52 Places to Go in 2024 ー



 ニューヨークタイムズ誌の「2024年 今年行くべき52ヶ所」に、パリに続いてNo.3に山口市が選出された、という話題が。


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 No.1が北米皆既日蝕観測。

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 No2がオリンピック開催を控えるパリが選出。

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 そしてNo3になぜか突然、山口市。

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 1、2は確かに2024年にしか味わえない場所という理由がわかりやすいにせよ、突然、世界の中でなぜ山口市が?と、そこら中で話題が持ちきり
に。



 で、驚きながら記事をよく読むと、山口市、とか、山口県、というよりも私の普段ウロウロして生きている生息地、数十メートル範囲の狭い地域がgoogle mapリンク付きで実にセンス良い名文と写真で全米有力誌面にて、堂々と世界に向けて紹介が…。!!!!????と興奮状態で飛び起きて、記事にも紹介されている私の常連カフェ(Log coffeeさん)に行ってオーナーさんに事の成り行きを拝聴。


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 この記事のライターさんは鎌倉在住のアメリカ人の方で、旅の途中でカフェに来訪され、著書まで置いていかれたらしい。カフェオーナーさんが元ネタ情報提供されたそうで、NYタイムズ誌編集部で、世界中から集められた記事の中から選出された、とのこと。


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 ***


 普段、私の教室には、よく海外から御来訪のミュージシャンが停泊したり、書道を学びに、という外国人の皆さん相手に延々講義をしたり、一緒にリハーサルをしたり、歓談をしたり、結構、繰り返してしてきた経緯があります。

 ex. from Paris   from London


 私が東京から帰郷して、教室で講師として教え始めた時、初めて来られた一般の方は、NY市立大から恐竜-地質学研究者として山口に滞在していたDeborahさんという女性でした。


 ちょうど同じ頃、ギターを教えてくれ、とふらりっと尋ねてきたのは美大卒業後にオーストラリアから来たアーティストのRichardくんで、彼は山口滞在しながら英語講師をしていた青年。私の身の回りだけは、どういう訳か国際的な雰囲気が最初から常に漂っている、という…。


 世界中から結構、色々な方(わりと濃ゆい人脈)がこの教室に訪れて去り、を繰り返し、ここはどこかの国際空港か、駅か……?…と感じるほど。



 で、皆さん口々に、山口はとても良い街だ、と言うのです。


 私自身も、確かにここで生まれ育った身ではあれ、一度は捨て去ったと思っていたこの故郷は、帰ってみると、まるで違う見知らぬ風景で、帰ってきたというよりも、記憶のどこかにあれど、見知らぬ場所に漂着した、と、感じて過ごしていました。(今もって変わらない)


 そんな私の雰囲気、匂い、が、そういう旅人達を世界からここにおびき寄せてきたのかも知れない…。

 
 まるで私は、確かに出身地にありながら、しかも異邦人であり続けているかの様。



 ***



 そんな私から感じる山口。このNYタイムズの記事は、短文と美しい写真で見事にそれを捉えている。


 思うに、旅人の気持ちをふと掴むのは、これみよがしな、観光絵柄でも、建っては消え建っては消えする都会のキノコの群れの様な漂泊でも無く、歴史の中で自然に培われた、人々の普段の営みだと思うのです。




 ***


 住民からすれば、なんでも無い極普通の風景や、路地裏の雑踏、、そこには、世界のどこにも無い、真実の顔、横顔、とても魅力的な陰影がある。

 
 それはとってつけた物では無いし、とってつけれる物でも無い。


 世界の、とある街の魅力、とはそんなもの、ではないかしら?


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↑記事ライターの方の著書




 ***


 小津映画は、世界でアーティスト達に今でも非常に人気があるけれど、逆に日本人からすると、ちょっとわかりづらい。シュールで、皮肉、ですら、ある。


 無自覚を描写した姿、であり過ぎるから、だと思う。


 山口の魅力は、それにとても似ている。


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 私の教室は、明治時代の建物のままで、教えている書の世界観は昭和初期風で、同時に平成ー令和の最先端な機材で最先端な音楽を追求し続けている。


 自分でも、とても奇妙な営みなのだけど、狙ってそうした訳では全く無く、自然、勝手に、成り行きで、そうなだけ、である。


 私は、そういう作為無き、無自覚を愛する。


 自分の作品も、すべからず、そうであるべき、と思っていて、書であれ、音楽であれ、瞬間の即興に全てを賭けて生きている…。



 ***



 
 ところで、日蝕、パリ、山口。。。。NYタイムズ編集者さん、それ、オレのこと…



 ***



お薦めコース

雪舟庭 → 瑠璃光寺 → 中市町 銀天街cafe (ついでに書道教室ね。お茶でも出しましょ。どうぞお気軽に)→ 松田屋 → 電気ブラン(bar)






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2023年11月23日

☆  Red Rose  ★




☆  1123  ★


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2023年10月23日

女神の九夜



 
インドではこの時期、女神を祀る祭祀で9日間過ごしています。



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 私も現地でそれを体験したことがありますが、眺めていると、玄関の前に魔除けの模様を描いたり、夜昼灯火をずっと灯したり、なかなかに風情があるもの、です。


 こんな風習が数百年ではなく数千年も続く文化、文明。


 日本で言うと、京都の大文字焼きや、精霊流しの様な風情と、どこかそれは似ていて、日本文化の根源はやはりかの地にすべてあるなぁ、と想いを寄せたり。


***



 哲学でそれを観ずるなら、女神とは自然、自然元素の表象で、創造、維持、破壊を表象する三神に付随する女神をそれぞれ三日間ずつ、計九日間祀り、熱心な帰依者はその間は断食をしたり、節制をしたりします。



***


 そうした祭祀によって、断ち切るのは様々な種類の『人間悪』。

 故にもっとも重要視されるのは破壊の神の女神、それは火の元素を司る女神で、神話の説話上は、神的恩寵によって、神も男も殺す事ができない悪魔的な存在を倒す為に、神の謀ごとで女神の姿で様々な武器を持つ神が顕れ、それを倒す、というものです。 



 まるでそれは人間(悪)と自然(善-神)の関係を説明している様で、とても面白く、そして興味深い。


 女神と九夜過ごした後、もっとも古い神話上の神、全世界の主祭神(悪魔との闘争の果てに倒す英雄)を祀る祭祀によって『絶対善』の勝利を祝祭して、一年が完結します。



***

 
 日本の今のニュースを眺めていると、夏の異常な暑さで生態系が変化したからなのか、街中に熊が出てきて人を襲ったり、なんだり。


 熊も大変だろうけど、山でもない普通のそこらの街道を歩いていて襲われるのも、ちょっと……。


 しかし、かのインドの説話や祭祀を眺めて、自然への畏敬の念を、かつてはもっと持っていたであろう日本の文化を考えると、異常な夏の暑さと同じく、それもある種の人災にも思えます。

 
 勇壮な熊は山の自然そのもの、象徴なのだから。


***



 そんなことをふと想いながら、言葉を棄て、この世界、その謎や神秘に想いを馳せ、九夜を灯火とともに静かに過ごしました。


***


 偶然、ちょうど中日が、私の生命の旅路の生誕日。それが最初に始まってから137億年…。



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 しかし、その前後、どうにも煩わしい何かが周囲に。それをよくよく観察、洞察。


 その正体を、私は知っている。



***


 思えば、人間悪、それは言語と共に始まった。


***


 音楽というものはどこか天界的なもので、心惹かれてやまない深い理由ですが、言語にはどこか、有益な力と同じ質量の邪悪な力も備わり、またそれは、人間の驕りともどこか地下深くで繋がっています。それは切実な最後の人間の砦、壁。


 まだ文字も持たなかった古代の人々は、その特質、言語の境界壁に今よりも遥かに繊細だったのかも知れない。


***


 と、過ごして九日目。

 これも偶然、旧暦の九月九日。重陽の節句。

 偶然ながらよく出来ているなぁ、、、と、感心しつつ、気が向いてふらりっと地元の女神様に参詣。



 神殿に到着すると、太鼓の音が鳴り響き、他に誰もいない中、大祓祝詞を宮司様が奏上されている。

 幽玄に響く音に聴き惚れて、頭を垂れて長い祝詞祭文をずっ〜と拝聴。


 耳を澄ませて聴くと、その物語中に、祓いごとの秘技が語られている。


 これまた、偶然に佳きものを聴きました。


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 非常に不思議な事に、なにか大事な祭り事の折、いつもこんな風に、まるで導かれたかのようによくよく立ち会う‥‥。(←なにも、考えておらぬ。)


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 そんなこんな、なにか黒い悪を倒す、さらに黒々とした女神に想いを馳せていたら、ふわり、と、、

 
 チベットのヒマラヤ山奥深くの大自然から、まるで宇宙の漆黒のような数億年の物体が手中に…。きっと、女神が黒い悪を倒したのでしょう。



 とても、素敵な九日間。




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2023年01月01日

癸卯 〜その神意〜 


令和伍年 新暦 祝月 元旦 

新春 明けましておめでとうございます


今年も”サロドラな日常”をどうぞよろしくお願いします



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 年頭にあたり、今年1年を十二支の深遠な哲学、漢字学から記します。

 このブログではもうお馴染みの話題ですが、ワタシ自身、毎年の研鑽を重ね、その見え方、考え方が年々進化、変化しています。

 こうした情報が混迷の世に光を照らす指針となり、叡智となれば、とても嬉しく思います。


 『卯』という漢字は、もちろん動物のウサギさんとは何の関係もなく、喩えるとクリスマスのサンタさんと同じで、子供たちが難解な神学や哲学、民族の歴史を紡ぐ風習を理解し、覚えやすく身につけさせるためのもので、本来の十二支の哲学は、主には植物を題材に、生命の生成、発展、横溢、そして実り、最後には朽ち果てる、、という生命循環の姿を描き、それを大きな時間に暗喩したものです。



 元号などがまだ無い時代から、そうした生命の大きな円環を十二支に充て、その流れに沿って人々は時間を生きていました。


 ワタシは音楽をしている時、それが時間に依存する芸術であることをいつも痛感するのですが、時間そのものを神格化した神々が東洋には古来から存在します。そしてそれは音楽とも深い関係性を持っています。



 また書道の作品では、著者サインである落款に、通常この十二支で筆記時間を記します。



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 さて、今年の『卯』

 『子』は右手を挙げ生まれた神聖な王子の姿によって暗喩された、新しい生命の誕生の年。

 そして『丑』はその右手によって、その新しく生まれた何事かを掴む年。

 そして『寅』はその新しい何事かを今度は両手で支え、調整していく、、という流れの次の漢字で、白川学説によれば、『卯』は神事で祭祀に供儀として供える肉片を二つに切り取る象形で、卯の下に、古代の貨幣である貝をつけた字が『貿』です。


 ネット上で種々の説があがっているのを見かけますが、卯=う、というのは訓読みで、本来の音読み(漢語読み)は"ボウ"の発音であることから、この説の信憑性は高いと思われます。



 コロナ発生、世界感染拡大の年がちょうど『子』で、私達の世界の価値観はまるで一変しました。

 そして、一昨年、昨年、とそれは続きながら、変化した価値観によって、まったく新しい技術が生まれ、それが『丑』『寅』の二年の間に水面化で非常な進化をしているのが世界各所、各分野で見られます。


 その意味から、今年は、新しく生まれた潮流が水面下にて世界中でいよいよ調整され、今年は世界的に凄いスピードで変化した姿が目に見える形で、表面に現れ、世界中で交換、交流される年となります。


 特に今年は、電気関係、つまりはIT、コンピューター関連やテクノロジー、さらにはエネルギー関連、などで大きな進化を遂げたものが水面に姿を現すことでしょう。


 例えば今、皆さんがここを眺めているスマホや、パソコンは、現時点で今やもう既に『オールドコンピューター』であり、次世代はもの凄いスピードの演算ができるテクノロジーが、一般化し始める兆しが、より目に見える姿に変わります。


 また、貿の字の通り、世界各国の交流、貿易、など価値や物の交換、などが進み、コロナで疲弊したかの様に見える世界経済、文化的営みは、まるで一変した姿で、繁栄への道筋、光がさしていきます。



 また、今年は音楽の年でもあります。


 それは特に、ハイテクノロジーを使用した音楽の進化が顕著となる事でしょう。



 ***


 と、いう訳で、今年は、ここまで一般的には目に見えない地下深くで溜め込んだ新しい価値観と世界観が、非常にわかりやすい形で、世に出現します。


 今年は、個人個人が、強力なスピード感覚を持って、動きまわることで、どんどん運気が上がります。


 今年はじっとしたり、休んだりする年ではありません。



 また新しい価値、潮流に積極的に乗っていくことで、自分のポジションを上げていくことができます。


 昨年まで地道な精進をして人知れず地道に土台を創ってきた人は、今度は一転して、それを社会化させ、全世界と交流し、交換していく時です。


 また、投機関連、事業などをしている方は、ぜひ積極性を持って投資すべきであり、企業関連は海外への貿易拡大に力を注ぐことで、大きな収穫を得ることができます。



 今年は、とにかくスピードが命で、動いてチャンスをものにしましょう!!!!!



 皆さんと私達の日本、そして世界全体の繁栄と、躍進を心よりお祈り申し上げます。 


 癸卯 元旦 西村始主以 ★ SALONDORANJU ☆






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2022年11月23日

☆ Blue Rose ★


☆ 1123 ★

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2017年04月13日

ロボットと人の未来



 最近、囁かれて久しいトピックですが
 http://www.jiji.com/jc/article?k=20170330035488a&g=afp




 P.K.Dick好きの私の見地からも、この研究、大旨正しいと思います。


 本来、人間がしなくて良い作業を人間がしている現在の方が、どうかしている。単純作業の工員や労働者など必要が無いし、そこで働く人自身が、それを良いと思ってる人など現実120%居ない。


 人間は人間らしく生きるべき、働くべき、で、ロボットに人間が成る必要など無い。



 で、ここで大問題は、溢れてしまった単純労働の人達…、だけど、この問題、古代、それも超古代の人類が、生命存続の為のリスク回避として、分業化し、システム化し、社会形成をしていった、その歴史的な構造の大きな揺り返しが、今、テクノロジーの発達、つまりは効率化によって、やっとこさやって来た、というのが、真の正体です。


 2000年期に入ってから、つまりはIT関係が成熟を見せ始めてから、特に私は超古代への回帰欲求が強く心に芽吹いて止まず、自分の仕事の全てはそれを規範として作業しているのですが、それは実はこうした社会の波を私の無意識が敏感に感じているに違い無く、現代に超古代を結ぶ仕事の意味、重要性は、そこにあると考えています。


 ただ違うのは、人口数。この問題だけは超古代の前例で解決できない。


 これは昔は戦争という形で人口淘汰を、自然に人間はしていたけれど、現在、ヒューマニズムの勝利によって今後、これは無い。その代わり、環境問題を通して、まさに神の采配であるかの様に、自然災害という形で、人口調整がされてしまう。要は、これは地球自身が、その自然のシステムによって、調整機能をそういう形で実現させてしまっている。

 2000年期以降の大事件、911からに始まった戦争、311及び世界中の震災、の全ては、これで説明ができます。



 超古代、、人間は、自然に成っている果実で潤い、システムを形成する必要など、無かった。国家も、村も、社会システムが無いのだから、争いも無く、永遠に平和で、天然の恵みによってのみ生き、安らかに死んでいった。世界中の古代神話に触れる時、それらに共通、通底して描かれている世界観である。


 人間が従属するのは、人間の造った構造物では無く、自然、天然のサイクルやシステムだった。


 どこの超古代文明も、これが基本的な様態です。





 この超古代と、現代を結ぶ。


 これが、今の社会問題の真の解決方法で、もう世界中の多くの人はそれに無意識レベルで気がついている。


 20世紀のアート、文学、を眺めると、総括として全てはここに到達する方法の模索、実験の繰り返しだった様な気がする。


 できれば、今世紀でその完成型を見たい。


 私は、その完成型に自分が到達したい。いつもそう思っています。


 

 さて。


 システムへの無分別な従属をする人は、もうこれからの時代ダメです。そういう人は要らないので確実に淘汰される。これから職業を模索する人に言いたいのは、そこです。最先端の社会学者、研究者の予想は、思ったよりも、かなり早くやって来る。

 システム、というものの性質とは、人間を真に思考しない痴呆にし、ロボットにする。痴呆に成り、ロボットに成った人間は淘汰される。


 システムに従属しない人間は、思考を常に要求される。機械的ドグマの外に立つ事を常に欲求する。



 会社人間、も、公務員、という制度も、つまりは社会保障の担保自体が、まるで恐竜の冬の様に、もう今世紀中に消えてゆく。


 人間を保障するのは、自然、天然の、抗えない力だけが、それを担保し、維持する。


 ここから法律、政治、社会、生き方、食物、アート、つまり人間の生き方全般を、組み替える必要が、必然として、今、来ている。




 私は、80年代にP.K.Dickを読んだ時から、太宰を読んだ時から、春樹を読んだ時から、ピカソの美を観た時から、岡本太郎の啓発を聴いた時から、宮崎駿アニメに感動した時から、そして、全ての良質な20世紀の音楽に魂を打たれた時から、


 この時代の到来を予想していました。そこにもう既に、これらのサインが明確に記されてあった。




 ロボット、とは人間のシステムの代替であり、つまりは安全保障の担保の代替であり、そして人間とは、人間の産物であるロボットが永遠に叶わない、人間以上の機能の代替存在、である。


 その露骨な表出が、今世紀の未来に起る、主要な出来事だ。



 私はシステムとしての書にも、システムとしての音楽にも、ノスタルジー以外の興味は無い。それが生まれる瞬間に全てを戻してしまえば、それでいい。この時間の中でそれを成し遂げるならば、超古代は超未来に自動的に変貌するのだから。


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2016年09月09日

9☆9★9



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2016年05月18日

遠い声 



 それは遠い声 霞の中から聴こえてくる、遠い声

 懐かしい そして 強く 鈍麻な理知の網から逃れるような美的な声

 私はその声を 捕まえようと 見えない水に手を入れて

 冷たく優しい その水を 掬いだす


 それはいつの時代だったか

 その声を はっきりと聴いたのは


 その声は すべてを象り 明瞭な正確さで 魂を震わせていた

 どうして その声は 遠くなったのだろう?

 その声を聴いて その声に 体を与えようと 

 何千年かの叡智は その手を天に捧げていた


 
 私は それを完成させるために来た 此処に

 蓬けた退屈さに 堪え 甘美の苦痛と哀しみに 傷つきながら


 声よ 来い  今 ここに
 

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